第8話 朝倉先輩と兄

 面を取って、火照った顔を手で仰ぎ冷やしていると、

「葵ちゃ〜ん!君の彼氏が来たよ〜。」

 と、道場の入口の方で声がする。面タオルで首筋の汗を拭きながら、向かう。

「あ!朝倉先輩っ!」

 ゴトッ。

 オレの姿を確認するなり、持ってたレジ袋を離し、ガバッとオレを先輩の胸の中にしまい込む。

 え……っ。

「あー、葵の匂いだ…。」

 そう言って、汗でじっとり濡れているオレの首筋に鼻を近付ける。

 あ…れ…、朝倉先輩、こんな感じじゃなかったよ…な…?

「先輩に何してるんですかっ!!」

 強い力で、朝倉先輩から引き剥がされる。オレの肩を抱く正体を見る為に顔を上げる。そこには、目と眉を吊り上げて、前方、朝倉先輩を睨んでいる冬月が居た。

「お前、誰だっ?まさか、葵の…。」

 朝倉先輩が冬月の垂れネームに目線が行ったところで、言葉が切れる。

「お、お前、あの時の…、告白野郎かっ!」

 人差し指を冬月に向けて、叫ぶ。

「人を指差さないで下さい。」

 冷ややかに吐く。

「あの時?告白野郎?」

 冬月に肩を抱かれたままのオレが呟く。

 その声にハッとした冬月がオレを見る。

「先輩、もしかして、覚えてないんですか?!」

 肩を強く掴まれ、痛い。

「え…?」

 痛さに片目を少し瞑りながら、冬月の顔を見る。

「わぁ。お気の毒さまぁ。決死の告白も憶えて貰えてないなんて…。笑えるぅ。」

 朝倉先輩が口元に手を当てる。

 なんて、性格の悪い…。

 ただ、そんな朝倉先輩の挑発も耳に入っていないらしく、冬月は、俺は先輩の事忘れた事無いのに…。そりゃ、仕方ないけどさ…とブツブツ一人ごちている。

 告白…?告白…。朝倉先輩と冬月の様子だと冬月がオレに告白した感じみたいだけど…。とりあえず冬月の腕から離れ、冬月の垂れネームを見る。蒼生中 冬月となっている。冬月は、斉宮の剣道部入ったばかりなので、斉宮の垂れネームがまだ無く、中学の頃の物を使ってる。蒼生中の冬月…。蒼生中…。

「あっ!!」

 オレの声に二人共、こちらを見る。

「昨年の6月の試合の時のイカレ野郎…。」

 目を見開いて、冬月を見る。どおりで、冬月を初めて見た時、何か見たことあると思った訳だ。後、愁が言っていた一年前の事!全部、繋がった!!

「あ〜、スッキリした〜。」

「何なんですか?スッキリしたって!それに俺、イカレ野郎じゃないですから!本気で先輩の事、好きですからっ!」

 そう言って、ずいっとオレに近付く。それを阻む様に朝倉先輩がオレの前に立つ。

「いやいや。存在を忘れ去られていた少年には、もう望みは無いよ。葵は、俺のモノだしね。」

 そう言って、満面の笑みをオレに向ける。

「オレは、朝倉先輩のモノでは無いですけど?」

 ポリポリ、頭を搔く。

「葵っ!俺は、どんなに我慢してたと思うんだ。8月からだぞ!8月からずっと会えてなかったんだ。会えなくなって初めて気付いた。」

 そう言って、今までで見た事のない顔でこちらをじっと見てくる。

「な……。」

 いつもと違う表情に戸惑う。

「朝倉。俺の弟に」

 振り向くと、思い切り片眉を上げた兄が居た。

「うわぁぁぁっ!」

 兄の姿を確認した途端、朝倉先輩はバケモノでも目撃したかのように、叫んだ。

「さ、さ、ささ佐野先輩…、お、お、お久しぶりです…。」

 朝倉先輩は、靴箱の自分の靴に手を添え、既に逃げ腰だ。

「朝倉…。」

 兄が 一歩、朝倉先輩に詰め寄る。

「えっと…。お邪魔しましたっ。さよなら…。」

 そう言って、靴を履き、逃げ出そうと走り出した朝倉先輩の後ろ首を捕らえる。

「どうした?朝倉…。そんな急に帰ることないだろう?何か、差し入れも持って来てくれたようだし…。」

 そう言って、すのこのところに放置されたままになっているレジ袋に視線を落とす。

「あははは…。そ、そうでしたね…。」

 そう言って、両手を肩まで上げて、降伏の意を唱える。

「ただ、先輩。葵と愁しか居ないと思ってたので、俺の分とでスポドリ3本しか買ってきてないんですけど…。」

「あっ、それなら問題ないですよ。紙コップあるので、それで分けましょ。」

 そう言って、近寄って来た愁に目を合わせると、軽く頷いて取りに走ってくれた。



「はぁ。生き返る〜。朝倉先輩、ご馳走様です。」

 600mlのペットボトル3本文を5等分して皆で飲む。

 キツい稽古の時の冷たいスポドリ、ほんと天国。

「じゃ!俺、帰りますんで…。」

 早々と帰ろうとして、朝倉先輩は腰を上げる。

「えっ、朝倉先輩、もう帰るんですか?」

 そう言って、見上げる。

「えっ、あっ、まぁ…。」

 ふいっと、オレから顔を逸らす。

「朝倉。ちょうどいい、審判しろ。」

 紙コップ片手に、兄が指示する。

「い、嫌ですよ。俺、8月以降、一切、竹刀触ってないんですよ。佐野先輩達みたいにガキの頃からずっとやってた訳でも無いですし。色々忘れてしまってます。」

 右手を大きく顔の前で左右に振る。

「……。」

 兄は、じっと朝倉先輩を見る。

「先輩、オレからもお願いします。先輩、入ってくれたら、審判3人になるし。」

 座ったまま、朝倉先輩を見上げる。

 先輩も、こちらをじっと見る。

「あ…、あ…。葵が言うなら…。」

 先輩は、 カクンッと頭を下げた。

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