第2話 理想と現実

アメリア。


愛されるもの、という意味を持つ店舗名は、次郎丸と前社長と、つぐみの三人でつけた。


履くたびに勇気を貰える、未来に向かって歩き出せる。


街を歩く女性を、みんなが愛おしくなるようなブランドにしたくて名付けた。


女性がひとりでもふらりと立ち寄れる、敷居の低さと、店舗全体を包み込む優しい雰囲気。


従来の靴をメインに押し出したディスプレイではなく、それぞれのデザインに合わせた空間に、配役のひとつとして靴をセッティングすることで、店内を見て回る楽しさもプラスした。


素朴で馴染みやすいカジュアルな内装は、小物も細部までこだわっており、店の雰囲気に惹かれました、なんて言って貰えることもある。


そういう気安さはそのままで、少しだけ背伸びをして、イイ女の階段の一段目を上る気持ちで、新シリーズを立ち上げた。


だから、おぼろげながら、白っぽいカラーを基調にしたいと次郎丸に伝えておいたのだ。


次郎丸と六車が打ち合わせの際にどんな会話をしたのか、つぐみは知らない。


けれど、目の前で開いたファイルから飛び出した画像は、間違いなく、足を踏み入れたくなる素敵な空間を描き出していた。


これまでの店舗の雰囲気を損なうことなく、新しい要素として加えられた”白”のイメージは、申し分なかった。


悔しいほどに。


これをあの男が描いたんじゃなければ、手放しで喜べるのに。


こんな素敵なデザインを考えて下さったんだから、あたしももっとお洒落な靴をデザインしてみせます!みたいな。


「思わず立ち止まってしまうお店ですね!」


はしゃいだ声を上げる金原の評価は正しい。


きっと道行く女性の8割が店を覗いてくれるだろう。


ラフデザインでこれなのだ。


ここからさらに、壁紙素材や、設置家具を詰めていけばその魅力はさらに倍増されるに違いない。


本来なら、前のめりで次回からの打ち合わせに同席したいところだ。


立て込んでいるスケジュールをかき分けてでも。


まるで親の仇でも見つめる様に、渋い顔で画面を睨み付けるつぐみに、金原が苦笑を浮かべる。


「才能のある人って、どこか足りなかったりするっていいますもんね。きっと、つぐみさんに言った言葉も、六車さんにとってはなんてことない会話のひとつなんですよ。忘れちゃいましょう」


「・・・うん・・・そう・・よね」


ここで怒っていても始まらない。


これからだってきっとこんな事が何度だって起こる。


今のこの環境が、恵まれすぎているだけだ。


背が高いという事実を突きつけられるたび、凹んだり傷ついたりするなんて、これでは本当に六車が言っていた子供だ。


でも、残念でしたっ!


思春期のあたしはもっと苛烈で負けん気が強かったから、デカい女扱いされたら、その場でカチ切れて引っ叩いてたわよ!


中学1年生の夏に急に大きくなったつぐみは、二学期のあたまから、しょっちゅう同級生の男子に”のっぽ八月”とからかわれていた。


もちろん、黙って耐えていたわけじゃない。


椅子を振り回して追いかけて、どやしつけて謝らせた。


大人になった事を褒めて欲しいものだ。


六車から送られてきた画像を閉じて、再びスケッチブックに向き直る。


新店舗開店に当たって、新規採用したメンバーは三人。


みんな若くて可愛い女の子ばかりだ。


彼女を率いてくれるのは、長年大阪の店舗で副店長を任されていたベテラン店員。


彼女たちが、笑顔で勧められるようなとびきり可愛くておしゃれな靴をデザインしたい。


意気込めば意気込むほど、握った色鉛筆は動かなくなる。


色合いさえも浮かばないなんて重症だ。


完全に手が止まったつぐみに、金原が気分転換にお散歩に行ってみたらどうすか?と提案してくれた。


市営団地の前の大型公園まで足を延ばしたり、小学校横の市立図書館で資料を探すのもいい。


確かに、椅子に座ってうんうん唸ってもどうなるものでもない。


それに・・・


「ちょっと社長室寄ってから、コンビニでも行って来るわ。


今日の出荷多いようなら間に合うように戻るから」


財布とスマホだけ握って椅子から立ち上がる。


事務担当2名と、出荷担当3名、デザイナー2名で回している業務は、常にカツカツの状態だ。


商品の梱包から配送手配は、社長も含め手の空いている社員全員で行うのが常だった。


「はい、いってらっしゃい」


笑顔を浮かべてくれた金原に感謝しつつ、デザイン室を出る。


秋も深まったとはいえ、午後二時の日差しはまだまだキツイ。


最近お気に入りの帽子を取りに戻ろうか迷って、日差しの具合を確かめるべく階段から身を乗り出したら、ビル前に中島の愛車が停まっているのが見えた。



念の為のノックを二回。


中の様子は確かめなくても分かる。


次郎丸の声が階段まで響いていたからだ。


楽しそうな談笑の相手は決まっている。


他の相手が尋ねてきているのなら遠慮したが、相手が中島なら話は別だ。


気心知れた中島は、週に一度は必ず帳簿確認の為に顔を出すから来客というよりは、会社の一員のような扱いになっている。


「つぐみです」


入ってもいいですか?と尋ねる前に、次郎丸の入れー!という大声が返ってきた。


古びた木のドアに付けられた真鍮のドアノブをゆっくり回す。


隙間から中を伺うと、次郎丸お気に入りの革張りのソファに、こちらに背中を向けて座っていた中島が振り返ったところだった。


「やあ、つぐみちゃん」


次郎丸と比べると色白で華奢な印象を受ける穏和な笑顔とぶつかる。


次郎丸の笑顔はまるで太陽のようだが、中島の笑顔は、その太陽を僅かに遮って心地よい温度にしてくれる木陰のような柔らかさだと思う。


見ているとほっと和んでしまう黒縁眼鏡に軽く会釈して、つぐみはいつものようにいらっしゃいませ、と微笑む。


「今日の帳簿チェックは終わったんですか?」


「平良さんが伝票処理でバタバタしてるから、こっちで時間潰させて貰ってるんだ。将棋の続きをしようって提案したんだけどね、滉一が嫌がるから」


「社長連敗記録更新中ですもんね」


「俺が滉一に勝てるのは、将棋位のもんだから。昔っから運動させたら右に出る者はいなかったし」


「でしょうね・・・なんか、太陽の下が似合いますもん、うちの社長」


「お、いい誉め言葉だなぁ、つぐみ」


嬉しそうに顔を綻ばせて、次郎丸がアイスコーヒーを口にする。


差してあるストローを使わずそのまま口に含むのが彼のお決まりのスタイルだ。


真美子がここにいたら、すかさず”ストロー使って!こーちゃん”と叱っただろう。


「そのくせ勉強はさっぱりだったって、会長が嘆いてらっしゃいましたけど」


「頭で考えるより直感で動くタイプだからな、滉一は。おかげで、将棋では負けなしで来させて貰ってる」


完全に得意分野が別れる二人に、どんな共通点があって10年以上も友情が続いているのか不思議ではあるが、楽しそうに話す様子を見れば、親友同士だといわれて疑う者はいない。


「これ以上負けるのが嫌で、将棋の勝負はお断りしたわけですか」


やれやれと、珍しく下にある上司の頭を見下ろせば、うるせぇな!と乱暴な返事が返ってくる。


こういう素直なところは、年下のつぐみから見ても憎めない。


「今、将棋本と睨めっこして勉強中なんだよ」


「ああ、そうですか・・」


「それよりどうした?用事があったんだろ」


「あ、はい。えっと・・次に、六車さんとはいつ会うんでしたっけ?」


「来週向こうの事務所でもうちょっと詰めるつもりだけどな。今度はお前も来るだろ?スケジュールどうにかしろよ。さすがに、抽象的なイメージだけでこれ以上具体案出すのも限界だぞ、六車も」


「そのことなんですけど・・・」


言いかけて、向かいに座る中島に気づいて言葉を止めた。


勢いで押しかけてしまったけれど、ここでつらつら話す内容ではない。


「俺、席外そうか?」


「あ、いえ!とんでもないです!押しかけてきたのはこっちなので、中島さんはゆっくりしてください!ぜひ!」


動かないで、と立ち上がりかけた肩を押し留めると、中島が堪え切れず吹き出した。


「そんな必死に押し留めなくても大丈夫だよ、つぐみちゃん」


「あ、す、すいません・・」


慌てると回りが見えなくなるのは昔から直らない悪い癖だ。


「久しぶりにつぐみちゃんぽい表情が見られたな」


「え、悪口ですか!?」


「ここ最近、いつも仕事中気を張ってる感じだったからね」


さすが、長年顔を合わせているだけの事はある。


あの飲み会以来、ピリピリした空気を纏っていたつぐみに、中島は気づいていたのだ。


バツが悪そうに俯いたつぐみに、次郎丸がそれでー?と問いかける。


詳しい話は後にして、これだけは言ってしまおう。


心に決めたら早かった。


「あのラフデザインは・・悔しいけど、素敵だと思います。でも・・・あの・・・無理なお願いかもしれないんですけど・・あの、デザイン案だけ頂いて、担当を他の人に変えて貰う事ってできませんか?」


失礼に当たる事は百も承知。


けれど、それ以上に、六車壱成とこれ以上顔を合わせたくなかった。


次の打ち合わせに参加したとしても、まともに会話できる自信が無い。


なにより、彼の”デカい女だな”という視線に晒される事が屈辱だった。


つぐみの苦手意識はもはや最高潮に達していた。



「なんだ、お前は・・・初対面で喧嘩でもしたのかー?」


突然の申し出に、次郎丸が目を丸くする。


それもそのはずだ。


自分でもこんな申し出が簡単に通るなんて思っていない。


けれど、次の新店は、間違いなくつぐみの大きな一歩になる。


その大切な仕事に、気の合わない相手と一緒に携わりたくはなかった。


歩み寄る、以前の問題だ。


彼とは根本的に合わない。


つぐみの中の感覚がそう告げている。


身長と名前の事を言われて、気分を害したなんて子供じみた言い訳はしたくなくて、話を逸らした。


「・・・愛知を担当してくれた・・・あの、橋田さんにお願いとか」


次郎丸は、自分の仕事に誇りを持っている。


同じ様に誇りを持って仕事をする人間を心から尊敬し、大切にしている。


だから、適当な言葉で相手を損なうような発言は、絶対に許さない。


「つぐみー、六車の仕事はどう思ったんだ?」


静かな、けれど有無を言わさぬ強い声音で問われた。


穏やかな口調なのに、叱られた気になるのは、新入社員の頃から、仕事でミスをする度、デザイン修正の指摘を受けるたび、自信を無くして自己否定に走るつぐみを、何度も次郎丸が諭してきたからだ。


彼が誠意を持って携わった仕事を、途中から奪う様な真似を、次郎丸が許すはずがない。


分かっていたことなのに。


「・・・きちんと・・アメリアを見て・・・お店の事も、客層も理解したうえで、起こしてくれたデザインだと思います。こっちの要望も、きちんと掴んだうえでの提案だと」


苦い思いで口にしたら、次郎丸がテーブルに置いていた煙草を引き寄せて、黙ったまま火をつけた。


中島が瞬時に空気清浄機を入れて、副流煙が流れる方向を確かめる。


「つぐみちゃん」


優しい声音で呼ばれて、中島の隣に腰を下ろす。


立ったままでは、煙を浴びると彼が気を利かせてくれたのだ。


「そこまで分かってて、今の発言すんのかぁ、おまえ」


「・・・それは」


「わけがあるなら、ちゃんと話せよ。六車に非があるならちゃんと謝罪させてやる。お前がそんな顔する位なんだから、よっぽど気に食わん事があったんだろ?」


次郎丸は部下を大切にする男だ。


つぐみが無下に傷つけられたと訴えれば、六車にクレームを付けてくれるかもしれない。


けれど、泣きつくなんて真似、絶対に出来なかった。


「あ、あたし・・・あの人嫌いです・・・」


「嫌いって・・・女子が騒ぐイケメンだろ。なんだ、口説かれたのか?」


「滉一!?」


ぎょっとなったつぐみより先に、中島が真顔で訊き返した。


それからつぐみに視線を向ける。


どうしてそんな話になるのか。


ぶんぶん首を振ったつぐみを見て、中島が平静を取り戻して背もたれに身体を預けた。


「なんであの一瞬でそんな話になるんですか・・・全然違います・・・なんか・・ぶしつけだし・・・あたしとは合わないっていうか・・・」


「そうかー?」


つぐみの言い分を聞いていた次郎丸が、煙を吐き出しながら、がしかしと後ろ頭を掻いた。


太い指に挟まったほっそりした煙草が、やけにしっくりくる。


健康を害する喫煙はお勧めできないし、匂いも得意ではないが、次郎丸と煙草は物凄く絵になる。


「俺は、お前と六車の感性は合ってると思うぞ」


「・・・どこがですか」


全然そんな風に思えない。


感性が合っているというなら、もっと穏やかに会話が成立したはずだ。


次郎丸や中島と話している時のように。


「つぐみの曖昧なイメージそのまま六車に伝えて、上がってきたラフがあれだぞ?どっか似てるトコがあるから、お前好みのデザインが浮かぶんじゃねぇのか?俺は、あの画像貰った時、すぐにつぐみの顔が浮かんだよ。気に入る事間違いなしだって、太鼓判押して、六車に返信した」


「っな・・・」


「なんだ、気に入ったんだろ?あのデザイン」


「そ、それは・・」


「小学生の喧嘩じゃあるまいし・・・何意地張ってんだよ。納得のいく仕事が返って来たんだ、素直に喜べ。お前のその言い分は、出てこない新シリーズのイメージで焦った、ただのやっかみだろう」


「っ!!」


痛いところをグサリと突かれた。


曖昧で何も形を成していないつぐみの頭の中の、わずかなイメージのかけらを膨らませて、六車が完璧な仕事をして見せた。


それが、物凄く悔しい。


だから、会いたくないと思ったのだ。


負けた事を認めるみたいだったから。


ヒールが履けない事も、ヒールが描けない事も。


自分を認められない事も。


全部、六車壱成のせいにして、逃げてしまいたかったのだ。





次郎丸は優しいけれど、仕事対する姿勢に関しては容赦なく厳しい。


力が及ばず出来ない場合は、一切咎める事をしないが、真摯な態度で取り組まなかった場合には、徹底的に責め立てる。


長年一緒に仕事をしていたから、分かってはいた。


けれど、こうして真っ向から切り込まれると、物凄く痛い。


「気を遣わせてすみません。中島さん、お仕事があったのに」


「夕飯買いにコンビニに行こうと思ってたところだから、丁度いいよ」


ハンドルを握る中島が、丁寧にカーブを曲がる。


彼の運転は正確で優しい。


前後を走る車は勿論、同乗者への配慮も常に忘れない。


無言になったつぐみの肩を軽く叩いて、コンビニ付き合って欲しいんだけど、時間ないかな?と切り出した中島は、言いよどむつぐみの手元を指差して、出かけるつもりだったでしょ?と笑った。


タイミング良く降り出した通り雨のせいもあって、大人しく助手席に乗り込んだつぐみは、フロントガラスを弾く雨粒をぼんやり眺めたまま、次の言葉を探した。


「社長が言ってましたけど・・夜まで会社に居る事が多いって本当ですか?コンビニ弁当とか、カップ麺だと、体調崩しちゃいますよ」


祖父の代から続く会計事務所を継ぐ予定の中島は、引継ぎのせいもあり、抱えている案件が多いのだと聞く。


次郎丸は妻帯者なので、家に帰れば健康的でバランスの良い食事が待っているが、中島からは出会ってこの方浮いた話を聞いた事が無い。


いつも皺の無いスーツをきちんと着こなしている彼は、常に清潔感に満ちている。


不摂生をしているとは思えないけれど、やはり心配になった。


「ありがとう。無理して話さなくていいんだよ、つぐみちゃん」


「・・え?」


「俺にまで、気を遣う必要ないからね。その為に連れ出したわけだし」


「・・・あ・・すみません」


新入社員の頃ならまだしも、今の立場の自分が会社で取り乱したり、泣いたりするわけにはいかない。


あのままデザイン室に戻っても、金原を余計心配させるだけだ。


次郎丸には、なんとか謝罪の言葉を口にしたが、そう簡単に気持ちは切り替えられない。


欠点だらけの自分を、自分の足だけで支えていられる自信がない。


だから、倉庫の隅に行ってしゃがみこむ前に、中島が声をかけてくれて本当に助かった。


点けっぱなしのFMラジオから流れるのは、80年代の洋楽ナンバーで、言葉の意味は分からないけれど、耳触りの良いメロディーに少しだけ心がほどけた。


仕事を始めたばかりの頃は、三十路も手前の頃には、もっと自立した大人の女性になれていると思っていた。


仕事も恋も完璧にこなして、女っぷりも上がって、もっと自分に自信を持って歩いていられると。


けれど、29歳を目前に控えた今の自分は、恋はおろか仕事でさえきちんとこなせない、どうしようもないコンプレックスの塊だ。


誰かを心から愛したり、愛されたりする以前に、仕事場できちんと自分の役割を果たせていない。


自分が履きたいと思えるデザインを起こして、イメージ通りの生地や形を選んで商品を作る事とは全く違う、ゼロから、これまで手を出した事のない新しいものを生み出す作業は、想像以上のプレッシャーだった。


旨がときめく”素敵”なものを作ろう。


女の子がもっと可愛くなれる靴を考えよう。


機能性もあって、アクティブに動ける素材を探そう。


これまで次々浮かんできたアイデアの泉は、ここに来て綺麗に枯れてしまった。


あんなに何度も繰り返し読んだシンデレラの絵本。


女の子の憧れが全て詰まっている、つぐみが靴に興味を持つきっかけになった運命の一冊だ。


いつもは、それを手に取ると、勇気と一緒に創作意欲がむくむくと沸いて来るのに、今回は重たい溜息しか出てこない。


”おっきい女”


ネックになっているのはヒール。


生まれてこのかた一度も履いた事のないヒールに対する抵抗感が拭い切れていないのだ。


つぐみをさらに大きくするだけのヒール。


足を入れても決して胸ときめかないそれを、自ら進んでデザインするなんて、到底無理だ。


いつか、奇跡的に背が小さくなって、人込みに紛れてしまえるようになったら、履けたら”いいな”


そんな遠い憧れでしかない靴だから、この手で生み出したいと思えない。


いまの自分から遥かに縁遠いところにある靴を、必死に手繰り寄せようとしていた矢先に、六車からの一言。


シンデレラは、華奢なピンヒールを履いたって、王子様の身長を追い越すような事はなかった。


無言でハンドルを握る中島に視線を向ける。


身長180センチちょっとの長身の彼の隣でなら、大抵の女の子はどんなハイヒールも履きこなせるだろう。


「・・・世の中の男の人が、みんな中島さんみたいだったらいいのに」



つぐみの唐突すぎる発言に、中島はコンビニに車を乗り入れながら、苦笑を返した。


「ええっと・・それは、聞き流した方がいいのかな?」


「あ、いえ、ごめんなさい!!」


油断しすぎだから、あたし!!


ぼんやり頭で考えた願望がそのまま口に出ていたらしい。


今更口を押えたところで遅いが、そうせずにはいられない。


「ごめんなさいと、すみませんは、封印しておこうか?」


エンジンを切った中島が、つぐみに視線を向けて、柔らかく微笑む。


「あ・・・」


言われた途端謝罪の言葉が口をついて出そうになって、慌てて飲み込む。


中島だって、終始謝られっぱなしは気が滅入るだろう。


「いまのつぐみちゃんには、甘いカフェオレかな?それとも、甘いお菓子がいいかな?」


楽しそうに言って、中島がドアを開けて外に出る。


急いでシートベルトを外しながら、つぐみは中島に呼びかけた。


こんな風に気遣って貰うのは、慣れないから気恥ずかしい。


彼氏のひとりでも居れば、凹んだ時の異性への甘え方も分かっただろうが、部活馬鹿で通した学生時代を卒業した後は、仕事の事ばかり考えていたせいでグループデート以外のお付き合いを知らないつぐみには、こういう時の対応が全く分からない。


「あたし・・・いい年して、ほんと情けないですよね」


結婚して、子供を育てている同級生もいる。


恋人と将来を見据えて話し合いをしている同僚もいる。


みんな、自分以外の誰かと寄り添って”違う”部分を補い合って生きている。


誰ともそれが出来ていない自分は、どこか欠陥商品なんじゃないか。


今更過ぎる自分の弱点を突かれて、イライラして、相手のせいにして悔し紛れに逃げ出そうとして。


”痛いとこも、弱いとこも曝け出さなきゃ、他人と一緒になんていられない”


自分以外の人間と近づくというのは、そういうことだ。


生まれも育ちも、価値観も感覚も理想も、何もかも違う別の誰かと、同じ方向を見て歩いて行くんだから、ぶつかって当然だ。


でも、今の自分すら認められない自分が、誰かと寄り添えるなんて思えない。


あたしは、あたしなんか好きじゃない。


極論に行きついて、もうやだ、と今度こそ泣きたくなる。


好きじゃなくてもあたしはあたしだ。


他の誰かになんてなれない。


つぐみがどれだけ望んでも、小さくて可愛い普通の女の子にはなれないのだ。


こういうどうしようもない自分を、自分で抱えていくしかないと自覚した時、初めて思った事。


”お願いだから、折れないで、足。


堪えて、踏ん張って、負けないで。


逞しく生きるしかないんだから、めげないで”


ぎゅっと拳を握って息を吐く。


好きじゃなくても、変えられないんだから。


つぐみの言葉に、振り向いた中島が軽く首を振る。


「俺がつぐみちゃん位の時は、もっともっと情けなかったよ?きみはよく頑張ってる。滉一が、ああいう言い方をするのはつぐみちゃんにだけだからね。期待してるんだよ。年下の女の子たちを纏めるのは、大変だろう?下が増えれば増える程、頼もしさは増すけど、その分責任も増えるから。真面目なつぐみちゃんは、全部をきちんとしようと考えちゃうんだろうけど。滉一みたいにね、これと、これは任せた!って言い切っちゃうのも、ありだと思うよ。託すっていうのは、信頼の証でもあるから。その分、託された方は、努力もするし、成長だってする。俺が思うに、先輩っていうのは、頼りになるから先輩っていうんじゃなく、近づきたいと思えるから、先輩なんだと思うよ」


”頑張ってる”


その一言だけで良かった。


不完全で出来ない自分でも必死に抗って、なんとかやりくりしている自分を、こうして客観的に認めてくれる一言が欲しかったのだ。


今は、期待も、希望もかけられたくない。


ただ、そこにいるつぐみ自身を認めて欲しかった。


デザイン室を出る時の金原の顔を思い出す。


浮き沈みが激しくて、扱いにくい先輩相手に部屋に籠るのは気が滅入る事だろう。


もっとかなちゃんに、デザインの相談をすれば良かった。


背中を見せる事ばかり考えていた自分の姿勢に、改めて気づかされた。


「・・・ありがとうございます」


その言葉は不思議なくらい素直に口から零れ落ちた。


彼の言葉は、決して押し付けでも、説教でもなかった。


肩の力が抜けたつぐみの表情を見て、中島が目を細めて微笑む。


「うん、ちょっと落ち着いたみたいだね。じゃあ、糖分補給出来るもの、探そうか」


「はい」


しっかり頷いたつぐみを確認してから、中島が運転席のドアを閉める。


深呼吸をひとつして、つぐみは口角を持ち上げて、助手席のドアを押し開けた。


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