第19話 マシュマロガール

憧れたのは、マシュマロみたいな女の子。


ふわふわ柔らかくて甘い匂いがする、可愛らしい女の子。


☆☆☆


「へー・・こんなにいろんな色あるんですねー」


開店1周年記念の粗品です、と津金から差し出されたのは、可愛らしくラッピングされたマシュマロだった。


赤と白のタータンチェックのリボンがあしらわれた手のひらサイズの袋に、淡いピンクや黄色、水色のマシュマロが詰め込まれている。


見た目も可愛い女子向けのプレゼントだ。


受け取ったそれを目の高さまで持ち上げてみる。


自分でマシュマロを買うことなんて殆どない。


独特の食感が昔はあまり得意ではなかった。


「六車くん、2時間前から詰めてるよ」


「そんなに早くから?」


”今日会えない?”


連絡が来たのは午後7時すぎのこと。


打ち合わせを終えてデザイン室に戻ると同時にスマホが鳴って、見られていたのではと天井を見上げてしまったくらいだ。


本当は、作りかけのデザインを詰めておきたかったけれど、メッセージを確かめたら、居ても立っても居られなくなった。


煮詰まっているのかもしれない。


つぐみもだが、六車もあまり自分のことを口にするタイプではない。


人当たりもよいし、口下手ではないが、必要以上のことは話さない。


なにかあった?なんて、訊いたところで答えなんて返ってくるわけがない。


ただ、傍にいてほしいことだけはわかる。


納期のある仕事を抱えている二人なので、週末に翌週の予定を確認しあって、都合が合えば店で落ち合うのが定番だ。


急なアポや会議が入ることもあるので、いきなりのお誘いはこれまで一度もなかった。


つぐみ自身も自分の都合で呼び出したことはない。


心配そうな顔で向かうのは躊躇われて、軽く頬を叩いて息を吐く。


つぐみは笑顔でお礼を告げて、オーダーしてから指定席に向かう。


平日午後8時すぎの店は、そこそこの客入りだ。


太陽が隠れて、間接照明が暖かいオレンジの光を落とす。


一日の疲れを癒しに来たくなる、柔らかい雰囲気に包まれたplacidは、まさに津金夫妻の人柄が現れたお店だ。


彼らの要望を正確に汲み取って、依頼以上の答えを出してみせた六車の才能が羨ましくて憎らしくて、いまは誇らしい。


これも恋による心境の変化というやつか。


中二階に向かう為、ようやく馴染んできた木造の階段をゆっくり上る。


こんな風に心穏やかにこのお店に来るようになるなんて、去年の自分なら絶対想像できなかった。


万年自信不足は変わらないけれど、それでも今の自分を少しだけ好きになれた、と、思う。


猫背も直らないし、俯く癖もそのままだ。


けれど、見える景色は鮮やかになった。


前よりもっと、綺麗なものを、心が浮き立つような素晴らしいものを、見たいし、知りたい。


恋愛が私生活に及ぼす影響は、プラス作用のものだけではないと聞くけれど、今のところ、お付き合いは順調、のはずだ。


いつも通りに、いつも通りに、と言い聞かせつつ階上を覗く。


足音を聞きつけた六車が、テーブルに落としていた視線をこちらに向けた。


「っ!!」


息を飲んだと同時に、六車が眉を顰めた。


「どうしたの?顔引きつってるけど」


「・・・べ・つ・にっ」


語尾がきつくなったのは仕方ない。


「なに頼んだ?」


「ナポリタンのセット。そっちは?」


「ドライカレー」


「え、なにそんなのメニューにあるの?」


これまで耳にしたことのないメニュー名だ。


津金が見せてくれるメニューリストに、ドライカレーの名前はなかったはずだ。


所謂裏メニューというやつだろうか?


「津金さんが、試作で作ったからって」


「えええ、なにそれ!気になるんですけど」


この店の料理は、どれもお世辞抜きで美味しい。


津金が好きなだけ手間と時間をかけて作った、完全趣味の料理だからだ。


損得勘定よりも、ただただ美味しいものを提供したい、という彼の熱意から生まれたメニューは、どれも飽きの来ないものばかりだ。


六車と津金の間にある信頼感はわかっているつもりだけれど、こういう時は、少しだけ寂しい。


自分としては、かなり常連になっているつもりなのに。


不服そうなつぐみの表情を見つめながら、手にしていたシャーペンをテーブルに転がして、六車が伸びをした。


「どうせ一緒に食べるんだし、言う必要ないと思ったんじゃない?あー・・肩凝った」


広げられた図面と、定規。


端に積まれた写真とカタログ。


すっかり六車の仕事部屋のようだ。


真正面に腰掛けるのは憚られたので、大人しくソファに向かうことにする。



「届いたら、食べればいいよ」


「二時間座りっぱなしでしょ?そりゃ肩も凝るわよ」


つぐみも仕事がら座り作業が多くなるが、そうなるとむくみと冷えが酷くなる一方なので、定期的に梱包作業や出荷作業を手伝うようにしている。


酷いときには半日デザイン画とにらめっこの時もあるので、適度な運動の必要性は誰より実感していた。


首に巻いていたストールを外すと、六車が下しかけた腕をつぐみに向かって広げて見せた。


「こっちきてよ」


表情一つ変えずに、つぐみを抱きしめたがる態度に、思わず立ち尽くしてしまう。


「・・・上着着たままだし、身体冷えちゃうから」


駅からここに来るまで、ずっと冷たい夜風を切るように歩いてきたのだ。


手にしたストールだって、ひんやりと冷気を纏っている。


それになにより、心の準備も必要だ。


けれど、六車はそんなつぐみの困惑も緊張もおかまいなしで、手を伸ばしてくる。


「いいから」


その顔に浮かぶのは意地悪な笑み。


こちらの気持ちを見透かして、その上で逃がしてやらないぞ、という笑みだ。


手首に回された指のぬくもりに、ホッとするより、心臓が跳ねる。


いつになったらこの心臓は落ち着くんだろう。


間違いなく早くなった心拍数を気にしないように、意識して視線を逸らす。


六車が軽く手を引いた。


抗えるわけもない。


引き寄せたつぐみの腰に腕を回して、六車がコートの胸に頭を預ける。


殆ど身長差のない二人だが、こうして六車の頭を見下ろしたのは初めてだった。


まるで子供のように、なんのてらいもなく甘えてくる六車のスキルの高さに関心しそうになる。


どうしようかと思ったが、棒立ちするわけにもいかなくて、おずおずと六車の頭を撫でた。


少し硬めの短い髪が、指の隙間を抜けていく。


こうして見下ろしていると、六車の表情は見えない。


いくら背が高くても、異性の頭を撫でるなんて今までしたことがなかった。


「コート冷たいな」


胸元に頭をこすりつけた六車が、不満げに呟く。


「だから言ったのに・・・脱ぐから」


六車の頭から手を放したつぐみを見上げて、六車が首を振った。


「いいよ、べつに、面倒くさいし」


彼にとっては面倒くさいことなんて何もないはずだ。


訝し気な表情になったつぐみのコートの前を開いて、六車が内側へと両腕を回した。


「離したくないから」


「え・・・は!?ちょっと!」


タートルネックのセーターに顔を埋めた六車が、幸せそうに笑う。


「あーうん、中はあったかい」


コート一枚隔ててのハグとはわけが違う。


薄手のセーターの背中を、六車の骨ばった掌が往復する。


まるでつぐみの存在を確かめるようなしぐさに、喉元までせり上がったクレームが、シュワシュワと消えていく。


「クッションにするには、ちょーっと物足りないけど」


ほうっと息を吐いた六車が、つぐみの胸に頬を押し当てて、茶化すように笑った。


「物足りなくて悪かったわね、あんたのクッションになるためにあるんじゃありませんから」


生まれてこの方一度も谷間の出来たことのない小ぶりの胸だ。


クッションになんてなれるわけがない。


「酷い言いぐさだなぁ・・じゃあ、クッションはいいから、抱き枕くらいにはなってよ」


「いやよ!」


「即答?」


「だ、抱き心地よくないと思う」


真顔で返したつぐみに、六車が意識しすぎだよ、と笑う。


「じゃあ、ハードル下げるから、膝枕してよ」


「ええっ!なんであたしが」


「他の女の子に頼むわけいかないだろー?」


「・・・そうだけど」


六車が笑顔で強請れば、間違いなくアメリアの女子社員全員が諸手を上げて膝枕したがるだろう。


それはやっぱり面白くない。


「飯来るまででいいからさ」


そう言っていそいそとソファへ移動した六車に押し切られて、仕方なく両膝を差し出す。


遠慮なくつぐみの膝を枕に横になった六車は、上機嫌で膝頭に手を這わせた。


「緊張してる?」


「べつにっ」


「ふーん・・タイツがちょっと邪魔だけど、寝心地は上々だ」


「あっそう・・」


裏起毛の極厚タイツを装備していて良かったと、ホッと息を吐く。


膝枕でくつろいでいた六車が、テーブルの上にあるマシュマロに気付いて声を上げた。


「あれ、こんなの貰ったの?」


「うん、ラッピングも可愛いしお店の雰囲気に合ってる」


「へー・・マシュマロか」


興味深げに持ち上げた六車が、飾りのリボンを軽く引っ張る。


「食べる?開けてもいいけど」


「いや・・いい・・けど、マシュマロってさー、似てるよなぁ」


「え、何に似てる?」


きょとんと尋ねたつぐみの顔を見上げて、六車が満面の笑みを浮かべた。


「・・・いや、べつにー。今度確かめてから言うよ」


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