◆7 浮気発覚──コンチクショウ!

【2日目】1975年(昭和50年)11月9日日曜日


 コウスケが出勤したあと、近くのスーパーマーケットが開く午前10時を待って、食材とキャンパス地のスニーカーを買い、角のタバコ屋の赤電話から米屋に電話して帰宅した。

 金の隠し場所は大方見当がついていた。雑誌の中から表紙にバイクの写真を探せばよかった。案の定、すぐに見つかった。聖徳太子が二枚。

 朱鷺は流しの中の洗い物を全て片づけると、早速夕餉ゆうげの仕度に取りかかった。久しぶりに手料理を味わってもらおうと意気込んだ。手抜き料理はお手の物だ。68年のキャリアがある。

 仕度を終え、茶をすすりながらくつろいでいると、米屋が配達にきた。10キログラムの米袋を抱え、米を米櫃こめびつに移す。

 飯を炊き、夕べ添い寝したレトルトのカレーをかけて、遅い朝食をとった。

 目覚ましは7時を指そうとしている。丁度7時になったところで、6時間だけ時間を戻した。

 満腹してしばらく横になり部屋を見渡した。

 何もない殺風景な部屋だ。窓にはカーテン代わりにシャツと上着が、風呂場の戸には暖簾のれん代わりにタオルがかかっていた。洋服ダンスなどない。服は壁一面、襖一面、鴨居という鴨居に張り巡らされている。トランクスもズラリと並んでいた。朱鷺はクスッと笑った。

 徐に立ち上がると部屋を物色し始める。

 押入を開け、首を突っ込む。柳行李やなぎごうりからアルバムが出てきた。それを引っ張り出し、四つん這いで後ずさり、襖を閉めようとした。が、反り返り、滑りが悪いので、少しばかり力を入れたら勢いがつきすぎた。危く顔を挟みかけたが、寸でのとこで鳩ポッポの首引きを真似たお陰で免れた。

 さっそくちゃぶ台の上にアルバムを置いて、胡坐をかいた。頬杖をつき、一ページずつ開いては、若かりし爺さんの姿に笑みを零す。写真は年代順に整理して貼られていた。最後のページを開いた朱鷺の目が一点に釘づけになる。

 ──女と写っている!

 ──ジイさん……?

 ──ジイさんに間違いない!

 女の肩に腕を回し、はにかみながら頬を寄せ合って……。

 思わず首を捻る。こんな写真を撮った記憶がない。

 ──オラの思い違いかもしれねえ……

 必死に思い出そうとした。だが、どうしても思い出せず、頭は混乱する。

 ──きっと、忘れているだけだ。

 そう思い込もうとした。

 ──ジイさんがオラ以外の女と……

 ──こんないかがわしい写真を撮るわけがねえ!

 それでも不安は募る。慌ててモンペのポケットをまさぐった。折り畳みの老眼鏡が右のポケットに入っていた。一度、目頭を摘まんで、老眼鏡をかけ、目を凝らす。

 男は……

 ──確かにジイさんだ!

 女は……

 ──ハテ、ハテ、ハテ? 

 ──まさか……

 ──ジイさんに限って……

 老眼鏡を外して今一度、目頭を摘まんだ。一旦、天を仰ぎ、老眼鏡をかけ直すと、写真を睨みつける。

 ──そんなこと!!!

 女の正体が暴かれた時、尻の穴から脳天まで一気に血が駆け上り、顔から火が吹くか、と思うくらい熱くなった。頭がクラクラする。

 朱鷺は拳を握り締めた。体が震え出す。両の拳を高々と持ち上げ、勢いちゃぶ台めがけ力いっぱい振り下ろした。

「お春のヤツ! 許さねえ!」


   *


 鷹城春乃タカシロ ハルノ。これは母親の再婚相手の苗字だ。元々は、小鴨コガモだった。通称『お春』。職業、小説家。朱鷺の生涯のライバルである。

 お春は、鳥の巣山の家にやってきては、親切ぶって何かと世話を焼きたがる。それが何とも鼻につく。どんな魂胆があるのか、恐らく小説のネタでも仕入れにくるのに違いあるまい。

 朱鷺はいつもぶかししげにお春を見てきた。この世で一番いけ好かねえ女だ、と思っている。

 お春との出会いは、十七歳の秋。朱鷺がレストラン『サンクチュアリ』に勤め出して、2日目の昼すぎだった。

「なにになさいますか?」

 朱鷺はまだぎこちなかった。

「あなた新顔ね」

「はい、まだ2日目なんです」

「そう、可愛いわね、いくつなの?」

「17です」

「高校生?」

「はい、定時制に……」

「昼はこの店で働いて……大変でしょうけど頑張ってね。これからよろしくね、ちょくちょく寄らせてもらうわ。私、鷹城……いいえ、小鴨春乃。あなたは?」

「はい、外山朱鷺です」

「トキ……鳥の朱鷺?」

「はい、そうなんです」

「いい名前ね。トキちゃんね。私達、馬が合いそうだわ。仲良くしましょうね」

「はい。あのう……ご注文は?」

「あら、ごめんなさい。あなたがあんまり可愛いから、つい……そうね、ナポリタンにするわ」

「はい、かしこまりました」

 朱鷺が笑顔を送ると、お春も応えた。

 初め、なんて感じのいい人かと思った。だが、2度目にやってきた時、男と同伴だった。朱鷺は聞いてしまったのだ。お春とその男の悪だくみを。それ以来、70年間、朱鷺はお春への警戒心を緩めないのだ。


   *


 朱鷺は二人が写った写真に向かって、

「コンチクショウ!」

 と顔をしかめた。

 ──まさか、ジイさんが、お春と!!! 

 怒りをおさめようとしても最早無理だった。浮気現場を押さえた確たる証拠を爺さんに突きつけて、思う存分とっちめてやらねば、と首を長くして帰りを待ち侘びた。

 朱鷺は牙を剥き出しにした。ガタガタと入れ歯は音を立てる。




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