第38話 Be mine

ブランドのラインナップがフル装備されている下の展示ルームがやけに騒がしい。


色鉛筆を動かす手を止めて、つぐみは時計を確かめた。


ランチを取ったのはつい先ほどと思っていたのに、気付いたらもう3時間近く経過している。


いつの間にか千切ったスケッチブックのページが机の上に散乱していた。


勿論、色鉛筆たちも。


なんというか、どう好意的に見ても、惨状と呼ぶに相応しい有様だが、つぐみにとってはいつものことだ。


掴んで重ねた色味を室内灯に翳しながら回転椅子をぐーるぐるさせる事30秒。


「あ、そっか」


ようやく意識が外に向かって広がる。


騒々しさの原因にも思い至った。


展示会でもないのに、人が集まっている理由、それは・・・


部屋に掛けられたカレンダーの日付は2月14日。


本日は聖バレンタインデー。


思いを寄せ合う男女が愛を確かめる日であり、女の子が勇気を振り搾る日でも、ある。


「んんん~・・・」


窓際に置かれた紙袋をちょいっと引き寄せて、机の上で眺める事しばし。


行くべきか、行かざるべきか・・・


中身は散々迷って選んだ超王道のチョコレートケーキだ。


洋酒がアクセントになっていて、大人のデザートになっている。


別に今日じゃなくてもいいのに、打ち合わせにわざわざ六車を呼びつける所に、次郎丸の作為を感じる。


愛を確かめるったって・・なによ・・別に・・・


たまたま仕事のついでに寄ったデパートで、たまたま特設会場が出来てて、暇つぶしにウロウロしてたら、なんか美味しそうなの見つけたから、ついでに、買っておきました。


よろしければどうぞ・・・?


「ちがう・・それは違う」


いくら恋愛音痴の自分でも分かる。


ふるふると首を振って、つぐみはむうと眉根を寄せた。


ぱぱっと渡して、さっと戻って来て仕事の続きしよう、うん、そうしよう。


悩んでいる時間のほうがあほらしい。


決まったら即実行が美徳だ。


勢いよく立ち上がって、紙袋を掴んでデザインルームを出る。


外階段を降りる途中から、展示ルームの黄色い声は聞こえて来た。


「でね、六車さん、こっちはープラリネのチョコなんですよー」


「試食したらすっごい美味しくて、ね?」


「見た目の可愛さも勿論だけど、味もね、大事ですから!」


「へー・・色んな種類あるんだな・・ちなみにプラリネってなに?」


「ナッツ類をペースト状にした、チョコのフィリングですよ」


「え、ごめん、フィリングが分からないな」


「あ、中身です。チョコの中身!外をチョコレートでコーティングしてあるんですよ」


「説明するより食べた方が早いって、ぜひ食べてみてくださいー!」


「ありがとう、じゃあ、いただきます」


「中島さーん、こっちがビターチョコのトリュフですよ!」


「あと、こっちは一口サイズのブラウニーです」


「ドライフルーツいけましたよね?ナッツとチョコとレーズンの風味が最高なんですよ、こっちのチョコもぜひ!」


「おいおいお前らー接待しろとは言ったが俺を放っておけとは言ってないぞーったく・・」


「はいはーい!社長にはこっち!定番のイチゴチョコ!好きですよね!?」


「おお!分かってるなー。あとそっちのボンボンも取ってくれー」


そうだった。


本日の打ち合わせは、会計士の中島も同席してだった。


バレンタインデーにちなんで、経費で落としてやるから好きなチョコ買ってこいとお小遣いを渡された若手スタッフが、デパ地下のバレンタインフェアに参戦し、あれこれ買い込んで来たチョコを盛り付けていたのは知っていた。


童話に出て来る終わらないお茶会みたいな飾り付けも可愛くて、なんとも楽しそうな雰囲気に、微笑ましい気持ちになったものだったが・・・


「なにこれ・・」


展示ルームのドアを開けたまま、つぐみは入り口に立ち尽くした。


丸テーブルを2つ並べた上に、大きめのタータンチェックのクロスをかけて、その上に黒と白にてんこ盛りにされたチョコレート各種が鎮座している。


その横には、箱に入れられたままの宝石のような一口トリュフや、カゴに盛られたピーナッツチョコやクッキーが溢れかえっている。


それを取り囲むように置かれた一人掛けのデザインチェアに、それぞれ男性陣が腰掛けており、周りをチョコを手にしたスタッフが取り囲んでいるという状況。


両側から差し出されるそれぞれのスタッフお勧めのチョコレートを前に、デレデレの笑顔で応対する男性陣。


ここはどこですか?スナックチョコレート工場ですか?


ふつふつと込み上げて来る何とも言えない怒りの心情に、つぐみの眼差しは鋭くなる一方だ。


「あ、つぐみさーん!遅いですよー!!」


入り口に突っ立ったままのつぐみに気付いた金原が、笑顔で手招きしてくる。



「お楽しみみたいですね」


思いの外冷やかな声が出た。


何より腹立たしいのは、六車がつぐみと目が合っても一切動揺しなかった事だ。


なに、多少の後ろめたさも無い訳!?


は?あなた何様!?彼氏様!?ふざけんな!!


「おーつぐみ!やっと来たのか!さっさと食べんと無くなるぞー!後でギャーギャー騒いでも知らんからな」


はい!社長!と渡されたアーモンドチョコの銀紙を太い指で器用に剥がして、ぽいっと頬張りつつ次郎丸がさあ座れと顎をしゃくる。


その横で、チョコの説明をうんうんと笑顔で聞いていた中島が、つぐみに気付いてテーブルの上に置いてあった小箱を引き寄せた。


「つぐみちゃん、ほら、これ!好きなやつだろ?オレンジピールのチョコレート」


「あ・・うん」


思わず敬語も忘れて頷いてしまう。


オレンジピールの砂糖漬けが好きだと言ったつぐみに、それならと、オレンジピールチョコレートを買って来てくれた事があった。


随分喜んだ記憶があるが、それも随分前の事だ。


中島の記憶力の良さに感動して、一瞬怒りが吹っ飛ぶ。


そんなつぐみの様子をプラリネチョコを食べながらじっと見つめている六車の視線には気付かない。


「なんだーオレンジピールってオレンジの皮だろ?そんなもん美味いのか?」


「社長、そんなもんじゃないです、美味しいんですー」


不貞腐れて手前の椅子を引き腰掛ける。


中島が手渡してくれたオレンジピールを口に運ぶと、隣から別の手が伸びて来た。


「こんなの好きだったんだ」


「そーよ。あんたに言ってない事なんて、まだまだたーっくさんあんの」


ふん!とそっぽむいてオレンジピールチョコレートを頬張る。


オレンジの爽やかな酸味とチョコレートの甘味が口の中で蕩ける。


何とも言えない贅沢な味だ。


「じゃあ、あたしは仕事に戻ります。社長、打ち合わせよろしくお願いします。


皆もほどほどにして出荷遅れないようにねー!」


「え、つぐみちゃんは打ち合わせ出ないの?」


「はい。今日は費用面のお話が主なの、社長と中島さんにお任せします。ご挨拶に来ただけなので」


にこりと笑って席を立つ。


この感じだとどっちにしても、この中身は渡せそうにない。


placideで仕切り直しかなと思いながら展示ルームを出て、階段を上がっていると、後を追って六車が出て来た。


「渡すもん、あるんじゃないの?」


「ありませーん」


「なに、怒ってんの?」


「チョコは沢山下にあるし、お腹も心も満たされるでしょ」


「あれは仕事用だから」


振り切るように階段を上がろうとしたつぐみの腕を掴んで、六車が引き止める。


段差のせいもあって、六車を見下ろす形になった。


「・・今渡したらあからさま過ぎるし」


顔を逸らしても一緒だと知りながら、それでも視線を外してしまう。


「あからさまだから、言ってんの」


尚も言い募る六車の意図が理解できない。


訊かれたら答えるけれど、六車と付き合っていることを公言したいわけじゃない。


「なにそれどういう意味?」


「・・嫉妬したって言ったら喜ぶ?」


「・・・は?やだ、あんな嫌味真に受けたの?」


言ってない事は勿論あるし、けれど、それは六車だって同じだ。


だけど、つぐみ自身も知らないつぐみを、六車は知っている。


たかが好物の一つを知らなかった位で嫉妬されるなんて思ってもみなかった。


クスクスと忍び笑いを漏らしたつぐみの手首を引き寄せた六車が、指先に唇で触れる。


オレンジピールチョコレートの表面をコーティングしていたココアパウダーが指の腹に残っていた。


それをぺろりと舐め取って、六車が呟く。


「・・・苦い」


「・・っ純ココアだから、甘くないのが普通なの」


手を振り払おうとしたけれど、六車の力の方が格段に強くて敵わない。


これでも出荷手伝ったり、在庫搬入したりしてるんだけどな・・と腑に落ちない気持ちでいると、六車が伺うように見上げてきた。


「あのさ、つぐみ・・本気で気付いてないの?」


「え、何の話をしてるの?」


腹が立つくらい綺麗に整った顔を思い切り顰めて、六車が盛大に溜息を吐いた。


「いや、いい・・分かった。それより、そっちの手にあるチョコレート、頂戴」


「チョコレートじゃないですー」


「え、じゃあなに、クッキー?ケーキ?」


問いかけながら六車が掴んだままの腕を引っ張る。


一段降りたつぐみと、待ち構えていた六車が、踊り場で向かい合う事になった。


「つぐみ?」


至近距離での甘ったるい呼びかけに、ケーキ、と呟く。


「ふうん」


適当な返事と共に唇が降りて来た。


甘くないココアの味がするキスだった。

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