◇6 得体の知れぬ生き物──襲われる!

【2日目】1975年(昭和50年)11月9日日曜日


 給油中の三輪トラックが突然爆発炎上した。何の火かは分からないが、荷台の木材に火が燃え移り、ガソリンに引火したのだ。

 激しく燃え盛る炎めがけ、コウスケは慌ててホースで放水を始めた。だが、水は次第に勢いを弱め、ついに止まってしまった。

 コウスケはホースを離し水源まで走った。

 水道の蛇口は見つからず、詮なくホースを手繰り寄せた。ホースはピンと張り詰める。何かにつながっているが、よく見えない。ホースを辿って歩み寄り、最後に力いっぱい引っ張ってみた。ホースの先端に何かが噛みついている。それは、いきなりコウスケに襲いかかってきた。咄嗟に後ずさりした拍子に尻餅をつく。一帯は水浸しだった。辺りは暗くなり、生き物の姿だけが闇に浮かび上がる。

 そいつは目前に迫った。 

「おめえ、小便ガマンできんかったんか?」

「ちがう!」

 叫んだつもりが、声にならい。

 生き物は目をキョロキョロさせながら、また迫りくる。コウスケは恐怖で立ち上がれず、尻で後ずさって逃げようとした。が、思うように体が動かせない。どこかで警報器が鳴り出した。心臓がはち切れんばかりに鼓動は早くなり、肩で息をついた。

 やっと目の前が開けた。部屋の片隅で警報器は鳴っている。音を聞いていると不安が募る。依然として、胸がドキドキする。しばらくして音はやっと鳴り止んだ。コウスケはほっと胸を撫で下ろすと、眼前にあの得体の知れぬ生き物の顔が大きく迫った。

「ウワアーッ!」

 コウスケは横に転がって、今度はうまく逃げおおせることができた。

「おめえ、どうした? 汗びっしょりでねえか。悪い夢でも見たのか?」

 膝をつき、辺りを見回した。自分の部屋だった。そのまま、ぐったりとへたり込む。

「夢か……」

「どんな夢、見てたんだ? さぞ怖ろしい夢だったんだなあ」

「まったく、とんでもねえ……なんで、オレがこんな目に……」

 畳に額をつけ、両手で頭を抱える。

「色々あるわな。ひでえ夢見るほど、疲れてんだな。ま、安心しな、オラがついてる!」

 その声に上体を起こすと、婆さんを睨んだ。

 ──てめえのせいだ!

 だが、声には出さない。

「……今、なん時だ?」

「さあ、それ、そこ……」

 婆さんはちゃぶ台に載った目覚まし時計を指差した。

 コウスケは膝を立ててすり寄り、手に取ってクルクルと時計を回しながら色々な角度から時間を確認する。

「大変だ、大目玉だ!」

「どうした?」

 婆さんの問いかけには答えず、部屋中に吊るされた洗濯物の中から適当に引っつかむと、大急ぎで服を着た。

 洗いざらしのストレートのブルージーンズに足を通し、ランニングシャツを脱ぎ、部屋の隅に丸めて放った。半袖の白いTシャツに首と袖を同時に通して、黒の皮ジャンを羽織る。厚手の靴下を数秒で履き、玄関へ跳んだ。腰を下ろしてスニーカーのひもを結ぶ。

「オレ行くからよ」

「どこへだ?」

「仕事に決まってるだろう」

「そうか」

「なんで起こしてくれなかった?」

「ハテ? オラも今起きたのよ」

「夕べ、起こしてやるって……」

「ま、起きたからええでねえの」

「なん時だと思ってる?」

「目覚ましは、11時すぎてっけど……」

「遅刻もいいとこだ」

「そうかなあ?」

「オレ、行く」

「おう、待っとるからな」

「じゃあな」

 コウスケはスニーカーを履き終えて立ち上がると、ドアを開けた。

「いってらっしゃい。お早いお帰りを。まっすぐ帰るんだぞ」

 婆さんをチラッと見てドアを閉める。

 階段を下りたところで首を捻った。

 辺りは暗い。曇っているわけでもないのに。

 腕時計を覗いてみる。止まっていた。反射的に時計を耳に当てる。カチカチと規則正しい音を立てている。もう一度、目を凝らして時間を確認する。

 5時5分。

 コウスケは呆然と立ち尽くした。

 夕べの婆さんの行動が引っかかった。

 婆さんが床に入ると、目覚ましが鳴った。確か11時だ。婆さんは「5時に合わせないと」と言って、時計をいじくっていた。

 腕時計の方を信じるとすると……

 ──間違いない!

 これは親父の形見のいい時計だ。これまで正確に時を刻んできた。

 ──謎は解けた!

 何を血迷ったか、ご丁寧にも、6時間目覚ましを進めたのだ。

 11時を5時に。

「バカヤロー!」

 ──やられた!

 コウスケは舌打ちした。

 部屋に戻ろうか思案したが、やはり、あの生き物のひそむ場所へ戻る気には到底なれない。仕方なくまだ明け切らぬ道を、徒歩で職場へと辿ることにした。

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