第22話 散る、散る、サクラ
ピンク、とひとくくりに言われる色には、実は何十種類もの色味があるなんて、きっとこういう職業に携わらないと知らなかったと思う。
色見本を眺めるたび、心躍らせるのはもう職業病としかいいようがない。
上品なアイシクル・ピンクに妖精のドレスのようなシャモア、鮮やかなカーネーション・ピンクはアクセントカラーに相応しい。
青空を埋め尽くすように咲き誇る満開の桜を見上げて、つぐみはほうっと息を吐いた。
水色とピンクの最高のコントラストだ。
毎年桜を見上げているけれど、今年の桜はいつもよりもずっと綺麗に映る。
新店オープンまで何とか漕ぎつけたことへの安堵も勿論大きいけれど、それ以外にも要因はある。
なるべく意識しないようにしていたのに、隣に並ぶ六車がこちらに顔を向けてきて、つぐみはそうも言っていられなくなった。
「色っぽいため息」
「え!?そう!?」
「どうせ仕事の事考えてたんだろうけど」
「・・・綺麗だなって見惚れてたんですー」
サクヤラインのモデルとなったコノハナノサクヤヒメは、桜の花が開くように美しい女性と言われている。
神々しい美しさと、凛と咲く清々しさを併せ持つしなやかな女性をイメージして作った。
だから余計、特別な思いが湧く。
きっと日本人に一番馴染みのある花だ。
人生を彩る眩しい記憶と共に。
いつも俯いてばかりいるつぐみが、こうも視線を上げるのは珍しい。
どうしたって高い位置に花びらがあるから仕方ないのだが。
開けた視界に広がる景色は、切り取って残しておきたいくらい麗しの春だ。
「コスモスとシェル・ピンクとオパール・ピーチ」
今朝塗りなおしたばかりのマニキュアが光る指先を捕まえて、六車が呟いた。
馴染みのある言葉の羅列に、思わず笑ってしまう。
暗号のような文字は、色の名前だ。
普通の人が聞いたら全く理解できないだろう言葉。
こうして簡単に分かり合えてしまう事が、悔しいけれど物凄く嬉しい。
「光の加減によってはカメオ・ベージュにも見えるわよね」
捕まっていない自由なほうの手を伸ばして、細い枝を引っ掛ける。
目の前に引き寄せた枝の先にはいくつかの桜。
一本の樹からそれぞれ枝葉を伸ばして花びらを広げたそれは、小さくても誇らしげに見えた。
同じように顔を近づけた六車が、爪の先を撫でる。
「こっちはクラシック・ローズ?ツルツルしてて気持ちいい」
しっかりチェック済みなところがむかつく。
ただのベージュと言わないあたりも。
トップコートは艶重視で選んだけど。
「・・・指馴染みがいいし、伸びても、禿げても分かりにくいから」
「うん、手が綺麗に見える」
絡めた指を持ち上げて六車が青空にかざした。
リップサービスだと分かっていても撥ねる弱っちい心臓をどうにかしたい。
いや、六車の軽口をどうにかするのが先決か。
本当なら勢いよく掴まれた手を振りほどきたいところだ。
けれど、さっきからふたりの周りを行き交う幸せそうな家族連れや、カップルを見ていたらなんだかそんな気にもなれない。
誰もが晴れた休日を満喫していて、満開の桜を見上げて幸せそうに微笑んでいる。
自分たちもその幸せな光景の一部なんだと思ったら、無粋なことなんて出来そうになかった。
女性にしては節ばった指は、バレーをしていた名残だ。
決して細いわけでもない。
気に入った指輪はいつも第二関節で止まってしまう。
だからリングは嵌めない。
でも、六車が大事そうに触れるから、今日だけはこの手も好きになれそうな気がする。
「そういや、いつも違った色塗ってるな」
トップコートの感触が気に入ったらしい六車は、爪の先を撫でるのをやめようとしない。
我ながら綺麗に塗れた自信があるので、褒められているようで嬉しい。
勿論、恥ずかしさはその倍あるけれど。
「大事な商売道具だから」
本当はデートの度に違う色を塗っているのだ。
男勝りじゃない部分を見せたくて。
自分をうまく演出できるほど恋愛経験を積んでいないつぐみなりの、精一杯のおめかしというやつだ。
六車はデートなんだから足出して、と再三強請るがそれはスルーし続けている。
足を出すにもいろいろと準備が必要なのだ。
「確かに、働き者の手だよな」
うんうんと納得がいった様子で六車が頷いた。
つぐみはふと彼の手元に視線を移す。
それはつぐみに限った事じゃない。
自分の手から何かを生み出しているのは、六車もおなじだ。
突き指を繰り返して太くなったつぐみの指よりも、僅かに太いごつごつした細長い指。
つぐみの数倍手際よくパソコンを操る器用な指でもある。
「あたし、この手すごく好きよ」
つぐみとは全く違った視点で世界を見て、つぐみが思いもよらないアイデアを生み出して、空間を描き出す魔法の手。
ものづくりに携わる人間として、尊敬できる点がいくつもある、憧れの手だ。
器用過ぎて羨ましくなることも多々ある。
空間設計という職業柄ゆえか、六車は実に器用に工具を扱うのだ。
店舗の飾り棚の取り付けに四苦八苦していたところをさらりと助けてくけた時には、心底惚れ直した。
これまで異性に頼りがいを感じたことなんて次郎丸以外にはなかったので、なかなかの衝撃だった。
好きな相手に好きだというのはとても難しいけれど、こうして部分的になら、素直に伝えられる。
頭であれこれ考えない方が、実際は上手くいったりするのだ。
恋愛はとくに。
頭でっかちになって悩んでも、答えが出ないことは多い。
ロボットじゃない、感情のある自分以外の誰かと向き合っているのだから。
六車のことだから、さらりと笑ってみせるのかと思ったが、実際の反応はつぐみの予想を見事に裏切った。
一瞬だけほどけた指を、すぐに綺麗に絡めなおしてから、珍しく六車が俯いた。
距離が近づいた分、彼の様子が間近で見える。
間違いなく、顔が、赤い。
「・・・わー・・・すげー、どうしよう。二度目の告白された気分」
まるで頭の中を読まれたかのようなセリフに、つぐみが勢いよく後ずさる。
離れた分の距離を取り戻すように、すぐさま六車が腕を引いた。
繋がれたままの手はこのためだったのだ。
立ち止まって写真を撮る学生グループ、お弁当を広げる老夫婦、走り回る子供たち。
芝生公園の中はいつになく人に溢れていて、この中で離れて逃げるのも不自然だ。
こんな場所で言い合いを始めたら注目の的だ。
それは分かっているけれど、うん、そうだよ、なんて言えるわけがない。
「してませんけど!?」
凄む勢いで小声で返す。
「その割には動揺してるけど」
「そっちだって顔赤いけど?」
「そりゃー不意打ちで告白されたら、ね。これだからツンデレは」
「ちょっと!そのキャラ分けやめてくれる!?」
誰がツンデレだ、誰が!
「ならもうちょっと甘いとこ見せて?」
「っ!」
アマイトコ?
とんでもない難問を突き付けられて、つぐみは息を呑んだ。
優しいとこでも可愛いとこでもなく、甘いとこ?
抽象的すぎて分からない。
少なくとも、自分で自分の甘いところなんて見つけられない。
物凄く不本意ながら、頭の中にもう一人の自分を思い描いてみる。
凹凸の少ないひょろりと無駄に大きな身体。
化粧しないと全く印象に残らない地味な顔。
最近乾燥がさらに気になる肌。
負けず嫌いの引っ込み思案で慎重派の心配症。
わーだめだ、見せたくない所ばかりが思い浮かぶ。
考えれば考えるほど眉間にしわが刻まれていくつぐみに、六車がおかしそうな笑みを向けた。
その反応を楽しんでましたと顔に書いてある。
すんごい憎らしい。
「・・・すっげ不服そうだね」
「あんたが正解率0パーセントの複雑怪奇な問題を出すからよ」
「そうかな?」
しれっと返してみせた六車の表情はさっきとは打って変わってポーカーフェイスだ。
感情を全く読み取らせてくれない。
白旗確定だとしても、簡単に上げたくないのが可愛げのないところ。
それはもう、いやってほど分かってる。
恋愛はゲームじゃない、勝負じゃない。
引き分け、対等、それが恋だって思いたい。
嘘でも。
どうして六車を前にすると、こんなに挑む気持ちが強くなるのか。
”負けるもんか”は仕事だけだと思ったのに。
目の前のこの人をあっと驚かせられるような、いつも違った魅力を放つ女性でありたい。
「難しすぎて、きっと一生解けないと思うから。だから、あたしの甘いところ、見つけて、ちゃんと教えてよ」
これもきっと降参の一種だ。
でも、転んだって、ただでなんて起きてやらない。
あなたが好きって言ってくれなきゃ、あたしはあたしを好きになれない。
これっぽっちも、かけらだって。
世界中の女の子が自分の事を好きなわけじゃない。
自分を愛せない子は誰からも愛されないって何かで読んだけれど。
誰かに愛されて初めて自分を認められることだってあると思う。
あたしはあたしを外側からは見れないから。
だから、粉砂糖とチョコレートでデコレーションして。
華奢なヒールが似合う女にしてみせてよ。
宣戦布告にも似た告白。
自分でも信じられない位強気になれる。
離れてなんてやるもんかっていう意思表明は、どうやらちゃんと六車に届いたらしい。
つぐみの言葉に、六車はふっと息を吐いて悔しそうに青空と風に舞う桜を見上げた。
「いいよ、全力で証明してやる」
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