第21話 バレンタイン

バレンタイン特設会場。


恐らく一年で一番百貨店に女性客が集まる催し物。


去年までなら、軽い気持ちでやってきて、話題のショコラティエの新作チョコレートを買って帰っていた。


プレゼントする相手は数年間変動はなく、職場の女子への友チョコと、社長夫妻と取引先への挨拶チョコで終了だったから。


冒険はせず、無難でシンプルなチョコレートを選ぶように心がけていた。


職場用に関しては、個包装であることと、内容量も重要だ。


それだけだった。


だけど、今年は違う。


呼び込みの声と、女子の熱気で暑い位の会場の隅で、つぐみは紙袋を見下ろして立ち止まった。


結構な量を買い込んだ為、腕にかかる重みはかなりのものだ。


商品梱包で重さには慣れているつもりだが、丁寧に包装されたチョコレートは意外な位かさばる。


何度も足を運ぶのが億劫だったので、一度に纏めて買おうと思ったが失敗だったかもしれない。


ついつい、限定商品に惹かれて、自分へのご褒美チョコばかりが増えてしまったのは秘密だ。


広い会場の至る所で、紙袋を手にディスプレイされた目新しいチョコレートを見つめる楽し気な女性客の姿が見られる。


真剣に吟味する人、冷やかし程度で歩き回る人さまざまだ。


去年までなら1時間もあれば買い物を済ませられただろう。


特別な相手だと、気安くプレゼントを選ぶことも出来ないんだ。


腕に食い込む紙袋の中身を確かめて、零しそうになったため息をぐっと堪える。


この場に重たいため息は似合わない。


恋する女性の背中を押してくれる年に一度の大イベント。


楽しげにチョコを見つめる女の子たちを、ちょっと遠い目で見つめていた去年までの自分が知ったら驚くだろう。


かれこれ2時間ほど彷徨っても、いまだ六車へのチョコレートは選べていない。


バレンタインにかこつけたデートを自分から提案するのも気が引けて、休日の約束を取り付けられずにいる意気地なし。


もしかすると、仕事で都合が合わなくなるかもしれない。


とすれば、賞味期限の短い商品は弾かれる。


生チョコは却下、ケーキ系も却下。


どんどん狭まる選択肢。


津金の店で会うと、ときどきケーキを食べることもある。


だから甘いものが苦手ということはないはず。


しょっちゅう自分で買うような事はしないだろうけど。


はず、というのは、本人に確認できていないから。


”甘いもの好き?チョコは?ケーキは?”


なんて、この時期に訊けるわけない。


いや、ちがう。


今だから確認しなきゃいけなかったのだ。


恋愛事から遠ざかり過ぎて、自らアクションを起こす事さえ恥ずかしさが勝って躊躇しまう。


期待されたら困る。


なにが困るって、その期待に応えられずに幻滅されることが、だ。


仕事だと嫌でも背筋が伸びるのに、どうしてプライベートだとこうも弱くなるんだろう。


しゃがみこみそうになる膝を叩いて、ぐっと視線を上げる。


ここで戦線離脱するわけにはいかない。


負けるな、自分。


でもさー・・・選びまくりましたっていうのも気合入りすぎてる気がするし。


かといって、手作りなんてチョイスは絶対にありえない。


ここ数年ケーキ作りなんてしていないし、さすがにそれは重たすぎる気がする。


ここは人気チョコレート店の、チョコトリュフ位で手を打つのがいいのだ。


お返しも気を遣わせないように。


あああーでも、あのキラキラした笑顔で武装する女子たちの間に再び飛び込むのは気が重い。


せっかく打ち合わせを早く終わらせたのに。


夕方からの会議までにささっと買い物を済ませる予定がすっかりタイムスケジュールが押している。


左手の時計を見れば残り30分ほどでここを出ないと戻れない時間になっていた。


そんな短時間で選べるとは思えない。


「仕方ない、出直しましょう」


今日は会社用と自分用をゲットできたのでいいことにしよう。


頷いて下りエスカレーターへと向かう。


バレンタインまでまだ日があるし、休日に本気で挑むことにする。


心が決まれば足取りは自然と軽くなる。


会社に帰社連絡を入れようと1階で立ち止まった所で、後ろから声をかけられた。


「あれ、つぐみ?」


今一番会いたくない相手だった。


悪すぎるタイミングに険しい表情そのまま振り返ると、案の定六車が手にした紙袋を見て、買い出し?と尋ねて来た。


「ちょ、ちょっとね・・お疲れさま。壱成は?」


上に上がりかけた視線を引き戻して質問を返す。


「これから客先なんだけど、手土産買いに寄り道。これからパーティーでもすんの?」


「しないわよ、配るの」


誰に、とは言わなかったが、すぐに視線を巡らせた六車が訳知り顔で頷く。


「へ・・・あー・・そっか」



特設会場だけでなく、店内の装飾全部がバレンタイン仕様になっているのだ。


気づかないわけがない。


ここで会った時点で、隠しようがないのだ。


「ええっと、ちゃんと、これから、選ぶので、時間を下さい」


揶揄される前にえいや、と言い切る。


買ってないことまで暴露するつもりではなかったのに、顔を見たらもうだめだった。


「そこで視線逸らすのがつぐみだよね。ちょっと思わせぶりな態度とか取ってくれたらいいのに」


「どうやって!?」


「それ訊くの!?」


ぎょっとなった六車が次の瞬間笑いだして、つぐみはさらにばつが悪くなる。


とにかくこの恋はとことんつぐみの分が悪い。


「いや、うん、斬新でいいと思う、うん」


「勝手に納得しないでくれる?こっちは必死なんだから。この時期の特設会場って戦場なのよ、本気で挑戦なんだから」


真面目に言い返すと、六車が目じりを和ませる。


「じゃあ、とびきりの戦利品選んでね」


「・・・ヒント、ちょうだい」


「ん?」


「だから、ビターなのがいい、とか、洋酒が効いてるのがいい、とか。どれもおいしそうだし、決定打が無いから困ってるのよ。おかげで自分用のばっかり増えてっちゃって」


「じゃあ、あんまり甘くないやつで」


甘くないやつ、甘くないやつ。


心のメモに刻みつつ、チェックリストの項目をひとつ消す。


次は、日程だ。


「うん、分かった。あと、いつなら、時間取れる?」


「今は仕事落ち着いてるから、土日は綺麗に空けるよ」


「良かった。じゃあ、週末時間下さい」


「・・・良かった」


「え?それはあたしのセリフだと思うんだけど」


六車がホッとする理由が分からない。


肩の力を抜いた彼をわずかに見上げてみると、途端視線が眇められた。


身構える前に指先を掴まれる。


「あのさ、俺たち付き合ってるんだよな?」


「え・・そうだけど・・」


「バレンタインの予定なんて決まり切ってるよね」


「え・・まあ・・」


「だから、なんでもっと早く言ってくれないの?って言ってんの」


「ああ!そういうこと!?」


「そういうことだよ。何にも言わないからそのままスルーされたらどうしようかと思った」


「それはない!ないから!むしろ考えすぎて言えなかっただけだから!」


「・・・そんな事だろうと思ってたけどさ」


「だって期待されたら困るし」


「期待するでしょ、普通」


「・・・がっかりされたくないから、だからあんまり期待しないで下さい」


これだけ言い切ってしまったら、もう開き直れる。


誤解をさせてすれ違う事だけは避けたい。


捻じれた糸をほどくのは酷く苦労するから。


「複雑」


呟いた六車が、掴んだままの指の先をくるりと撫でた。


「素直なんだかそうじゃないんだか・・・分かってたけど、あんたってほんと扱いに困るよ」


「あたしだって自分を持て余してるわ」


胸を張る事じゃないけれど。


呟いたら、六車がふっと笑った。


「ならさ、そろそろ自分の中にあれこれ詰め込むのやめにしたら?」


飲み込んだり、押し込めたり、そんなことは日常茶飯事だ。


当たり前すぎて、他の方法を探そうなんて思ったこともなかった。


きっと知り合ったばかりの頃なら、むきになって撥ねつけていただろう。


今は、彼の言葉の意味を、優しさを、ちゃんと受け止められる。


「・・・ありがと」


「おお、珍しく素直だ」


「感心しないでくれる?嬉しくないです。とにかく、チョコはちゃんと吟味します、安心するように」


六車の手からややぞんざいに指を引き抜く。


素っ気なくするのは、このまま仕事用の仮面が剥がれちゃうと困るからだ。


「ちょうど、市立博物館で、美術展やってるから声掛けようと思ってたんだ。好きそうだなと思って」


「うん、行く。行きたい。最近ちゃんと絵を見てないし」


興味がない人を連れて行くのは気が引けるので、こういうお誘いは心底嬉しい。


色彩のコントラストや描写が勉強になることもある。


「じゃあ、ちゃんと予定決めような。チョコレートは、期待じゃなくて、楽しみにしてる」


新しい切り返しに、自然を笑顔になった。


楽しみ、なら少しは気負わずにいられる。


「それなら大丈夫、だと、思うわ」


頷いた六車が時計を確認した。


「俺、そろそろ行かないと。このまま会社戻る?」


目の前の地下鉄に乗るとちょうどいい時間に戻れそうだ。


「うん、これから会議だから」


「そっか、頑張れ」


「ありがとう。壱成も、気を付けてね」


つぐみの言葉に六車が瞬きをして、照れくさそうに微笑んだ。


またね、と別れた事はあっても、こんな風に手を振り合ったのは初めてだったと気付いたのは、駅に着いてからだった。



★★★★★★




「こちらがチョコレートになります」


お供えものでも差し出すようにテーブルの上にずずいと押し出した紙袋を受け取って、六車が笑う。


美術展でたっぷり絵画鑑賞をした後、迷うことなく足を運んだのはいつものお店だった。


定番となった向かい合わせのテーブル席ではなく、ソファ席に座ろうと言ったのは六車だ。


沢山の作品を見て、少なからずデザイン脳が刺激されているであろうつぐみを、少しでも引き止めておきたくてそうした。


バレンタインなんだからそれくらいいいだろう。


恋人の為の日なんだから、甘ったるい雰囲気に浸るのも悪くない。


そんな六車の気持ちもつゆ知らず、畏まってチョコレートを差し出すのがいかにもつぐみらしい。


「もうちょっとないわけ?」


可愛らしさなんて求められても困ると、つぐみは唇を尖らせる。


「なによ、楽しみにしてたんじゃないの?」


「楽しみにしてたけど、こういうのって、チョコレート貰うところからセットで楽しむもんじゃない?」


「注文が多い」


「多くないだろ普通だろ」


「・・・」


無言で睨み返したつぐみに、六車が珍しくひるんだように視線を逸らす。


すぐに紙袋の中を確かめた。


オリーブと濃紺の和紙で包装された箱を取り出す。


「デートなんだからスカート履いてきてっていうのは、至って普通のお願いだと思うけど?」


「あたしにとっては普通じゃないです、全然」


いそいそと包装をほどきながら、六車がちらりとつぐみの膝に視線を送る。


「なんでこういう中途半端な丈が流行ってんだろ、ほんとに」


「いい丈よ、すごく」


ミディアム丈はふくらはぎまで隠れるので、足を出したくない女性にはもってこいのアイテムだ。


チュールスカートは軽やかで、春を先取りしている気分にもなる。


ミニがいい、ミニが、とぼやいた六車の腕をぴしゃりと叩いてつぐみが早く開けてと急かした。


六車がやたらめったらつぐみの足にこだわる理由が彼女には全く分からない。


他の女性と比べた事はないが、さして目新しいところのない無駄に長いだけの足だ。


この足が5センチ短ければと思わない日はない。


蓋を開けた六車が、チョコレートを飾るデコレーションを見て声を上げる。


「お、抹茶?とコーヒー?」


「うん、大人めビターなチョコレートにしてみました」


コーヒー豆と金粉が乗った上品な一口サイズのチョコレートを指差して、六車が笑う。


「これがいいな」


「うん、どれでもっていうか、全部食べたらいいからね。何個か食べて残りはお家で・・」


人によっては二人で食べるためにチョコレートを買う人もいるようだが、今回のチョコレートは、六車に独り占めしてほしくて選んだものだ。


つぐみの好みは全く考慮せず、六車の事だけを考えて選んだ。


言葉途中で、つぐみの指先を握った六車が、顔を近づける。


俯いたつぐみに頓着せず、前髪の上にキスを落とした六車が小さく言った。


「食べさせてよ」


「っは!?え、いやよ!」


「なんで」


「だって・・・コーヒー・・」


さっきすみれ特製ブレンドを2つ注文したばかりなのだ。


食べさせている最中に津金夫妻が上がってこないとも限らない。


「準備出来たら呼んでって言ってあるから」


「・・・え?」


「さっき、階段上がる時先に行ってって頼んだだろ?その時、津金さんに上がってこないように頼んどいた」


「なんでそんなこと」


「なんでって、邪魔されたくないから」


「・・・馬鹿なの?」


「今日くらいいいでしょ?」


「だ、だってそんなこといったら・・・何してるのかと思われる」


呟いたつぐみの頬がみるみる赤くなっていく。


二人きりにして欲しいのはわかったけれど、あらぬ誤解を招かないとも限らない。


「こんなとこで何もしないよ・・・それともなに?して欲しいの?」


にやりと意地悪く笑った六車が、つぐみの指先にキスをする。


薄い唇が僅かに開いて、舌先が爪をそろりと舐めた。


「・・・っ」


「ここは思いっきり言い返すところだと思うけど?」


あっという間に距離を縮めて、つぐみを抱きしめた六車の掌が背中を彷徨う。


いつもの罵詈雑言が嘘みたいに出てこない。


ひりつく喉から出てくるのはかすれた吐息だけ。


完全にこの空気に飲まれてしまった。


狼狽えるつぐみの顔を覗き込んだ六車が、瞼の端に唇を寄せる。


自然に瞼が降りた。


吐息が頬を掠めて唇が重なる。


まだチョコレートを食べていないのに嘘みたいに唇が甘い。


啄んで離れた唇が、ぼんやりした視界の中で笑みを結ぶ。


六車は酷く機嫌がいい。


「やっぱり二人きりにしてって言って正解だった。そういう顔、見せたくなかったから」


落とされた爆弾に立ち向かう度胸は、もう無かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る