第29話 remedy
自分の体温で程よく温もった布団は最高に気持ちいい。
普段起きている時は自分の体温なんてさほど意識しないけれど、こうして具合の良くない時に布団に入ると、途端自分の放つ熱を意識させられる。
うつ伏せになって頭まですっぽり布団を被ったつぐみは、スケッチブックをそっと捲った。
馴染んだ紙を指で撫でると、自然と笑みが浮かぶ。
微熱くらいであたしの手が止まると思ったら大間違いよ。
布団の中で目を閉じていた間に、次々とアイデアやデザインが浮かんだのだ。
すぐに書き留めておかなくては、時間と共に泡のように消えてしまう。
ラインステッチにリボンを通して踵で結ぶ可憐なデザイン。
リボンはベロアと、タフタと、艶のあるサテン・・どれがいいだろう。
色味は・・・ベージュに紺、グレーに黒・・・かな。
季節限定で、シフォン素材の可愛らしいものがあっても楽しいかもしれない。
紺にシフォンの淡いサーモンピンクだと、かなり主役級のパンプスになりそうだ。
リボンは絶対女の子は好きだし、後ろ姿が可愛いとそれだけでテンションが上がる。
うん、いい、すっごくいい。
枕元に置いていた色鉛筆をなぞって、ピンときた色をスケッチブックに広げる。
もう何百回も書いてきた靴のラインをなぞっていると、背後で声がした。
「なんだ、もう起きてたの・・・さっそく描いてるし」
ガサゴソと音がするのは六車が手にしているコンビニ袋のせいだ。
つぐみが眠るのを待って買い物に出ていたらしい。
「おかえり」
自分の部屋に彼が帰って来るのはこれで数度目。
でも、この状況でいらっしゃい、は可笑しいだろうと思ってチョイスした挨拶だったけれど、六車は意外な位照れた。
「・・ただいま」
端正な顔が一瞬ぽかんとして、すぐにいつもの感情の読めないポーカーフェイスに切り替わる。
つぐみの手元を覗き込んで、書いているイラストを見て、大丈夫だなと呟くあたりは、いつも通りの六車だ。
隠れるように被っていた布団を軽く引っ張って、後ろからつぐみの額に手を当てる。
「薬効いてるみたいだけど、今のうちになんか食べれば?とりあえず、必要そうなものは一通り買って来たけど。食べれそうなものある?水は新しく買っておいたよ、後、ほらこれグレープフルーツウォーターだって。水ばっかりだと味気ないかと思って。炭酸入りのもあるけど?」
水のペットボトルに続いて、次々と買い込んだ商品がサイドテーブルに並べられていく。
グレープフルーツ水、炭酸水、栄養ドリンク、くだものゼリー、コーヒーゼリー、プリン、おかゆ、おにぎり、カップ麺、コーヒー。
最後の二つは六車が自分で食べる為に買ったんだろう。
つまり、この後もここに居ますよという意思表示。
グレープフルーツ水を指差したら、ご丁寧にキャップを外してくれた。
彼氏彼女の関係はこれが初めてなので、家族のように甘えてよいものか分からない。
けれど、今、十分すぎる位甘やかされている事は分かった。
「沢山ありがとう。今度お礼する」
スケッチブックの上で踊らせていた右手を止めて、六車の顔を見る。
いつもよりスルリと言葉が出て来るのは、やっぱり熱があるからだろう。
六車が一瞬黙って、ベッドに腰掛けた。
ぎしりと僅かに鳴ったスプリングに、つぐみがぎゅっと身体を強張らせる。
そんなつぐみを見おろして、六車がつぐみと自分を隔てる布団を剥いだ。
右手をつぐみの向こう側について、上体を倒すと、あっさりとベッドと六車の間につぐみの身体が収まった。
え、なに・・・?
何事かと肩越しに六車を見つめ返したつぐみのこめかみにキスを落とす。
「っひゃ」
触れた六車の唇が予想以上に冷たくて、色気のない悲鳴が零れた。
「ごめん・・・唇冷たい?外結構寒かったんだ。ってか、それ以上にあんたの身体が熱いんだけど・・ほんとに熱下がってるの、これ?」
唇を首筋に移動させて、そのまま頬を背中まで滑らせる。
面白い位心拍数が上がっていく。
六車にもばっちり聞かれたらしく、背中で含み笑いされた。
「・・・熱出てない時も、それ位素直だとやりやすいんですけど」
いつもこうだとあんたの思うつぼでしょうが!
悔しいから心の中で憎まれ口叩いておく。
「さ、さむいっ」
悔しまぎれに言い返したら、六車がさらに身体を寄せた。
「っ・・ちょ・・・」
折った肘をシーツにぺたんと付けた六車の上半身の体重全部が、つぐみの背中に掛かった。
全身ではないといえ、馴染むほど知らない重みに眩暈がしそうになる。
六車が顔を近づけて、耳元で囁いた。
「寒いならあっためてやらないと・・違う?」
色々と間違ってると思うけど!
全力で否定すればよかったのに。
出来なかった。
なぜか・・・それは、背中に覆いかぶさる六車の体温が心地よかったから。
そして、背中から伝わる彼の鼓動も心なしか早かったから。
ベッドと六車の間に閉じ込めらたつぐみは、身動ぎ一つ出来ない。
口を開けばとんでもない事を言ってしまいそうだ。
無言を通すつぐみの耳たぶにキスをした六車が、そのまま舌先で耳の輪郭を舐めた。
「っ・・・ん」
熱を出したのは今朝方の事だから、汗を掻いてから一度もシャワーを浴びていない。
そのまま首筋を這って行く唇の行先を想像して、顔がさらに熱くなった。
あたし病人だし、ない、ないない!
無いにしても、いくら恋人とはいえ、いや、恋人だからこそ汗の残る肌に触れて欲しくない。
「お・・お風呂ぉ・・・」
情けない声で言えたのは一言。
シーツを掴んだ手を優しく撫でながら、六車がくすりと笑った。
「なに、入りたいの?」
「も、ものすごくっ」
「いいけど、シャワーで済ませるのはやめた方がいいよ。浴槽にお湯溜めるから、もうちょっと待ってな」
そう言いながらも今度はつぐみの後ろ頭にキスの雨を降らせる。
どうしちゃったのよ・・・壱成?
六車の指がつぐみのパジャマの袖の中に滑り込む。
するりと手首を撫でた指が、もう一度つぐみの指先を絡め取った。
「・・・っ」
こういう時どうしていいのか分からない。
何か言えばいいのか、それとも黙っているのが正解なのか。
甘やかすように手の甲を行き来する指先が、つぐみに何を訴えているのかもわからない。
分かっても、応えるだけのスキルを持ち合わせていない。
頬に戻って来た唇が、潤んだ目じりに触れた。
「・・つぐみ」
呼び掛ける声がとろりと胸を焼く。
手を解いて、解かないで。
抱きしめて、離して。
相反する感情がつぐみの身体で交差する。
「・・な・・に・・」
応える声が震えていた。
六車が手首にキスをして、今度こそ身体を起こした。
「ああ・・・ごめん、やり過ぎた」
頬に掛かった髪を指で梳くって、もう一度ごめん、と謝る。
「な・・んで謝るの・・」
「え?」
「・・・嫌じゃないのに」
そんな事言うつもりは微塵も無かった。
熱のせいだ、熱のせいだ、熱のせいに決まってる!
六車の指が心地よいのは、だってもう仕方ない。
そういう身体に作り替えられてしまった。
この数か月で。
熱を持つ掌は、つぐみのものなのか、六車のものなのか、もう分からない。
呟いた声が空中分解する前に、六車が動いた。
「・・やっぱいいよ・・・さっきの取り消す・・」
「・・え?」
「なんでそんないきなりなの?もうちょっと加減とかないの?・・って、違う・・・そっか、あるわけないか。だってあんたいつだって全部、全力だもんな。俺がどう、とか、気構えとか、覚悟とか、遠慮とか、本音とか。そういうの全部関係なしなんだもんな・・・いいけど・・分かってるけど・・・今は駄目、今のは駄目。せめてもうちょっと・・元気になってからにしてよ」
ぎゅうぎゅう背中から抱きしめられて、独り言なのか、愚痴なのか分からない言葉が次々と飛び出して、つぐみは目が回りそうになる。
いや、もう殆ど回っている。
「あー・・もう・・・ほんとに」
「・・ごめん」
「っ・・今度はつぐみが謝るの・・・?あー、もう、やめよう、こういうの、不毛なやり取りって言うんだよ・・・」
起き上がった六車が、つぐみの顔を両手で包み込む。
「キス・・・駄目」
近づいてくる六車が目を眇めた。
だってしょうがないでしょ、風邪がうつったら困るし。
熱のせいで唇は渇いてるし。
「うつるの気にしてるなら、もう遅いって・・ほら、目ぇ閉じてよ」
「・・壱成・・」
「そうやって・・・今更可愛く呼んでもだめ・・・ん」
「っ・・ん・・・」
唇が一度触れて、離れた。
何日ぶりのキスだろう。
というか、まともに会ったのって2週間ぶり?
あれ・・・また心拍数が上がった。
もう一度六車が唇で触れて来る。
啄んで、ほどいた唇が柔らかく笑みを描いた。
「熱上がってそうだけど、風呂入れる?」
「は、いれますっ」
「ふーん、まあいいけど、のぼせない様にすぐ上がってよ。じゃあ、お湯溜めて来るから」
もう一度つぐみに布団をかけ直して、六車がまるで自分の部屋のように慣れた様子でバスルームへ向かった。
「・・壱成」
「んー、まだ何かあるの?」
「っばか」
短く吐き捨てた言葉は、本音半分、八つ当たり半分。
六車は笑って流して見せた。
「いーよ、今日は甘んじて受けとく」
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