第3話 休日と偶然

つぐみの休日の行動パターンはほぼ2択だ。


気の置けない女友達と、ストレス発散のショッピング&カラオケ。


もしくは、おひとり様散歩と、街角ウォッチング。


年々少なくなっていく、未婚彼氏ナシの女友達とのデートは物凄く貴重だ。


子持ちの友達も、人生の先輩としては貴重だが、会話の内容がだんだんかみ合わなくなってくる。


旦那や姑の愚痴や、子育ての悩みを聞かされても、こちらは苦笑いしか返せない。


現在進行中の恋愛を満喫中の、彼氏持ちの惚気話も然り。


休日のお泊りデートがどうの、彼氏との相性がどうのと語られても、赤面するより他にない。


さすがに年齢=彼氏いない歴とは、親友にしか話していないが、幸せ絶好調の恋愛中の女友達との会話には、もうついていけない。


人気のデートコースと言われてもちんぷんかんぷんだし、社内恋愛あるあるを聞かされても、ぴんとさえこない。


女友達が恋しい彼と愛を確かめ合っている頃、こちらは必死になってファッション雑誌をめくって、アイデアの元になる切り抜きを集めながら、深夜バラエティを見て笑っているのだ。


完全独身主義の親友と、夕飯を食べた帰り道、いつも通る駅までの道を、わざわざ外して裏通りを選んだのは、歩道を行き交う眩しいカップルの笑顔に、心がざわついたからだ。


各駅停車の電車は、この時間別れを惜しむ恋人たちの熱でむせ返りそうな暑さだし、ひとりで乗り込むのは勇気が要る。


同じように仕事命で情熱を捧げられる仕事を持てた事に誇りを持とうと励まし合った親友は、つぐみの凹みっぷりを大いに嘆いていた。


親友、祐凪(ゆな)は、つぐみの学生時代からの数少ない友人で、長身と名前に対するコンプレックスも熟知している。


背中を丸めて歩くつぐみを、ヒールを履いた少し上の目線から見下ろして可愛い、と言ってくれる貴重な存在だ。


「そんなよく知りもしない男の一言で、あんたが傷つくいわれがない!忘れちゃいなさい!ベタで綺麗に塗りつぶしてやるわ、その馬鹿!」


副業である漫画用語を取り出して、拳を握った祐凪は、締切が近いため、定番のカラオケに行けない事を再三詫びて、別れ際につぐみを抱きしめた。


「あんたの作る靴は、女の子の味方でしょ?つぐみが履きたくないなら、私に履かせたい靴、作ってよ。私が、あのクソつまんない商社で、意味ない伝票に埋もれて必死に妄想してる毎日を、ちょっとでも鮮やかにしてくれる、ヒロインになれる靴、作って」


祐凪の発言に、目から鱗がばらばらと落ちた。


落ちまくった。


これまで、つぐみにとって靴は女の子の、強いては”自分”の為のものだった。


だから、デザインにも、生地の選択にも、縫い目にもとことんこだわった。


履いて不快感を与えるような靴は、絶対に売りたくなかった。


今の自分を認めてくれる”肯定してくる靴”を作る事が、全てだった。


「ゆ・・・祐凪ぁぁ!!」


親友が女神に見えた。


学生時代、いつも彼女の上げるトスを打ってきた。


つぐみが飛びやすい、狙いやすい絶妙の角度と高さで、最高のボールをくれる彼女は、最強のセッターだった。


165センチの彼女が、ヒールを履くようになったのは、つぐみが身長を気にしている事を知ってからだ。


”大きいのが2人なら、気にならないでしょ?”


さらりと言ってのけた彼女の優しさに、いつも救われてきた。


「はいはい、泣かないで、私が男じゃなくてごめんね。男だったら、あんたにこんなみじめな思いさせないのに」


出会ってから、もう何十回も繰り返されたセリフだ。


あたしの王子様が祐凪だったらいいのに、と思ったのは一度や二度ではない。


次郎丸や中島の前で泣くわけにはいかないが、彼女の前では完全にただの”自分嫌いの気弱な女”に戻れるのだ。


「もういい、祐凪と結婚する~」


「色々それは難しいから、ちょっと待って。あんたがどうしようもなくなったら、その時は、私の養子にして面倒みるから」


心強りセリフに、つぐみはうんうん頷いた。


「それを心の励みにして生きるわ」


持つべきものは親友。


今なら、彼女の為に素敵なハイヒールが描けるかもしれない。


柄物の洋服が嫌いで、休日はいつもワントーンの落ち着いたマキシワンピを身に纏う祐凪。


通勤服は、パンツスタイルと決めている祐凪の足元はいつも黒のパンプスだ。


疲れないように、とストラップ付きを好む彼女に合わせて何パターンかデザインを考えよう。


バスで帰る祐凪を見送って、人込みを避けるために、裏道に入る。


一気に少なくなった人込みにほっと息を吐いて、ゆっくりと歩き出す。


と、角にある小さなカフェから、男が1人出てきた。


その横顔に、思わず無意識に声が出ていた。



「げっ!」


祐凪に履かせたいデザインでいっぱいになった頭が一気に現実に引き戻される。


にしても、まさか大人になってこんなあからさまに声を上げて拒絶反応を示す相手に出会うなんて思ってもみなかった。


黙っていたら気づかなかったかもしれない。


いや、細い路地だ、きっと気づいた。


どちらにしたって顔を合わせる最悪の運命だったのだ。


踵を返したい気持ちでいっぱいなるが、負けじと踏ん張ったのは、逃げるのが悔しかったから。


つぐみが漏らした声に気づいた六車が、ちらりとこちらを見て、立ち尽くすつぐみを発見する。


思い切り引き攣った表情で棒立ちになるつぐみを一瞥して、六車は鼻で笑った。


「そんな拒絶反応しなくても」


そんな事言われたって嫌なものは嫌だ。


さっきまでのウキウキ親友デートの幸せな余韻を返せ。


なじりたいのか、逃げ出したいのか、もうどっちか分からない。


すかさずつぐみの足元を確かめた六車が、足早に近づいてきた。


「へーえ・・あんた休日もそんな感じなんだ。徹底してヒールは履かない主義?」


心なしか先日より高い位置から聞こえる気がする声。


さらに猫背度が増してしまったのだろうか。


お願い、今だけは伸びて背筋!


「そ、それが何か!?なんで幸せな休日にあんたの顔なんて見なきゃなんないのよ!この道通るんじゃなかった!用事はないの!あたしは帰る所なんだから、邪魔しないで!さよなら!」


思い切り俯いたまま、六車の顔を一度も見ようとせず、そのまますれ違おうとする。


一分一秒早くこの場所から離れたい。


値踏みするような彼の視線の前にはいたくない。


「ひっどい言い分だな。幸せな休日って、デート?」


「親友とデートよ!悪い!?」


いちいち突っかからないでほしい。


というか、何も自ら進んで自分の休日の予定を暴露することなんて無かったのに。


動揺しまくった自分の思考を呪う。


「あんたさ、もうちょっと普通に会話出来ないの?」


からかうような声音で問われて、頬が赤くなる。


「普通にしたいわよ!こっちだって!」


でも無理、絶対無理だ。


「そうやって捲し立てるの、怖がってますって言ってるようなもんだけど」


「怖くなんかないわよ!なによ、さっきからあんた、あんたって!失礼ね!」


「つぐみさんって呼んだら怒るくせに」


「八月一日って呼んでよ!」


「面倒だから、じゃあ、八月さんでもいい?」


昔、さんざん呼ばれたあだ名だ。


「やめて!」


反射的に叫んでいた。


往来でこんな風に大声を出したのは初めてかもしれない。


ここが裏路地で良かった。


「ならつぐみさんで」


決定事項のように言った六車が、思い出した様に付け加えた。


「ラフデザインは気に入ったけど、俺を外したいって?」


「っな!!」


次郎丸しか知らないはずの機密事項。


本人の耳に入る事は永遠に無いだろうと思っていたのに、どうして。


愕然と六車の顔を見たつぐみに、口角を持ち上げて彼が笑う。


「色々面倒なとこがあるヤツだから、突くのはやめてやれって、おたくの過保護な上司が」


なんってこと言うのよ社長の馬鹿!!!


そんな風に言われたってちっとも嬉しくなんかない。


情けなさが増すだけだ。


もうこうなったら開き直ってやる。


「あんたの事嫌いなの!嫌なの!だから外してって言ったわ!悪い!?」


面と向かって異性を嫌いと罵る日が来るなんて、まさに青天の霹靂。


結構な暴言だと思うが、目の前のイケメンは、さして気にした素振りも見せずに、別の事を言い出した。


女子からモテるという絶対の自信があると、どうでもいい女に言われた一言なんて、痛くもかゆくも無いんだろう。


「悔しいって、最高の褒め言葉だよな」


あの画像の感想だ。


そんなところまで漏れているとは思わなかった。


「・・・っむ、むかつくのよ!」


彼の頭の中にあるデザイン画を思い浮かべると、自分の中にあるイメージを盗み見られたような気になる。


そのうえで不足を綺麗に補って、導き出された正解に歯噛みしたくなる。


「すっごいむかつく!なんであんたがあのデザイン作ってくんのよ!ほんっと腹立つ!すっごい腹立つ!!おかげでせっかく・・・描きたいって思えたのに・・・」


祐凪のおかげで沸いて来た素敵なイメージが、あっという間にしぼんでいく。


六車に出会わなければ、鮮やかな世界に浸って、スケッチブックを思い切り彩れただろうに。


人によってまちまちだとは思うが、つぐみは、デザインに関しては練って起こすタイプではなく、直感でざくざく描き進めるタイプだ。



頭の中にあるイメージを何でも全部、曝け出して書き連ねる。


描いて描いて、気絶するまで描いて、疲れて眠る。


次に目覚めた時に、それまで描いた紙の山をかき集めて、ひとつひとつを検分して、さらにイメージを掛け合わせる。


思い付きでもなんでも、すぐに絵にするつぐみが、何をしても描けなくなってしまった。


その反動のように、描きたい願望が身体中に広がっていく。


けれど、目の前の男のせいで、その眩しい幸せな気持ちが泡のように弾けはじめていた。


つぐみの言葉に、余裕の笑みを浮かべていた六車が表情を一変させた。


「浮かんだの!?イメージが!」


「だから!そう言ってるでしょ!!さっきまであった幸せで可愛くて優しいイメージがどんどん萎んでいくの!全部あんたのせいよ!!描けなくなったのもあんたのせいなのに!!今度はあたしが描こうとする意欲まで奪おうっていうの!?この最低おと・・」


最強の罵りは、途中で途切れた。


六車が、つぐみの手を掴んだからだ。


「来て!」


「っはあ!?」


つぐみの返事も待たずに、六車は元来た道を僅かに戻って、ついさっき出てきた店に飛び込んだ。


カランカランとドアベルが勢いよく鳴る。


薄暗いカフェは、赤みの強い間接照明が等間隔で付けらている。


陽が暮れてしまったこの時間、窓際のテーブル席には、手作りらしいキャンドルが置かれていた。


じりじりと揺れる蝋燭の火が、ほのかに丸テーブルを照らしている。


落ち着いた雰囲気の店に相応しく、散歩途中に立ち寄ったらしき老人がひとりと、カウンター席にカップルが一組、窓際のテーブル席に女性客がひとりいるだけの店内を、BGMのジャズがゆったりと包み込んでいる。


さっき出てきたばかりの六車が戻って来た事に、カウンターの中に居た店員が目を丸くする。


その後ろに居るつぐみを見て、さらに目を丸くした。


「壱成くん、どうしたの」


黒のエプロンをつけた中年男性が、きょとんとした顔のままで尋ねた。


「津金さん、悪いんだけど、色鉛筆と、紙貸して!無かったらえんぴつでもいい!」


「え・・・なんでまた」


「ごめん!ほんと急いでるんだ!」


いうなり、つぐみの手を掴んだまま、パーテーションで仕切られた奥の席へと向かう。


驚きで声も出せないつぐみは、引きずられるようにして彼の後に続いた。


「紙は、これでいい?色鉛筆は・・カラーペンじゃだめ?」


お店のレジ前に置いてある、お客様から、お店への一言ノート。


一人客が多いので、時間つぶしにと始めた伝言のやり取りが意外と人気で、最近では悩み相談が書かれることもあるらしい。


そんなノートと、輪ゴムで留められたペンの束を手に、津金の妻が席にやってくる。


「奥は、貸し切りにしておくわね」


片目を瞑って微笑んだ彼女に、六車がありがとうと応えて、受け取ったそれをつぐみの前に差し出した。


「今はこれしかないけど、ほら、忘れないうちに描き切っちゃいなよ」


「・・・え」


「え、じゃなくてさ。ほら、早く。こーゆうのは、インスピレーションが大事だから。手、動かして。かけらでも書き残しておけば、後から思い出して修正も利くだろ」


「・・あ・・・」


イライラした六車が、手短にあったピンクのペンのキャップを取って、つぐみの手に握らせる。


様々な人の字が、罫線を無視して羅列された数ページをぱらぱらとめくって、白紙のページに辿り着く。


右手にあるペンで、白い紙をトン、と叩いた途端、世界が一変した。


目の前にあるはずの六車の顔が一気に遠くなる。


代わりに浮かんだのは、さっき別れた祐凪の顔だ。


バレーをしていたから、肩はしっかりとしていたが、彼女の足首は羨ましい位細かった。


綺麗に筋の入った足首を、部室の中で何度も凝視してはこっそり溜息を洩らしたものだ。


つぐみのような、骨ばったのっぽの薄っぺらさではなくて、女性らしい曲線を併せ持った綺麗な肢体を祐凪は隠していた。


自分の世界は二次元が全てと熱く語る彼女が、眼鏡で隠した綺麗な顔を、つぐみは誰より傍で見つめてきたのだ。


祐凪の足元を彩るヒールなら、少し太めがいいかもしれない。


しっかりしたヒールで、柔らかくて、ストラップが無くても脱げないものを一足。


スカートにも合わせられるように、さらに華奢なデザインも作ろう。


こっちは細いストラップを通して、ベルトをカラーチェンジ出来るのはどうだろう?


生地は、レース生地の上品で、でも丈夫なものを。


ヒールには遊び心を加えて、祐凪の好きな蝶のデザインを入れてみる。


次々浮かぶアイデアを夢中になって書き連ねていくうちに、あっというまに時計は深夜を回っていた。





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