第27話 ブラックアウト
パンフレットを手にした女の子のグループの後ろを歩きながら、チケットに書かれた座席を探す。
最近リニューアルオープンしたばかりの駅前の映画館は、楽しそうな家族連れやカップルで賑わっている。
つぐみは足元の階段に気を付けながら、先に席に向かっているはずの六車を姿を見つけようとするが、指定席はもぬけの殻。
女子トイレの混雑を前に、買い出しは六車に任せて、席で待ち合わせることにしたが、失敗だっただろうか?
個室の数が少ない上に、子連れも多くてかなり時間がかかってしまったのだ。
六車が様子を見に席を立った可能性もある。
そういえばさっきから一度もスマホを確認していない。
連絡が来ていたかもしれない。
通路の端で立ち止まり、慌ててショルダーバッグを開けて、新調したばかりのスマホケースを探す。
ステンドグラスのようなカラフルな色使いのケースは、すぐに見つかった。
製作工房との打ち合わせの帰りに、ふらりと覗いた海岸通りの雑貨屋で見つけたお気に入りの品。
手触りといい、見た目といい、何もかもがつぐみの好みど真ん中で、大人げなく店内ではしゃいでしまった恥ずかしい記憶も甦る。
ブックタイプのカバーを開いて、スマホの画面を確かめるが、六車からの連絡はなかった。
「どこ行ったのよ…」
迷子の心配はないとはいえ、何となく席に着く気になれなくて、そのままシアター内をぐるりと見回す。
前や後ろの座席から、聞こえ漏れてくる主演俳優の人気ぶりや、映画監督の過去作品の話題。
社会派サスペンスだから、女子率は低いかと思ったが、主演がベテランのイケメン俳優なので、思った以上に女子が多い。
ミステリー作家のベストセラーが原作なので、勿論、原作ファンで映画を見に来る人もいるだろう。
つぐみが大ファンでもある作家が帯でメッセージを寄せていた事もあり、かなり楽しみにしていたのだ。
六車と休日デートの相談をしていた時に、映画のタイトルを出したら、すぐに、見に行きたいんだろ?と返事が返ってきた。
付き合わせた気はするものの、ランチの時も原作者の事を楽しそうに話していたし、彼女の好みに合わせてもらう、なんていかにもカップルっぽくて、何だかそわそわする。
こちらから六車に連絡しようと、もう一度スマホを起動させたら、入り口から楽しそうな声が聞こえてきた。
視線を向けると、ミニスカートから惜しげも無く綺麗な足を曝した女の子2人と、余所行きの笑顔を貼り付けた六車の姿が見えた。
彼が手にしたドリンクホルダーには、Mサイズのカップがふたつ。
つぐみがリクエストしたアイスカフェオレだろう。
買い出しして、その子達に捕まった訳か。
六車が席にいなかった理由が分かって、それと同時にこのままここに居ていいものか迷う。
隠れる訳じゃないけれど、明らかに自分より若くて可愛らしい女子を前に、マキシ丈の黒のチュールスカートとGジャンというラフな格好の自分が、真正面から向き合う自信がなかった。
よし!急いで席に行こう!
凭れていた壁から離れて歩き出そうとした途端、最悪のタイミングで、六車がつぐみに気づいた。
「つぐみ!」
呼ばれて無視する訳にもいかない。
なんで呼ぶのよ!そこはスルーしなさいよばか!
内心盛大に罵りつつ、表情には出さないようにぐっと堪える。
「壱成」
名前を呼び返したものの、そちらはー?と訊くべきかどうかで迷う。
六車の笑顔から察するに、気安い相手ではないだろう。
つぐみの迷う視線に気づいた六車が、自分の横に貼り付いている女子二人に掌を向けた。
「うちの社長のお嬢さんと、そのお友達」
「こんにちは-!六車さんの彼女さんですかー?わー大人っぽい!背高いんですね-!羨ましい!」
そういう彼女の足元は10センチのプラットフォーム。
ええきっと、あなたより5歳は上でしょうね、身長は10センチは高いでしょうね。
初っ端に食らったアッパーに負けじと踏ん張る。
必死に大人の笑顔を貼り付けた。
相手が相手なだけに下手な態度も取れない。
「いつも六車がお世話になってます」
社交辞令全開の笑顔で会釈して、六車の手からドリンクホルダーを取り上げる。
「先に席に行ってるわね」
有無を言わさずに告げると、連れの友人が腕時計を確かめて、そろそろ、と声をかけた。
「六車さん、次のバーベキューは絶対来て下さいね!あたし、ほんとに楽しみにしてたんだからぁ!」
「今回は予定が合わなくてごめんね、次回はぜひ。お友達も」
最後にきちんと2人と目を合わせて微笑んで、六車がつぐみに向き直る。
女の子の心の声が今にも聞こえて来そうだ。
あんな年増のオバサンより、あたしのほうがずっと若くて可愛いでしょ!
座席に着くなり、つぐみは盛大に溜息を吐いた。
前方に設置された大型スクリーンには、上映マナーの説明が始まっている。
まだまだざわめきの多い客席内では、つぐみの溜息に気づく人間なんていない、六車以外は。
さっきの綺麗な足の社長令嬢が頭から離れない。
「分かりやすい」
隣では六車がアイスコーヒーを飲みながら、笑いを堪えている。
「お子ちゃまの発言にイチイチ目くじら立てんなよ」
「お子ちゃまでも何でも女は女よ。あんたには絶対一生わかんないわよ」
歳を重ねるのは皆同じだし、自分だって二十歳そこそこの時は、三十路間近の女性をオバサンと思ったものだ。
それでも、こうも若さを盾にされると素直に頷けないのが大人女子の難しい所だ。
あんたがどんなにその発育の良い胸と、綺麗な脚を武器にして、可愛い顔で迫ってきたって、壱成はそんな簡単に絆されないんだから!たぶん…
胸はともかく、六車の脚フェチは身をもって知っている。
つぐみの脚に只ならぬ執着を持っていることも。
「健康的で、綺麗な脚してたわね」
通路側に座る六車から顔を背けるように、つぐみは視線を壁の方に移動させた。
不機嫌な色を含んだ声になった。
自分の何にも自信を持てないつぐみにとって、いざライバルが現れた時、武器になるのは六車から与えてもらった愛情の大きさだけだ。
だから、それが少しでも揺らぐ可能性があると思うと、足が竦んで動けなくなる。
「ヤキモチ?」
揶揄するような楽しそうな声と共に、六車がつぐみの頬を突いた。
客席の明かりが落ちて、一気に客席が静かになる。
スクリーンでは新作映画の紹介が始まった。
六車にとっては嬉しい誤算なんだろう。
つぐみがこんな風に恋愛ごとで感情を顕わにするのは珍しい。
つぐみの感情のベクトルは、殆ど創作活動に向かっているから。
仕事以外は、ひたすら消極的に生きてきたつぐみにとって、あんな値踏みのされ方は初めてだった。
スクリーンの映像のおかげで、おぼろげに見える六車の横顔を盗み見れば、明らかにニヤニヤと笑っている。
向けられた視線に気づいて、余裕たっぷりの表情そのままで、六車がこちらに顔を寄せた。
「社長の自宅でたまにバーベキューがあるんだけど、あの子が面倒で理由つけて行かないようにしてたんだ」
「あっそう。物凄く来て欲しい様子だったけど」
「俺だけじゃない、うちの若手にはあんな感じなんだよ」
「ふーん」
安心させようと説明をしてくれる六車の言葉も殆ど頭に入ってこない。
この苛立ちをどうすれば良いのかわからない。
とにかく六車の余裕顔をどうにかしたかった。
じゃないとこっちが馬鹿みたいだ。
つぐみは唇を引き結んだまま、頬を撫でる六車の指を捕まえて、そのまま自分の膝の上に引き下ろした。
チュールスカートの上に押し付けられた手の甲に、六車が一瞬息を呑む。
開いた彼の掌を両手で包み込んで、節ばった長い指を一本ずつ撫でる。
前から、彼の掌にこうして触れたいと思っていたのだ。
きっかけがなかったけれど、こうして暗転した世界でなら、いつもより大胆になれる。
硬い指の腹にペン凧の出来た関節。
見えなくても、きちんと感じられる。
少しだけ勝ち誇った気分で、六車に視線を向けて、その瞬間に後悔した。
一気に鋭くなった六車の視線が数秒で目の前まで迫って来る。
「っ!」
今度はつぐみが息を呑む番だった。
目を閉じると同時に、唇に六車の舌先が触れた。
味見でもするように輪郭に沿って丁寧に舐められて、背筋が震える。
小さな吐息を漏らすと同時に、六車が唇を啄んだ。
上唇を食んで、舌先を潜り込ませる。
焦るつぐみの口内を悠々と弄ると、舌先を軽く絡めてから離れた。
「っは…」
ジンジンと痺れるように熱い舌先が、もう一度キスが欲しいと訴えるが、心の声に耳を傾けている場合ではない。
甘やかな六車の指先が、つぐみの指をお返しとばかりに丁寧になぞり始める。
早くなる鼓動と上がる体温。
逃げようと身を捩ると、六車が反対の掌を膝の上に押し付けて、更に身を寄せた。
吐息が耳たぶをなぞって首筋へと落ちる。
「逃げてどーすんの?仕掛けたのつぐみだろ?」
のどの奥で笑った六車が、つぐみの首筋へと唇を落とした。
そんなつもりは無かった。少し六車を驚かせてやろうと思ったのだ。
今更言い訳してももう遅い。
一番上に重ねられていた掌が、膝下へと移動してするりとチュールスカートの中へ潜り込んだ。
ビクリと肩を震わせて硬直するつぐみに、六車が楽しそうに囁く。
「俺にはこっちの脚の方が大好物だよ」
もう、映画の内容なんて頭に入って来るわけが無かった。
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