第39話 ローズマリー

仕事柄家族が暮らす家を設計する事はあっても、自分が暮らす空間を、誰かと共有するイメージを抱いたことは一度も無かった。


「おお、とうとうイメージ固まったんですねー!」


コーヒー片手にフロアを歩いていた同僚が、一人のデスクの横で立ち止まる。


パソコン画面をのぞき込んでほー・・と頷き始めた。


釣られて六車もそちらに顔を向けると、デスクトップの画面の中に、設計図が広がっていた。


念願のマイホームを建てる事になった先輩社員が自分で引いた図面だ。


「やっとだよー。いやぁー長かったなー・・」


「やっぱり自分の家ってなると、違います?」


「そりゃあもう違うよ!拘りも沢山あるしさぁ、うちは子供も一人部屋を欲しがる歳だし、奥さんは収納が重要だって煩いし・・庭にはローズマリー?だっけ?なんかのハーブ植えたいとか言うし・・」


どれどれと、周りの席の社員たちも集まって来る。


職業あるあるが飛び出して、一同が顔を見合わせてうんうんと頷いた。


「住む人それぞれ色んな希望がありますもんねー」


「そうなんだよ。まあ、決まった土地の中に、いかに限界ぎりぎりまで希望を詰め込むかってのも、腕の見せ所なんだけどさぁ。


何度家族で話し合いをしたことか・・」


「プロが自分の家作るんですもんねー中途半端なもん出せませんよねー・・」


「まして相手はご家族さん・・」


「注文に容赦ないですよねー」


「プレッシャーなのか慰めなのかわかんない感想をありがとうね。まあ、君らも自分の家作るってなったら、この気持ちが分かるよー」


疲れたと言いながらも、どこか誇らしげな彼に、皆がお疲れ様、と声を掛ける。


マイホーム・・意識した事無かったな・・


図面を引くのは楽しいけれど、自分の家について具体的に考えたことはない。


社会人になって2度住み替えたが、今の部屋は気に入っている。


駅も近く利便性もいい。


仕事用の資料や本をストックする収納スペースも広くて、一人で暮らすには申し分ない広さだ。


「・・家か」


まあ、もし引っ越しをするなら、もう少し広めの部屋でないとまずいか・・・さすがに荷物がこれ以上になると、専用の部屋が要るな・・


デスクに戻って、頬杖を突いた先に、マス目のメモ帳を見つけて、無意識に引き寄せていた。


転がっていたシャーペンを掴んで、思いのままに線を引く。


新築一軒家でなくとも、中古を買ってリノベーションするのもいい。


どうせ床だの壁紙だの拘るんだろうし、気分で模様替え出来る方が、きっと喜ぶ。


嵩張る写真集とカタログは、重みもあるから、作り付けの本棚を作って、床強化させて纏めた方がいいな。


いや、それならいっその事仕事部屋としてひとつ作って、そこに本を並べるべきか?


今ある資料と本が倍になるとなると・・・結構な場所がいるな。


デスクと・・部屋は明るい南向きで・・・デザインに行き詰まると、窓の外をよく見ているから、景色は開けている場所が理想だな。


寝室は、ごちゃごちゃものは置かずにシンプルに纏めて・・クローゼットの位置と・・・


考え事始めると、すぐにあちこちぶつけては痣作るからなぁ・・

動線は広く取れるように。


本人は”また”といって気にしないが、あの白くて真っすぐな脚に傷がつく事は何としても避けたい。


気を付けろと言った所で聞かない事も分かっている。


キッチンは、収納と、こっちから脱衣所に抜けれる動線がある方が便利だよな・・


リビングには、今より一回り大きいソファと・・・テレビ台にすぐ躓くから、壁掛けだな。


脱衣所の広さと、バスルームの広さ、玄関からの距離、ポーチ周り。


ハーブじゃなくても、庭に彩りがある方が喜ぶだろうな・・花世話・・出来るかな・・・


仕事が忙しい分、不在がちになる事は必須なので、セキュリティは必要不可欠。


そこそこ駅近でないと、遅くなった時の帰り道が心配だし・・・


placideに通える距離でないと恐らく納得しないだろう。


買い物はまあ、休みの日に纏めて行けばいいから二の次で・・仕事場からの距離ってどれ位だ?


中間地点を取ると、私鉄だとちょっと海沿いに下りる事になるのか・・・


まあ、一緒に暮らすなら朝は一緒に出て、仕事場まで送って行けばそれで・・


懸案事項を端に書き込みつつ、思いつくまま間取りを引いていく。


「何夢中になって・・・あれ・・六車も考えてんの?自分の家?」


そんな声と共に、隣の席から手元を覗き込まれて、我に返る。


「っは!?なにが・・」


「いや、だってそれお前の理想の部屋だろ?つぐみって、あのモデル体型の彼女のことだよな?」


「・・げっ」


無意識にメモに書き来んだ恋人の名前に、六車はあわててメモを破って手元のカタログに挟み込んだ。



恋人とは都合の良い時間を共有する相手。


仕事場は勿論、自分の仕事に関するものも場所も触られたくない。


そこは最初から線引きをして、誰とでも付き合って来た。


さして気にした事も無かったが、それが”普通”だと思っていた。


結局書いたメモは捨てられないまま、持って帰って来てしまった。


あんなものゴミ箱に入れようものなら、格好のネタにされてしまう。


独身主義を公言した事などないが、何となく職場でも、結婚とは縁遠いイメージを持たれていたらしい。


誰かと一緒に暮らす六車を想像できなかったのは、職場の人間も同じだったようだ。


”なんっていうか、付き合ってても将来とか、未来ってワードには触れさせないイメージあるんだよなぁ・・おまえ”


飲み会の席で、酔っぱらった上司に言われた言葉だ。


たしかに、仕事の邪魔をされるのは嫌ですね、と淡々と答えた記憶がある。


恋愛の楽しさは理解しているし、女の子の可愛らしさも、ずる賢さも、強かさも、弱さも、見て、触れて理解している。


けれど、それだけだった。


何の違和感もなく、二人で暮らす空間を思い描いてしまった自分の心境の変化に驚く。


仕事が似ているからだ、そのせいだと言い訳をしてみても、随分弱い。


将来とか、未来とか・・・まるで学生の頃の恋愛のように、すらすらと希望を書き連ねた自分の思考回路を呪いたくなる。


認めたくない、認めたくない。


そう思った時点で、もう認めてしまっている。


「いらっしゃーい!あら、疲れた顔してー」


この人が不機嫌だったり疲れていたりするところはそういえば一度も見たことが無い。


本当に年中無休の太陽みたいな人だ。


それを回らない思考でそのまま伝えたら、バシバシと遠慮のない力で腕を叩かれた。


「やっだー!もう!なにー口説き文句ぅ!?つぐみちゃんに告げ口しちゃうわよー!」


ケラケラと笑うすみれに見送られて、今日はまだ来てないよと言う言葉に嬉しいような、複雑なような気持ちでいっぱいなりながら指定席へと向かう。


適当に床にカバンを放り投げて、ソファ席に収まって目を閉じる。


途端、瞼の裏に浮かんだ、困ったような笑顔。


これはいよいよ末期だ。重症だ。


時間が合えば食事をして、出かけて、適当に機嫌を取って、にこにこと機嫌よく笑っていてくれればそれで良かったのに。


所構わず一人の世界に閉じこもるし、その割に相手にしないと拗ねるし、スランプの時は八つ当たりされるし、その癖こちらが忙しいと、妙な気を遣ってあまり甘えてもくれない。


ケガには気を付けろとどれだけ言い聞かせても、会うたび足に擦り傷や打ち身を作って来るし、一緒に居ない時に限ってスカートを履こうとする。


喉を擽ってやれば甘く鳴くのに、甘噛みすれば引っ掻かれる。


どうでもいいような事に物凄く拘る癖に、日常の出来事には酷く無関心で、あまり他人に興味を示さない。


つぐみは、どんな空間でなら、一緒に過ごしたいと思うんだろう?


・・・ああ・・ここか・・・


背もたれに頭を預けて天井を見上げる。


こういう雰囲気が好きなら、木目調の家になるな・・フローリングの素材にも拘って・・・・


身勝手な妄想の続きを思い描いていると、階段を上がって来る足音が聞こえた。


いつもより音が響くのは珍しくヒールを履いているせいか。


「あれ・・ほんとに居た・・なにー具合悪い?」


「・・お疲れ」


ぶっきらぼうに答えた六車に、つぐみも淡々と頷く。


ちなみに今日会う約束はしていない。


「うん、お疲れ・・もう、カバンひっくり返ってる・・・寝不足?スランプ?」


椅子の足元に下ろしたカバンが倒れていたらしい。


しゃがみ込んだつぐみが、カバンから零れた資料やカタログを拾い上げる。


「いいよ、適当で。どっちでもない、考え事」


「ふーん・・重たいカバンだな・・ん・・・あ、なんかメモ落ちたけど・・あたし?ローズマリーってハーブの?なんか確認される事あった?」


しまったと思ったがもう遅い。


壁紙、ローズマリー?→つぐみ の走り書き。


昼間に描いたあのメモだ。


「・・・あのさ」


「うん」


「どんな家に住みたい?」


「は?」


「例えば、庭にローズマリーを植えたいとか、壁紙は何色がいい、とか」


「何それ・・仕事の参考にって事ー?」


カバンを椅子に乗せたつぐみが、メモを差し出しながらこちらに歩いて来る。


その手を捕まえて、引き寄せた。


抗わず、六車の隣に腰を下ろしたつぐみの顔を覗き込む。


「いや・・どちらかと言えば・・将来の参考に」


「・・はあ・・え?」


怪訝か顔を向けて来るつぐみに曖昧な笑みを返す。


認めたくない、認めたくない、が、これはあれだ。


こういうのを”ハマってる”と恋愛用語で呼ぶのだ。

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