第18話 特別
一度でも何かを作った事がある人なら、きっと分かる筈。
自分の手で生み出した作品が飾られる場所、そこはもう間違いなくお城だ。
叶うなら、そのお城で寝泊まりしたい位なのだが、現在内装工事の真っ最中の為、寝袋を持ち込んで宿泊決行するわけにもいかない。
仕方なくお城でお泊り大作戦は諦めた。
だから、新年一発目の待ち合わせ場所が素敵なお城になったのは当然なのだ。
静まり返ったセンター街の一角、シャッターが下ろされたままの店の裏口で、段差に座り込んでいたつぐみの前で足を止めた六車が、薄曇りの空をバックに見下ろしてくる。
その顔に浮かぶのは呆れたような渋面。
「日付変わってからずっと居たとか言わないよね?」
「まさか。あけましておめでとうございます」
「・・あけましておめでとう。一応訊くけど、鍵は?」
店舗の鍵は六車と次郎丸がそれぞれ1本ずつ所有している。
普段はメインで出入りするつぐみが預かっているのだが、正月休みの前に次郎丸に返していた。
待ち合わせより1時間近く早く家を出たのは、店の様子を確かめたかったからだ。
結局締め出しを食らって、待ちぼうけする羽目になったが。
「社長に返してそのままにしてたの、忘れてて」
「すぐ連絡してよ。あ、まさか急いでてスマホも忘れたとか?」
「それはないわよ。コレ、あたしの命綱だし。でも、待ってるのもいいなと思って」
通常の待ち合わせは、津金の店を使う。
時間を気にせずゆっくりできるからだ。
どちらかが先についても、席で待っているのが常だったので、こういう待ち合わせは新鮮に思えたのだ。
所謂”普通”の待ち合わせというやつだ。
この奇跡のような恋が、自分の身体と心に与えた変化は計り知れない。
漸く目覚めた乙女な思考回路が忙しなく動き回る最中、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしたら、六車が目の前で酢を飲んだような顔になった。
稀に見る驚いた表情に、言葉選びを失敗したか?と自分の言葉を反芻する。
そして、反芻した事を激しく後悔した。
仕事中には浮かびもしないフワフワした、マシュマロ的思考が発したとんでもない一言。
いつものつぐみなら、間違いなく”早く来させるの悪いと思って”と言い訳を口にしていたはずだ。
油断した!?ふたりきりだから!?
一番油断しちゃダメな相手なのに!!!
みるみる赤く染まる頬をどうにかしようと口を開きかけたら、六車がつぐみの瞳を射抜いた。
「可愛げのない発言が飛び出したら、どうしてやろうかと思ってたけど・・凍える前に会えてよかったよ、ほら」
ポケットに入れっぱなしだった右手を六車が差し出す。
コンクリートの階段に手を突く前に、彼の手がつぐみの手首を掴んだ。
躊躇う事を見透かされていたのだ。
けれど、それを悔しいと思う前に引っ張り上げられる。
次郎丸の腕ほど強くもなく、かといって弱いわけでもない、絶妙の力加減。
次郎丸の大きな手には、時々、力考えて!と言いたくなるのだが、六車は違った。
ちゃんと、こちらの事を考えた力加減だった。
細身な六車に、逞しさなんて感じた事は一度もなかった。
掴まれたままの手首。
軽く指が回ってしまう大きな掌を、初めて意識した。
一点を凝視したように動かないつぐみに気づいた六車が、手首を一瞬解く。
「なに、大丈夫?」
「え、あ、うん」
つぐみの返事を待って、六車が今度は指先を捕まえにきた。
爪の先をなぞるぬくもりに、肩が震える。
「描きたくなった時に、指がかじかんでると困るだろ」
「・・・いつもこんな体温高いの?」
裏口のドアに鍵を挿し込む六車の背中に問いかける。
何度か手を繋いだ事はあったけれど、それは殆ど室内でだった。
仕事が立て込んでいたせいで、カフェデートがメインだったのが主な理由だ。
それも、決まって互いの手が止まって休憩中の僅かな時間。
アイデア探しに雑誌や写真集を開いている時、ふざけて六車が繋いでくる事が殆どだった。
「・・・さあ、どうだろ。確かめてみれば?」
ドアを引き開けた六車の向こうから、冷えた空気に混ざってコンクリートと、ペンキの匂いが漂ってくる。
今まさに制作段階のお城の匂いだ。
「え、どうやって?」
彼の普段の体温なんて分からない。
疑問を投げかけたつぐみに、六車が無言で笑いかける。
そこに含まれる意味を測れるほど、彼の事を知っているわけではない。
もどかしさと同時に募るのは探求心。
こんなに誰かに興味を持つなんて、思いもしなかった。
「はい、どうぞ」
背中でドアを押さえて六車がつぐみを中に通した。
踏み入れた途端、外よりもずっと冷たい空気が身体を包み込んだ。
設置途中の作り付けの棚。
白と灰色と生成りの混ざった複雑な色合いで染められた壁。
丸電球の照らすおぼろげな光の中で見る、生まれたてのお城は、初日の出以上の絶景に見えた。
「見えにくいから、足元気を付けて。
あと、壁際に積んであるのはペンキ類だから、触んないで」
「分かってる。こうして見ると思ってたよりずっと広いね。壁の色合いのせい?」
「前に来た時はコンクリむき出しだったから。初詣の前に、店に寄りたいなんて、普通だったら呆れるとこだよ」
「呆れた?」
「らしいな、と思った」
その言葉にホッとする。
この店と、ブランドにかける熱意を、誰より理解してほしいのは目の前の彼なのだから。
「最初は、ひとりで来ようと思ったんだけど・・」
工事途中の店に来て、つぐみが出来る仕事は何もない。
でも、年が明けて一番初めに行きたい場所は、此処だった。
新しい一年は、絶対この場所から始めたいと思った。
「結果的に俺を誘って良かっただろ?締め出し食らう事もなかったし」
年末休暇が始まってすぐに、初詣の話題が出た。
人で押し合う元旦に、混雑覚悟で初詣に行くのは気が進まないと言ったつぐみに、六車が設計事務所の傍にある、小さな神社に初詣に行こうと切り出した。
晴れ予報を信じて、最寄駅から散歩がてら歩くのも悪くない、と話し合った。
その前に、どうしても行きたい所がある、と言い出すのは物凄く勇気が要った。
『じゃあ、待ち合わせは駅前でいい?』
『うん・・あの、六車くん!』
『なに?っていうか、なまえ』
『あ、うん、あのね』
『あのね、じゃなくて』
『・・・反射で呼んじゃったんだから、聞き流してよ』
『反射で苗字が出てくるようじゃ、困るんだけど』
『わかったから、次から気をつけるから、聞いてよ』
『そんな大事な話なら、尚更ちゃんと呼んで貰わないと困るんですけど?』
『・・・い、壱成。ちゃんと、話聞いて』
『うん、いいよ。つぐみ。ちゃんと聞く』
本題を切り出す前に、とてつもないパワーとHPを削られた。
それでも何とか、店舗を見に行きたいと言い出す事が出来た。
危うく締め出しを食らう所だった事は置いておいて、やっぱりここに六車と一緒に来られて良かった。
このお城は、絶対に一人では作り上げる事が出来なかったから。
薄明りの中、部屋の隅に置かれた完成図を広げて、六車が伺う様な視線を寄越した。
「どう?理想に近づいてる?」
「うん、早くこの店の棚いっぱいに、新しい靴を飾りたい」
女の子を幸せな未来に導く靴を。
壁に設置されたディスプレイの中で、新たな持ち主を待つ靴たちを思い浮かべて、つぐみは大きく息を吐いた。
つぐみが生みだした靴を手に取って、笑顔を浮かべる女性たちを早く見たい。
靴は履き手を得られて初めてその価値が満たされるのだ。
飾られたままの華奢なガラスの靴じゃなく、一緒に歩ける、簡単に壊れたりしないガラスの靴。
つぐみが届けたいのは、強くてしなやかな女性らしい靴だ。
いつもは俯きがちな視線が、ここ来ると自然と上を向く。
誇らしげに胸を張れる。
数少ない大切な場所だ。
胸を張ってグラデーションの鮮やかな壁を見つめるつぐみに、六車が小さく告げた。
「ここは、つぐみの城になるから、入り浸りたくなるだろうけど、カフェにもちゃんと顔を出す様に」
「・・・淋しくなるから?」
降って沸いた悪戯心で切り返す。
途端、六車が目を丸くした。
すぐに逸らして早口で言い返してくる。
「津金さんたちがね」
「・・・余所様のお城に入り浸るのは申し訳ない気がするんだけど」
これは本心だ。
つぐみにとってこのお店は、不可侵領域に等しい。
部外者完全立ち入り禁止。
つぐみだけの特別な空間だ。
同じように、placideは六車と津金夫妻のお城だと思っている。
「それ、本気で言ってんの?」
いつになく真剣な表情で六車が尋ね返した。
「・・・あのお店、すごく大事でしょ?」
六車があの店で見せる、プライベート用の柔らかい表情を見ていれば分かる。
「大事だし、とくにロフト席は、一生特別な場所だと思う」
手にしていた完成図を丁寧に畳んで棚に戻した六車が、足早につぐみの隣にやってきた。
「ちなみに俺、あのロフト席に、あんた以外誰も連れ込んだ事ないよ?」
連れ込んだという表現はいかがなものか?
頭に疑問が浮かぶと同時に、無意識に一歩身体を引いたのは防衛本能が働いたせいだ。
途端、顰め面になった六車がつぐみの身体を抱きしめた。
「これ以上は言わなくてもわかるでしょ?」
目を閉じるように促す声音に逆らえるはずもない。
閉じた瞼に、優しいキスが降ってきた。
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