第28話 ⑦激昂

 ◆◆◆アデリーナ


 貴公子のような男のエスコートで屋敷から出てきた女性。


(なんて美しいの? まるで絵画みたい)


 それはエミリアだった。


「……エミリア?」


(待って? 待って待って、待って! そもそも屋敷から追い出されたのはエミリアのはず。そうよ? お母様が追い出してくれたじゃない)


 エミリア達に釘づけになっている彼女には、門番の「アデリーナ様?」という問いかけなど耳に入らない。


(それなのに私は謹慎させられて……。やっとの思いで抜け出して、王都まで来てみればエミリアが屋敷にいる?)


 エントランス階段の下りを、優しくエスコートする貴公子。それに微笑みで応えるエミリア。


(何を笑っているの? アンタはなんでそんなに奇麗な格好をしているの? どうしてキラキラと輝いているの?)


 片や自分は足が棒のようになって日焼けして疲れ果てて、服も平民が着るような服。洗えてもいない。


(私が……わたしが! こんなにつらい思いをしているっていうのに……。本当なら、私とヤミル様が――いいえ、あのような貴公子みたいな方が、あんな風になっているはずなのにぃ!)


「許せない」


(許せない許せない許せない――――)


「ゆるせないっ!」


 今の自分とエミリア、みすぼらしい衣服と輝くようなドレス、その差に怒りが頂点に達したアデリーナ。

 自然と足が二人の方に向き、歩き、駆け出していく。


「あっ! アデリーナ様、お待ちを!」

「うるさい!」


 彼女を引き止めようとした門番の腕を振り払い、アデリーナはさらに駆け出していく。


 ◆◆◆


 エミリアが客車のステップに足をかけようとしたその時。


「殿下。前方より一人向かって来ます」


 御者席のトムソンから声がかかった。

 エミリアもつられて目を向ける。


 まだ距離はあるが、全体的に薄茶色い服の女性。赤い髪を振り乱して駆けてくる。


「――ッ! アデリーナ!?」


 エミリアの驚いた声にマックスが反応する。


「アデリーナ?」

「い、妹です」

「妹? ……謹慎中のはずでは?」

「はい。――でも、本人です」



(エミリアエミリアエミリアエミリアえみりあえみりあエミリア!)


「エミリアぁぁあああーっ!!」


 叫びながらエミリア達に迫りくるアデリーナの形相は、形容しがたいほど凄まじい怒りの表情。

 そのあまりの剣幕けんまくに、マックスはエミリアを客車の中に避難させようとする。


「エミリア。中に入っていて」

「……いいえ。マックス様。私はあの子ときちんと話します」


「えーみーりーあーアアアアアア!」


 アデリーナが声をあげつつ、少しまた少しと近付いてくる。


「アレは……話が通じるとは思えないよ?」

「それでも、妹ですから……」


 エミリアも残念そうに伏し目で応えた。


「エミリアーー! お前の! お前のお前のお前の、お前のせいでーー!」


 ようやく馬まで辿りついたアデリーナが、もう少し先にいるエミリアに向かって手を伸ばす。



「殿下」


 トムソンの呼びかけに、マックスは無言で頷く。


 アデリーナが御者席の横を通過しようとしたその瞬間。


「御免!」


 ヒューゥウ

 ピシィー!!


 トムソンの持つむちが、風切り音をあげてアデリーナが伸ばしている腕を打ち据えた。

 馬の厚い皮膚・脂肪越しに刺激を与える為の鞭が、人間の少女のか細い腕に加速度をつけて直撃した。


「ギャー!」


 アデリーナが鞭の衝撃と痛みに、バランスを崩して前のめりに転んだ。

 御者席から飛び降りたトムソンが、できるだけ傷付けないようにうつ伏せのアデリーナにまたがって腕も取り押さえる。


「なっ、なにするのよ! 退きなさい!」

「落ち着いて下さい。ご令嬢」

「いやよっ! アイツ! アイツのせいで私がー」


 トムソンに動きを封じられてもなお、頭を大きく動かして逃れようともがくアデリーナ。


「アデリーナ? どうしてここに?」


 騒ぎを聞きつけたクリスも表に出てくる。


「お兄様ぁ。アデリーナを助けて! ねぇ? お願い~」


 クリスは(このような事態を引き起こしても、まだ自分第一か……)と、末妹をあわれんだ。


「お騒がせして申し訳ありません。アデリーナは私が何とかしますので、殿でん――二人は散策にお出で下さい」

「行かせないわっ! 私がこんな目に遭っているのに……絶対いやぁ!」


 クリスがトムソンからアデリーナの身柄を預かり、引き摺るように屋敷に連れていく。


 喚くアデリーナを見やりつつ、マックスが「どうする? エミリア」と聞く。


「マックス様……。申し訳ありませんが、私もここに残ります。せっかくお誘い頂いたのに……」


 エミリアは本心から残念そうに謝る。

 そんな彼女の肩に、マックスは柔らかく手を添えて優しく囁く。


「謝らなくてもいいよ? さっき君が彼女の事を『それでも妹だから』と言った。君のような境遇にいても、やはり妹を放っておけないという気持ちは私にも分かる」

「マックス様……」

「本音を言えば、君と同じ時間を過ごせないのは寂しいが、何も今日でなくてはならないわけではない。……また君を誘ってもいいだろうか?」

「もちろんです! マックス様」


 マックスの馬車が見えなくなるまで見送ったエミリアは、屋敷に戻り、着替えを済ませてからクリスの元へ向かう。

 その前には、奇麗に吊るされたマックスからのドレスを見やる。


(今度こそ、このドレスを着てマックス様と街へ行きたい! マックス様……)



「お兄様。アデリーナは?」

「とりあえず父上の書斎で、腕を冷やしながら椅子に縛り付けてある」

「書斎にですか?」

「うん。あそこは一番静かだし、部屋も暗くしてある。とにかく落ち着かせたいし……自省してくれるといいのだけれど」


 クリスは王城のリンクスにも報せたが、アデリーナの身は確保しているので、急ぐ必要は無いとも付け加えていた。

 夕方になって、「アデリーナが来ただって?」とリンクスが仕事を早く切り上げて屋敷に戻る。


「話を聞かない事にはどうにもならないな」


 リンクスが先立って書斎に向かう。

 扉を開けると、暗い部屋の中でアデリーナがひとり肩を落とし、俯いていた。


「アデリーナ……」


 三人が近付くと、アデリーナの小さな寝息が聞こえてくる。


「な? 呑気な!」


 クリスがいら立ち、強引に起こそうとするのをエミリアが止める。


「お兄様。アデリーナは末っ子。成人が近いとは言っても、十四歳でまだ子供です。それに……領地から王都まで来たのです。アデリーナにとっては大変な事ですよ? 疲れも出ましょう」


「エミリア……」

「そうだな。エミリアの言う通りだ。頭ごなしに怒るよりは、話を聞いてあげよう」


 リンクスが床に膝をつき、アデリーナを優しく揺すって起こす。


「アデリーナ? お父様だよ。アデリーナ?」

「ん……。お、とう、さま? ――お父様」


 リンクスに気付いたアデリーナが、大粒の涙を流しながら「お父様」と繰り返す。

 父も娘の涙を指で拭ってやりながら、「アデリーナ」と優しく呼びかける。



 アデリーナも落ち着き、エミリアを見ても騒がないので、縛りを解いて話を聞く。


「どうやって王都まで来たの?」


 優しい口調で尋ねると、領内の男子の協力で最寄りの宿場町に行き、そこから乗合馬車で来たという。

 エミリア達は驚いて顔を見合わせた。

 リンクスは、「家令ブラーバからは報告が来ていない」という。


「危ない目に遭わなかった?」


 アデリーナはボロボロと泣くが、何も言わなかった。ただただ「大丈夫」と繰り返す。



 アデリーナが泣き止むのを待って、再び話を聞く。今度は、そもそもどうして嘘までついてエミリアを追い出そうとしたのかを聞く。


「わたしはに、遊んで欲しかったの」



 ◆◆◆アデリーナの幼き日


「お母しゃまー! お姉しゃま、どこ~?」

「あらアデリーナ? どうしたの?」

「アデリーニャ、お姉しゃまとあそびたいの」


 アデリーナがヒスイ色の瞳を輝かせて、マリアンにエミリアと遊びたいとせがむ。

 しかし、マリアンは眉をひそめて返す。


「おやめなさい! あんな元平民のところに入り浸るエミリアに懐いてはダメ」

「どおして?」

「あの元平民は、いつも平民のところにいるの。平民はね? 物を作るしか能がないのよ。だから、そういうのと一緒にいると立派な貴族にはなれないの。アデリーナは、お母様が立派な貴族令嬢にしてあげますからね?」


 マリアンは、自分にそっくりなアデリーナに誤った愛情を注ぐ。

 それからも、幼い彼女がエミリアと遊びたいと言う度に同じように言いくるめて、とうとうエミリアとアデリーナに壁ができた。


 ◆◆◆


「ただ私を見て欲しかっただけなのにぃ! 私を見てくれないお姉様なんて、いなくなった方がいいと思ったのぉ……。でも、こんな事になるなんてぇ……」


 泣きながら話すアデリーナを、(お母様がこの子をこんなにしてしまったのね)と、同情心が湧く。


「アデリーナ? あなたはまだ若い。いくらでもやり直せるわ。お姉様は、ちゃんとアデリーナを見ていますよ? これからしっかりと反省をして、やり直すの。いい? 頑張りましょう!」

「お姉様ぁ~」


 優しく諭すエミリアに、アデリーナが抱きつく。


(この子と抱きあうなんて、いつ以来だったかしら……)



 リンクスは、アデリーナを領地に送り還して謹慎させる事は変わらないが、彼女を数日は屋敷で休養させることにした。

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