第13話 擬態と運命
placideの店の前で、立ち尽くすのがもう癖になっていた。
ただ、今日は外観を見ていたわけでも、女性客の服装を見ていたわけでもない。
店内に六車がいないかを必死に探っているのだ。
金曜日の午後8時半。
仕事帰りのつぐみは、空腹の腹を抱えて、迷わず店の前に立った。
ランチタイムは終わっており、バータイムが始まっている時間帯だが、看板メニューのハンバーガーは、この時間もやっていると、先日気まずい車中で六車から聞いたのだ。
情報提供は有難いけれど、本人には会いたくない。
モチーフは未だ決まっておらず、結局週末の課題ということになった。
真っ直ぐ家に帰る事も考えたが、もう少しだけ、コーヒーを飲みながらぼーっとしていたかった。
家に帰れば、洗濯物を片付けて、部屋を掃除して、ごみの準備をして、とやる事が山積みなのだ。
おひとり様でも居心地が良いことは、先日体験済みなので、今日は仕事場に置いているスケッチブックを持ってやって来た。
これを開いて、空腹を満たしつつ絵を描こうと決めている。
が、それを実行できるかどうかは、店内の様子にかかっているのだ。
いませんように、いませんように。
祈るように唱えながらドアを開ける。
間接照明だけが照らす落ち着いた空間を懐かしいと感じてしまうのは、最初に来た時も、夜だったせいだ。
バータイムとはいっても、酒類がメインという事はなく、カフェと併用しているので、ケーキなどの軽食もある。
カップルや、一人客の他に、珍しく男子女子入り混じったグループを見つけた。
思い思いに金曜の夜を楽しんでいる様子が伝わってくる。
ぐるりと店内を確かめたつぐみは、視線を階段の奥に向けた。
このフロアに六車がいなくて、上の階にはいるかもしれない。
料理をサーブしていた津金が、奥のテーブルから戻ってくる。
「つぐみさん、いらしゃいませ」
「こんばんは。忙しそうですね」
「おかげさまで、でも、まだ席に余裕ありますから、気を使わないでください」
微笑んだ津金が、手にしたスケッチブックに目を止めて視線を階段の上に向ける。
まさか!とつぐみが肩を強張らせる。
「上、どうぞ。手元明るい方が良かったら、スタンドライトもありますよ」
「あ・・すいません」
つぐみの目的に気づいた津金の気遣いに感謝しつつ、階段を上る。
どうやら六車は来ていないらしい。
良かった、とほっと肩を撫で下ろす。
「あの、ハンバーガー・・まだお願いできます?」
「大丈夫ですよ」
「良かったぁ!どうしても食べたくって」
「気に入って頂けて嬉しいです。目玉焼き、付けときますね」
「わあ!本当ですか?嬉しい!」
またあの蕩ける黄身と肉汁とてりやきソースのハーモニーを感じる事が出来るのかと思うと、頬が緩む。
にこにこと階段を上り切ったところで、津金が笑顔のままで言った。
「すぐにお持ちしますね。そうだ、壱成くんもさっき来たところなんですよ」
「え!?」
思いの他大きな声が出た。
だってしょうがないじゃない。
そりゃないわよ、津金さん!完全な不意打ちだっ!
つぐみの声に気づいた六車が、眺めていた資料から顔を上げて、つぐみを見て目を丸くする。
「津金さん良かったね、常連さんがまた増えたみたいだ」
「おかげさまで。あ、壱成くん、棚のスタンドライト、付けてあげてくれるかな?」
「あー、はい。分かりました」
「それじゃあ、ごゆっくり」
ごゆっくりなんて出来ません!
けれど、今更帰りますとも言えません!
笑顔で階段を降りて行く津金を引き留めたい気持ちをぐっと堪えて、六車に向き直る。
「あからさまに嫌そうな顔しないでよ。座れば?それ、広げたいんでしょ」
4人掛けテーブルの向かいを陣取っている六車が、テーブルの上に積んでいる資料を端に避けた。
ここで奥のソファ席に行くのもどうかと思って、仕方なく腰を下ろす。
「・・こんばんは」
「今さら取り繕ったって無駄だから」
「なによ、人が気を使ってやってんのに!」
「そういうの、俺には必要ないから」
「あっそ、じゃあ言いたい事言わせて貰うわよ」
「うん、そうして下さい」
頷いた六車が、今日は仕事?と尋ねる。
「・・モチーフ、まだ決まってないから、宿題なの」
さっそくペンケースから色鉛筆を取り出して、ぐるりと店内を見回した。
あったかくって、いいお店よね・・・
背もたれを抱えて、横座りになって、板張りの床を見下ろす。
綺麗にワックスが塗られた床は、味のある艶を放っている。
大切に手入れされているとすぐに分かる。
テーブルを飾る写真の種類は、前回と少し変わっていて、あどけない外人の子供の笑顔や、歴史的女優のポラロイドもあった。
「それはなに、意地でもこっち見ないつもり?」
「違うけど!?」
「なら良かった」
「・・・そこまで子供じゃないわよ」
「うん、それは分かってる」
「どうだか・・そもそもあんたは、言葉が足りないと思うの。足りないっていうか、選び方が悪いって言うか・・・」
「え、待って、何の話?」
「自信を持て、とかいきなり言われたって、戸惑うに決まってるでしょ!どうせなら、中島さん見習ってもうちょっと分り易く、いい仕事してるから君自身が自信を持てばもっといいんだよ、とか言ってよ」
「え、俺最初から言ってるでしょ」
「言ってない、ぜんっぜん言ってない。敵意しか見えなかった」
「またそういう風に取る」
「これはもう性格だから、仕方ないのよ!身長の事言われるの嫌なの、どこに行っても目立つし。だから、ヒールも履きたくないの。それを、あんな言い方されたからあたしもカチンと来て」
「うん、だから、そんな些細な事で俯く必要ないって言ってるの」
「些細じゃないの、悪いけど」
話はこれで終わりだと、足を戻して椅子に座り直す。
この状態じゃ、きっとアイデアなんて降りてこない。
適当に気分転換の落書きをして、美味しいハンバーガーを味わう事に専念しよう。
気持ちを切り替えて、さっきレジに飾ってあったおもちゃのミニカーを描き始める。
「中島さんて、だれ?」
「え?」
「さっき言ったでしょ、中島さんみたいにって」
「ああ・・・うちの会社の経理お願いしてる、会計事務所の人。社長の同級生なの」
「ふーん」
素っ気なく呟いた六車が、手にしていた本をテーブルに戻した。
当たり前だが、つぐみたちの依頼した仕事だけが彼の担当ではない。
馬鹿みたいな言い合いをしていない時の六車を、何も知らない事に今更気づいた。
夜空の写真に惹かれて、身を乗り出す。
六車はすぐに次の資料に手を伸ばしたので、つぐみの視線には気づかない。
見たら、彼が何をしているのか気になってしまった。
「ねえ、そっちは仕事?」
「ああ、今度図書館の改装に携わるから、その勉強でちょっとね」
図面の本でも見ているのかと、積まれている本の背表紙を見ると、なぜか星座と神話の本が混ざっていた。
怪訝な顔になるつぐみに、六車が説明を加える。
「映画上映目的の部屋を作るらしくて、どうせなら、プラネタリウムみたいな造りにしたらどうかと思って」
「なにそれ、面白い!」
部屋の壁を暗くするなら、ついでに夜空を彩る星も加えてしまおうという発想が凄い。
目から鱗のアイデアに、つぐみがすかさず食いついた。
「星は星座で星座は神話だもんね、へー・・・」
「星座とか神話、好きなの?」
「ううん、夏の大三角が言える位。でも、興味はある、見てもいい?」
「うん、どうぞ」
理科の授業で赤点を取らないぎりぎりの星座を覚えた程度だ。
ひけらかせる程の知識も無い。
けれど、ギリシャ神話や北欧神話は面白くて、何度か資料を調べた事がある。
神様同士の争いや愛憎劇は、まるで人間のようで、逆にそれが身近に感じられて良かった。
適当に引き寄せた一冊は、東洋、西洋織り交ぜた神話の概要が説明されている本だった。
入門本としてはお勧めかもしれない。
数多いる神様の名前を覚えるのだけでも大変だ。
そう思ってみれば、外国の神話には興味を持ったけれど、日本の神話は気にした事が無かった。
天照大御神位しか知らない。
六車は、つぐみが自分の仕事に興味を示したことが意外だったようで、面白そうに眉を上げたが、それ以上何も言おうとはしなかった。
そのまま視線を本に下ろしてしまう。
つぐみたちの仕事に携わる時も、同じ様にこうして資料を揃えたりしてくれたのだろうか、と思うとなんとも言えない気持ちになった。
その気まずさを振り払うように、ページを捲る。
漢字がずらずらと連なる難しい神様の名前を指で追うだけでも一苦労だ。
大好きな作家先生の作品は、まるで水のようにするすると体に浸透していくのに。
なんとかの命と、なんとかの大王と・・と、眉根が寄りそうになっていると、文章の隣にカラーの写真が出てきた。
神様の絵姿でも映っているのかと思いきや、そこに映っていたのは桜の写真だ。
「なんで桜・・・」
神様と桜、一体どういった関係があるのかと首を傾げてしまう。
春の象徴で、日本人なら誰もが一度はご縁があったに違いない桜。
人生の節目をいつも可憐な花びらで彩ってくれた、由緒正しき花である。
答えを探そうと、写真の隣から始まる文章に視線を落とす。
その瞬間に、ピン、と来た。
木花咲耶姫。
桜の花が咲き誇るように美しい女性、という意味を持つ。
だから、この桜の写真だったのだ。
青空にハラハラと舞う薄紅の花びらの写真を見ながら、鼓動が早くなるのを抑えきれない。
「あった!!」
ぎゅっと目を閉じて、息を吸う。
やっと、出会えた!!!
見つかった答えに泣きそうになる。
でも泣いている場合ではない。
つぐみはすぐさま本を閉じて、六車の方に押し出す。
手にしていた色鉛筆を、ピンクに持ち替えた。
子供でも書ける五弁の花びら。
馴染みやすくて、女性らしさも兼ね備えた華やかなモチーフ。
間違いない。
王冠には夢を詰め込んだ。
それはもうありったけの夢を。
この桜には、憧れを詰め込もう。
手の届かない夢じゃなくて、少し、ほんの少しだけ背伸びして手を伸ばす、そんなイメージ。
なりたい、変わりたい、届きたい。
ジャンプは大きすぎるから。
ちょっと爪先に力を入れて、勇気を出して、高い位置から世界を見てみる。
変わる視界で、感じ方も変わる。
変わって欲しいと願うから。
この桜は、自分の憧れを最後まで貫く、強さと美しさの象徴。
中敷きは、桜と、花びらが入り混じったデザインにしよう。
金原が好きな淡いピンク系の色で、白と薄茶で形を作る。
むくむくと湧き上がるイメージ。
王冠と、桜。
これらを組み合わせるデザインも絶対可愛い。
新店舗オープンのノベルティで、ストラップにして貰うのはどうだろう。
小ぶりな王冠に寄り添う桜のモチーフをチェーンで繋げてみる。
間違いない、絶対気に入る。
だってこれ、あたしも欲しいもん。
思いつくだけの花びらと、桜の模様を、スケッチブックいっぱいに描いて行く。
カラフルな王冠モチーフより、女性らしさを感じさせるパステル調の色合いで揃えて、姉妹感もアピールできる。
こんなところに隠れていたのだ。
見つけて欲しいって祈りながら、つぐみが気づくのを、ずっとずっと待っていた。
会えてよかった。
これで、アメリアを、新しい場所へ連れていける。
カギは、桜。
咲き誇る、優美な花。
ぐったりするほど桜で埋め尽くしたスケッチブックを覗いて、六車が口を開いたのはそれから1時間後だった。
案の定、届いたハンバーガーはソファ席に移動させれており、つぐみに至っては、いつ運ばれてきたのかも分からないという有様だ。
「壁紙の色合い、やっぱりちょっと変えた方がよさそうだね」
つぐみが必死に描いたものが、次のシリーズのモチーフだと気づいたらしい。
「桜の絵、入れようか」
もう本当にこれで、最後の出産が終わった。
どっと押し寄せる疲労感に、色鉛筆をテーブルに投げ出して、放心状態で答える。
「・・お願いできる?」
いつになくしおらしい声のつぐみに、六車が双眸を細める。
「名前、訊いてもいい?」
「サクヤ」
神様の顔なんて知らないけれど、頭の片隅で髪の長い綺麗な女の子が微笑んでいるイメージが浮かぶ。
あなたの名前を貸してください。
つぐみの答えに、六車が満足げに頷いた。
「俺、もっといい仕事するよ」
「あたしだってそうよ」
サクヤを、もっともっと大きくしていく。
たった一足の靴で、何人の女の子の背中を押せるのかは分からない。
ガラスの靴にはなれなくても。
少しでも明るい未来に進んでほしいと思うから。
ガラスの靴の在り処まで、導くことが出来る靴になって欲しい。
今度は睨み付けるんじゃなく、ちゃんと視線を合わせられた。
多分、今の自分たちが一番フラットなのだ。
あたしが自信を持って勝負できるこの場所でなら、卑屈にならず、対等でいられる。
俯かずいられる。
六車に会いたくなかったのは、負けている気がしたからだ。
彼の仕事に相応しい仕事を、自分が出来ていない気がしていた。
でも、今は違う。
生まれたてのサクヤが、勇気をくれる。
「もう、負けない」
言ってしまえば、前回の敗北を認めることになる。
でも、それでも良かった。
それだって経験だ。
土俵は違えどこうして全力で携わってくれる人がいるのだから、それを認めなくてどうする。
挑むように言い返せば、六車が声を上げて笑った。
「これって勝負だったの?あんたのその発想はほんっと面白い」
笑い続ける六車に、初めて胸を張って言ってのける。
「もっともっといい仕事してよ。あたしはさらにその上を行くんだから」
ついでにテーブルの下で足も組んでやった。
王冠と、桜が、これからずっとあたしの味方だ。
こんなに心強いことは無い。
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