第7話 希望と刺激
未だかつてないほどの難産の末に産み落としたデザインは、無事に社長審査を通った。
次郎丸がうん、と頷いて”作るか”と言ったのがGOサインだった。
金原が出した1案と、つぐみが出した2案を、新商品に決定し、すぐに制作工程に移る。
スケッチブックの中でだけ生きていた平面のシューズを、立体に起こし直す為に、より具体的な形を作って、生地やヒールについて打ち合わせを重ねて行く。
デザイン決定が遅れた分、タイトになったスケジュールは過密を極めた。
すぐに製造を依頼している会社との打ち合わせに入って、サンプルシューズを上げて貰う。
その間に、新店舗の打ち合わせと、新シリーズの命名というふたつの重大任務がつぐみを待ち受けていた。
「生地は、こっちより、もう少し艶があるほうがいいです。撥水効果の高いもののほうが、嬉しい」
「つぐみさん、カラーは柔らかさが欲しいんで、発色頑張って貰ってパステル系にしたいんですけど」
パソコンソフトで作られたデザインを確認しながら、持ち寄られた生地見本をずらりと並べて、ひたすらアイデアを出し合う。
ここからはデザイナーふたりの二人三脚だ。
金原が得意とする、女子ロマ系の可愛いデザインには、色味の違うピンクを組み合わる事になっていた。
10代~20代の、スカート派の女子が好みそうな答えを探していく。
光の具合や、肌に合わせた時の映え方と、木目のテーブルに並べた時では見え方が全然違うので、立ったり座ったり、生地を持って移動したりしながらの作業になる。
「あ、それいいと思う。ガッツリしたベリーピンクより、いつものナチュラル系がこのデザインには合うもんね」
「ですよね!じゃあ、少し白みがかったピンクと、桃色っぽいのを組み合わせて・・」
ひさびさに完全仕事モードを取り戻したつぐみに、金原はじめ、スタッフは一様に胸を撫で下ろした。
どんなに疲れていても、朝デスクに座ったら、まずはスケッチブックに向かう生活を続けていたつぐみが、何も浮かばないなんて事はまさに前代未聞だったのだ。
いつ次郎丸がつぐみの現状について言及するのかとハラハラしていたが、社長として次郎丸が下した決断は”待つ”といういかにも彼らしいものだった。
一時はどうなることかと思ったが、こうして馴染みの製造担当相手に、がんがん意見を出して交渉していく様子を見ていると、待って良かったと誰もが思えた。
ようやく頼もしい女王様が帰ってきたのだ、嬉しくないわけがない。
10本それぞれの指に違うネイルを施した金原が、意気揚々と生地を並べる。
これから自分が描いた平面のシューズが、形を貰って生まれてくるのだ。
チョイスひとつ間違えば、全然違う商品になってしまうので、打ち合わせには慎重を期すが、このわくわくは何度体験しても、やっぱり最高に楽しい。
きっとRPGの勇者が、使命感と希望を胸に旅立つ時の気持ちはこんな風なんだろうといつも思う。
「つぐみさん、金原さん、中敷きのデザインはもう決まってるんでしたっけ?アメリアの通常のものから、新しいものに変えるって次郎丸さんから聞いてますけど」
つぐみと金原の希望に合わせて、大量にある生地見本の分厚い本の中から、デザインに合う生地を即座に引っ張り出してくるベテラン製造メーカーの黒田が、時代を感じさせる分厚い眼鏡を押し上げながら尋ねた。
すでに社外の人間にも名前で呼ばれる事が浸透しているので、つぐみは何一つ違和感を覚えない。
違和感を覚えたのは六車に呼ばれた時だけだ。
良く知りもしない人間からさらりと名前を呼ばれるなんて、社会人になるとそうそうある事じゃないから、余計変な気がした。
黒田の問いかけに、ちくりと胸が痛む。
ようやく外側は出来上がったが、内側はまだ準備中なのだ。
「新シリーズについては、これから新しいデザインで統一するつもりなんですけど、まだ出来てなくて・・・すみません。サンプルが仕上がる頃には、お見せできるようにしておきます」
「ああ、全然いいですよ。焦るほどのスケジュールでもないですし。珍しいですね、やっぱり、まっさらなシリーズになると、いつもより慎重になっちゃうか」
「そうなんです・・・あれもこれもって・・詰め込みたいものが膨らみすぎちゃって」
「分かりますよ、どうせなら、色や形は勿論、中敷きまで拘って行きましょう」
頼もしいセリフに、ぺこりと頭を下げてお礼を口にする。
つぐみが入社してからずっとお世話になっている担当は、次郎丸同様頼りになるし、新人の頃のど素人のつぐみに対しても丁寧な態度を崩さなかった人格者だ。
彼が、作りたいと思える良いデザインを考えようと改めて強く思えた。
履いて楽しむのが靴だ。
本来なら、こだわりを持つのは形や色、デザインだけで十分なのかもしれない。
けれど、靴箱から靴を取り出す瞬間に、自宅に帰って靴を脱ぐ瞬間に、お気に入りの靴が、さらに可愛く思えたら幸せだと思う。
だから、中敷きにまで拘りたいのだ。
アメリアの中敷きは、別売りのサイズ調整用のものも合わせて、クラウン模様で統一されている。
愛される靴を生み出して、いつか最高峰の最愛ブランドになれますように、という願いを込めた。
中敷きだから地味に、なんていう発想は初めからなかったので、カラフルな12色のクラウンがひしめき合ったデザインになっている。
どんなに疲れていても、靴を脱いだ瞬間に、ポップなクラウンが目に入ったら、少しは気分が明るくなる。
そんなジンクスがあって欲しいと思う。
中敷きだし、モノトーンでも良いのではないかと意見を出した次郎丸に、全力でノーを出したのはこの時が初めてだった。
それ位、思い入れがある。
甲高で細長い24センチの足に合う、踵の低い可愛い靴は当時そう多くは無くて、スニーカーばかり履いていたつぐみの苦い経験から、中敷きへのこだわりは生まれた。
学校指定のローファーや、就活用のパンプスだって、中敷きが可愛いと、それだけでおしゃれに見える。
”気分が上がる”のは、ほんのちょっとした”可愛い”からだ。
そのひと手間を加えられるような、靴を作りたい。
女の子の人生に洋服同様一番寄り添う靴に、魔法みたいな作用があればいいのにと、半ば本気で考えている。
だから、次郎丸がデザインの遅れもあるのでまずは中敷きはアメリアのものを使用すればどうかと提案した時も、断固拒否した。
意地でもデザインを上げるつもりだった。
幸いにも勢いのまま描きまくったデザインはまだまだ沢山ある。
これから、新シリーズでどんどん増えていく新作のことを考えても、最初からきちんとした形でスタートを切りたかった。
描けなかったのは自分の責任だ。
次郎丸はよく、デザインは水みたいなものだと言う。
コップに入れて眺めている間はそこにある事を実感できるが、ひとたび口に含んで飲んでしまえば、もうどこにあるのか分からなくなる。
掴み切れないものだと。
するすると逃げ惑うそれを、掴んで形にして描くのは楽な作業ではない。
だから、描けなくても彼は責めない。
でも、それを言い訳に妥協案に逃げたくはなかった。
”やります”と言い切った以上、何が何でも考えなくてはいけない。
クラウンの時は、ひたすら夢だけを詰め込んですぐに生まれたデザインだった。
今度の新シリーズに、あたしは何を詰め込みたいんだろう・・・
加工ソフトで作られたデザインをなぞりつつ、ぼんやりと考える。
念の為にと、自分の机から持ってきたスケッチブックがふと目に留まった。
何か忘れている気がする。
「・・・あれ・・・なんだっけ」
ぽつりとつぶやいたつぐみに、金原と黒田が一斉に視線を向けてきた。
「なんか気になる事ありますか?」
却下された生地見本を元の場所に片づけながら、黒田がデザイン画に目をやる。
「いいアイデア浮かんだなら、メモっときますか?つぐみさん」
デザインの仕事についてから、些細な事でも書き留めるようにしている事を知っている金原が、色鉛筆を探して部屋を見回す。
「あ、いえ、黒田さんすみません、大丈夫です。かなちゃん、アイデアじゃないからいいのよ、ごめんね。何かしないといけない事があった筈なんだけど」
「今日他に打ち合わせとかありましたっけ?」
その日の予定をコルクボードにメモで貼り付けるのが決まりだが、つぐみの本日の予定は、朝のスタッフ会議と製造打ち合わせだけだった。
「なかった・・・そういうんじゃなくって・・プライベートな事だったと思うんだけど」
「あれ、デートですか、つぐみさん」
黒田が珍しくからかうような視線を向ける。
つぐみに恋人がいないことを知っている金原は、さらに前のめりになった。
「だ、誰に誘われたんですか!?」
「残念ながら違います。デートするような相手もいません。男っ気ないの、黒田さんもご存じでしょう」
唇を尖らせてみせたつぐみに、黒田がすみませんと苦笑いする。
金原がすかさず、つぐみさんは仕事外の事にも目を向けるべきです!と豪語した。
そうは言われても異性と出会うきっかけがないのだ。
異性・・男・・・
そこでふいに六車の顔が浮かんだ。
「あー!!!」
スケッチブック!キャンパスノート!!
新しいものを買ってお詫びとお礼を兼ねて届けるつもりがすっかり忘れてしまっていた。
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