第12話 外出と疑問

王冠のモチーフは、アメリア立ち上げと同時に決まった。


さして悩む事も無く、次郎丸とつぐみの中で唯一明確だった、いつかシューズブランドのトップに立とうという夢をそのまま掲げた。


中敷きにも、シューズボックスにも、ショッピングバックにも王冠のモチーフが描かれている。


王冠には”すべての幸運を表す”という意味がある。


アメリアの靴を履いた女性が、幸せになって欲しいという願いも込められており、このモチーフを次郎丸も気に入っている。


新シリーズのモチーフは、その王冠に寄り添いつつ、少し違ったものにしたいと思っていた。


何度か次郎丸と金原とデザイナー打ち合わせを行ったが、良案が出ず、結局持越しになったままだ。


サンプル制作は順調なので、そろそろモチーフを決めなくてはならない。


1人きりのデザイン室で、日差しの差し込む窓辺に積まれている資料の山を眺めながら、つぐみは椅子の上で胡坐をかいて温くなったコーヒーを飲む。


「うーん・・」


次郎丸や金原と、モチーフデザインに使えそうな写真集や、イラスト集を集めてみたが、これといったものに出会えなかった。


先にデザインが出来上がっていた金原のサンプルは本日完成予定で、次郎丸と金原は、直接引き取りに出向いている。


シューズデザインが上がった事でプレッシャーは若干軽減された。


何も浮かばない頭を抱えて呻っていた先日の自分よりは随分ましだと思う。


今回の新シリーズに関して、最終決定権を預かっているつぐみとしては、自分の力で納得いくモチーフを見つけたい。


アメリアの新しい扉を開くモチーフと出会いたい。


馴染みやすくて、王冠と並べられるようなモチーフを。


ポーションタイプのコーヒーは、新しいもの好きの次郎丸が導入した。


こだわりのないつぐみには、インスタントとの違いなんて分からない。


けれど、津金の店”placide”(プラシード)が美味しかったことは分かる。


いつもは、金原がお昼どうしますか?と声をかけてくれるのだが、生憎不在なので、いつのまにか13時前になっていた。


そろそろ気分転換をした方がいいかもしれない。


つけっぱなしのFMラジオを止めて、席を立つ。


と、外のコンクリート階段を誰かが上ってくる足音が聞こえた。


デザイン室の前で止まった後で、声がかかる。


「つぐみちゃん、いるかな?」


ドアの向こうから聞こえてきた中島の声に、つぐみはすぐさま返事をした。


「はーい、いまーす。どうぞー!」


ゆっくりドアを開けて顔を覗かせた中島が、つぐみの姿を見つけて眼鏡の奥の目を細める。


「お疲れ様、下で今日ひとりだって聞いたから、ちょっと寄ってみたんだ」


「そうなんです。かなちゃんと社長は引き取りに向かってて・・」


「金原さん、すごく楽しみにしてたもんね」


これまではつぐみのアシスタントとして、デザインの修正などをメインにしてきた彼女に、初めて仕事を任せた。


金原なりに、試行錯誤をしながら彼女らしい可愛いデザインを生み出した。


見て下さい!と緊張と喜びに溢れた表情で、デザイン画を見せられた時の事は、昨日の事のように覚えている。


ああ、全く同じ顔で、社長に震えながらデザイン提出したっけなぁ。


数年前の自分のことが同時に甦ってくすぐったい気持ちになったものだ。


つぐみのファーストシューズのサンプルが出来上がった時も、同じ様に次郎丸が引き取りに連れて行ってくれた。


帰りしな、嬉し泣きしながら食べさせて貰ったかつ丼の味は今も忘れられない。


きっと今頃、金原も同じ体験をしているだろう。


「一生の思い出になりますよねー。帳簿チェックは終わったんですか?」


「うん、持ち帰る書類も預かったから、これから戻るんだけど。つぐみちゃん、お昼まだだろ?」


「はい。一人だと、つい時間忘れちゃって」


「俺もこれからどっかで食べてから戻るから、一緒にどうかな?」


「え、いいんですか?」


午後からも籠る予定の日には、1人なら買い置きのカップ麺か、コンビニで済ませてしまうことのほうが多い。


「一人で食っても味気ないからね、付き合ってくれると嬉しいよ」


こういうさりげない誘い文句は大人ならではだ。


つぐみに気を使わせない気遣いが行き届いている。


「あたしもお腹空いてたんです」


「お、本当?なら良かった、車で待ってるから、ゆっくり準備して」


「持ち物なんて、財布とスマホだけで十分ですよ」


笑って、テーブルの上に置いてあるスマホを掴んで、カバンに手をやると、やんわりと中島が制した。


「財布はいらないよ。スマホだけ持っておいで。俺が誘ったんだから」


「いつもすいません」


中島が引かない事は熟知しているので、素直にお礼を口にした。



「何が食べたいかな?和食なら、いつもの定食屋になっちゃうけど・・・イタリアンなら、良さそうな店見つけたんだよ」


ハンドルを握る中島が問いかける。


駅裏の古びた定食屋は、地元民には有名な老舗で、内装の汚さに目を瞑れば、最高に安くて早くて美味しい和定食が食べられると評判だ。


昼の時間帯には、サラリーマンでごった返すが、1時過ぎるとめっきり人が減って、入りやすくなる。


デートで行くには抵抗を覚えそうだが、炊き立ての白ご飯と、焼き魚と出し巻き目当てのつぐみには何の問題もない。


アメリアに入社してから、何度も中島に昼食を奢って貰ってきたが、いつも断りを入れるところが彼らしい。


どんなに時間が経っても、つぐみの事をきちんと女の子扱いしてくれる。


「安定の和食もいいですけど、イタリアンも気になりますね。どなたかと行かれたんですか?」


次郎丸曰く、中島会計事務所を利用している顧客企業の女性社員の多くが、彼のファンらしい。


すらりと伸びた長身と、次郎丸と違い、いかつさを感じさせない柔和な笑顔。


仕事は正確で丁寧で、細やかな気遣いも忘れない。


まさに理想の男性像だろう。


どうしてこんな人が、豪快さが売りの次郎丸の親友をしているのか本気で不思議になる。


次郎丸と一緒に飲みに行くときも、ふたりで食事に行くときも、話題の殆どは仕事関連の事だ。


中島の顧客で面白い人がいた、とか、商工会で話題に上がった内容などがメインで、個人的な立ち入った話はしたことがなかった。


意図的に避けていたわけではないけれど、恋愛未経験のつぐみに、提供できるネタがあるはずもなく、兄のような次郎丸たちの恋愛話を聞くのも、なんとなく気恥ずかしかった。


口をついて質問が飛び出したのは、先日祐凪と食事をしたイタリアンが美味しかったからだ。


パスタやピザ、ラザニアの中から、4品を選んで、サラダ、スープがセットになったシェアメニューは、カップルや女性客に人気だった。


色んなものを少しずつ食べられるメニューで、デザート付というのがさらにいい。


店内の内装も、女性好みのカントリー家具で揃えてあり、手書きのメニューや、椅子に添えられている可愛い手作りクッションが、乙女心をくすぐった。


男性一人で入るとは考えにくいから、誰かと一緒だったのかな、と疑問が浮かんだのだ。


「残念ながら、誰とも行った事がないんだ。上の階に入ってる会社が顧客でね、訪問した時にちょっと気になって。つぐみちゃんが一緒に行ってくれたら嬉しいなと思ったんだけど」


「わー、嬉しいです、じゃあ、イタリアンでお願いできますか?」


「了解しました。ここから少し走るけど、空腹我慢出来るかな?」


「大丈夫ですよー、空腹は最高のスパイスですからね」


「たしかに、違いないね」


穏やかに微笑んだ中島が、滑らかにハンドルを切る。


ボリュームを絞られたFMラジオから聞こえてくるのは、つぐみがいつもつけっぱなしにしている番組だ。


「いつもの和食屋に、先週ひとりで行ったら、大将が俺の事見て、いつものふたりは?って訊かれたよ」


アメリアがまだ1店舗で経営を行っていた頃は、毎日のように三人で焼き魚定食を食べに行った。


190センチ近い次郎丸を先頭に、中島とつぐみが店に入ってきたのを見た大将が、えらく大きい三人だ、とすぐに顔を覚えて、それ以来、副菜をおまけして貰えるので、迷ったら和食屋に行くのが定番になっていたのだ。


経理知識が皆無の次郎丸は、店舗管理の傍ら中島を呼びつけてはレクチャーを受けていた。


同じようにデザイナーになったばかりで、右も左も分からず悪戦苦闘の連続だったつぐみは、巨体を縮めて、難しい顔で呻る次郎丸の向かいで、根気よく説明を続ける穏和な笑顔に何度も癒されてきた。


そのせいか、こうして二人きりでいても、とくに意識することなく普段通りにしていられる。


中島は話し上手なので、必死に話題を探す必要も無い。


彼の人柄を表すように運転は丁寧だし、車内の空気も和やかだ。


「ここのとこバタバタしてたんで」


「デザイン仕上がったんだってね、煮詰まってたみたいだから心配したけど。ちゃんといいものを作り上げるところがさすがだよ、つぐみちゃん。社長様も誉めてたよ・・っていうか、あれは自慢だな。うちのつぐみはすごいだろう、って胸張ってたよ」


「自慢・・・恥ずかしいから、あたしの分も突っ込んどいてください」


「でも、ほんとにすごいと思うよ。ああいうのを才能っていうんだろうな。俺には全くないから、羨ましいばかりだよ」


「中島さんのお仕事もすごいですよ。収支合わせて、帳簿確認して・・あんな細かい作業あたしには到底無理です。家計簿すらつけた事無いのに」




良い人はいないのか、将来の事は考えているのか、貯金はあるのか。


心配性の母親から、毎回メールで尋ねられる内容だ。


おこづかい帳すらまともにつけた事の無かったつぐみが、しっかり給与管理しているわけがない。


母親すら匙を投げた大雑把さなのに。


こういうところは、次郎丸のことを言えない。


通帳の残高が赤にならない程度に、何とか好き勝手やってますとしか言えない毎日だ。


仕事柄、流行には全力で乗っかりたいし、それに伴う出費は必要経費と考えるよりほかない。


「あたし、将来はお小遣い制が理想なんですよね」


いもしない旦那様を想像しながら、そんな事を口にしてしまったのは完全に油断していたからだ。


あたしより背が高くて、優しくて、仕事に理解があって。


上げれば切り無い理想が頭を埋め尽くしていく。


中島は、唐突過ぎるつぐみの発言を、笑う事も、馬鹿にする事も無く続きを促した。


「ああ、結婚したらってことだね、財布握らなくていいの?」


「家賃払って、水道光熱費払って、食費引いて、貯金を残してって・・・細かな計算苦手ですし。貰ったお小遣いも使い切っちゃう自信があるので、そこはお願いしたいなって。だって、相手もあたしに全部任せた挙句、将来全然貯金が無いって困るよりいいでしょ?」


「適材適所だと思うよ、俺は」


「ですよね・・・なんかすいません、急に変な話しちゃって。レシート貰わないあたしは、それ以前の問題ですね」


どうせゴミになるなら貰わない方がいい。


使った金額を目の当たりにしたくないので、カード明細も詳細までは確認しない。


ああ、いつまでもひとりな理由がだんだん分かってきた。


自分の生活を改めて振り返ると思わなかったつぐみは、情けなさを押し込めて、話題を変える。


「イタリアンのお店って、港方面ですか?」


大人な中島はすんなりと相槌を打って応じてくれた。


その優しさに甘えておくことにする。


「海に面してるわけじゃないけど、駅南の二階だから、海は見えると思うよ」


「ほんとですか?嬉しい。今日はお天気いいから、海が綺麗かなと思って」


「窓際の席が空いてる事を祈ってて」


「はい」


頷いて、後ろへ流れていく窓の外の景色に目をやる。


この間の、六車との不意打ちドライブとは大違いだ。



★★★



次郎丸の車で同行した為、帰りの足が無くなったつぐみが、駅前まで歩いて電車で帰ると言ったが、六車が出かけるついでがあると押し切ったのだ。


先日の連絡先メモの一件があるので、強く出る事も出来ずに、渋々了承した。


気の合わない相手とふたりきりで密室、というのは物凄く居心地が悪いと知っていたけれど、身を持って体験した。


六車の仕事に対する姿勢には好感が持てる、と思う。


ものづくりをする人間の本質をよく理解していて、対応も柔軟だ。


こちらの要望もきちんと受け止めた上で、提案をしてくるので、摺り合わせしやすい。


でも、どうしてか、つぐみに対して時々とんでもない攻撃が飛んでくる。


だから、ふたりきりだととにかく油断が出来ない。


シートベルトを命綱のように握りしめるつぐみに、六車がげっそりと肩を落とした。


「あんたさ、俺がどんな危険運転すると思ってんの」


「安全運転で送り届けてくれる事を期待しますっ」


「だからさ・・心配しなくても、噛みつかないって」


「すでに豪快に噛みついた人が言うセリフなの!?ねえ!」


おかげでこっちは、打ちのめされるやら、腹立たしいやら、情けないやらでてんやわんやだ。


「噛みついてないでしょ、どこにも」


しれっと言い返した六車が、つぐみの頭からつま先まで指差してみせた。


実際に牙を立てたのかと言われればそうではない。


でも、この場でその発言はいかがなものか。


「そういう意味じゃないわよ!やっぱり歩いて・・」


やってられるかとロックを解除しようとした途端、六車がアクセルを踏んだ。


「はい、車出すよ」


「ちょ!」


もうなんなのこの男は!!


ちっとも心穏やかでいられない。


あたしはいつまでイライラしていればいいのか。


早く一人になりたい。


とは言っても、走り出した車から飛び降りるなんて危険行為を出来るわけも無く。


どうしたって会社に辿り着くまでの30分の間、ふたりきりでやり過さなくてはならないのだ。


六車と出会ってから、眼差しを険しくする機会が増えて、睨むのは上手くなった気がする。


何の役にも立たない。


何ともいえない微妙な空気が漂う。


ハンドルを握るのが次郎丸や中島なら、自ら話を振って機転を利かせるがそんなつもりは毛頭なかった。


ここぞとばかりに文句を言ってやることにする。




「あたしは、精神的に噛みつかれたんですっ。傷ついてへこまされたんですっ。あんたの暴言のせいで、イライラして、仕事は行き詰るし!」


「俺はふっつうの事しか言ってないよ。なんでそんな自信がないのかな、と思って、それが疑問なだけ」


「ほっといてよ!それこそあんたに関係ないわよ。見た目も良くて、仕事も出来て、女の子にモテて、人生にさしたる苦労も無かったあんたに理解できるわけないでしょ!」


捲し立てるように言い切ると、スっとした。


言ってやった、言ってやったわ。


膝の上で拳を握るつぐみに、悪口を言われた六車がなぜだか笑顔を向ける。


あれ、そういえば前もこんな事あったような・・・


どうして悪口言われて嬉しそうなのよ・・


記憶を手繰り寄せるつぐみの隣で、六車が笑みを浮かべたまま口を開く。


「色々言いたい事はあるけど、見た目が良い事と、仕事が出来る事は認めてくれるんだ」


どうしてそこに突っかかって来るのか。


「認めてないわよ!?うちの女の子たちが、六車くんのことをカッコイイって騒いでただけだから!」


この点は言い訳出来ても、仕事の事は言い訳できない。


次郎丸にもあのデザインは気に入ったと明言してしまっている。


悲しいかな、本人もそのことは知っている。


「そこは客観的なわけ?つぐみさんの主観は含まれないの?」


「なんでそんな必要があんのよ。あたしたちの仕事に、作り手の見た目とか、中身関係ある?別に、どうでもいいでしょ。あたしが俯いていようが、ネガティブだろうが、あたしの作る靴には何の影響もありません。あたしの価値は無くてもいいの。デザイナーは、良い靴を描くのが仕事で、その靴に対する評価が全てなのよ。あたしにとって、価値があるのは、あたしの靴が愛される事。それだけなの。六車くんみたいなタイプには理解できないと思うけど、うちの靴を飾る空間に、あたしのことは持ち込まないで」


あくまで作った靴だけで勝負して生きていきたいのだ。


デザイナーの外見や内面の良し悪しはこの際全くどうでもいい。


どれだけ寝不足で、肌もボロボロで、髪もぱさぱさで、それでもアメリアの靴を買う女性客の笑顔が見られればそれでいいのだ。


必死に描いた靴が、魔法の靴になって、幸せな場所に導いてくれることをいつも願う。


六車がつぐみのデザインに興味を示して、共感を覚えてくれた事は素直に嬉しい。


業種は違えど、新しいものを作り出すことを生業としている人間として、つぐみのような考えが受け入れがたい事も理解できる。


でも、それは六車の価値観であって、つぐみの価値観ではない。


今回の仕事は、つぐみにとって一生ものの大仕事だ。


最高にいい仕事はしたい。


自信を持って送り届けることが出来る靴が、主役になれる空間を、彼には作って欲しい。


でも、それ以上踏み込まれたくはなかった。


凝り固まった固定観念はどうしようもない。


可愛げが無いのも事実だ。


そんなもん探している暇があるなら、スケッチブックに向き合っているほうがずっと有意義だと思って過ごしてきた。


それがあたし、八月一日つぐみだ。


28年間築いてきた自分を、今更どうしようもない。


身長が低く出来ないのと同じだ。


つぐみの積み重ねてきた28年間の歴史を、塗り替える事なんて出来ない。


さすがにこれだけ言いたい事を言ったら、六車も腹が立つだろう。


次の打ち合わせを思うと、言い過ぎたかなとは思うが、後悔はしていない。


つぐみの態度がどうであれ、彼がきちんと仕事をしてくれるだろうという確信は、ちゃんとあった。


けれど、六車の反応は実にあっさりしたものだった。


「それだけ自分の意見胸張って言えるんだから、普段からそうしてなよ」


「・・・は?」


あれだけ言いたい放題言われて、言い返す事はないのか。


唖然とするつぐみを乗せた車は信号を左折して、二車線道路に出る。


「あんたは、もっと自信持っていいって言ってるんだよ」


全く見当違いの言葉が飛んできて、つぐみは酢を飲んだような表情になった。


ありえない。


さっきの話を聞いていなかったとしか思えない。


もう一周回って嫌味としか受け取れない。


「やめてよ!全然信用できないから!もっと言いたい事あるんでしょ、言いなさいよ!」


ほらかかって来い!と拳を握る。


慰めとしか受け取れない嫌味を聞かされるより、殴り合いの喧嘩をしたほうがずっといい。


どうしようもないくらい落ち着かない。


なのに、六車はいつも通りの涼しげな表情で、それが逆につぐみを追い詰める。


唇を噛み締めて心底思った。


誰かお願い、どこにでも繋がる魔法のドア持ってきて。





★★★★★


窯焼きピザが名物のイタリアンは、昼時を少し外したおかげで、希望通り窓際席を確保できた。


マルガリータとクアトロフォルマッジをシェアして、中島が気を利かせてくれた、一口ジェラートの盛り合わせを頬張る。


氷が解けたジンジャエールをかき混ぜながら、つぐみは頬を緩めた。


お昼からこんな贅沢をしていいのだろうか。


「ふっくらもちもちの生地に、とろっとろのチーズが最高でしたね」


「ピザが来た時の、つぐみちゃんの嬉しそうな顔ったらなかったね」


「だって、ほんとに美味しそうだったでしょ?」


「つぐみちゃんの顔に、早く食べたい!って書いてあったよ」


焼きたてピザがいい匂いをさせながら登場したら、笑顔になるに決まっている。


「そういう中島さんも、嬉しそうでしたよ?」


「そりゃあね、こうしてお昼も食べに来られたし、嬉しくもなるよ」


「ですよね!でも、ジェラートまで食べさせて貰ってすみません、いいんですか?」


「これ位安いもんだよ。ここに滉一がいたら、倍は注文してただろうから」


「確かに。社長の胃袋はいくつになっても底なしなんで」


いつも三人で食事に行くと、次郎丸と中島が男気じゃんけんをして、会計係を決めるのが常だった。


最初にレジで、財布を取り出したつぐみに、部下に払わせるわけにいくかと次郎丸が言い出した事がきっかけだ。


冗談半分で始まったじゃんけんだが、今では定例になっている。


普通の定食なら、ご飯を2杯はおかわりする大食漢だ。


次郎丸の食欲は学生の頃から少しも変わっていないと中島が教えてくれた。


ストロベリーとバニラのジェラートに、ビスケットとチョコレートソースがトッピングされたデザートは、目も舌も楽しませてくれる。


甘みが少ないので、するすると食べることが出来た。


次郎丸に話せば羨ましがるだろう。


「これから、準備でまた忙しくなるんだろう?」


「そうですねー、2年ぶりの新店なんで、ドキドキしてます」


「次郎丸もそうだけど、仕事が山積みで行き詰った時には、一人で抱え込まないで、ちゃんと相談するんだよ。つぐみちゃんはしっかりしてるし、責任感も強いから、頑張れば何とかなるって必死になってしまうんだろうけど。ちょっと立ち止まって、別の方向を向いてみるのも決して間違いじゃないんだ」


「無我夢中で走るな、っていうのは、よく社長から言われるんですけど。なんか、抱えてるものを手放すのが怖くって・・・あたしにはこれしかないから、頑張るしかないかなって」


「これしかない、なんてことないよ。つぐみちゃんの才能は素晴らしい。でも、それを持ってるつぐみちゃんが、何より素晴らしいんだよ」


「・・・」


中島からそんな風に褒められるなんて、思ってもみなかった。


瞬きを繰り返すつぐみの脳裏に、別の声が浮かぶ。


六車から、胸を張れと言われたときには、煩い!としか思えなかったのに。


彼が言いたかったのは、こういうことだったんだろうか。


言い回しが違うだけで、こんなにもすとんと落ちて来るなんて。


六車に中島のセリフを聞かせてやりたい。


誉め言葉はこうやって効果的に使うのよ、って。


中島は、いつまでも無言のつぐみを前に、言葉選びを間違えただろうかと不安な表情を浮かべている。


「中島さん」


ふわっと心が浮き立つような、くすぐったい気持ちでいっぱいになる。


「誉めて貰えたから、ちょっと、自信を上乗せできます」


ありがとうございます。と感謝を口にしたつぐみに、中島がうんうんと頷いた。


「次にね、悩んだり、迷ったりしたら、相談しておいで。これでも君よりずっと長く生きてるからね。滉一みたいに、一足飛びに答えは出せないかもしれないけど、一緒に悩むことは出来ると思う。つぐみちゃんの仕事は、特殊で、大変な部分も多いと思うけど、俺は、そういうところも、間近で見て来たからね。少しは頼りにして欲しいな」


「少し、なんてとんでもないです!社長は、中島さんに完全おんぶに抱っこ状態だけど・・・でも、あたしも、同じ位甘えさせて貰ってると思います。下の子が増えると、やっぱり先輩面が板に付いちゃうっていうか」


「分かるよ。情けないところ、見せられないって思うよね」


「そうなんです。だから、社長や中島さんの存在は、すごく大きくて、助けられてます。ご飯食べさせて貰えるのも嬉しいし・・あ、催促じゃないですよ!そうやって、気にかけて貰える事が、嬉しいってことです」


昼食を強請っているように聞こえたら困る、と必死に言い直したが、中島は気にした様子もなく微笑んだ。


「つぐみちゃんが喜んでくれるなら、もっとマメに誘う事にしようかな」

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