第17話 vanilla ~next~

舌のうえで蕩ける冷たくて甘いバニラの感触に、自然と頬が緩む。


イメージを起こすのは、見た目よりずっとハードな作業だ。


頭にある絵を、紙の上に完璧に描き出せるのは、何千分の一の確率だとつぐみは思っている。


だからこそ、自分の中にしかないイメージに少しでも近づけようと、線を色を重ねる。


自分の脳内がどんな風に動いているのか分からないけれど、漠然としたイメージでいうなら、デザイン中の頭の中は、パン工場だ。


練った生地が次々に焼き上がっていく。


その作業をどこかで留める事は出来ない。


準備したタネが無くなるまではフル稼働のパン工場。


そのパン工場が一時休憩に入ったところで、ようやく頭も切り替わった。


作業をしながら甘いモノを摘まむのはしょっちゅうだ。


糖分補給しないと、アイデアが枯れるような気さえしてしまう。


せっせとアイスを掬っていると、突然膝の上のブランケットが外された。


隣に陣取る男の手によって。


「な、なに!?」


膝丈のワンピースはつぐみにとってまさに挑戦、だ。


足を出すのは未だに抵抗がある。


さして細くもない白いだけの足を出すのは、お目汚し以外の何物でもないと思ってしまうのだ。


それでも着てみようと思ったのは、思ってしまったのは・・・


やっぱり隣にいる男のせいだ。


遠慮のかけらもない所作で剥ぎ取ったブランケットを適当に丸めて、ソファの端に追いやると、六車は視線をつぐみの足に下ろした。


「隠さないでよ、ちょっと位見たっていいだろ」


「は!?なんでよ!」


「なんで・・って、あのさ、それを訊くの?今?いいけど?」


真剣な顔で詰め寄ってくる六車。


彼から漂うどことなく不穏な空気に、思わずつぐみはソファの端まで避難しそうになる。


けれど、明らかに逃げています、という姿勢を見せるのもなんだか悔しくして、ぐっと足を踏ん張る。


どうしてだかいつも六車を前にすると、恋情よりも挑む気持ちのほうが強くなってしまうから不思議だ。


世の中のカップルはもっと甘ったるい空気を醸し出している筈なのに。


「だ、だって、見られると落ち着かないし、わざわざ宣言してから見るのってどうなの!?」


「え、なんで横目で遠慮がちに見なきゃなんないわけ?俺あんたのなんだっけ?」


おそれ多くも彼氏様です。


ちょいちょい六車が繰り出すこの手の質問に、うまく切り返す術が全く見つからない。


彼氏だけどなにか?と言い返せたらどんなにいいか。


言えないんだよ!!


だって恥ずかしさのほうが勝るんだもん!


自分でもびっくりするけど!!


女子か!!


・・・うん。意外とオンナノコでした、あたしも。


「・・・そういう問題!?」


苦し紛れの言い訳を口にしたつぐみの肩に手をおいて、じりじりと六車が詰め寄ってくる。


膝がぶつかる距離になると、どれだけ平静を装っても心臓が撥ねた。


これ以上近づかないで!


彼氏に口にするセリフではない言葉が浮かんで、自分がいやになる。


「そういう問題だよ。俺以外の誰にこの足見せるつもりなの?」


「な、なんで怒ってんの!?」


「怒ってないよ、別に」


「いや、すんごい怒ってるから!ビシビシ伝わって来るから!」


いったいどこが地雷なのか全く分からない。


だっていきなりブランケット剥いだのはそっちだし!


むしろ返せと怒りたい位だ。


「じゃあ怒ってる事にしておく。そのかわり、全力でつぐみさんが機嫌取ってくれるんだよね?」


途端嬉しそうな顔になった六車が、つぐみの二の腕をするりと撫でた。


顔色一つ変えずに触れるこの手が恨めしい。


「っはい!?」


「俺の機嫌、どうやったら直ると思う?」


「知らないわよそんなの!」


「そこで投げないで、考えてよ」


「か、考えてったって・・」


「休憩中位は、俺の事考えたってバチ当たんないと思うけど」


「・・・ちょ・・ワーホリ気味なのは認めるけどっ、いつでも仕事一辺倒ってわけじゃ・・・あたしだってそれなりに色々この状況を・・・」


思わず口にした言い訳に、六車がにやりと唇を歪めた。


言質取った、とその顔に書いてある。


「へー・・・それなりに色々俺の事も考えてたんだ?」


「いや、べつに・・そういう訳でも・・」


有無を言わさず渡されたカップのバニラアイスは、つぐみの掌の熱ですっかり溶けてしまっている。


とろんとクリーム状になったそれをぐるぐるかき混ぜながら、次の言葉を必死に考える。


「そうやって黙り込むのやめた方がいいよ?図星さされてるってすぐ分かるから。俺としては助かるけど」


助言だか嫌味だか分からないセリフに、つぐみはキっと六車を振り仰いだ。


睨み付ける視線の先、六車が目を細めて微笑む。


「なに、言いたい事思いついた?」


どうせ何言ってもすぐ言い返す癖に!


もう言葉で勝とうだなんて、考えるだけ無駄だ。


だって明らかにこの空間の主導権は六車が持っている。


だったら、言葉以外の方法で攻撃を加えなくてはならない。


そう、攻撃は最大の防御だ。


これ以上深手を負う訳にはいかない。


二の腕を撫でた六車の掌が、つぐみの膝の上に移動する。


素足に感じた六車の熱が、驚く位熱くて、眩暈がした。


「っ!」


次の瞬間、つぐみは手にしていたスプーンを六車の口に押し付けた。



「え?」


「た、たべて!食べなさい!」


クリーム状になったアイスが僅かに載ったそれをちらりと見た六車が、素直に口を開けてスプーンを迎え入れる。


「なに、俺も同じの食べただろ?」


呟いた六車が、膝の上の掌はそのままで、つぐみの唇に軽くキスを落とす。


「・・っ!」


取り落としそうになったアイスのカップを掴んだのは、ひとり冷静な六車の片手。


真っ赤になって狼狽えるつぐみの耳たぶに、おまけのキスを落として囁く。


「動揺しすぎ」


「だ・・って」


相変わらず熱い指先が、膝頭をくるくるとなぞる。


「なんで泣きそうになってんの」


「もお。やだ・・・あたし死ぬ」


空になった両手で頬を包み込む。


六車の掌と同じくらい熱い。


息苦しさは残るのに、唇がどうしようもなく甘い。


「これ位で死なれたら困るよ」


俯いたつぐみの指先を掴んで、六車がもう一度唇を重ねる。


「・・六車くん・・・指、あっつい」


事実を指摘しただけなのに、意外にも六車が黙り込んだ。


つぐみの顔を見つめて、視線を逸らして、溜息を吐く。


「・・・あのさ、俺、すんごい急いで来たんだけど」


「・・へ?」


「あんたから連絡来たの、初めてだったから・・・」


「え・・あの」


呼び出したつもりは無かった。


ただ、この店は、何となくふたりの定位置みたいになっていて、ふと手を止めたタイミングで見つめた景色に、六車がいない事に違和感を覚えた。


見上げた夜空に見えた月が綺麗で、彼が作ったこの店から見える景色が、ダントツで綺麗だと、素直に伝えたくなった。


会いたくなかった、ことなんて、ない。


「なんで急いで来たのかは、言わなくてもわかるよね」


「・・わ・・かる・・から」


「・・・会いたかった」


「・・うん」


「のに、来たらあんたはスケブに向かってるし、綺麗な足には触れないし」


六車が平然と言いながらつぐみが熱いと訴えた掌で脹脛を撫でた。


だからなんでそんな遠慮なしなの!?


まるで自分の一部みたいにするすると感触を確かめる指先。


どうせちょっとしか見えないし、と特に何をするでもなく晒しっぱなしの素足なのだ。


今頃になって、痣とか傷が気になってくる。


「触んなくていいと思う!」


こっちの心臓が持たなくなるので、全力で遠慮して頂きたい。


渾身の力を込めて言い返したつぐみに、呆れた顔を向けた六車が、つぐみの左足の膝裏を掬った。


「まだそういうこと言うの?いいでしょ、俺しか触んない訳だし。気に入ってるんだから」


「なに!?」


持ち上げられた太ももが、隣にいる六車の膝の上に降ろされる。


その分捲れたワンピースの裾を押さえて、つぐみが目を剥いた。


気に入ってるって、なにそれ、どういうこと!?


「俺がミニスカート履いてって言っても嫌がるんでしょ、どうせ」


「そうですけど!?」


そこは何が何でも拒否する、命がけで。


こくこく頷くつぐみに、六車がほらね、と肩を竦めた。


「だから、こうやって触れるうちに触っとかないと」


「ちょ、ちょっと・・なに、足フェチなの!?」


「え・・そうなるの?あんまり女の人の足には目が行かないんだけどな・・・でも、この脚はすっげ気になる」


ピアノでも弾く様に指を動かして、弾力を確かめた六車が、幸せそうに微笑む。


固まって動けないつぐみを余所に、太ももの裏側までするりと撫でてみせた。


「む、六車くんっ!」


「今日は片足で我慢するから」


「それで我慢なの!?」


「両足触らせてくれる?」


両足、ということは、つまり、殆ど六車の膝の上に横座りすることになる。


無理、絶対無理。


即座にブンブン首を振ったつぐみが、藁にも縋る思いで訴える。


「勘弁して下さいっ!」


ふっと柔らかく笑った六車が、つぐみの耳たぶを軽く引っ張った。


「俺の事壱成って名前で呼ぶなら、いいよ」


「が、頑張って・・・よ、呼ぶけど・・・」


「うん、頑張って」


「なら、あたしの事もあんたって呼ぶのやめてよね」


眉根を寄せたつぐみの耳元で、六車が楽しそうに囁く。


「分かったよ、つぐみ」


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