第24話 気が済んだ

今年のトレンドであるレースアップシューズはベージュ・黒のベーシックラインと、休日仕様のワインレッド、シルバー、ロイヤルブルーを店頭に揃えた。


ローヒールで歩きやすくて、シンプルな洋服をぐっと女性らしく仕上げてくれるのでヘビロテしている。


色違いでワインレッドとシルバーを社割購入してから、週に2度はレースアップシューズで出勤するようになった。


編み上げタイプのいいところは、踵がついてくるので疲れないところだ。


ぺたんこシューズは足裏に負担がかかりやすいので、クッションにも拘った。


長時間の外出にも対応できるおしゃれ靴は女性の必需品だ。


世の女性は服に合わせて靴を考えるのだろうが、つぐみの場合は、履きたい靴に合わせて洋服を考える事が多い。


このパンプスには、トップスは白、かな。


とか、ストラップサンダルなら、花柄のワンピースかな。


とか。


靴に重点を置くことが多いので、洋服は柄を抑えたシンプルなものを選ぶことが多い。


どうしても黒、紺、ベージュが増える。


それさえ押さえておけば無難に纏まるからだ。


ちょっと派手かな?と思っても足元ならビビットカラーに挑戦できる。


つぐみにとって靴は、遠慮なく遊び心を加えられるおしゃれアイテムだ。


日差しが強くなってきて、オフホワイトのロングスカートの出番がやってきた。


最近はスニーカーに合わせることが多かったけれど、今日は久々の休日デートなので、今年初のストラップサンダルをクローゼットから引っ張り出した。


黒とネオンピンクのストラップが気に入っている。


足首が細く見えるデザインにこだわって、何度も修正を加えた思い出の品だ。


普段は、歩きやすさ重視の靴を作ることが多いつぐみが、珍しく華奢なピンヒールでデザインを上げた。


大人女子が、安心して歩けて、見た目もお洒落で女性らしいフォルムを保持する。


ヒールの細さと角度に拘って、試し履きを繰り返したことを昨日のことのように覚えている。


ヒールが細いぶん、安定感を持たせるためにストラップはしっかり止められるベルトタイプを選んだ。


踵と擦れたりしないように素材も重視した。


さあ、思い切りおしゃれして歩いて頂戴女の子たち!と意気込んで売り出した商品だ。


オフショルダーやミニスカートといった、肌見せが増える時期なので、足が綺麗に見える華奢サンダルは出番が増える。


一人で出かける休日なら、きっとこのサンダルは選ばなかったはずだ。


鏡の前にいる時間も明らかに増えた。


恋をすると、適当でいられなくなる。


だから、みんな素敵なものを探して街に出るのだ。


遅まきながらその一員に慣れたことがほんのちょっと嬉しい。


時計を睨みながら身支度を終えて、戸締りを確認していたらいつの間にか予定の時間を過ぎてしまった。


津金の店で待ち合わせなので、多少遅れても問題はないが、それでも気が引ける。


照り付ける日差しの中、日傘も差さずに駅まで走って辿りついた時には、右足首の内側がじんじんと痛みだした。


「・・・いった・・・っ」


女子なら何度も経験している靴擦れ特有の痛み。


汗をかく季節はかかさずベビーパウダーを叩くようにしているのだが、今日は時間が無かったので省略してしまったのだ。


炎天下の中、5分ちょっとノンストップで走ったのだから汗も吹き出る。


歩くことを考慮してきつめにストラップのベルトを締めた事も災いした。


自宅ならすぐに足を洗って絆創膏を貼りたいところだがそうもいかない。


ホームに滑り込んできた予定の電車に乗りこむ。


いつものカバンの半分の大きさしかない籠バックは、完全デート用だ。


今日は、絵画展を覗くのが目的なので、デザイングッズは持ってきていない。


財布とハンカチ、スマホに小さな化粧ポーチだけが持ち物だ。


元からメイク道具を持ち歩くタイプではないので、入っているのはリップクリームと、グロスとあぶらとり紙位だ。


念のために入れておいたはずの絆創膏のストックが見つかる事を祈りながら、placideに向かう。


足を踏み出すたびにベルトがこすれて痛むが、なんとか堪えて歩くこと数分。


いつもはすぐの店がこれほど遠く感じたことはない。


ようやく出番の来た日傘を畳んで店のドアを開けると、すみれがいつもの笑顔を向けてくれた。


「いらっしゃーい!見て!この靴ヘビロテよー!一日履いても疲れないの!さすがつぐみちゃん!」


白のデニムに合わせたロイヤルブルーのレースアップシューズを指差す。


「気に入って貰えて嬉しいです。あたしも週2で履いてますよ~。楽ちん可愛い、は大人女子の味方ですからね!」


靴の感想を直に聞けるのはすごく嬉しい。


改めて購入のお礼を言ってから、つぐみはすみれにお願いを申し出た。



★★★★★★


いつもなら、ドアを開けた途端、津金もしくはすみれが声を掛けてくれるのに、今日に限ってレジ前に誰もいない。


店内は、一通りオーダーも通った後のようで、くつろいだ様子でランチを楽しむ客の姿が見えるだけだ。


3人そろってロフト席かと視線を階段に向けたら、レジ裏の方から聞きなれた声が聞こえた。


なぜか3つも。


津金夫妻はともかく、どうして自分と待ち合わせをしている恋人の声までするのだろう。


六車は迷わずレジ横を抜けて、パーテーションで仕切られた奥のスペースに向かった。


「こんにちはー・・・ってなにやってんのあんたら・・・つぐみまで奥に入って・・」


設計に携わっているので、この奥に簡易テーブルとソファが置かれていることは知っていた。


けれど、まさかそのソファにつぐみが腰掛けているとは思わなかった。


両脇に津金夫妻を侍らせて。


真っ先に目に入ったのは、オフホワイトのスカートから覗いた白い脚だ。


しかも膝頭まで綺麗に見えていた。


瞬時に眉間に皺が寄ったのはもう仕方がないと思う。


俺の前だとなにかにつけてひざ掛けやらパンツやら、ロングスカートやらで隠そうとするくせに。


六車に顔を向けた津金が立ち上がる。


「いらっしゃい!ごめん、ちょっと救急箱取りに奥に入ってたんだ」


「大変なのよ!つぐみちゃんの綺麗な脚が!緊急事態よ!」


すみれは、つぐみの足元にしゃがみこんで、見慣れた消毒液と脱脂綿を手にしていた。


つぐみはというと、恐縮しきった顔で首を振っている。


「全然大したことじゃないから!大げさに言わないでくださいっ!」


視線をつぐみのつま先に向けると、上に組んだ左足の足首を押さえている。


遠慮なく奥まで踏み込んだ六車は、つぐみの前で立ち止まると真正面から見下ろした。


「もしかしてヒールで転んだ?」


「転んでません!靴擦れ!駅まで走ったらこうなったのよ!次のデザインへの宿題にする」


見ればくるぶしの内側の白い皮膚が破けて血が滲んでいる。


「つぐみちゃん、スカート!白いんだから気を付けて!」


「あ、ごめんなさい、すみません」


血で汚れないようにという配慮で、こうして捲り上げていたらしい。


それにしたってすみれはともかく、津金まで傍に居たのは面白くない。


眉を顰めた六車に気付いた津金が、真横までやって来て声を潜める。


「俺は救急箱取って渡しただけだから、見てない、見てないよ」


「別に何も言ってないから」


見透かされるほど、顔に出ていたなんて思わなかった。


こんなもの狭量のうちに入らない、普通の感情だ、と自分に言い聞かせる。


とりあえず、これ以上目の前の脚を誰にも晒したくなかった。


「すみれさん、それ貸して、俺がやる」


「え・・」


「いいわよ、自分で出来る」


身を乗り出したつぐみの長いスカートを指差す。


「スカート、押さえといたほうがいいんじゃないの?」


六車の指摘に慌ててつぐみが掌でスカートを押さえた。


一瞬目を丸くしたすみれが、すぐににこっと笑顔になって脱脂綿と消毒液を六車に手渡した。


「絆創膏もちゃんと貼ってあげてね」


邪魔者退散!と呪文のように呟きながら津金夫妻が店内に戻って行く。


二人の背中が見えなくなるのを待って、しゃがみこんだ六車は、徐につぐみの踵を持ち上げた。


「なに!?」


蛍光灯の下だとさらに白く見えるふくらはぎにキスを落とす。


「ちょっ」


「俺に見せるのは躊躇する癖に」


「非常事態よ!」


「むしゃくしゃするから噛みついてもいい?」


持ち上げた踵に唇を近づけたら、つぐみの右手が飛んできた。


「駄目に決まってんでしょ!」


「駅まで走ったんだ」


「・・・電車乗り遅れそうになったのよ」


顔を背けたつぐみの頬が、ほのかに赤くなっている。


明らかに不機嫌な口調でいう所がさらに可愛い。


「そんなに急がなくても俺は逃げないよ」


手懐けたのか、手懐けられたのか分からないけれど、どっちにしろもう手放せなくなってしまっている。


「わっ・・・かってる」


大声を上げそうになったつぐみが、慌てて両手で口を押さえた。


床に置かれたままのサンダルは、珍しくピンヒールだった。


彼女がどういう心境でこの靴を選んだのか手に取るようにわかる。


言ったらまた不貞腐れて叩かれるんだろうけれど。


それすら楽しいと思えてしまうんだから、恋は怖い。


そっと踵を下して、つぐみが腰掛けるソファの座面に手をついて身体を寄せる。


六車の唇が俯いたつぐみの耳たぶを優しくなぞった。


くすぐったそうに身を捩った隙にそのすぐ下の柔肌に噛み付く。


「っ!!」


悲鳴を飲み込んだつぐみの驚いた顔を間近で見つめながら、六車が穏やかに微笑んだ。


「よし、気が済んだ。さっさと消毒するよ」




★★★★★★



歩き回ったら酷くなるんじゃないの?


彼女を気遣うつもりで発した言葉だったけれど、半分は自分の為でもあった。


どうにかして、つぐみを帰らせない方法を考えていたのだ。


綺麗に消毒して、絆創膏を貼ってみたものの、長時間歩けば悪化するのは目に見えていた。


すみれが気を遣って、傷の治りが早まる絆創膏を何枚かくれたけれど・・・


結局、夕方までplacideで時間を潰してからタクシーを拾って部屋まで帰った。


絵画展は来月まで開催中だし、どうしても見たいものでもない。


お気に入りのサンダルで、休日デートしたかったつぐみの気持ちもわからなくはないけれど、怪我を押してまで強行するつもりはなかった。


「消毒液無いけど」


「平気よ、絆創膏だけ貼り換えておくから」


すみれが持たせてくれた絆創膏は、市販のものよりかなり厚手で、重厚なパッケージだった。


靴擦れする女の子がよく使っているらしい。


フィルムを剥がすつぐみの手から絆創膏を取り上げる。


「俺にやらせて」


「・・・自分で出来るって言ってるのに」


「半分は俺のせいみたいだから」


「・・・」


「こういう時の為にスマートフォンっていう便利なものが出回ってると思うんだけど」


「・・・」


「そんなに楽しみだった?」


「・・・」


目は口程に物を言うというけれど、つぐみの表情がまさにそれだ。


思い切り不貞腐れて、唇を引き結ぶ。


じわじわと胸に込み上げる淡い熱。


それが導火線となって、本能に火が灯る。


「あのサンダルは、お洒落なレストランでの食事用にでもしといて」


「なにそれ」


「そういう可愛くない言い方しないでよ。連れてくって言ってんの」


「!!」


目を瞠ったつぐみが、俺の顔を見て瞬きを繰り返す。


「冗談・・」


「本気だから、ちゃんと予約しとく。この間、レセプションで呼ばれたレストランが雰囲気良かったんだ。placideだと、デートって感じしないんでしょ?」


世間の女子とはずれているとはいえ、彼女もれっきとした”普通の女子”だ。


いかにもなデートプランに憧れても無理はない。


いや、むしろそれが普通だ。


気休め程度に、ウェットティッシュで傷口を軽く押さえて、新しい絆創膏を貼る。


ガーゼ面に塗布されたジェルが、幹部の治癒力を高めるそうだ。


白い肌に痕が残るのは俺としても困るので、早く治るように祈るばかり。


「津金さんの店は好きよ」


「・・・ありがとう」


つぐみが口にする真っすぐな感想は、設計者として何より嬉しいし、誇りに思える。


「べ、別に・・・あんたがお礼言う事じゃないっていうか・・・あの店の雰囲気とか、ご夫婦の人柄とか・・・そういう全部が好きなの」


「俺の事も、同じくらい思ってくれてると嬉しいんだけど」


「人間と場所なんて、比較できるわけ・・・ない・・」


踵を床に下して、代わりにつぐみの腰を引き寄せる。


スカートが綺麗に床を滑って、つぐみの身体があっという間に俺の腕の中に到着した。


サマーニットの上から背中を撫でたら、つぐみが肩に額を預けて来た。


「か・・・踵痛いの」


こちらの意図するところがきちんと伝わったらしい。


即座に逃げ腰になったつぐみの白いスカートの波を掌で辿る。


夏らしくて上品なロングスカートはつぐみによく似合っていた。


けれど、白はとにかく汚れが目立つ。


早めに脱がせないと・・・


「踵は関係ないよ?」


柔らかい口調で、けれど有無を言わせない強さで発した。


事実だし。


「・・・え・・・っと」


「他に言いたいことある?」


考える素振りを見せた彼女の唇にキスをする。


軽く啄んで離れた。


触れ合うだけの可愛らしいキスでも、十分な起爆剤になった。


「っ・・・!」


「考える余裕なんて、すぐに無くなると思うけど」


膝立ちになってつぐみの腰をさらに引く。


それと同時に背中に回した掌で肩を押した。


あっさり傾いたつぐみの身体を床に下して、綺麗に広がったスカートの狭間に右手を差し入れる。


さっきまで座っていたクッションが、今度は枕になったつぐみが、困ったように指を伸ばす。


その手を捕まえて、額に唇で触れた。


「だんまりなら、もう触ってもいい?」


「い・・・今更・・・っ」


つぐみが震える声で言い返した。


不安と緊張がごちゃ混ぜになって潤んだ瞳の淵にキスを落とす。


「・・・それもそうだ」


ごもっともなツッコミに微笑んで、もう一度唇を重ねた。

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