第14話 羨望と感情

完全に走り出したサクヤシリーズの制作。


モチーフをスタッフに発表する前に、次郎丸に初めて自分から希望を出して、ノベルティ制作も任せて貰う事にした。


これまでの店舗では、クラウンモチーフのハンドタオルがノベルティとして配られてきた。


貰って困る人はいないし、コストもかからない。


けれど、今回はどうしても最初に思いついたストラップを押し通したかった。


価格交渉は苦手だし、不安はまだまだあるけれど、やりたい気持ちのほうが今は勝っている。


珍しく”怖い”より先に”期待”が胸を占めるのだ。


サクヤが生まれてから、不思議と視線を下げる事が少なくなった。


「やらせてください!」


何が何でも説得するつもりで、次郎丸に頭を下げる。


ストラップ作成を依頼するとなると、制作会社から探さなくてはならない。


手間も時間もさらにかかる。


でも、紙の上にしかないあのストラップを、どうしても形にしたかった。


「つぐみの頑固病が出たなー」


「頑固でいいです、ストラップ案通して貰えるなら!」


もう一度頭を下げる。


一度で次郎丸が頷くとは思えないので、この後にもいくつか説得材料を準備していた。


丸腰で打ち取れるような安い相手だと思った事は一度も無い。


「俺が駄目だっつってもやるんだろうが。中島と六車まで引っ張り込みやがって」


「え!知ってたんですか!?」


ストラップのノベルティを思い付いた時点で、まずぶち当たったのが、委託会社の選定だ。


放心状態のつぐみの手から、描き上がったスケッチブックを取り上げた六車が、ストラップの絵に気づいて、作りたいのかと尋ねてきた。


ノベルティにしたいが、その先の工程が全く分からないと零したつぐみに、六車が取引先の制作会社を紹介すると言ってくれた。


大まかな制作日程について問い合わせをして、次郎丸の説得に費やせる日数を割り出す。


次に取り掛かったのが費用の問題だ。


ここはプロに相談するのが一番手っ取り早い。


遠慮なく中島に甘える事にした。


商品を作ることにかけてはプロだという自覚があるが、交渉事にはめっきり弱い。


費用交渉の際には、中島に同行して貰えるように頼み込んだ。


中島は、つぐみの話をきちんと聞いたうえで、ふたつ返事で頷いてくれた。


後は自分の仕事だと意気込んで社長室に駆け込んだが、先手を打たれていたらしい。


「六車の口利きと、中島の価格交渉取り付けて来といて、やるななんて言えるか!いいよ、やれよ!お前が初めて自分から言い出した企画なんだからな、好きにやってみろ」


「ありがとうございます!」


「ったく、俺にも相談しろよ。先に方向性だけ教えさえすりゃ、後はこっちも根回ししてやれるだろ?お前は甘えなさすぎる!そういうとこ真面目っつーか、堅いっつーか」


「すみません・・・社長はボスキャラ的な感じなんで」


きちんと順序を組み立てて、攻め落とせる確信が持てるまで動きたくはなかった。


やれる手を全部尽くして挑まなくては、次郎丸は認めてくれない気がしてしまうのだ。


「ボスキャラってなんだよ!攻略すんな!」


「いや、違いますって!こう、どっしりしてるっていうか、とにかく、中途半端なところで話はしたくなかったんです。申し訳ありませんでした。これからは、もっと早く相談します」


「大いにそうしろ。まあ、中島や六車を頼りにしたのは偉かったな。あいつら、お前が助けを求めたら全力でどうにかしてくれるだろ。人選は間違ってない」


「今回は、本当に助けられました」


「六車とは仲良くなったんだな。この間の打ち合わせも喧嘩しなかったもんな、お前ら」


「・・別に喧嘩してたわけじゃ」


「仲良きことはうつくしきかな、だ。まあいい。仕事ちゃんとすんなら、プライベートは何してもオッケーだ。俺もそろそろお前の将来が心配だったし」


「何言ってんですか、誤解ですよ!仲は良くありませんから!行きつけの店がたまたま同じで、時々仕事帰りに新店舗の相談するくらいなんで!」


「あのな、つぐみ。そういうのを、普通世間一般的には仲が良いって言うんだよ」


諭す様に言われて、違う!と慌てて首を横に振る。


最初の頃から比べたら、この二か月でそれなりに距離は縮まったかもしれない。


けれど、六車との間にあるのは、仕事仲間に対する気安さだ。


相変わらず辛口が飛んでくることもある。


そのたび、飲み込むのではなく、負けじと言い返すことも覚えた。


”負けない”と決めた志は今の所貫いている。


あの店でばったり会っても、眉根を顰めることもなくなった。


すごい進歩だと思う。




★★★★★




いつもは昼過ぎまで寝ているか、会社のデザイン室に顔を出しているかのどちらかなのに、珍しく早起きした土曜日の朝、つぐみは駅前にある本屋の特設会場に居た。


本日は大好きな作家、悸醍巧弥のサイン会だ。


さっきレジで受け取った新刊を胸に抱えて、既刊本が紹介されているテーブルを横目に、憧れの作家に会う瞬間を手汗を握りつつ待っている。


何かのアクシデントで、やむなく出勤になったとしても、絶対にサイン会だけは行かせて貰おうと決めていた。


自身初となるサイン会なのだ。


学生時代からファンを続けていた一人としては、参加しないわけにいかない。


デビュー作から読んでます。


ずっとずっとファンでした。


アリスシリーズが一番好きなんですが、奥様をモデルにされたって本当ですか?


眼鏡ウサギ派と、帽子屋ネコ派に分かれてますけど、あたしは俄然帽子屋派です、一度もブレたことがありません!


昨夜寝る前に必死に考えたセリフをぶつぶつと呟く。


不審者扱いされたらどうしようかと思ったが、友達参加の女子たちの声綺麗にかき消される。


同じ様に、緊張の面持ちで本を握りしめる女性が何人もいて、同じ気持ちよ!と叫びたくなる。


早く彼に会いたい、けれど、会いたくない。


会ったら緊張しすぎて喋る前に倒れるんじゃないかとさえ思ってしまう。


無事に会場から出てこられるだろうか。


特設会場の端にあるドアの向こうが、サイン会の会場となっており、担当編集と、先生が待っているのだ。


そこまで歩いて行けるのかさえ怪しい。


待機列からひとり、また一人、と人が出ていくたびに、心臓がばくばくと鳴る。


仕事では絶対に着ない、一番お気に入りのワンピースに久しぶりに袖を通した。


数少ないお出かけ着だ。


仕事柄、流行に敏感にはなるけれど、出荷作業を手伝う事もあるので、綺麗さよりは動きやすさを重視した服装を選びがちだ。


パンストなんて、久しぶりに履いた。


足元が心許ないと感じてしまう自分の女子力の低さに悲しくなる。


でも、今日だけは全力でお洒落をしようと思った。


何を着ても短くなるつぐみが、探し回って見つけた膝丈のふんわりしたAラインのワンピースは、白地で、裾にいくにつれて様々な色合いの花が描かれている。


ノースリーブの腕を晒す勇気はないので、シンプルな黒のカーディガンを合わせた。


室内はエアコンが効いているので、トレンチコートとストールは腕に持っておくことにする。


いつもはクローゼットで眠らせている小ぶりのお出かけバックを手に、鏡の前で何度も確認をした。


いつもより濃いめのアイメイクと、普段は塗らないチークを叩けば、一気に女っぽくなって、自分でも落ち着かなくなる。


巻いた髪はそのまま下ろすことにした。


休日は無造作に括ってしまう髪が、肩下でふわっと揺れる度、震えず頑張ろうと言い聞かせる。


だって、やっと悸醍巧弥先生に会って、サイン書いて貰えるんだから!


名前だって呼んで貰えるんだから。


不自然じゃない程度に深呼吸をしているうちに、つぐみたちのグループの順番となった。


椅子から立ち上がって、サイン会会場の入り口の近くに並ぶ。


つぐみたちの後の順番の人たちも大勢いるようで、壁沿いに並ぶと、刺さる様な視線を感じた。


男性客もいるが、7割が女性客だ。


隣に並んだ女性との身長差で、どうしても目立ってしまうのだろう。


ワンピースに合わせたお気に入りのパンプスは2センチヒールだ。


エナメルベージュの踵に黒のリボンがついていて、可愛らしいデザインになっている。


色の組み合わせもベーシックなので、売れ行きもなかなか良かった品だ。


こんな時ですら、左右に並ぶ女の子を足元をチェックしてしまうのは、もう性としかいいようがない。


左横の子は、同じ年代かな・・ショートブーツは、黒なら会社もいけるもんね・・


右隣の子は・・・学生さんと見た。アリスを意識したハイソックスと、赤と黒のチェックのスニーカー、可愛い!


回りの視線から意識を切り離そうと、必死に足元ウォッチングを続ける。


久しぶりのおでかけで嬉しくて、やり過ぎただろうか。


化粧が派手!?マスカラ塗り過ぎた?


それとも髪?巻かない方が良かった?


やっぱりワンピースが間違ったかもしれない。


もしや丈!?丁度いいと思ったけれど短い!?


もっと落ち着いた服装の方が良かった!?


年甲斐もない女とか先生に思われたらどうしよう!!


伸びるわけがないのに、今更ワンピースの裾を無意識に引っ張ってしまう。


考え得るありとあらゆるパターンを考えて頭を抱えそうになる。


と、案内役の店員が、つぐみに中へどうぞ、と告げた。



真っ白な頭で一歩足を踏み入れる。


すると、慌てたように部屋の中から制止の声がかかった。


「申し訳ありません、先生にご来客でした、暫くお待ちいただけますか?」


ここに来てまさかの待ったをかけられるとは思わなかった。


ワンピースの裾を握ったまま、こくこく頷く。


「あ、は・・はい、大丈夫です」


今、右を向けば、悸醍巧弥が腰掛けている椅子とテーブルが見えるはずだ。


けれど、そんな余裕も無い。


どうやら右手奥に、もうひとつ入り口があるようで、そこから来客が入ってきたようだった。


なんでもいいからさっさと帰って欲しい。


だめだ、あんなに考えていたのに、話す事が綺麗に飛んで行った!


予想外の出来事に気を取られたせいで、あんなに練習した言葉が何も出てこない。


「頼まれてたの、これでいいの?」


「ああ、悪かったな、助かったよ。南も仕事でさ、やっぱり愛着あるやつじゃないと滑りが悪くて」


「相変わらず自己管理出来ないね、あんた」


「面倒掛けるよ」


悪びれもせず答えた方が悸醍巧弥のようだ。


著者近影に相応しい涼やかで低い声。


本気で倒れるかもしれない。


何とか無事に彼の元に辿り着かなくては。


今になって、ワンピースの皺を気にしても仕方ないが、掌でなぞってみる。


戦闘準備を続けるつぐみが呼ばれたのは、その瞬間だった。


「あれ・・つぐみさん?」


疑問形の声は、ここ最近物凄く耳に馴染んでいた人物のもので。


反射的に声の方向を振り向いたつぐみは、悸醍巧弥を認めるよりも先に、声の主の名前を呼んでいた。


「六車くん!?」


ついいつもの仕事モードの雑な声を出してしまってから、悸醍巧弥の顔が目に入った。


しまった!


もっと可愛らしい声でしゃべるつもりだったのに。


驚いた表情のつぐみを見とめて、悸醍巧弥が六車を仰ぐ。


「なんだ、知り合いなのか」


「今一緒に仕事させて貰ってる」


六車のほうも、こんな場所で出会うとは思っていなかったようで、目を見開いている。


無理もない。


「えっと、つぐみさん・・?お待たせしました、どうぞ」


戸惑っている店員を余所に、悸醍巧弥が手招きする。


不意打ちで名前を呼ばれたつぐみが、反射的に駆け出してしまう。


「は、はいっ!」


つぐみで良かった!ほんとうによかった!


名前を呼んでくれた六車が神様に見える。


間近で見る悸醍巧弥は、著者近影の数倍容姿が整っていた。


長めの前髪から覗く切れ長の瞳が、つぐみを見つめて笑む。


「あ・・あの・・六車くんとは・・どういう」


尋ねていいものか迷ったが、こうして二人で並んでいるのだから、親しい間柄なのだろう。


六車を知らないわけでもないので、いいかと思って、勇気を出して訊いてみる。


「父親同士が昔からの友人なんです。幼馴染みたいなもんですよ・・な、壱成」


そういえば、初対面で彼のファンだと言ったら、ひどく辛口な感想が返って来たが、知り合い故の事だったのか。


話を振られた六車は、さっきからつぐみを凝視したまま動かない。


やっぱりワンピースも化粧も何もかも間違った気がしてくる。


「ああ・・うん」


上の空で答えた六車に、悸醍巧弥が小さく吹き出した。


「なんだお前、見惚れてるのか」


「え!?」


有り得ない事を言わないでほしい。


ぎょっとなったつぐみを無視して、六車が応えた。


「だって・・そーゆう格好、俺の前でしたこと無いでしょ」


当たり前だ。


こんな格好して仕事に行ったら、みんな驚くに違いない。


「いや・・だって・・いつもは仕事だから」


憧れの作家に会う為に、必死にめかしこんだ事が綺麗にばれてしまった。


使用前、使用後を見られたようで、物凄く恥ずかしい。


足は!せめて足は隠すべきだった!


さっきから六車の視線が、いつもは隠れている脹脛に突き刺さっているのをひしひしと感じた。


「今日は俺に会う為にお洒落して来てくれたんですね、嬉しいな。美人は飾るとさらに華やかになりますからね」


「せ、先生、お上手すぎます!」


出来れば録音させて頂きたい。


お世辞でも一生の家宝になる。


必死に首を振りながら答えると、悸醍巧弥がとんでもない事を口にした。


「壱成は、美人を見慣れてるから、こんな呆けること事態珍しいんですよ。自信もって大丈夫です」


「い、いえっ滅相もないですっ」


震える手でまだ一行たりとも読んでいない新刊をそっと差し出す。


節ばった手がそれを受け取ったのを見て、ふいに六車の手を思い出した。


同じ、ものづくりをする人の手。


だけれど、彼と六車の手は全然違う。


「巧弥のファンだったんだ・・言ってくれたらサインなんていくらでも頼めるのに」


「気安くそういう事言わないで!すごく特別なんだから!!」



カードのサインをするのとは違う。


そんなやすやすとサイン本を貰うなんて、とんでもない。


本気の告白めいた発言をしたつぐみにも、悸醍巧弥は鷹揚に微笑んで見せた。


「ありがとうございます。作家冥利に尽きます。壱成も、俺を上手くダシに使っていいから、頑張れよ」


「有難みがなくなるんでっ」


「気が向いたらいつでも言って下さいね。この万年筆でサイン描くとね、物書きになったんだなって実感できて楽しいんです。ほら、いまって執筆作業は全部パソコンでしょう?だから、紙に文字を書くのが嬉しくて・・」


「その万年筆を忘れて届けさせたのどこの誰だよ」


「悪かったって言ってるだろう。でも、おかげで、彼女に会えたんだから、感謝して欲しいくらいだよ」


「・・・貸しはナシにしとくよ」


言葉を濁した六車に、特に気を悪くした素振りもみせずに、悸醍巧弥が微笑む。


「お名前どうします?つぐみさんへ、でいいですか?苗字入れる事も出来ますけど」


「あ、いえ・・苗字は、将来的に変わるかもしれないので、名前だけで」


微かな希望は捨てないつもりでいるのだ、一応。


なるほど、と頷いた悸醍巧弥が、お気に入りの万年筆でサラサラとサインを綴る。


「ちなみにいつから俺の本を?」


日付を入れながら質問されて、途端、練習した文句が蘇ってきた。


「デ、デビュー作からずっと好きですっ・・アリスシリーズが一番好きで・・・っあの、奥様がアリスのモデルってお伺いしたんですけど・・本当ですか?」


「そうなんです。学生時代に妻とは知り合ったんですが、その時に生まれたのがアリスってキャラクターなんです。もう随分長い付き合いですよ、彼女とは」


穏やかな表情に甘さが加わって、幸せな様子に胸が打たれる。


「わあ・・素敵ですね!他のキャラクターたちのことも、色々とお伺いしたいです」


素直に気持ちを口にしたら、六車が来た事で席を外していた担当らしき男性が、先生そろそろ、と声をかけた。


明らかに一人の持ち時間をオーバーしている。


「俺の周りにも、愛読者はいるんですがね、どうも殆どの人間が辛口で、純粋にキャラクターが好きだと言ってくれるのは、ごく一部だけなんですよ。つぐみさんみたいに、愛着を持って下さる読者さんとの会話は、創作意欲が沸くんですよ。ぜひ、壱成と一緒に遊びに来て下さい。設定資料なんかもね、お見せできると思いますよ」


片目を瞑って見せた悸醍巧弥の笑顔に、くらりと眩暈を起こしそうになる。


そんな幸せな事があっていいのだろうか。


はい!もちろん!ぜひ!と頷きたいが、六車と一緒に、というところが気にかかる。


呼吸困難になるかもしれないし・・


ちらりと窺うような視線を向ければ、珍しく六車から視線を逸らした。


あからさますぎる反応に、こちらがどうしていいか分からなくなる。


顔を背けるくらい、化粧が濃かったのだろか。


「はいはい、案内する位、いいよ」


「だそうなので、ぜひ、前向きに検討してくださいね、つぐみさん」


止めの一発で名前を呼ばれて完全ノックアウトだ。


「は・・はい」


震える声で頷けば、ありがとうございます、という言葉と共に、サインの入った本を返された。


力の入らない指先で必死にそれを受け取って、お礼を言う。


「本当にありがとうございますっ。悸醍先生のこと・・・ずっとずっと大好きです!」


嬉しすぎて我を忘れそうになった。


人生初の告白は、衆人環視の中となったが後悔はない。


一番言いたかったのだ。


思春期真っ只中で、一気に身長が伸び始めて鬱々していた頃にネット小説として開始されたアリスシリーズの主人公アリスは、身長168センチの美少女だった。


悸醍巧弥が妻をモデルにしたと明言する位だから、きっと愛妻の容姿をそのまま活かしたのだろう。


小柄な女の子が可愛いと言われる、アイドル全盛期の時代に、身長が伸びてしまった事に悩んでいたつぐみは、アリスに物凄く憧れた。


身長の高さなんてものともせず、難事件に挑んでいく彼女の活躍は、つぐみの心を支え続けた。


アリスは、カッコイイ女の子の代表だ。


きっとつぐみにとって、一生憧れ続ける存在だ。


そんな愛すべきキャラクターを生み出してくれた、悸醍巧弥には、どれだけお礼を言っても足りない。


彼がこの世に生を受けなかったら、つぐみがアリスと出会う事は一生なかったのだから。


全力の告白を受け止めた悸醍巧弥は、ちらちらと六車の方を確認しながら、笑顔でお礼を返してくれた。


「その告白に恥じないように、これからも頑張ります」


「ずっと応援してます!」


「それで、つぐみさん」


「はい!」


「お願いと言っては何ですが、壱成と一緒に帰ってやってください」



★★★★★




憧れの作家にお願いされて、否と言える人間がいるなら、会ってみたい。


案内された彼の車に乗り込むと、座った分上に上がったワンピースの裾がやけに気になった。


ともすれば膝頭が見えそうになる。


至って一般的な丈だとは思うが、つぐみとっては挑戦の一言に尽きる。


「荷物後ろ置いてもいいよ」


「え、あ、大丈夫・・」


さっきまで悸醍巧弥が触れていた本が手元にあると思うと、手放したりなんて出来ない。


抱え直したサイン本に目をやった六車が、あっそう、と素っ気ない返事をして、エンジンをかけた。


思えば、いつも会話のきっかけは六車からだった。


そんな彼が、何も言葉を発さない。


逆にこの沈黙が怖い。


悸醍巧弥の大ファンだった事はもうばれてしまったし、気合を入れまくって浮かれた完全一人デート仕様の格好でのこのこ出かけたところまで知られてしまっている。


もう、どうしようもない。


この後のつぐみに出来る事と言えば、ひとつだけ。


「お願い!」


「・・なに」


運転する六車の方に向き直って、両手を合わせる。


「あたしがこんな格好でサイン会に出かけたって事は、会社のみんなには言わないで!」


「そんなに巧弥が好きだったんだ」


「語り出したら止まらない位にはね」


開き直って暴露してしまう。


社交辞令ではなく、悸醍巧弥がつぐみを招待してくれるというのなら、それは壱成の協力なくしてありえない。


「悸醍巧弥に会えて嬉しかった?」


「そりゃあもう、この日を励みに仕事してきたんだから」


「その服は、巧弥に会う為に選んだの?」


「・・そうだけど・・いいわよ、分かってるわよ!自分でもちょっとやり過ぎたって思ってる、認める!でも、一生に一度しかないかもしれないんだから、全力で綺麗にしていったっていいでしょ!?」


「誰も悪いなんて言ってないよ」


「言ってないけど、態度が言ってる!」


「・・どのあたりが」


溜息交じりに訊き返されて、だって・・とまるで拗ねた子供のような声が出た。


「どの・・って今日は全然あたしの顔見ない」


「見ないんじゃなくて、見れないんだよ、そこは察してよ」


早口で言われて首を傾げる。


「察してって・・なにを・・アイメイクが濃かった自覚もあるわよ」


干からびているアイライナーを必死に押し出して睫毛の隙間を全力で埋めた。


涙ぐましい努力の結果だ。


「俺だって落ち着かなくなるよ。いつも見てるあんたとまるで別人だし。しかも巧弥が好きだとか言うし、挙句告白までするし」


どうして今度は六車が拗ねた口調になっているのか。


挙げ連ねる事実に、つぐみの体温がみるみる上昇していく。


うわ、ほんとに言っちゃったんだ。


証人がいるんだから、間違いない。


「ちょっと!思い出させないでよ!生まれて初めて告白したんだから!どれだけ死にそうだったかあんたには分かんないでしょ!」


火照る頬を押さえつつ恨めし気な顔で六車を見やると、反対にジト目が返ってきた。


「たぶん、今の俺の気持ちもつぐみさんわかんないと思うよ」


「じゃあお互い様って事で、忘れようよ!今日の素敵な思い出は、あたしの胸の中にそっとしまっておくから、六車くんもそうしてよ!ね、これで円満解決でしょ!」


「・・・そのワンピースさ」


赤信号で止まった矢先に、六車がつぐみの膝を凝視して呟いた。


まさかの指摘にびくりと肩が震える。


「え、なに、やっぱり丈短い!?」


「いや、丈はいつもよりは短いけど、全然短くないから。そうじゃなくて・・お気に入りなの?」


「・・とっておきのね」


自分で言って恥ずかしくなる。


どれだけこの日に懸けて来たのか、今の一言でバレバレの筈だ。


でも、昨日の自分とは90度は違う自覚がある。


いつもは隠している足を出したことが、とくに。


「安心していいよ。ちゃんと似合ってるから。悔しいけど」


「・・あ、ありがとう・・え、悔しいの!?」


「うん」


頷いた六車が、不機嫌な声音のまま続けた。


「俺、寝てるトコ巧弥に電話で起こされていい加減空腹なんだ」


「あ、うん」


「津金さんとこ行っていい?」


「あ・・どうぞ・・」


どうして、わざわざ確認されるのか意味が分からない。


ここまで電車出来たので、最寄り駅で降ろして貰えればそれで十分だと思っていた。


そんなつぐみの表情を見た、六車が顔を顰める。


「なに他人事みたいな顔してんの、あんたも行くんだよ。そのデート仕様で、真っ直ぐ帰るなんて選択肢ないでしょ」


「え・・」


まさかそんな展開になるとは夢にも思っていなかった。


膝をくすぐるワンピースが、急に恥ずかしくなった。



★★★★★★



完全拒否権ナシで連れて来られるのは二度目だ。


前回と違うのは、時間帯と、道行く人の視線。


ぐさぐさ突き刺さる通行人の視線から逃れるように、ワンピースの裾を押さえて小走りになりながら、つぐみはのんびり歩いてついてくる六車を振り返る。


この居心地の悪さに気づけよ馬鹿!


六車は見られる事に慣れているのかもしれないが、つぐみはひたすら擬態して黒子に徹したいタイプなのだ。


目立つなら勝手に目立ってください、というのが本音である。


実際の所、視線がどこを見ているのか全く気付かない様子のつぐみに、六車が呆れた声を投げる。


「せかせかしなくても、席はあるって。さっき車出す前に、津金さんに席取っといてって頼んでるし」


運転席に座った六車が、スマホをいじっていたのはそれだったのか。


答えが分かって頷きかけたつぐみが、そうじゃないと首を振る。


「あたしが落ち着かないのよ、こんな明るい時間から、あんたみたいに目立つのと歩いてると、ほら、みんな見てるでしょ」


「うん、見てるね」


「うん、じゃなくて、あたしは嫌なの、ほら、早く来てってば」


じれったくなって六車の手を掴む。


とにかく、今は一刻も早く大通りを抜けてしまいたい。


昼時の駐車場は空きがなく、六車が仕事で車を停める時によく使うという、駅向こうの駐車場を利用することになったのだ。


おかげでさっきからつぐみは、俯きっぱなしである。


「足見られるのが、そんなに気になる?」


「足?違うでしょ、みんな六車くん見てるのよ、そりゃあ、多少は見られてるかもしれないけど」


ああ、そう思ったらやっぱり足で隠したくなってきた。


「大丈夫だよ、みんながあんたを見るのは、興味本位なんかじゃないから」


「ああ、そう、いいから早く歩いて」


どうでもいいと、適当に返して六車をせっつく。


けれど、つぐみの焦りとは裏腹に、六車はまるでこの視線を愉しむ様に、のんびりとした足取りを変えようとはしない。


「綺麗な足だから、見惚れてるの」


「・・・」


一瞬意味が分からなかった。


笑って流そうとしたけれど、六車の台詞には、どこにも茶化す空気がなかった。


真顔で受け止めてしまって、反応が遅れた。


駄目だ、どうしたらいいのか分からない。


こういう誉められ方をしたことはなかった。


「なんでそんなに驚くの・・ほら、行くよ」


止まってしまったつぐみを、今度は六車の手が引っ張る。


え、あれ・・ちょっと待って。


こんなつもりじゃなかった。


どこから空気が変わったのか自分でも分からない。


っていうか、何言ってんの。


お世辞だ、お世辞に決まっている。


気にするな、と言い聞かせても頭はさっきの台詞がリフレインしている。


つぐみが茫然としているうちに、いつの間にか店に辿り着いていた。


六車は何の躊躇もなくドアを開ける。


レジ横で待機していたかのように、すみれが笑顔を向けてきた。


「やだ!つぐみさんワンピース素敵!っていうか足!まー綺麗ねー!長くて羨ましい!ちょっと、壱成くんにサービスしすぎなんじゃないの!?」


「だって」


すみれの評価に、六車がこれみよがしな視線を向けてくる。


さっきの自分の台詞に間違いはなかったと、顔に書いてある。


どうしてそこであんたが自慢げになるのか全く分からない。


妻のはしゃぎ声を聞きつけた津金が、奥から顔を出した。


窘めるような笑顔を向けつつ、めざとく、つぐみと六車の様子を確かめる。


「すみれ、ちょっとはしゃぎすぎだよ、いらっしゃいませ。あれ・・やっぱりデートだったの?」


指摘されて、そこで繋ぎっぱなしだった手に気づいた。


慌てて六車の手を振り払う。


さっきの爆弾発言のせいで、すっ飛んでいた。


狼狽えるつぐみの横で、六車がしれっと返す。


「まあ、そんな感じで」


「へえ、良かったね。つぐみさんも綺麗なカッコしてるし・・わあ、たしかに目の保養だな・・」


まっすぐ足に向けられた視線。


居た堪れなくて、しゃがみ込みそうになる。


何かの罰ゲームですかと問いたい。


申し訳程度にカバンで隠したつぐみの前に、六車が立った。


「津金さんは見るの禁止ね、すみれさんいるでしょ」


「おいおい、そういう事言うなよ・・・口煩い男は嫌われるぞ」


「間違った事は言ってないでしょ」


きっぱり言い返した六車に、肩を竦めた津金が、上を指差した。


「お望み通り、上、空けてるよ」


「あ・・・すいません」


「メニューどうします?」


「俺はいつもので」


「分かってるよ、つぐみさんは?」


「あたしはー・・クリーム系のパスタってあります?」


洋服に沁みを作るのは避けたくて尋ねれば、サーモンのクリームパスタを勧められた。




いつも通りとはいかないのは、つぐみだけではないようだった。


津金の特製バーガー目玉焼きのせと、オニオンポテトとサラダ。


定番メニューを食べながらも、六車は言葉数が異様に少ない。


つぐみのほうも、すみれが女性向けと説明してくれた、サーモンのクリームパスタと、野菜たっぷりコンソメスープと、サラダは、文句なしに美味しいのに、きちんと味わうことが出来ない。


一度に色んなことがありすぎたのだ。


今も油断をすれば、悸醍巧弥先生の眩しい笑顔が甦る。


勢い余って告白までしてしまった。


しかも、六車と旧知の仲なんていうし。


そのうえ、六車と一緒に帰れなんてお願いまでされたのだ。


先生は一緒に帰れとは言ったけど、寄り道しろとまでは言わなかったのに。


むしろこの格好はやっぱり落ち着かないから、早く帰りたい。


なのに、どうしてか六車と一緒に馴染みの店で、テーブルを囲んでいる。


やっぱり、傍から見ても、デートだって分かる位気合入ってたのか・・・


1人で部屋に籠って着せ替えごっこをしていた時は、客観的に見る余裕なんてなかったのだ。


そりゃあ、いつもパンツかマキシ丈のスカートしか履かない女が、花柄のワンピース着てたら、デートだと思う。


六車は、サイン会の為だけにお洒落をしたつぐみに気を使って、強引にでも誘ってくれたのか。


足・・足が綺麗なのは忘れよう。


もの珍しさのほうが勝っているに違いない。


だって自分でもあまりの白さに引いたから。


年中隠して回っているせいで、日焼けとは縁のない白い肌は、それだけで人目を引く。


料理を運んできたすみれが、膝掛けを持ってきてくれたのはありがたかった。


足首まで綺麗にくるんで、ようやくいつもの自分に戻れた気がする。


ほっと息を吐くと、六車が間合いを測ったかのように口を開いた。


「巧弥の奥さん、南ちゃんって言うんだけど」


「やっぱりアリスみたいに可愛いの!?」


「可愛っていうより美人だよ。モデルばりの。学生時代は、他校にまでファンクラブがあったらしい」


「へええーすごい!そんな美人な奥様を射止めるなんて、さすが悸醍先生!」


「俺も初めて会った時は、綺麗なお姉さんてほんとにいるんだと思ってびっくりした」


「なにその素直な感想」


「思わず口開けて見惚れてて、巧弥に顎叩かれて我に返ってさ」


さっき、悸醍巧弥が六車は美人を見慣れているといったのは、そんな理由があるせいかもしれない。


でも、そうなると、さっきの六車の反応は・・・


悸醍巧弥の言葉に信憑性が出てきて、胸がざわざわする。


「そのワンピースさ、しまいこむわけ?」


とっておきのお気に入り、と言ってしまったので、答えに困る。


デートの予定なんてあるわけもなく。


また数年先までお蔵入り決定なのだ。


「わ・・わかんない」


それでもなけなしのプライドで答える。


最後視線を逸らしたのは、必死に見栄を張る自分が居た堪れなくなったからだ。


「ふーん・・・でも、つぐみさんも、あんな風に嬉しそうに笑うんだね」


「いや、だからファンだって言ったでしょ」


好きな人を前にしたら誰だってそうなる。


「六車くんのおかげで、今日はすごくいい思い出が出来ました。お世話になりました。ありがとう」


この店で二度目に会った時とは、全く違った気持ちで口に出来た。


「俺があの場に居たのは偶然だから」


「ううん、でも、あんなに話も出来たし、名前も呼んで貰えたし・・・」


ああだめだ、思い出しただけで頬が緩む。


「そんな事で喜ぶんだ」


「・・悪い!?」


「いやー・・・安上がりだなって、思っただけ」


「いいのよ、憧れる気持ちはプライスレスなんだから」


よく分からない理屈をこねて、パスタを頬張る。


良かった、さっきよりは味がする。


「あのさ・・」


急に改まって六車がつぐみに視線を向けた。


サーモンとパスタを飲み込んで、なに?と返す。


「食べ終わったらさ、いつもみたいに、絵描いてよ」


「・・どうしたの、急に」


「今日は、色鉛筆持ってきてないの?」


「だってサイン会だから」


それこそデート仕様だったので、カバンだっていつもより小さいし、ペンケースの代わりに化粧ポーチが入っている。


「紙とペン、借りて来るから」


「え・・・なんでまた・・」


「言ったでしょ、落ち着かないんだよ。何かひとつ、いつも通りの事しないと・・・自分の気持ちがわかんなくなる」


「それとあたしの絵とどういう関係が?」


疑問をそのまま口にしたけれど、答えは返ってこなかった。


「いいから描いてって言ってるんだよ」


言い逃げ同然で、階下に六車が消える。


つぐみは眉根を寄せるしかなかった。

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