第34話 内緒だよ

いつもの店、いつもの席。


いつの間にか日常の一部と化した光景。


そこに自然と溶け込んでいる彼女の姿。


”馴染む”という言葉がこんなにしっくりくる様子を、六車は他に知らない。


営業用の愛想笑いではなく、ごく自然に頬が緩んでいる事を本人は全く気付いていないが、出迎えた津金夫妻だけは、ちゃんと見抜いていた。


ほんっとに甘ったるい顔するようになったわねぇ、と茶化すように言われて以来(つぐみ本人の前だった事もあって)尚更表情筋を動かさない様に気を付けているのだが、お気に入りの場所に、お気に入りの人間がいるのだからしょうがない。


完成したplacideの空っぽの店内を、最終確認で見て回りながら、このロフト席だけは自分優先にして欲しいと津金に頼んだ。


子供の頃に憧れた秘密基地のような、小さくて守られた特別な空間。


最後まで拘り抜いて設計した、最高の自信作だった。


だからこそ、誰にも知られたくはなかった。


はずなのに。




「つぐみちゃんね、難しい顔してたわよー?」


本日は名前とお揃いの鮮やかなスミレ模様のエプロンを纏った店主の妻が、こーんな顔、と眼を細めて唇をへの字にした。


前に会った時、そろそろ次の新作のデザインを出さないといけないと話していた。


「デザイン行き詰ってるのかな・・」


カフェというのは待ち合わせや食事に使うのが普通だ。


が、つぐみと六車にとってplacideは、第二の仕事場という位置づけになる。


オフィスの自席でアイデアに煮詰まると、ここに息抜き兼非難しに来るのが定番となっていた。


自分の部屋のようにリラックスできて、そのうえカフェの賑わいがあっても不思議と集中出来る。


つぐみに至っては、六車の部屋に来る時の数倍リラックスした表情を見せるから、設計者兼彼氏としては少々複雑な気持ちにもなる。


「こういう時こそ彼氏の包容力の見せ所よー!フォローフォロー!」


「・・フォローってもね・・」


職人気質なのはお互い様で、口煩くアドバイスされるのが苦手な所も不思議な程よく似ている二人だ。


自分だったら、こういう時かけて欲しい言葉は・・・


ロフト席へ続く階段を上がりながら、六車はぼんやりと木の質感を生かした組み木造りの天井をぼんやりと眺める。


店内を柔らかく照らす等間隔の吊り下げ照明が、チカチカと視界にサインのような光を送り込んで来る。


「ないな・・」


どうせ何言っても爆発するか、黙るかだろうし。


最悪存在すら視界に入れてくれない可能性もある。


デザインモードに入ったつぐみは、外界の音も景色も気配も綺麗にシャットダウンするから。


そもそも本日は超平日で、当然デートの約束なんてしていない。


取引先との打ち合わせの後、直帰する事になったので店に行く事を連絡したら、もういる、と長短文が返って来た。


たぶん、その頃からモードが切り替わっていた筈だ。


「・・・」


階段を上がって来る足音にも気づいていないようで、ロフト席のソファで膝を抱えたつぐみが、膝頭に顎を乗せて目を閉じていた。


瞑想中らしい。


不用意な言葉は避けるに越した事は無い。


時折、六車の部屋でデザインやアイデアが浮かんで、それを整理する時にも同じ姿勢になっているから、もう癖なのだろう。


・・俺の部屋なら、ちょっとした気配も敏感に察知するけど・・ここじゃあ、隣座った位じゃ無理だろうな・・


ラグの上で六車お気に入りの長い脚を抱えたつぐみの前に、膝歩きで近づきかけただけでパッと意識を向けて来るあの反射神経の良さはなんなのか。


危機察知能力なのだとしたら、色々と物申したい気もして来る。


勿論、仕事の邪魔をする気は毛頭ない。


同じことをされたら、即座にやり込める位の気でもいる。


が、生憎同種の人間と付き合っているので、仕事に関してはつぐみは六車の地雷を絶対に踏まない。


悲しい位に仕事本位な姿勢を認めてくれる。


だから時々、物足りなさや、もどかしさを感じてしまうのだが。


飯食ってるうちにこっちに戻って来るかな・・・?


”メニューどうする?って尋ねたんだけど、ちょっと考えまーす、ってそれっきり”


との事だったので、とりあえず覚めても問題ないクラブハウスサンドを頼んでおいた。


ミルク多めの紅茶と一緒に。


荷物だけテーブルの椅子の上に下ろすと、六車は迷いの無い足取りで、ソファに向かった。


つぐみが無意識に爪先を揺らす度、ロング丈のプリーツスカートがひらひらと誘うように揺れる。


”良かったわね、綺麗なスカート履いてたわよーよく似合ってた”


こっそり受けた報告に、内心大きく頷いて、つぐみの隣に腰を下ろした。




「ちゃんとここにあるんだけど・・出てこない・・・引っ張り出せない・・」


ぎゅっと目を閉じたままで、つぐみがソファの肘掛けに身体を傾けた。


そこは逆だろう、と突っ込みたくなるが、相手が相手だし、状況も状況なのでぐっと堪える。


「イメージはちゃんとあって、でも、描くと・・違うのになる・・春・・・風・・雪解けけ・・・」


どうしようかな、と悩んだのは一瞬で、視線を送って確かめたら迷いは消えた。


どう考えてもその体勢はしんどいだろう。


「説明って言われてもなぁ・・・言葉と感触はイコールじゃない・・・」


眉根を寄せたつぐみの肩に後ろから腕を回して抱き寄せる。


ずるりと座面に乗せていた足が滑り落ちて行った。


そこだけは失敗した。


柔らかいシフォン素材の隙間から覗く脹脛が一瞬で見えなくなる。


反応するかと思ったけれど、頭にあるイメージを捕まえるのに必死らしく、大人しく六車の肩に頭を預けて来た。


素直な反応は嬉しい反面、無反応がちょっと淋しくもある。


「そうえば、昨日春一番吹いたらしいな」


「そうなの!迷いを弾くイメージで、突風で、つむじ風・・・一瞬だけ強く吹いて、その後はちゃんと空が見えるような・・ああ、だから雪解けじゃ弱いのか。水色でも、水じゃあ駄目、もっとこう・・別の・・空?」


「・・空なら、薄花色ってラベンダーがかった色味をこないだ見たけど」


「あ、それ。今年の春は、ラベンダー人気なの。青なのに、花が入ってるのね。春だから、花開く、蕾が、開花・・・で、未来、未来!」


不揃いだったピースが綺麗に嵌ったのか、つぐみが勢いよく身体を起こした。


背筋を伸ばして、ぐっと拳を握ってから隣にいる六車と今日初めて視線を合わせる。


「春から未来、って答えがなんで出なかったんだあたしは!!青は、空に続く色で、空は無限に広がってるから、春に戻って未来になる。うん、これ、言いたかったの、これだわ。あああやだもう、なんでプレゼンの時に出ないかなぁ・・あたしのこういうもやっとしたイメージって、あやふやすぎて誰にも分かって貰えないのよ!きちんと形にしてから出直せって社長にも駄目だしされるしああもう!」


これまでのフラストレーションを吐き出すように捲し立てたつぐみの表情が、さっきとは打って変わって出力モードに切り替わっている。


どこかでスイッチを押したのだろう。


小さな起爆剤のひとつになれたことを誇らしく思いながら、六車は強気に笑う。


「あんたには俺がいるからいいだろ」


捕まえられない遠いイメージを、必死に手繰り寄せる事の苦労も、手が触れた瞬間の喜びも、生み出した達成感も、全部、何もかも理解できる。


彼女の身の内に起こる感情の全ては理解できなくとも、少なくとも、他の誰も触れられないパーソナルスペースの、根底の一角を垣間見る事は出来る。


それは、ほかの誰かじゃない、六車だから出来ることだ。


同じ場所で、違う世界を見る人間だから。


「・・・」


一瞬黙り込んだつぐみが、ゆるゆると視線を外して、擽ったそうに膝を抱えて笑い出した。


「やだもう、なんでそこで確信突くのよ。言われてみたいとは思ってたけど、実感するとは思わなかった・・ここは、ありがとう、が正解?それとも、嬉しい、が正解?」


本当はもう一つ別の答えが欲しかったけれど、それは強請って言わせる言葉ではない。


ベッドの中でならともかく。


「・・どっちでもいいよ」


顎を掬い取ろうか、頬を包み込もうか迷っていると、階下から声がした。


「クラブハウスサンドお待たせー。ミルクティーも大きめのカフェオレボウルで入れて来たよ」


わざと声を掛けて来たのは明白だ。


階段を上がって来られる前で良かったのか悪かったのか。


しょうがないと諦めて、立ち上がる前につぐみの額にキスを落とした。


「他にも要るなら頼むけど?」


「・・っ。あ、ううん、いい、いらない。とりあえずアウトプットしないと!」


とろんと瞳が甘くなったのは一瞬で、すぐさま足元のカバンから、筆記用具一式を引っ張り出す。


あっという間につぐみを纏う空気が変わった。


「片手で食べられるものにしといた俺の事、ちょっとは褒めてよ」


「うん、すっごい感謝してる、ありがとう、大好き!」


広げたスケッチブックに視線を下しながら紡がれた言葉。


きっと無意識だったのだろう。


思わず二度見した六車には一切気づかずに、つぐみは色鉛筆を動かしている。


「・・確信犯はそっちだろ」


不意打ちを食らって赤面した六車は、肩を竦めて階下へと向かった。


無意識でも恋人からの”好き”はどうしようもなく胸に刺さる。

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