第6話 期待と認識

「期限を守れずに申し訳ありませんでした」


潔く頭を下げて、まずは心から謝罪する。


次郎丸はつぐみが両手で差し出した紙の束を受け取って、にかっと豪快に笑って見せた。


「お、やっと来たな、出来る子つぐみ」


「・・その言い方はやめてください、社長」


「んーなんでだ、事実だろ」


約束の期日を1週間近く過ぎてから漸く提出したデザインだ。


おおっぴらに言い返すわけにも行かないので、いつもの半分だけ言い返しておく。


下げたままの頭をガシガシと大きな手で撫でられて、やっぱりもう少し文句言おうかしらとも思ってしまう。


もうすぐ29になる年頃の娘を捕まえて、それはないだろう。


次郎丸と一緒に居ても、ちっともそういう雰囲気にならないのは、彼との関係が、親子、もしくは兄弟同然だからだ。


そのままぐいっと押し上げられた頭に手をやる。


案の定乱れまくった髪。


けれど、今はそれも心地いい。


デザインを起こす仕事は、計算で答えが出るような作業とは種類が違う。


だからこれまで一度も次郎丸は、つぐみにデザイン提出を迫らなかった。


自分のスケジュールをきちんと把握しつつ、そのうえ社長のフォローも行うしっかり者のつぐみが”描けない”なら待つしかない、というのが彼のスタンスだった。


どれだけ行き詰って悩んでも、つぐみが無理です、と言わない限り”やめろ”とは言わない。


それが苦しい時もあるが、今回のように時間をかけて答えが出せた時は、それが何よりも嬉しい。


”待ってもらえる”という事は、アメリアにとって、つぐみが必要不可欠な存在だからだ。


重たい事の方が多い立場が、こんな時、急に上を向く原動力になったりする。


次郎丸はいつだってつぐみを”出来る子”という。


その言葉が、ずしんと胸に響いた。


俯いて僻んでいた自分が恥ずかしくなる。


六車へのなんとも言えない苛立ちは変わらないが、ひとまず今は余計な感情は置いておいて、生まれたばかりのデザインについて、きちんと話をしたい。


「肩っ苦しいのは無しだ、ほれ、座れ。そのまま打ち合わせだ」


つい先日、中島が腰掛けていたソファのど真ん中にデンと腰を下ろした次郎丸が、さっそくデザインに視線を落とす。


その眼差しが柔らかい期待に満ちている事に安堵する。


この人に見限られたら、終わりだ。


社長という立場以上に、アメリアを心から大切に思っている次郎丸が、良しとしないデザインを生み出してしまうようなデザイナーなら、間違いなくすぐにお払い箱にされてしまう。


初めてデザインを提出した時からずっと、つぐみは次郎丸の視線を最初に確かめる癖が抜けない。


今回ばかりはもう駄目かと思ったけれど、描けて良かった。


さすがに深夜だし、駅まで送ると言う六車に走るから平気と言い張って、終電間際の電車で帰宅してすぐにスケッチブックを開いた。


ちぎって持ち帰ったデザインを見ながら、足し算引き算しつつ、時には二つのアイデアを掛け算して、手を加えていった。


明け方近くになって、ようやく自分が納得できるものが描けた。


最終的に描き上がったのは4パターン。


華奢な足首が引き立つ、アンクルストラップの9センチヒール。


少し低めの、7センチヒールは、かかとのリボンが可愛らしいパンプス。


休日仕様のプラットフォームはソール部分の柄をパターン別にして提案した。


レース生地を重ねたシンプルで春っぽいパンプスは、カラー展開を多めにして、仕事用と、プライベート用で揃えて貰えるデザインだ。


次郎丸が、じっくりとデザインを見つめて、うん、と頷いたのを確かめて、ようやく向かいの席に腰を下ろす。


多少の難題は笑顔ひとつで受け止めてしまう、懐の広さが頼もしくもある次郎丸だが、納得できない商品には、絶対に妥協でGOサインを出してはくれない。


彼が、ここで頷いたのなら、つぐみが導き出した新シリーズのイメージが、間違っていなかったという証になる。


アメリアの新たな一歩に相応しい、納得のいくものを生み出すきっかけがやっと掴めた気がする。


ほうっと息を吐いたつぐみに、次郎丸が一枚目のデザインをテーブルに乗せて笑った。


「絵が踊ってるな」


「え!?そうですか!?」


いつも通り描いたつもりだ。


けれど、色鉛筆できちんと色づけするのも久しぶりで、楽しくて仕方なかったのもまた事実だった。


「いいことでもあったのかー?」


探る様な視線を向けられて、慌てて首を振る。


腹立つことと、戸惑う事ならありました。


「祐凪が・・・いいきっかけをくれたみたいです」


次郎丸にも紹介したことのある親友の名前を口にすると、次郎丸がああ、と頷いた。


「あの眼鏡の美人姉ちゃんか」


「・・・まあ、そうですけど」


間違っていないが何だか複雑だ。



”家着いたら、メールして”


無理矢理握らされた走り書きのメモ。


つぐみがちぎったノートの切れ端に書かれたそれは、六車のSNSのIDのようだった。


とにかく一分一秒早く家に帰りたかった。


生まれたばかりの新芽のようなこのデザイン達に、すぐに栄養となる光と、水を与えてあげたい。


この時間はタクシーを待つより、電車で帰った方が断然早い。


幸いにも路地を一本入っただけの店は駅から徒歩5分程度だ。


幸せそうなカップルたちが帰宅している事を期待して、大通りに出ればさらに時間短縮になる。


つぐみの頭の中の選択肢は”駅まで走る”の一択。


だから、何を思ったのか紳士的に駅まで送ると言い張る六車の申し出は、正直面倒で迷惑なことこの上なかった。


これが金原のような女の子なら、どうぞうちの子を送ってやってくださいと頭を下げる所だ。


送る、と言われたら、まさか連れだって走るわけにも行かない。


そもそも六車と話す事なんて無い。


最初から用事なんてなにひとつなかったのだから。


店先まで追いかけてきた六車を振り切って走り出そうとしたら、なら、せめて連絡してよ、と渡されたメモを受け取ったのは、そうしないと本当に駅までついて来られそうになったからだ。


頭の中は、家に帰ってからのスケジュールでいっぱいで、考える暇もなく、握らされたメモをカバンに押し込んだ。


もう後十数分で月曜日になろうかという大通りは、ずっと人通りが減っていて、足を止めることなく駅まで辿り着けた。


階段を駆け上ったタイミングで滑り込んできた電車に飛び乗って、コンビニにも寄らずに真っすぐ帰宅した。


戸締りだけして、テーブルの上にスケッチブックと色鉛筆を並べる。


漸く本当の日常が戻ってきたような気がした。


帰りの電車の中で思いついたアイデアを、忘れないうちに書き留めて、それからカバンに手を伸ばす。


折りたたんだちぎったノートを引っ張り出す時に、一緒に零れてきたメモを見るまで、六車の事は一切頭から消え去っていた。


一応取引先の社員だし、何かあったらいけないと気を使ったんだろう。


悪意の塊としか思えない辛口を吐く癖に、変なところだけ常識的だ。


もっと他に気遣うところあるってーのよっ。


”可愛い”なんて言葉が似合う女だと思っていない。


”背が高くてかっこいいね”と言われる事の方が多かった。


長年ショートカットにしていたせいもあったと思う。


だれもあたしに”可愛げ”の必要性なんて解いてくれなかったし!


可愛くなくて、可愛げもなくて、あの場で素直に送って貰えば良かったなんて、かけらだって思えない。


一緒に居たってイライラするだけだ。


心臓に悪い相手とは、必要以上関わらないに越したことはない。


確かに、こっちの態度も誉められたもんじゃなかったし・・・


大人げなかった事は認める。


”帰宅しました。安心して下さい”


いや、別に安心させたくないし。


”帰りました”


安否確認メールみたいだな。


打っては消し、打っては消しを繰り返して、そのうち、どうしてこんなどうでもいい事で頭を悩ませなくてはならないのかとイライラしてきた。


最終的に”帰りました。心配しないでください”と打って、勢いそのまま送信ボタンを押す。


と同時に、六車の事は再び頭から追い出した。


最低限の礼儀は尽くした。


社会人としてギリギリ恥ずかしくない対応だった事に、してしまおう。


それからは、ひたすらスケッチブックと睨めっこを続けて、早起きな雀が鳴き始めて、空がうっすら明るくなる頃、襲ってきた眠気を紛らわすために、コーヒーを入れようと立ち上がった時、初めてベッドの上で点滅しているスマホに気づいた。


六車が返信を送って来ていたのだ。


既読無視すりゃいいのに、一体どんな嫌味なメッセージを送って来たのかと、苦めのブラックコーヒー片手にメール画面を開けば、並んでいたのはたった四文字。


”よかった”


なんだそれ、どういう事よ。


寝不足からかイライラし始めた頭を振って、スマホを放り出して、闇が薄れていく窓の外の景色に目をやったら、いつの間にか気分は落ち着いていた。



★★★


「なんだーつぐみ。まだ他に出したいアイデアでもあったのか?膨れ面して」


描きたいなら持って来い、と言われて、膝の上に組んだ指を凝視して難しい顔になっていたつぐみは我に返った。


「あ、いえ。出しきったんで大丈夫です」


「そうか、うん。いいな。つぐみらしい、いいのが描けたな」


よしよしと誉められて、ありがとうございます、と応える。


息を吐いたつぐみに、次郎丸が次の打ち合わせ行くだろ?と切り出した。


途端、昨夜のメッセージが思い出されて自然と眉根が寄ってしまう。


進んで会いたい相手ではない。


「はい・・出来るだけ」

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