第37話 欲張りmajesty
「いらっしゃーい!ナイスタイミングー!」
「こんにちは。しょっちゅう来てすみません」
なんかもう最近は、我が家の椅子に座ってるより、お店のロフト席にいる時間の方が長いのでは?と思ってしまう位入り浸ってます、すみません。
と心の中で付け加える。
言った後で、まるでよそ様のお宅にお邪魔した時みたいな挨拶だな、と気付いた。
いや待て、ここはお店だから、来てすみませんって言葉はおかしくないか?
なんかもう、店主夫妻の気安さと、店の雰囲気にほだされて(これはあの男の前では大声で言ってはいけない。勝ち誇った顔されるから)、つい距離感を間違えてしまう。
つぐみの言葉に、すみれが羨ましい位ぱっちりした二重の目をぱちぱちと瞬かせた。
それからクスクスと笑う。
「うちはいつ来て貰ってもいいのよーう。むしろ客商売だからね、来て貰わないと困るのー。気兼ねなくいつでもいらっしゃいませー」
「あ、ですよね・・変な事言ってすみません・・なんかもう、居心地良すぎて・・・!!」
ほら気が緩んでいるからポロポロ本音が零れる。
慌てて口を塞いで、背後を確かめる。
うん、一人でここに来たのだから、壱成がいるわけない、いい加減にしろーあたしー・・・
聞かれていたら、この後が面倒くさい。
自慢げに胸を張られるだけならまだしも、調子に乗った六車はここぞとばかりにつぐみにちょっかいをかけてくるのだ。
この店が好き=六車が好き
と綺麗に脳内変換されるらしく、告白されたからには、ちゃんとお返ししなくては、と意気込んだ六車が本領発揮すると、本気で手に負えない。
社会人になって以来、仕事が恋人でひたすら自分とだけ向き合って来たつぐみの恋愛経験は、学生時代の甘酸っぱいお付き合いが最初で最後。
つまり経験値ゼロといっても過言ではない。
そんなつぐみが、女子は誰でも選び放題(六車本人は否定している)遊んだ女は星の数(これも六車は否定している)大人の恋愛経験済み(ここは六車は否定しない)の男に敵うはずもなく。
美味しくぺろりと頂かれた後の、何とも言えない敗北感は、何度経験しても消えない。
最初のスタートラインが違うのだから、これからどれだけつぐみが恋愛経験を積んでも追い越すことは不可能。
しかも、恋愛対象が一人に絞られている時点で、もうこの差は、溝というより深い渓谷だ。
あー多分一生こんな感じなんだろうな、と諦めてはいるものの、何かにつけて余裕のなくなるつぐみと、余裕を持て余している(これも六車は否定している)六車をついつい比較してしまうのだ。
比較相手が恋人ってどーなの・・とも思うのだが。
「うふふーざんねーん。まだ来てないわよーう。聞いたら大喜びしただろうにね」
「いえ、むしろ聞かれたくないっていうか!」
「ええーどうしてー?自分の作った空間を好きって言われて、喜ばない設計士なんていないと思うけどー?あのね、つぐみちゃん、告白って何度してもいいのよ?相手に思いを伝えるって、一番難しくて、一番大切なコミュニケーションなんだから」
夫婦円満で売り上げも好調な経営者に言われると、胸に刺さるというより、ドッカンと鉛が落ちて来る。
一番難しくて、一番大切・・・もちろん、重々承知しております。
「わ、分かってるんですけど・・受け止めきれないというか・・」
ごにょごにょと言葉を濁したつぐみの表情から、ピーンと何かを察したすみれが、鋭い眼差しを光らせる。
「はー・・なるほど、なるほど。嬉しくて、六車くんがセーブ忘れてがっついちゃうのか」
「は?」
「つぐみちゃん、栄養が身長に行っちゃったタイプだし、あんまり体力無さそうだもんね」
「へ?」
いえ、一応店舗応援で店先に終日立つ日もありますし、在庫確認とか、出荷手配の手伝いで、力仕事もしますけど、使う筋力が違うって言うか・・じゃなくて!!
「でも、言わなくても油断すると結構顔に出てるから、気を付けてね?六車くん、ああいう人だから、言わせたがるだろうけど」
ばちんと音がしそうなウィンクが飛んできて、つぐみは硬直した。
「す、すみれさんって探偵志望とか・・?」
洞察力が鋭すぎる。
さっきのつぐみの言葉で、つぐみが言いたくても言えなかったアレコレをまるっと読み解いてしまった。
とても口にできる内容では無いから、分かって貰えて助かっ・・ってない!!全く!!恥ずかしいだけ!!
両手で口を塞いだ状態でもごもごと言い返す。
つぐみの言葉に、メガネの名探偵のように人差し指を立てて、すみれがにっこり笑う。
「まさかー普通の兼業主婦よう。あのね、こういうことは、経験、なの」
また出た”経験”。
赤くなったり、青くなったり大忙しの後、手渡されたメニュー表は真新しいものだった。
「新メニュー考えててね、試作を何個か作ってるの。下準備とか、手間がかかるものも多いから、お客様がまばらな時間帯で試してるところ。良かったら食べてみて、感想聞かせてくれると嬉しいわー」
六車くんにも言っておいてね、と付け加えてフロアに消えたすみれを見送って、ロフト席へと向かう。
手作りのざらついた食感が楽しい和紙を、組み紐と華奢なリボンで纏めたメニュー表は、見ているだけでも楽しい。
津金が一眼レフで撮影した料理の写真に、すみれの紹介文が添えてある。
マスキングテープや、スクラップ、お洒落なシールで飾られたページは、食欲だけじゃなくて、想像力も湧いて来る。
この色合い素敵だな、和紙独特の風合いって、活かせないかな?
組み紐とリボンの組み合わせは、ミスマッチかと思ってたけど、全然いける!
デザイナーにとって、アイデアはいくつあっても困らない。
料理を選ぶ手は止めて、スケッチブックを取り出す。
浮かんだネタは即座に紙に起こしておかないと、どんどん忘れて行ってしまう。
夢で見た綺麗なデザインを、起きた瞬間忘れる事もよくある。
あの時の絶望感は半端ない。
無意識に掴んで滑らせた色鉛筆は、朱色。
黄色の強い赤は、祝い事のイメージだ。
真っ赤は挑発的だけど、こっちはもうちょっとお高くとまった感じ?
カッコいいお姉様と、気品あふれるお嬢様、かな。
あ、対比するデザインなんか面白いかも。
コントラストではっきり分けて、好みも二分する感じで・・・
売上が偏る心配はあるけれど、インパクトは十分だ。
さらさらと浮かんだ単語や、イラストを描き起こしていく事10分。
多分、つぐみ以外の人間が見ても、?となる事間違いなしの1ページが出来上がった。
思うままに描きつらねたので、支離滅裂ではあるが、落ちてきた言葉は、濁らずに吐き出せた感じ。
「うん、満足・・」
これがそのうち素敵な何かと結びついて、新しいイメージを引っ張り起こしてくれる事を祈りつつ、メニュー選びに戻る。
六車が来るまでまだかかるだろうが、どれもこれも美味しそうで目移りしてしまう事が多いので、先に選んでおくに越したことはない。
「あ、食べるスープが増えてる・・」
不規則な食生活で不足しがちな野菜をしっかり摂りつつ、短時間で食べられて、且つ空腹も満たしてくれるスープは忙しい女性には有り難いメニューだ。
抵糖質、高たんぱくを心掛ける人が増えているとあって、ばっちりバランスが考えられている所も嬉しい。
その日の気分で、単品メニューを組み合わせれば、ボリュームもたっぷりで、男性でもお腹いっぱいになるだろう。
「わー・・これは、迷う・・」
呟いたら、真正面から声がした。
「どれを迷ってんの?」
「はえ!?」
顔を上げると、テーブル越しにこちらを覗き込む六車と目が合った。
いつから居たのかも分からない。
「今来たとこだよ、下でちょっと津金さんたちと喋ってから上がって来た・・なに?」
「え・・いえ、別に・・」
すみれから余計な事を吹き込まれていないだろうかと心配になるが、尋ねる勇気なんてある訳が無い。
首を横に振って、再びメニュー表に向き合う。
「グリーンポタージュとスープカレー・・どっちも美味しそうで」
「じゃあ、両方頼もう。後、俺はメインでパスタかな。つぐみは?」
「へ?」
「何で驚くんだよ・・二人いるんだから、両方頼めばいいだろ」
「あ、そっか」
「あのさ、そこで初めて俺の有用性を思い出したみたいな顔すんのやめてくれる?地味に傷つくから」
二人でいるのだから当たり前の事だと平然と言ってのけた六車の呆れた顔をまじまじと見つめ返す。
二人だけど、二人だという事を、未だにちゃんと理解していない自分に、気付かされる。
「・・・ごめん・・ありがと」
「殊勝なあんたも何か微妙だけど・・まあ、いーよ」
何それ失礼だな、と思ったけれど、口にする事は出来なかった。
テーブルに手を突いて、身体を屈めた六車の指先がくいと慣れた仕草で顎を掬う。
ほら、やっぱり慣れてる・・・
唇を軽く啄んでから、六車がメニュー表に視線を移した。
「何分睨めっこしてたんだか・・」
「・・待ってたのよ」
これは事実だ、嘘じゃない。
ぽつりと言ったら、至近距離にあった六車の表情から一瞬にして余裕が消えた。
瞬きの後で、頬にキスされる。
「・・あ、っそ」
素っ気なく言って、六車がソファ席に向かう。
心なしか顔が赤い気がしたけれど、言ったらもっと凄いキスをされそうで、つぐみは思うだけに留めた。
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