第6話 ライオット時計店

 コッコッコンッ!


「お客さん、朝だよ~」

「は、はーい。起きましたー」


 エミリアは、ブーツを購入した店の主人から紹介された宿に宿泊した。

 乗合馬車の出発時間が早かったので、女将さんに起こしてくれるように頼んでおいたのだ。


 朝食を済ませ、家から持ち出してきた水筒に水をもらい、馬車の発着場へ急ぎ無事に乗り込む事ができた。


 カンタラリア帝国に近づくにつれ、見える景色が変化してきた。

 隣国と言っても、カンタラリアはリンデネートの南方に位置し、気候も温暖だという。

 馬車から見える木々は大きな葉を茂らせ、茂みには赤や黄色といった色鮮やかな花が増えていった。


「鮮やかな花!」

「あら、お嬢さんは南方は初めてかい?」

「はい」

「そうかい。カンタラリアに入ったら、北部とは違った植物が見られるよ? 食べ物もね」

「そうなんですか? 楽しみです」


 乗合馬車は、国境手前の町で乗客を入れ替え、昼近くにカンタラリア帝国に入国した。

 入国には身分証が必要だが、エミリアはリーンの都立学院の生徒証を提示する事で入国は許された。


(まさか、身分証を偽造する訳にはいかないものね。他の身分証を作るには親の許可が要るから作れなかったし、国境からレロヘス家に連絡がいくわけでもないしね)


 国境を超えると、短時間の休憩を挟みつつ、馬車はヴァレンを目指し夕方には中継地に到着してもう1泊する。



 翌日も朝から乗合馬車に揺られ、いよいよヴァレンに近づいていった。


 街道も綺麗に整備され、建物も石造りの物が増えてきた。

 石もリンデネート王国は白亜が好まれるのに対し、カンタラリアは石本来の色を活かしていて、茶色や灰色・黒の建物も目立つ。

 まさに、カンタラリア帝国の質実剛健な気質を表していると言える。


「わぁ! 見えてきた!」

「どうだ、嬢ちゃん? すげえだろ?」

「ええ! 高い城壁ですね?」

「おう。それが中にも何層かあるんだ。俺達下々の人間にゃ知らされてねえがな」

「へえ! まさに城砦都市ですね」


 帝都ヴァレンは、その広大な都市を城壁で囲み、四方に兵士の駐留する砦が設けられている。

 それは、帝国が一帯を統一する以前は、ここヴァレンが2カ国と国境を接していた事から城砦が築かれ、統一後は帝都として維持拡大されてきたことを示している。


 馬車は昼過ぎに重厚な門をくぐり、エミリアは三日に及ぶ馬車旅の末に、やっとヴァレンに到着した。

 トランクの入った麻袋を抱えたエミリアは、乗合馬車の待合所のベンチに腰掛け、揺れの無いありがたさを噛みしめつつ一休みしている。もちろんルノワもいる。


(やっと着いたわね、ルノワ)

(ミャー)

(もうちょっと休んだら、行きましょうか)


 エミリアは、マックスから預かった紹介状を取り出し、裏の封蝋に施されたスタンプに目を落とした。

 それは、猛禽類の鳥の足――今にも獲物を掴まんと大きく開かれた足――が一つだけの印章。


(この印章は、マックス様は簡易的と仰っていたけど……レロヘス家の台帳では見た事のない印章。もちろん、レロヘス家が王国の全ての貴族家の印章を把握している訳ではないと思うけど……やはりマックス様達はここカンタラリアの貴族なのかしら)


 そして、紹介状と共に貰ったメモももう一度見る。


『商業区 凱旋通り カルマンストリート ライオット時計店 店主ウォルツ・ライオット』


 エミリアはメモを片手に通行人に道を尋ね、もう1つ壁を越えた区画にあると知り、帝都内の乗合馬車で向かった。


 凱旋通りは、帝国中枢から放射状に伸びる六本の大通りの一本で、この通りだけをグルグルと周る乗合馬車があるほど広く長い通りだ。

 そのカルマンストリートとの交差地点で馬車を降りたエミリアは、建物の看板を頼りに徒歩でライオット時計店を探す。


(ここで働く事が叶わなくても、どんどん探すわよっ!)



「ここね……」


 ライオット時計店は、カルマンストリートでも凱旋通りに近い区画にあった。

 建物は三階建て――商業区の建物はほとんど三階建て――で、一階は大きなガラス張りで、店内の陳列棚も良く見える。看板には『ライオット時計店』の屋号と共に、工具の彫刻も施されている。


(修理も受け付けているという事は、工房もありそう! 二階以上がおそらく工房かしら?)


 エミリアが心の中でつぶやいていると、ルノワは既に店内にいてガラス越しにエミリアを見ていた。


「いらっしゃいませ」

「こ、こんにちは」


 何のきしみも無いドアをトランクの入った麻袋を落とさぬように抱えて開けると、小柄で口髭を蓄え、少しお腹の出た“おじ様”が柔和な笑顔でエミリアを迎え入れた。

 “おじ様”は白シャツに濃紺の蝶ネクタイ、黒のズボンとウェストコートをかっちりと着こなしている。彼の後ろには、もう一人、彼よりは若いがスラッとしたおじ様も控えていた。


(今の私の恰好では、このお店の客としては相応しくないわね)


「本日は、どういったご用件でございましょう?」


 “おじ様”は、自分の恰好で尻込みしそうなエミリアに、変わらぬ笑顔で訪ねた。


「は、はい! あの……こちらには、工房もございますか?」

「はい、ございますよ? 修理のご用命でしょうか?」

「い、いいえ! ……実はですね」


 エミリアは麻袋を一度床に置いて、マックスから預かった紹介状を両手でおずおずと差し出す。


「もしよろしければ、こちらの工房で働かせて頂きたいのですっ!」

「こちらは?」

「はい。こちら――ヴァレンに来る途中でお会いした貴族様からお預かりした物です。ウォルツ様にお渡しするようにとの事でした」

「ほう? 私がウォルツ・ライオットですが……。お預かりします」


 ウォルツがエミリアから手紙を受け取り、裏返して封蝋印を確認する。


「おおっ!」


 ウォルツが声を漏らし、近くに控えていた者に「こちらのお嬢様を、応接室へご案内しておくれ。私もすぐに行くから」、と指示する。


「奥の部屋で拝読します。先に掛けてお待ち頂けますか?」

「は、はい。お願い致します」


(ウォルツ様の驚き様……。やはりマックス様はこの国の貴族なのね? でも、本当に“低位”ならあんなに驚くかしら?)


 エミリアは貴族との商談用であろう、高級家具で揃えられた応接室に案内されソファに掛けて待っていると、程なく「お待たせしました」と、ウォルツが入ってきた。

 手にはペーパーナイフを載せたレザートレーを持っている。


 ウォルツはエミリアの正面に座り、マックスからの紹介状に丁寧にペーパーナイフを入れた。


「では、拝見します」

「お願い致します」


 ウォルツは、見落としが無い様に数度読み返し一息つくと、「工房長も呼びましょう」と言って、ちょうどお茶を入れてきた従業員に工房長を呼ぶように指示した。


 エミリアが久し振りの紅茶を噛みしめていると、工房長が作業用前掛けを着けたまま入ってきた。

 工房長は、ウォルツの隣のソファに浅く腰かけ、白髪交じりのアッシュの短髪を手櫛で整えている。浅緑色のシャツは腕まくりしたままだ。


「工房を任されているゼニスです」


 ゼニスは、事情は分からないがエミリアに挨拶をした。

 エミリアは、ゼニスのその姿にリーンにいるグランツや職人達を思い出す。


(みんな元気にしているかしら?)


「エミリアさんは、時計工房で働きたいとの事ですが……どういった経緯で?」

「マックス様の紹介状には何と?」


 エミリアはウォルツからマックスの紹介状の中身を受け取り、読んだ。


『エミリア嬢は、貴族家の出のようだが事情があって一人で暮さねばならぬようだ。時計作りについては、素人目の私にも驚くべきものがあるように思える。もし職人に空きがあるようなら、雇ってもらえないだろうか』


 マックスは、家を追い出されたとかは書かないでくれていた。そんなマックスに、エミリアは心の中でお礼を言った。


(せっかくマックス様がご紹介下さったのです。私も誠意を持ってお願いしなくては)


「マックス様がお書き下さったように、事情がございまして実家を出て一人で生きていかなくてはなりません。時計作りは祖父から教わっております。充分とは思いませんが、お役に立てるように頑張りますので、こちらで働かせて頂けませんでしょうか?」


 エミリアはそういうと、腕から時計を外してテーブルに置いた。

 エミリアは「時計職人は、自分の最高傑作は他の職人に触らせてはいけないよ」というグランツの教えに、初めて逆らった。


「これはまた、小さな時計だ。こちらは?」

「以前に私が作った物です」

「「ええっ!」」


 ウォルツとゼニスが同時に驚きの声を上げた。


「これはかなり繊細な技術が必要だ……」

「ゼニスは、これを作れそうか?」

「無理でしょうね」


 二人の会話に、エミリアも入る。


「これは私が作った物ですが、繊細過ぎて成長して手が大きくなった今の私にも作れません。ですが、男性向けの時計であれば作れます! ですからこちらで働かせて頂けませんでしょうか?」


 ゼニスはエミリアから時計に触れる許可を取って、ウォルツと共に時計を覗きこんだ。

 そして、時計に刻まれた紋章を見て、二人で目を合わせた。


「エミリアさん、あなたはリンデネート王国のオロロージオ男爵とは、どういうご関係で?」

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