第5話 感謝と宣言

一心不乱にノートを破るつぐみをぼんやり眺めながら、六車が興味深そうに呟く。


「なんかさー、性格出るよな」


「・・なにが」


ノートの破り方が気に食わないのだろうか。


手は動かしたままで憮然と答えたつぐみは、自分の声が想像以上に不機嫌で驚いた。


仕事場はもちろん、家族や祐凪の前でだってこんな風な声を出したことは無い。


いつもはオブラートに包んで必死に柔らかく見せている内面の鋭さやキツさが、全部浮き彫りになっている気がする。


六車の前だとこうも容赦なくなれるのか。


「絵や文字、自分の手で生み出したものってその人の一部だろ」


つぐみのイラストを逆さまに見ながらのセリフに、ああ、それなら・・と素直に頷いてしまう。


「うん。パソコンでは出せない風味があるから」


パソコンは便利だ。


誰もが読みやすい文字、見やすい絵を瞬時に作り出せる。


習字を習うよりゴムバレーの練習を優先させた結果、癖のあるバランスの悪い文字が身についてしまったつぐみは、メモも極力取りたくない位、字が下手だ。


女子のグループで流行った交換日記も、国語の書き取りも全部苦手だった。


でも、絵を描くことはべつだ。


力加減ひとつで強弱を付けられる鉛筆を好むのも、微妙な色合いを表現できるからだ。


それに、外に居てもすぐに描きとめる事が出来る利点もある。


タブレットを持ち歩くのもいいが、極力荷物を減らしたいつぐみには、メモと鉛筆が手軽でちょうどよい。


仕事場に置いている24色のお気に入りの色鉛筆の他に、自宅には昔から使っている有名文具メーカーの12色の色鉛筆が、仕事カバンにはペンケースに入れて輪ゴムで留められた短くなった色鉛筆が常に入っている。


財布やスマホより、ずっと愛着のある品だ。


「風味ね」


どうしてか六車が楽しそうに笑う。


薄くなったキャンパスノートを端に寄せて、ちぎったページをトントンと叩いて揃える。


折りたたんでカバンにしまおうとすると、六車がついでのように言った。


「その絵みたいに、もっと自由にしてればいいのに」


「どういう意味?」


今でも十分自由にしている。


この通り独身を謳歌中だし、仕事にも上司にも仕事仲間にも恵まれている。


自分がやりたいと思った事を阻むような育て方はされなかったし(もし型に嵌った教育を受けていたら、有無を言わさずゴムバレーより習字を優先させられていただろう)、進路も就職も、ご自由に、と見事に放任されてきた。


六車の言葉は、いまのつぐみには何一つ当てはまる場所がない。


「周りの女の子と足並み揃えようなんて、考える方が可笑しいでしょ」


「はあ?」


足並み・・・はて、これまで揃えようとした事なんてあっただろうか。


揃えたくても、頭ひとつとびぬけた身長のせいで出来なかったし。


畳みかける様に六車が続ける。


「あんたさ、小さくなってどうすんの」


「どうって・・・」


考えたことなんてない。


だって、奇跡でも起きなきゃ一生叶わない願いだし。


その昔、背を低くする方法でググってみたら、死期が近づいた人間は身長が縮むと書いてあって、心底落胆した。


身長を伸ばす器具はあるのに、身長を縮める方法がないなんておかしい。


文明も人類も進化して、近未来は目の前だとか騒いでいるけれど、つぐみが望んだ未来は恐らく永遠に来ない。


だからこそ、小さくなりたいと思うのだ。


つま先立ちになって必死に腕を伸ばして、棚の高い位置に置かれた商品を取ってみたい。


満員電車で本当の意味でもみくちゃになりたい。


誰に気兼ねすることなく、ピンヒールを履いて、颯爽をと街を歩きたい。


女の子を見下ろすことなく、同じ目線に立ってみたい。


同性と話す時には、いつもちょっと視線を下げることになる代わりに、相手はつぐみをちょっと上目遣いに見上げることになる。


俗に言う”上目遣いの魔法”を一度でいいから実践してみたい。


今の所この魔法が使える相手は、次郎丸と中島くらいのものだが、両名とも身内同然なので、なにひとつ効力が発揮できない。


「色々やりたい事があんのよ。あんたには関係ないでしょ」


また身長の話か、と視線が剣を帯びる。


「憧れがあるから、そういうイメージが描けるんだよ」


「・・・え」


「持ってるやつより、持ってないやつのほうが、強いんだよ、思いが」


六車の言葉は抽象的すぎてよくわからない。


けれど、彼が言いたい本質みたいなものは、なんとなく分かる。


分かるけれど、どうしてそれをあんたから言われなきゃならない。


「・・・」


「だから、あんたは猫背やめて、背筋伸ばして立ってりゃいいの」





いつもスカートばかり履いている女の子だった。


絵本と同じのが欲しいと強請って買って貰ったストラップのついた赤い靴がお気に入りだった。


けれど、いつからか背が伸びて、フリルもレースも似合わなくなった。


友達がお姉さんぶってヒールの靴を履き始める年頃には、もうすでに”大きい”の部類に入っていたので、自ら進んでヒールを履いた記憶は一度も無い。


思春期真っ只中の頃は、ちょうど時代は厚底靴がど真ん中で、華奢な若い女の子たちが、こぞって10センチの重たいヒールを引きずって歩いていた。


流行から思い切り逆行したまま、ひたすらスニーカーで過ごした学生時代。


だからこそ、女性らしい可愛い靴への憧れはひとしおだった。


ピンクや白といった、洋服に取り入れるのはちょっと抵抗がある色も、靴になると挑戦しやすくなる。


次郎丸がアメリアを立ち上げた際に、最初にデザインしたスニーカーは、オフホワイトのシンプルなスニーカーと、20種類のカラフルな靴紐だった。


その日の気分に合わせて変えられるように、色も、素材も、柄もさまざまなものを取り入れた。


踵の低いスニーカーを履いたって、小さくなれるわけじゃない。


けれど”上乗せされない”という事実は、つぐみを何より安心させた。


集団の中に埋もれてしまいたい。


歩きやすさ、軽さを追求したと言ってはいるが、実際の所はただただヒールを嫌う自分に合わせたデザインをしてきただけの事だ。


フラットシューズも、バレエシューズも、編み上げブーツ、ショートブーツも。


どんなにぺたんこの靴を履いても、もう身体に沁みついてしまった猫背は直らない。


だから、背筋を伸ばせ、なんて言われても無駄だ。


そもそも、どうして六車はそこまでつぐみの事に口を挟んで来るのか。


「あ・・・あのねえ、あたしが猫背だろうが、背が高かろうが、あんたには全然関係ないでしょ!あたしの見てくれがどんなだって、あたしの作るデザインには何にも影響しないんだから!」


だからこそ、スケッチブックには、のびのびと自由に描けるのだ。


つぐみのコンプレックスを綺麗にそぎ落として、柵全部から解放してくれる。


デザイナーは、自分の生みだしたデザインがすべてだ。


作り手の容姿は一切関係ない。


どんな美人が描いた絵だって、どんなブスが描いた絵だって、誰かの心を惹きつけたほうが勝ちだ。


「ギャップがありすぎるんだよ、あんた」


「なにそれ・・・」


何に対するギャップなのか、訊きたいような訊きたくないような。


うん、きっと訊かない方が身のためだ。


さらに怒りが増長される気がする。


「それを、わざわざあたしに言う必要ある?たしかにこっちは仕事を依頼した。新しい店は、理想通りの素敵なものにしたいし、その為には協力もしてほしい。でも、そこに主観挟むのやめてよ。あたしのことはどうでもいいの。あたしが作った靴に、顔が出るわけじゃないんだから。良いモノが作れたらそれでいい」


アメリアに第二の命を与えるような、素敵なシリーズを生み出したい。


その為には、六車の力が必要だ。


悔しいけれど。


彼が作ろうとする空間は、間違いなくつぐみが望んだ店のイメージに近い。


きっとこれからの打ち合わせ次第で、つぐみが作るデザイン次第で、よりよい方向に向かう。


だからこそ、これ以上ぶつかりたくない。


いい仕事がしたい、それなのに、どうして個人の事でこんなに不愉快な気持ちになって、イライラしなくてはいけないのか。


与えられた情報を見て、それに見合った空間を作って欲しい、そう依頼しているだけなのに。


そこにデザイナー本人の心境や容姿は含まれない筈だ。


その時、ピリピリしたムードで向き合う六車とつぐみの様子を伺うように、階下から店主が気まずそうに声を掛けてきた。


「あのー・・・壱成くん、電車の時間大丈夫かな?」


言われて、初めてつぐみは自分のスマホを確かめた。


時刻は11時40分。


乗り継ぎを考えると、そろそろ出ないと帰れなくなる。


「すみません、教えて頂いてありがとうございます。コーヒー飲めなくてすみませんでした、おいくらですか?」


急いで財布を取り出したつぐみに、店主が笑顔を首を振る。


「壱成くんのお知り合いだから、今日はサービスさせて下さい」


綺麗に言い切られてしまい、渋々財布をしまって席を立つ。


言いたい事は言った、ここにはもう用事は無い。


歩き出そうとしたつぐみは、ふと思いとどまった。


本当は言いたくなんて無いけれど。


「・・・お世話になりました」


視線も合わせず頭を下げる。


と、斜め上から呆れた声が聞こえた。


「あんた、可愛くないんじゃなくて可愛げがないんだよ」


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