第4話 理解と反対

久しぶりに触れた大学ノートの白いページに、いつもよりはっきりと浮かび上がる線で、イメージを綴っていく。


先が丸く潰れた水性カラーペンは、9色。


普段使う色鉛筆のように、色を重ねたり、細かな変化を付けたりすることは出来ない。


けれど、そんな事は少しも気にならなかった。


何を見ても心ときめかなかったついさっきまでの世界が、あっという間に色を取り戻していく。


鮮やかで、眩しい、キラキラしたイメージが次々に湧いてくる。


春先のオープンに合わせて、女の子の足元を軽やかに彩る華やかな靴を作ろう。


オープントウのパンプスや、初夏から履けるサンダルも作りたい。


どれから手に取るか迷ってしまうくらい、カラフルなシューズを並べたい。


素敵な靴と、素敵な場所へ行こう。


そんな風に思えるものを届けたい。


いつもスケッチブックに向き合う時、一番に考える事。


楽しい、嬉しい、新しい。


少しだけ視線が上を向けるような、新鮮さを。


透けるレースや、色の組み合わせが可愛らしいチェックの生地も取り入れたい。


遊び心をプラスして、リボンを足首に巻き付けるようなデザインもいいかもしれない。


するすると水色のペンでリボンを描いたら、それがいつの間にか蝶になって、花になった。


罫線を超えて、大きなキャンパスと化したノートに広がるのは、つぐみだけの素敵な世界だ。


指が疲れる感覚は少しもなかった。


描きたい、生みだしたい、作りたい。


ひたすらその感情だけを追って、一心不乱にノートに向き合う。


プラットフォームのソールの色に迷って、ペンが止まった瞬間、ノートが置かれた銀メッキの古びたテーブルの上に重ねられたガラス坂の間に飾られた、モノクロ写真がちらりと目に入った。


海辺の風景や、花、子供の後姿、花火の写真なんかもある。


重ねる様にして、360度ぐるりと写真で埋められたテーブルで、椅子の位置によって見える絵が変わってくる。


いつの間にか、隅に置かれていた白いマグカップを覗けば、すっかり冷めたコーヒーが入っていた。


気を使った店員が持って来てくれたのだろう。


そこで漸くつぐみは、蹲るようにノートに向かっていた背中を伸ばして、店内をぐるりと眺めた。


ソファ席や、窓に面したカウンター席など、ひとりでもゆったりと過ごせるように工夫された空間は、おひとり様のつぐみでも入りやすい雰囲気になっている。


ところどころに遊び心を感じさせるミニチュアの家具や、紙粘土で作られた動物が飾ってあり、それらを探すのも楽しそうだ。


すっかり居座ってるけど、今何時・・・?


時計を見る余裕もなく、渡されたノートに向き合っていたつぐみは、時計を探して壁を見つめる。


けれど、カウンターの奥にも、入り口から続く壁にも、掛け時計は見当たらない。


時間を気にせず寛げるようにという店主の気遣いだろう。


慌てて投げ出したままのカバンを手繰り寄せる。


ひんやりと冷たいスマホを掴んだら、少しだけ日常が戻ってきた気がした。


ほっと息を吐くと同時に、今の状況を改めて思い知る。


ここにあたしを連れて来た男はどうした・・・?


ついさっきまで向かいの席に座っていた筈の六車の姿が見えない。


爆発寸前のところで、紙とペンを与えてくれた事には感謝するが、元はといえば、六車の責任でこうなったのだ。


八つ当たりでもなんでもそうなんだ。


うんうん頷いて、自分を正当化してから真っ暗だった画面に触れる。


と、斜め前のソファ席に足が見えた。


「!?」


店の入り口のフロアから、少し階段を上った高床のスペースには、つぐみが腰掛けているテーブル席と、パーテーションで仕切られたアンティークのソファ席があるだけだ。


ということは・・・


スマホをテーブルに戻して、つぐみがゆっくり立ち上がる。


用事がないなら帰っていてもおかしくはないはずだけれど・・


恐る恐るパーテーションの奥を覗き込む。


見るんじゃなかった、と心底後悔した。


気づかないふりして、店を出るという選択肢がどうして浮かばなかったのよ、あたし!!


今更後悔したってもう遅い。


つぐみの起こした物音のせいで、転寝から目覚めたらしい六車は顰め面のままでパーテーションに縋る様にして固まっているつぐみを見つけた。


「ああ、終わったの?」


欠伸をしながらのんびりと言った六車は、肘掛けに上げていた足を床に降ろして立ち上がる。


思わず後ずさってしまったのは、もう無意識としかいいようがない。


「・・おかげさまで」


答えてから、なんでそんな事を!と慌てて視線を逸らした。


お礼を言うなんて癪に障る。


瞬時に不貞腐れたつぐみの顔を見て、六車が呆れた顔で笑った。


自分が嫌いな人間には、どれだけ嫌われたって構わない。


あたしを好きだと言ってくれる人だけ大事に大事に出来ればそれでいい。


八方美人にはなれない。


「そんな顔するくらいなら、言わなきゃいいのに」


うるっさい!ちょっと黙ってなさいよ!


瞬間湯沸かし器並みの速さで湧き上がってきた怒りをどうにか飲み込んで、別の質問を口にする。


ここはお店だし、下にはほかにお客さんだっているかもしれない。


つぐみと六車がどれだけ険悪な仲だとしても、そんな事はこの店の店主にも、客にも一切関係が無いのだ。


きっと、こういう事が無く、ひとりで散歩途中にふらりと立ち寄ったら、物凄く気に入って常連になってしまうだろう。


アラサー女子が、休日をひとりでのんびり過ごせる場所はとても限られているのだ。


「・・・今何時?」


「はぁ?つい数十秒前まで寝てた俺にそれを訊くの、あんた」


あからさまに馬鹿にされた口調が返って来て、再び怒鳴りたくなる。


こっちは必死に平常運転してやろうとしてんじゃないのよ!!


面倒くさそうにデニムのポケットからスマホを取り出した六車が、ぼそりと呟いた。


「11時すぎ」


「うっそでしょ!え、ほんとにそんな時間なの!?ってこのお店何時まで!?大丈夫なの!?」


まさか自分たちに気を使って店を開けてくれているのではあるまいか。


慌てたつぐみが、階段を駆け下りようと踵を返す。


寝起きとは思えない早業でその手を掴んで、六車が静かにしてよと呟いた。


「夜はバーになるから、1時まで開いてるんだよ。この時間帯はカップルも増えてるから、そのムードぶちこわしの大声やめてくれる?つぐみさん」


「・・し、失礼しました」


急いで口を噤んで、勢いよく六車の手を振りほどく。


とりあえず店が開いている事が分かればそれでいい。


この時間なら、本数は少ないが電車もまだある。


足早にテーブルに戻ったつぐみを追ってきた六車が、イラストでいっぱいになったノートを取り上げた。


「見てもいいよね?」


見ながら言うセリフじゃないと思う。


「走り書きだから、見られたくないですけど」


つぐみが描くイラストは、つぐみの頭の中にあるイメージそのものだ。


つまり、日記のようなものなのだ。


見た事、感じた事をそのまま素直につづったそれは、よく知りもしない赤の他人、しかも嫌いな人間に見せる為のものではない。


「おかげさまで」


さっきつぐみが口にしたセリフをそっくりそのまま返して、六車がパラパラとページを捲る。


紙とペンを与えてやったのは誰だっけ?とその顔に書いてある。


色々と言いたい事もあるが、ここでノートをひったくるわけにも行かない。


それをやったら間違いなく子供の喧嘩だ。


どうせ走り書きだし、部屋に戻ったら改めて仕切り直しだと自分を納得させてみる。


それにしたって、採点を待つ子供のように目の前に突っ立っているのも嫌だ。


身長が伸び始めた中学生の頃から、誰かと立ったままで話すのが苦手になった。


相手の目線の位置が気になって仕方ないのだ。


自分の大きさを思い知らされるようで居た堪れなくなる。


再び椅子に腰かけて、六車がノートを返してくれるのを待ちながら、ぼんやりと各テーブルの上に設置された間接照明を眺めた。


よく見れば、それぞれ電球を覆うランプシェードのデザインが微妙に違う。


ゆるやかにカーブを描いているものや、フリルのようにひらひらと波打っているもの、中には円柱を斜めに切ったようなデザインまである。


細部にまで拘りを感じさせる設計だ。


作り手と、この店の主の愛情をひしひしと感じさせる空間。


誰かが一生懸命手がけた場所は、居心地がいい。


何かを生み出す仕事に携わっている者にしか分からない、誇りと自信を感じる。


六車がノートを捲る手は一向に止まらない。


自分でも何枚描いたのか分からない。


酷い時には、数時間で1冊スケッチブックをいっぱいにしてしまう事もあるのだ。


ひとまず、次来た時に、新しいノートを持って来よう。


申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、冷え切ったマグカップを引き寄せる。


と、漸く六車がノートを差し出してきた。


ほっとした気持ちでそれを受け取る。


ざっと見た所10数ページは使ってしまったらしい。


お客さんたちの一言メッセージまで持ち帰るわけにはいかないので、自分が使ったページだけ破ることにしよう。


テーブルにノートを広げたら、その上に影が落ちた。


六車だ。


「へー・・・こんな風になってんだ、あんたの頭の中」


「もっと色々複雑に出来てます。じろじろ見ないでくれる?人の頭の中」


膨れ面で言い返して、折り目を付けたページをそっと破る。


「いつもは色鉛筆のラフから入るみたいだったから、使えなかったどうしようかと思ったけど、コレも役に立ったみたいだな」


無造作に広げられたままのカラフルなペンたち。


つぐみが愛用している色鉛筆とは素材も、発色もなにもかも違う。


文具メーカーを巡って探し歩いた、芯が柔らかくて伸びの良い24色の色鉛筆は、つぐみの相棒であり宝物でもある。


いつもの子たちが傍に居ないのは不安だけれど、白黒ではどうしたって伝わらない雰囲気や、イメージは、今テーブルの上に載っているペンで十分に描き出せた。


後は、脳が休まないうちに帰宅して、加工修正だ。


12時前には眠たくなる身体も、ひさびさの創作モードのせいか少しも眠気が襲ってこない。


栄養ドリンクの一本も買って帰ろうかと思っていたけれど、これなら朝まででも行けそうだ。


今は、とにかくこの生まれたばかりのアイデアを、練って煮詰めて、形にしたい。


タイミング良く9色ものカラーペンを取り揃えてくれていた店主に感謝する一方、疑問も残る。


「なんで・・・色鉛筆愛用してる事知って・・」


金原は、もっぱらパソコン派でイラスト用ソフトを使ってデザインを起こす。


今時はそちらのほうが主流なのに。


「次郎丸さんが」


「社長~~っ!!」


あんのおしゃべりじじいめ!!


10歳年上の男を捕まえてじじいは失礼だとは思うが、今日だけは許してほしい。


「よく見てるんだな、あの人。色鉛筆与えたら、子供みたいに喜んでたって言ってたけど、コレでも同じだったし」


「ちょっ!失礼ね!喜んでません!助かったとは思ったけど、こうなった原因はあんたなんだから。デザイナーが描けなくなったら終わりなのよ、わかる!?仕事失くしたら、どう責任取るつもりよあんた!」


ハチャメチャな道理もいいところだ。


それでも怒りは収まらない。


描きたい、作りたい、生みだしたい。


それはクリエイターの性だ。


その希望を、源を絶たれたら、ものづくりの命は終わる。


何も浮かばなくなったら、おしまいなのだ。


「それはないでしょ。死ぬまで描くよ、あんたは」


「えらそうな事言わないでくれる!?」


知ったような事を言われたくない。


キャンパスノートの走り書き数ページで何が分かると言うのだ。


噛みついたつぐみに、六車が切り返した。


「俺の作ったラフデザイン、どうでしたか?」


さっきと同じ質問だ。


けれど、つぐみの答えはさっきとは違う。


「・・・・すんごいむかついた!!」


悔しい、なんて綺麗な言葉じゃ追いつかない。


純粋にむかついた、それだけだ。


なんでこんなやつに、こんなデザインが作れるんだ?


何も知らない筈なのに。


うちの店が何を大切にしていて、あたしがどんな夢を描いていて


どこに向かおうとしてるのか、何にも分かってない癖に。


微妙に見え方は違っても、すとんと、ひっかかりなく心に収まるデザイン。


つぐみが新店に向けて抱いている憧れの、上澄み液を掬い上げたような、悔しいほどに眩しい答えを、六車は差し出してきた。


今回の新シリーズは、つぐみのこれまでのデザイナー人生すべてを掛けた大仕事だ。


これまで店に付いてくれたどの客層も、少しも損なうことなく、新しい一面を上手く提示できるデザイン。


考えれば考える程行き詰って、八方塞がりの中で、苦し紛れに次郎丸に伝えた、淡い淡いイメージ。


六車が、それをどんな風に解釈してこの仕事に取り掛かったのかは分からない。


けれど、アメリアという店と商品に対する敬意と愛情は、十分すぎる位に伝わった。


伝わってしまった。


本当なら、誰にも負けないデザインを提示して、これから生み出すシリーズに挑む気持ちで設計を依頼したかったのだ。


真っ新な靴と、まっさらな店舗。


刺激し合って二人三脚で頑張れたら、と思っていた。


それは絶対無理だけれど。


子供じゃあるまいし、面と向かって悪口を言うなんて何年ぶりだろう。


友達とでさえ、ろくにこの数年喧嘩もしていないというのに。


唇をひん曲げてぶすっと膨れ面で憎々しげに言い切ってやると、六車はなぜか満面の笑みを浮かべた。


腹が立ちすぎて笑えてきたのかと、身構えたつぐみに笑みを湛えたままで告げる。


「それって、最高の褒め言葉だよ」


「・・・あんた・・・馬鹿なの?」


口をついて出たのは率直な感想。


むかつくがどうして誉め言葉になるのか全く理解できない。


眉根を寄せるつぐみに、六車が肩を竦めてみせた。


「認めたくない位、良かったってことでしょ、それ」


「じ、自意識過剰にもほどがあるわよあんた!!」


即座に言い返したつぐみは、すぐさま視線を逸らしてノートを破る作業に専念した。



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