第26話 心に繋がる

それは高校時代の生徒会仲間との久しぶりの飲み会での出来事だった。


「え!?指輪、買ってないの?」


昔から感情があまり表に出ないタイプだった、元会計の南谷が、定番の黒縁眼鏡を押し上げて、まるで珍妙品でも見るような眼差しを六車に向けた。


生真面目で男っ気がないのはこの10年で少しも変わらない、所謂干物女子と言われる部類に入る彼女が、こうも大げさにリアクションするのだから、よほどのことなんだろう。


近況報告の合間に、取引先の彼女と付き合っている事を告げた途端、まるで獲物を狙うスナイパーのような表情で、向かいの席から身を乗り出し、それで、どうなの?と根掘り葉掘り聞いてきたと思ったら、この質問だ。


指輪、というのは所謂ペアリングの事だろう。


僅かな不安を覚えた六車は、隣の席で聞き役に徹していた相方の元生徒会長の東田を伺う。


「そんな驚くことなのか?」


偶然にも、東田と南谷は同じ会社に就職しており、人事部とシステム部と所属部署は違えど、契約関係の仕事でしょっちゅう顔を合わせるという間柄で、六車よりは、よほど普通の会社を知っている。


どう贔屓目に見ても、つぐみは世間一般のOLとは感覚がずれている。


物の見方も、考え方も、感じ方も、すべてが作り手側になる。


だから、彼女に物を贈る時は、かなり慎重に選ばないと大失敗する。


世の女性が恋人に強請るような、雑誌を飾るアクセサリーを、つぐみが欲しがるとはどうしても思えなかった。


会社で、普通の女子と毎日のように接している東田は、ジョッキをテーブルに戻して、しみじみ頷いた。


「まあ、普通は付き合ったら盛り上がってる間に買うだろうな。相手の物欲と、こっちの独占欲が同時に満たされて万々歳。ほら、良くいうだろ離れてても繋がってる感云々」


「あんたが言うと気持ち悪いわよ、東田」


辛辣に言い放った南谷が、店員にビールのお代わりを頼む。


六車の記憶が正しければ、高校時代、南谷は東田が好きだったはずだ。


内気な彼女からとくにアプローチする事もなく、東田もとくに何も言わないまま卒業した。


同じ会社に就職したと聞いたので、そろそろどうにかなるかと思ったが、就業年数が伸びるたびに南谷の東田への扱いが酷いものになっている。


が、首を突っ込むと碌な事にならなさそうなので、そこは無視を決め込んでいる。


「ふたりでデートした時とかに、ウィンドウショッピング中にいいなーとか、ないわけ?」


「あんまり二人で買い物しないからな」


行くなら大抵美術館か博物館か、映画館、といった、創作意欲に直結するような場所になる。


目的地選びに迷ったり、天気があまりよくない時は、好きなものを持ってplacideに集合が定番だ。


そのままのんびり好き勝手に過ごす休日も全然珍しくない。


付き合った以上、彼女の事は大切にしたいしデートは楽しませてやりたい。


これまで付き合ったどの女の子にも共通に感じていたことだ。


だから、出かける場所は適度に変えて、飽きないように気を使って来た。


自分の趣味を押し付けることはしなかったし、むしろ、美術館や博物館には一人で行く方が気楽だった。


女の子から可愛くお強請りされて悪い気はしないので、望まれれば可愛い指輪もプレゼントしたりした。


けれど、ペアリングというのはこれまで一度もなかった。


指輪を買ってと言われたら、ファッションリングをプレゼントしてきたからだ。


わざわざペアリングをしようなんて考え、これっぽっちも浮かばなかった。


でも、つぐみはこれまでの歴代の彼女とは何もかもが違うのだ。


「なにそれ、部屋で終始イチャイチャしてるわけ?」


これだからリア充は、と肩を竦めた南谷に続いて、東田が羨ましいな、おい!と突っ込む。


想像するのは勝手だが、実際のところはここひと月ほど、部屋に彼女は来ていない。


当然、そういう事もしていない。


タイミングが合わなかったのもあるが、つぐみから誘われたことなんて、勿論一度もない。


「そんなしょっちゅう部屋には来ないよ。というか、呼ばないと来ないな・・・いつも待ち合わせに使う店があるから、基本そこが定番になってて」


「そういう適当デートのルーティンって女子は飽きやすいと思うけど?」


「向こうも好きなことしてるから、あんまり気にしたこと無いな」


そう思ってみたら、俺の部屋に行きたい、とか言われたことないな・・・


placideが仮部屋みたいなものなので、同じかと流していたが、これもどうやら世間一般とはずれているらしい。


確かに世のカップルは暇さえあれば二人きりになりたがるものなのに。


「なんか、ちょっと変わってるのねー」


「まあ、お前らが楽しいならいいけどな」


世の中の普通に左右されるつもりはないし、少なくとも、つぐみが見せていいと思っている部分までは、しっかり捕まえたつもりでいる。


慎重な彼女に合わせて、スローペースで恋愛をしている自覚はあったので、過去の恋愛を比較対象になんてしたことが無かった。




★★★★★★



「・・・む?」


真横で声がして、我に返った。


ソファの横に立って話しかけているのはつぐみだ。


仕事が早く終わって、placideにいると連絡を受けて、後を追うように店に来て、パスタセットを頼んで、言葉少なに各自の作業を始めたら、意識が彼方に飛んでいた。


六車は慌てて視線を上げる。


「え?」


「もう、さっきから何度も聞いてるのに、寝てるのかと思ったわよ。何か飲む?って聞いたのー、コーヒー飲み干しちゃったでしょ?」


「ああ、ごめん。寝てない。考え事してただけ」


「あたし、ハーブティーお願いしようかと思って」


パスタとサラダについてくるコーヒーは、二人とももうなくなっている。


どれ位上の空だったんだろう?


時計を見ると、食事が来てから1時間ほど経っていた。


つぐみはネイビーのワイドパンツに、白のニットという定番の足を出さないスタイルだ。


六車とデートの時も、彼がよほど強く念を押さない限り、膝丈のスカートは頑として履かない。


華奢なヒールも極力避ける。


その癖好きな作家のサイン会にはとびきりおしゃれするんだもんな・・・


この女の中に詰まってる俺への愛情ってどれ位なんだろ・・・


「俺、もう一杯コーヒーかな」


ぼんやり呟いたら、つぐみが心得たと頷いた。


そのまま階下に向かおうと背中を向けた彼女の手を、思わず掴んだ。


「なにー?やっぱり変える?」


オーダー変更だと勘違いしたつぐみが、六車を振り返る。


「ちょっと、こっち座って」


半ば強引に腕を引っ張って、自分の隣を示した。


「え、でも飲み物」


「後でいいから、早く」


週末の飲み会での会話が頭から離れない。


つぐみから向けられる、クリエイターとしての自分自身への憧れや尊敬や嫉妬の眼差しは常日頃から感じている。


自分が持たない物への渇望や憧憬は、六車にも覚えがある。


俺の隣で自由に絵を描くつぐみを見ているのは楽しいし、彼女の作品を間近で見られることは嬉しい。


傍に居ることが刺激になって、創作意欲が生まれるなんてクリエイターとしてこれ以上誇らしい事はない。


同じ世界を見つめながら、別々のものを生み出せる、彼女の自分とは異なる価値観や感覚を、六車はこの上なく大切にしたいと思うし、愛おしく感じている。


それと同時に、こうして一人の人間として彼女と向き合った今は、その存在自体が、可愛く思えてしょうがない。


つぐみというフィルターを通して見た世界は、いつもどこか柔らかい虹彩に包まれていて、だから、彼女の描く靴は、鮮やかで女性らしいフォルムになる。


もっと率直に言うならば、常に愛情に満ちた目線で世界を見ていないと、彼女の内面はこうも豊かにならないだろうと思える位、繊細で優しい。


決して社交的ではないし、どちらかといえば内向的なつぐみが、大事に抱えて生きてきた世界に、最初に触れる権利を得られた事が、六車の誇りであり、自慢でもあった。


”自分を好きじゃない彼女”が、これからどんな風に鮮やかに咲き誇っていくのかと想像しただけで、落ち着かない気分になる。


自信は、一番の栄養素になる。


あっという間に六車の手元から離れてしまう可能性もあるのだ。


それを知りながら、ずっとその手に確かな証を贈らずにいたのは、彼女から強請って欲しかったからだ。


六車からの愛情の証を。


そういう回路が綺麗に創作回路に作り替えられていると知りながら、淡い期待を抱きつつ、そのうちでいいか、なんて呑気に構えていた。


心配しなくても、あの会社には次郎丸という強固すぎる守護壁がある。


むやみやたらとつぐみを連れ歩くような事はしないし、つぐみ自身もそれを望まない。


唯一の心配だった会計士は、綺麗に身を引いている。


万一ほかの男に多少押されたとしても、二重、三重に壁を作るつぐみが相手では、陥落させるのはまず不可能だ。


かなり強引に近づいた自覚がある自分を棚に上げて、そんな風に六車はつぐみの事を分析していた。


だから、このままでも平気だろうと。


けれどどうだ?


こうして付き合うようになって、外部との広がりが僅かに広がっただけで、つぐみは一気に表情が豊かになった。


六車が与えた”愛されている自信”というやつが、多少なりと作用していることは明らかだ。


そこに、彼女の持つ才能や、能力をきちんと見抜く相手が出てきたら・・・


その先は、想像に難くない。



もし、つぐみが確かな答えを求めていて、それに気づけずにいるのなら、確認するのはいまだ。


知り合った時期や、抱き合った時間は関係ない。


少なくとも、六車のなかではもうつぐみは絶対不可欠な存在になっている。


今は、同じ答えが出せなくても、同じ方向を向いてくれていることを、すぐに確認したかった。


これがまさか、背中合わせでした、なんてことになったら洒落にならない。


つぐみが、六車に向ける眼差しの中に、クリエイターじゃない、ただの六車壱成はどれ位存在するのか。


尊敬や憧れを取っ払った、甘ったるいだけの感情で、俺の事を見てくれているのか?


同じ時間を過ごしながら、別々の物を生み出す、認め合って、励まし合って、お互いを高め合う以上の答えを、つぐみは求めてくれているのだろうか。


考えてみれば、心底つぐみを手に入れたと思えたのは、初めて彼女を引き止めた夜だけだった。


思考回路が回らなくなるまで追いつめて、考えるのをやめさせて、それでやっと、八月一日つぐみを抱きしめた気がした。


焦点の定まらない迷子みたいな彼女にキスして、俺の望む答えのある場所へ導いた。


もうすでに俺の誘いに乗った時点で、限界を突破していたつぐみの中はぐちゃぐちゃで、余裕なんてかけらもなくて、本当は離して欲しかったのかすら、定かでない。


けれど、どうしてもあの夜に、俺はつぐみが欲しかった。


瞬きのたびに不安そうに震える輪郭をなぞって、どうにかしてためらいを棄てさせた。


頑なで臆病なつぐみは、一度立ち止まったら梃でも動かない。


だから、考える隙なんて、一度も与えてやらなかった。


二人きりでいても、いつもどこか意識が別の場所にあって、そこはつぐみにしか触れない場所で、、たぶん、そこだけが彼女を自由にできる。


誰にも侵せない特別な場所で、何よりも彼女が大切にしている場所でもある。


きっと、書き連ねられたアイデアは、そこから生まれて、つぐみの中で芽吹くのだ。


それなら、せめて一時的にでも、その世界から、つぐみを引きずり出したかった。


つぐみ自身も触れない所まで連れ去って、俺だけでいっぱいにしたかった。


本当の意味で、頭からっぽにして、こっちだけ見て欲しかったのだ。


あの柔らかいフィルターを通した眼差しで。


幾重にも重なる重たい扉をこじ開けて、生身のつぐみと向き合えたと思ったのはほんの一瞬だけだった。


けれど、その一瞬が、途方もなく心地よくて最高に幸せに思えた。


絡めた指は震えていて、けれど、つぐみの視線はまっすぐ六車だけを捉えていた。


やっと捕まえた、そう思った。


あの時の言いようのない充足感は、きっともう一度つぐみを抱かない事には味わえない。


そして、次味わったら本気で手放せそうにないから怖い。


だからこれは、そうなる前の次善策だ。


何とか隣に腰を下ろさせたつぐみに向き直って、六車はわずかに身を乗り出した。


「なに?改まって話って」


真剣な表情の六車に、つぐみが身構える。


「あのさ、訊きたいんだけど」


「うん、なによ」


「指輪、欲しい?」


「・・・・え?・・は?・・ゆ、指輪!?」


意味もなく自分の両手を翳して、つぐみが声を震わせる。


考えたこともない、という表情だった。


彼女の中に、一気に将来という大きな重しが伸し掛かったのが見えた。


「いや、大げさなもんじゃなくて!あ、だからっていい加減な気持ちでも無くて・・・その」


こんな時に限って、うまく言葉が見つからない。


もっと違う答えでいいんだ、もっと単純で、明快な・・・


「つぐみ」


「っはい!?」


上ずった返事をしたつぐみの両手を握りしめた。


「俺の事、好きか?」


「・・・え・・・ええええ?」


「あのさ、そこまで驚かれるとさすがに俺も傷つくんだけどな」


「待って、だって、なんでまた」


「何でって・・・いいだろ、訊いたって、付き合ってるわけだし」


「そうよ、それは、そうだけど」


いよいよパニックになった彼女は真っ赤になって狼狽える。


それでも両手は離さない。


「俺なりに、真剣につぐみとのことは考えてる。その上で、言ってるんだ。薬指に指輪、嵌めてくれる?」


彼女の愛情が追い付いていなくても、もうこの際どうでもいい。


目の前の彼女が、すべてだ。


たっぷり数十秒の沈黙の後、つぐみは震える声で頷いた。


「・・・・・・・はい」


「っはー・・・良かった・・」


息が止まるかと思った。


六車はつぐみの両手を離して、彼女の身体を抱きしめる。


一生分の勇気を使い果たした気分だった。


「もう今日は、その答えだけで、満足することにする」

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