番外編 これ以降は時系列バラバラなので、どっからでもOKです

第16話 vanilla

仕事が終わると、後片付けもそこそこに机周りの荷物を纏めてカバンに突っ込んで、六車は急いで仕事場を出た。


こういう時、駅徒歩20分の立地は辛い。


この時間は車道を通る車もまばらで、タクシーなんか拾えるはずもなく。


迷うことなく駅まで走る事にする。


ここまで人を急かすなんて、なに考えてんだろあの女。


呼び出されたわけでもないのに、一人時刻表と睨めっこしながら最短到着時間を読んでいる自分に半ば呆れる。


居所は分かってるわけだし、逃げるはずがないことも分かってる。


もうお互いの家だって知ってるし(入った事はないけど)焦る事もない。


んだけど。


今まで一度も自分から呼び出した事のない彼女が、今日に限っていきなりメッセージを送ってきた。


それも就業時刻の18時を待って。


”ロフト席の窓際から綺麗に月が見えるのって計算?”


設計者への唐突過ぎる質問。


”なんで”


疑問をそのままぶつけながら、睨めっこしていたパソコンから視線を逸らして、ブラインドで覆われた窓の向こうへと顔を向ける。


白いブラインドからわずかに覗くのは、すっかり陽が落ちた紺と黒に塗り固められた世界。


物凄く寒そうな景色だ。


何となく気になって、ブラインドの隙間を広げて夜空を見上げる。


ほんのり白い三日月が浮かんでいた。


生真面目で融通が利かなくて不器用で可愛げも無くて自虐的で、その癖自分の仕事に誰より愛情と誇りを持っている。


一言でいうならば物凄く面倒くさい女だ。


でも、いつも人目を避ける様に斜め下に向けられていた視線が、こちらを見止めるさまを間近で見てしまったらもう駄目だった。


彼女の目には、この夜空はどんな風に映るんだろう。


渇いた風と、澄んだ空気と、深い夜空の様子を、彼女はどんな色と形で表現するんだろう。


居所は今のメッセージで特定できた。


今日は外出してそのまま直帰に違いない。


あの店の、特等席に、つぐみはいる。


”気になったから”


もうちょっと上手い誘い文句を使えばいいのに。


いや、でも素直に今日会いたいんだけど、とか言われるほうがよっぽどビビる。


よほど行き詰ったのか、もしくは、よほどいい仕事が出来たのか。


どちらにしろ恋愛がらみの呼び出しでない事は必須だ。


そういう期待は付き合い始めてからこの2週間で、綺麗に消えた。


良く言えばワーカホリック。


起きて寝るまでつぐみの頭を支配するのは、春にオープンする新店舗と、愛すべき新ブランドの靴の事だけ。


その隙間に割って入るつもりで告白したわけだが、付き合ってるのかどうかすら微妙なラインにある。


というのも、まともに時間が取れていないせいだ。


年始早々から始まる仕事に向けての準備と、抱えている仕事の進捗のせいで、休日はほぼ潰れた。


悲しいかな有難い事に、つぐみは六車の仕事に物凄く理解を示した。


こんな事死んでも言いたかないけど、俺より俺の仕事のほうが好きなんじゃないの?


だって明らかに仕事の話をしている時の方が興味津々だし。


クリエイターと呼ばれる部類の仕事をしている人間なので、そういう自分以外の才能や技術に惹かれるのはわかる、すごく。


それで、それで、と話をせがまれるのは悪い気はしないからいいっちゃいいけど・・


ああそうだ、物足りなかったのだ。


此処の所会うのはいつもお決まりの席で、受験勉強中のカップルよろしく、スケッチブックと資料とタブレットと図面を広げてほぼ無言で過ごしてばかりいた。


集中力が途切れるタイミングというのは、人それぞれで、ちょっと息抜きに話しかけたい時に、相手が絶賛制作中ということもままある。


それでも空間が成り立つのは、ある意味相性がいいからなんだろう。


これまで付き合ったどの彼女よりも気楽でやりやすい。


機嫌を取る必要もなければ、ペースを乱される事もない。


いうなれば、広い空間の共同使用者だ。


同居人とまではいかない微妙な距離感。


相手が相手なだけに、これまでの経験則で動けない。


だから今もこうして、一心不乱に走るしかない。


どうせ息せき切らして駆けつけたところで、えらく早かったね、位しか思わないんだろうけど。


それでも会いたいと思ってしまったら、もうこっちの負けだ。


恋愛で悔しいなんて、一度も感じた事無かったのに。


駆け下りたホームに滑り込んできた各駅停車に飛び乗って、時計を見る。


予定していた電車よりも1本早いのに間に合っていた。


無意識とはいえ、自分の行動が・・・怖い。


ここまで振り回してくれたんだから、全力で責任を取らせることにしよう。


身勝手な結論に納得して視線を上げる。


乗車口の窓越しにも、綺麗な月が見えた。


「えらく急いで来たね、どうしたの?」


肩で息をする六車に、津金が水いるかい?と心配そうな顔を向けた。


「あ、いや大丈夫。それより、まだ帰ってないよね?」


階段の上を指差した六車に、奥から出てきたすみれが満面の笑みで頷いた。


「それで飛んできたのねー」


もう定番となったからかい文句は今日も無視だ。


「何時から来てた?」


「5時半くらいかな、久しぶりに街で人の足ばっかり見てきたって笑ってたよ。さっきリゾット運んだら無反応だったから」


「ああ、たぶん今日の月見てスイッチ入ったんだと思う」


ここに向かいながら何度も見た。


薄雲を纏ってふわふわとどこか夢見心地で彷徨う三日月。


彼女の描く世界を嫌というほど見て来たから分かる。


物凄く好みの月だ。


「食べる頃に冷めてたら声かけてね、温め直すよ」


津金の言葉にぺこりと頭を下げる。


こういう対応をしてくれるのが顔なじみの良いところだ。


つくづくいい顧客を持ったと思う。


「いつもすみません」


「手のかかる彼女ほど可愛いもんよねーぇ」


すみれの言葉を今度はスルーせず、笑って見せる。


「だったらいいんだけど」


これは本音だ。


もう少し可愛ければ言う事ないのに。


「ああやだうふふーそんなこと言ってていいのぉ?今日は可愛いじゃなくて綺麗って言葉のほうが似合うわよー」


意味深なすみれの発言に、津金がコラと顔を顰める。


可愛いより綺麗、というのは、つまりいつもの薄化粧じゃないということか。


外仕事用に作り込んだというなら納得できる。


こういう時の為にチークとアイシャドウは取ってある、と意味不明の迷言を繰り出していた位だし。


馴染んだ木の階段を上がりながらオーダーを入れる。


「津金さん、俺いつものやつにコールスローとミネストローネも付けて」


「あれ、昼飯抜きかい?」


「打ち合わせ重なって時間取れなくて」


「そりゃ災難だったね、すぐ用意するよ」


「お願いします」


ごゆっくり、とすみれの能天気に明るい声に見送られてロフト席に上がる。


いつからかテーブル席が作業台、ソファ席が休憩所という図式が出来上がってしまっていた。


階段に背を向けて愛用のスケッチブックに向かう背中が見えてホッとする。


ホッとした自分に呆れそうになって、六車はテーブルの上に視線を戻した。


クリスマスプレゼントに、と彼女に送った色鉛筆だ。


シュシュで纏められた色鉛筆の束。


そこから抜き取られた数本が、スケッチブックを囲む様に転がっている。


動きを止めない手を見ると、鋭意制作中のようだ。


元より声をかけるつもりはなかったので無言のままで通り過ぎて、奥のソファ席に荷物を下ろす。


続いてアンティークのソファに腰かけると、一気に身体の力が抜けた。


そういや結構必死に走って来たんだった。


思い出した途端疲労感が押し寄せてくる。


背もたれに身体を預けて深く沈み込む。


板壁の上に作られた小さな天窓を見上げた。


なるほど、綺麗に月が見える。


これがきっかけで彼女のアイデアが生まれたのだとしたら、素直に嬉しい。


ある種の共同作業のようなものだ。


インスピレーションを刺激し合えるなんて、こういう職種ならではの感覚だし。


大きく伸びをして、六車はもう一度視線をつぐみに戻した。


丸まった肩と、前のめりになってスケッチブックに向かう真剣な眼差し。


六車が知る一番ニュートラルな状態の八月一日つぐみだ。


そんな彼女の様子を眺めて、ふと視線を足元に向ける。


白い膝とグレーのロングブーツが見えた。


ふーん、ブーツなんて珍しい・・・!?


「脚!?」


思わず声が出た。


「ひゃあ!何!?」


六車の大声に驚いたつぐみが、色鉛筆を投げ出す。


「え、何、脚出して来たのあんた」


「脚出してってちょっと!その言い方やめなさいよね!いつ来たの」


やっぱり気づいていなかった。


「今だよ。それよりその服どーなってんの?立ってよ」


つかつか歩いてつぐみの腕を掴むと、遠慮なく引っ張る。


「どうってどうもなってないから!」


仕方なく立ち上がることになったつぐみが膝上5センチのニットワンピの裾を必死に引っ張った。


「ちょっと!見ないでお金取るわよ!」


「いいよ、ツケにして」


必死の抵抗であろう一言を綺麗に打ち返して、六車が笑う。


確かにこれは綺麗なお姉さんだ。


「どうせなら払い切れない位の利子つけてよ」


一気に形勢逆転した六車の強気な姿勢に、つぐみが唇を噛み締める。


「それ見せたくて呼んだんでしょ?」


「・・・何勘違いしてんのよっ」


「会って説明してってことじゃないの?」


「・・勝手にそう思ってれば」


赤くなったつぐみが顔を背けた。




黙り込んだ横顔が意外な位子供っぽくて、それはもう遠慮なく不満をあらわにしてくれたので、なぜだか勝ち誇ったような気になる。


多分、いつもつぐみが武装して覆い隠してる素の部分が少しずつ垣間見えるのが楽しいんだ。


そんな簡単に懐柔できる女なら、もっと早くどうにかなっている。


気まずさを振り切るように彼女が掴んだ色鉛筆は藍色。


夜空を切り取った色だ。


真冬の冷たい空気と空虚感を、どんな風に取り込んで、どんな風に吐き出すかまじかで確かめたくなる。


「さっきの天窓の話だけど」


「あ、うん」


「店の裏手に植樹してんの。それがいずれは育って、晴れた日には木陰が出来る予定。夜空が綺麗に見えるのは今だけだよ」


「そうなんだ!なら尚更貴重ね」


「ここに座って、天井見上げる人がいるとは思わなかったな」


ロフト席の上にだけ僅かに造った天窓だから、殆どの人は気づかないはずだった。


最初にこの店の設計を任された時、初期段階の打ち合わせで津金と、秘密基地が欲しかったという話で盛り上がった。


ふらっと立ち寄りたくなる居心地の良い店に、自分だけの秘密基地があったら楽しいだろうなと思って、中二階のロフトを提案した。


裏通りにある為、採光目的で大きなガラス窓をいくつも使用したため、店内が明るい反面、外から丸見えになってしまう。


スタッフ的には気の抜けない場面のほうがずっと多い。


その点視界を遮る事の出来るロフトは便利だ。


店が準備中の時には津金夫妻の休憩スペースにもなるし、BGMも遠くなる空間は、特別感に溢れていた。


設計通りの完璧な仕上がりに満足しているし、趣味の良い津金が揃えた家具も、その配置も気に入っている。


秘密基地だから、六車くんが来るときは優先させて貰うよと言われた時には素直に嬉しかった。


だから、まさかこの場所を誰かと共有することになるなんて、夢にも思わなかった。


ここに座る事の特別さを少しも気づいていないつぐみが、つるんとした滑らかな楕円を塗りつぶしながら、ぽつりと呟く。


「居心地いいと伸びとかしたくなるでしょ」


「・・・ふーん。あのさ、津金さんが結構前にリゾット運んできたの気づいてた?」


「え、知らない!・・ほんとだ・・」


集中すると外部の音を綺麗に遮断するつぐみの性質はよく理解している。


しまったと顔を顰める彼女に、いいよと六車が答えた。


「代わりに謝っといた」


「ありがと」


「・・ここ以外でもそうやって素直でいなよ」


「うるっさいわねっ。リゾット食べる!六車くんは?」


「下で頼んできた。いいよ、先食って。ねえ、これ見てもいい?」


「どうぞー。わー今日もおいしそう」


ソファ席に向かうつぐみを振り返る。


白くて滑らかな膝裏と太ももが僅かに覗いて食い入るように見つめる。


勇気の出しどころは間違ってない、ここに着て来た事も。


ブーツから覗く脹脛に触れたくなったけれど思いとどまる。


白くて柔らかい。


ああ、さっき見上げた月と似てるのか。


綺麗な曲線と優しい色味が。


綺麗に膝を揃えて座ったつぐみが、用意されていた膝掛けで足元を綺麗に隠す。


「それ邪魔なんだけど」


「え、なにが」


「脚、見えない」


「見なくていいわよ!」


「他のとこで見せびらかしたら許さないから」


「馬鹿な事言わないでよね。いただきまーす」


六車を無視して、つぐみがリゾットにスプーンを挿し込んだ所で津金が食事を手に上がってきた。


「あ、今から食べるの?冷めてたら温めるけど」


「さっきはすいません。十分あったかいんで大丈夫です」


「そう、なら良かった。六車くんほら、スペシャルセット」


定番のバーガーとポテトの他にサラダと大きなカップにスープまで付いている。


豪華なメニューにつぐみが目を丸くする。


「こんな食べれるの?」


「昼抜きだったから、頂きます」


受け取ったトレーを手につぐみの隣に腰を下ろした六車が、さっそくバーガーに噛り付く。


「時間取れなくても何か口にした方が良いわよ。集中力切れるし」


「それは分かる」


ふたりのやり取りを黙って見ていた津金が、手にしていた袋を開いて見せた。


「で、こっちは特別に。すみれがさっきコンビニでアイス沢山買って来たから、お裾分け。どれがいい?」


「え、いいんですか?わーいっぱい・・どれにしよう・・」


チョコ、バニラ、ストロベリー、カフェオレ。


カップアイスを見つめて悩むつぐみの隣で、六車が即答した。


「バニラ」


「はい、定番だね」


津金がカップアイスを六車に手渡す。


あまりの即決ぷりにつぐみが驚いた顔を見せた。


「なに、バニラ好きなの?」


つぐみの足元に視線を移して六車が呟く。


「今好きになった」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る