第7話  初日のご挨拶

「んっ! うう~、イタタタ」


 エミリアは、生まれて初めての筋肉痛で目が覚めた。


(ニャ~ァ?)


「だ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ルノワ」


 エミリアは筋肉痛に耐えながら身支度を整え、パンと安い茶葉の紅茶で朝食を済ませる。


(下も騒がしくなってきたわね。そろそろ始業の時間かしら?)


「早速今日からお仕事よっ! 頑張らなくちゃ! ルノワも応援してね?」


(ミャー)



 ◆◆◆昨日



「エミリアさん、あなたはリンデネート王国のオロロージオ男爵とは、どういうご関係で?」


 エミリアの時計に刻まれた紋章を見たウォルツが聞いた。


「……グランツ・オロロージオ男爵は、私の祖父です」

「そふっ!? 祖父とは、あなたは……お孫様で?」

「お孫様だなんて……。ですが、この時計は祖父の指導の下で作り上げました」


 ウォルツとゼニスは互いに目を合わせる。


「そうでしたか。この紋章はカササギですよね?」

「はい。オロロージオの紋章よりは、随分と可愛い感じにしてもらいましたけれど……」


 オロロージオ家の紋章は、スズメ目カラス科のカササギ。

 王家の紋章が翼を広げて滑空する姿のワシなので、普通の貴族は鳥を紋章にすることは禁じられているが、国や王家に貢献して叙爵された家には猛禽類以外での鳥の使用が認められているのだ。


 グランツの時計にもそのカササギが刻まれている。

 エミリアがこの時計を作った時、エミリアが「もっと可愛いのがいい!」と駄々をこねたので、簡略化してさらに丸みを帯びさせたカササギ、さらに猫の足跡も加えた紋が刻まれた。

 猫の足跡は、完全にルノワの影響であった。



 ウォルツとゼニスが相談すると言って席を外し、戻って来てエミリアに採用を告げた。


「本当ですか!? ありがとうございます!」

「いつから出てこられますか?」

「きょ――あ、明日からでも働けます!」

「ほぉ! お住まいはお決まりでしたか」

「あっ……」


 エミリアは、とにかく雇ってもらいたい一心で、“住み込み”という重要事項を失念していた。


「あの……、出来れば住み込みで雇って頂けると……嬉しいのですが……」


 ウォルツとゼニスが顔を見合わせ、今度はその場で何やらヒソヒソと会話している。


「あのぉ、エミリアさん。住み込み部屋なのですが、あるにはあるんですがね……」と、ゼニスが頭をポリポリ掻きながら申し訳なさそうに言う。


「ここしばらく通いの連中ばかりだったんで……汚いんですよ?」

「構いません! ぜひ住まわせて下さい!」


 エミリアにとっては、住まいの確保も重要だったので、何とかこの機会をモノにしたかった。



 三階が住み込みの職人用の部屋だという事で、ウォルツとゼニスの案内で三階に向かう。

 一階の店舗奥の階段を上ると、二階工房の扉が空け放たれていて、工房の中が見えた。


 スーッ!


 エミリアが鼻で空気を吸い込むと、金属の匂いと機械油の匂いが鼻腔をくすぐった。


(ああ~、いい匂い! なんだかとても久しぶりに嗅いだ気がするわ)


「……いい匂い」

「おっ! 分かりますか? エミリア様」

「ええ、お爺様の工房と同じ匂いがします。とてもいい雰囲気です!」


 工房の中には数人の職人がいて、若そうな職人がチラチラとエミリアの方を見ていた。

 ウォルツとゼニスが、工房はお構いなしに三階へ続く階段を上っていく。

 ルノワもトットットッと階段を駆け上がって行き、エミリアを見下ろして待っている。


 三階に上ると、すぐに簡易の台所があり、部屋の扉が三つ見えた。


「先程もお伝えしたように、ここしばらく使っていませんし、一部屋は物置に使ってしまっているので……」


 エミリアは残った二部屋を見て、少しマシな方を選んだ。


「本当にここでよろしいのですか? よろしければ、しばらく私の家に滞在されては?」


 ウォルツが気を使って言ってくれたが、エミリアは固辞した。


「いいえ、大丈夫です。ここでお世話になります」

「そうですか……」

「では、明日の始業に合わせてお呼びしますので、今日はゆっくりなさって下さい」


 とは言っても、掃除で一日つぶれるだろうなと、ゼニスは申し訳なく思った。


「はい! 明日からお願い致します。――あと、ウォルツさんゼニスさん、私の事はどうかエミリアとお呼び下さい。私はもう貴族ではなくなったのですから」


 ウォルツがエミリアに部屋と店舗裏口の鍵を渡すと、二人はそれぞれの仕事へと戻って行った。


 それから水汲みや買い物で階段を下りる度に、エミリアは工房をチラッと見てしまう。


(ああ、私も早く時計を作りたい!)



 ◆◆◆今日



 昨日は、埃を被った掃除用具を引っ張り出すところからだったし、掃除も(グランツの工房の職人やレロヘス家のメイドはどうしていたかしら?)と、思い出しながらだったので、自分の部屋と台所まわりの掃除で終わってしまった。

 お手洗いは一階に下りればあるが、浴室は無いのでお湯とタオルで体を拭いて、ヘトヘトになっていつの間にか眠ってしまっていた。


(時間があったら、こまごまとした物を買い揃えなくちゃね。炭や薪は用意して頂けているけど、)


 エミリアはここでの生活に必要になる物をぼんやりと考えていた。


「おーい、エミリアー! 下りて来られるかー?」

「はーい!」


 二階からのゼニスの呼びかけに大きく返事をして、エミリアは逸る心を落ち着かせながら工房に入る。


 ゼニスは工房の入り口で待っていて、奥には職人が並んでいた。

 職人はゼニスを含めて六人。

 ゼニスと同じか少し若いくらいのベテラン二人とエミリアより少し年上そうな青年、あと双子の様なそっくりな若い子二人。


「今日からここで働いてもらう事になったエミリアだ」

「エミリアです! 皆さんの足手まといにならないように頑張ります。よろしくお願いします!」


 エミリアの挨拶に、年配の二人は笑顔で頷いて応え、双子みたいな子達は興味津津といった表情、青年は腕組をして彼女を値踏みするような視線を送っている。


「で、ここにいる五人は――」


(赤い巻き毛がかわいらしいぽっちゃりおじさんのパテックさん)

(ヒョロっと長身、グレーの短髪で鼻眼鏡パンスネのフィリップさん)


「よろしくね」

「よろしく。一緒に頑張ろうね」


(インディゴブルーのミディアムロングヘアーを耳に掛けた青年、ダニーさん)


「うっす」


(やっぱり双子の職人見習い、パネル君とライル君)


「「よろしくー!」」


「エミリアです。よろしくお願いします」


 エミリアは、それぞれの特徴を捉えながら挨拶を交わす。


 ゼニスが、ドアに一番近い作業机を指して「エミリアはここを使ってくれ」と言って、皆持ち場に戻る事になった。


「なぁ、親方。このエミリアってのは、何すんだ? 掃除や俺等の昼飯でも作ってくれるってのか?」


 ダニーが作業机に向かいながら、ゼニスに聞いた。


「はぁ?」


 ダニーの問いに、ゼニスは一瞬むっとしたが、「ああ、そうか。お前達は知らないんだったな」と言って、再びみんなを呼び集める。


「悪いな。伝え忘れていたよ。このエミリアは職人として雇ったんだ。見習いじゃなく、職人だ」


 ゼニスの言葉に、パテックとフィリップは「ほぉ」と、ダニーは「はあ?」と、パネルとライルは「ええー!?」と、それぞれ違う驚き方をした。


「なんでだよっ! 職人が要るならパネルとライルを育てりゃいいだろ?」

「「そーだよぉ! そろそろ僕達に時計を作らせてよー」」


 ダニーが双子を脇に置いてゼニスに食って掛かる。


「お前らの言いたい事は分からなくもないが……」


 ゼニスはそこで言葉を止めると、エミリアに「済まないが、外さなくてもいいから、こいつらに時計を見せてやってくれ」と、声をかけた。

 エミリアは言われた通りに、自分の腕着け時計が見えるように腕を差し出した。


「いいか? お前らも時計職人や見習いなら、時計には触るなよ?」


 三人だけでなく、パテックとフィリップまでやってきて時計を覗く。

 エミリアは突然男五人に間近に来られて、息もできない程の緊張に包まれた。


「ほう!」「これはこれは……」

「こ、これ……」

「「スゲェー!」」


(これは、いつまで見せればいいのかしら? 緊張で息ができないのだけれど……)


 パネルとライルなどは、もっと見たいとばかりにエミリアの手の平の、それぞれ親指側と小指側を引っ張って時計を覗き込んでいる。


「その時計はな、エミリアがもっと小さい時に自分で作ったものだ。今俺達が作っている時計も作れるんだ。だからウォルツの旦那も職人として雇う事に決めたんだよ」


 ゼニスがそう言って、「さっ! とっとと仕事に入らねえか!」と発破をかけると、それぞれ持ち場に戻って行った。


(はーっ! 緊張したぁ~。苦しくて死んじゃうかと思ったわ……)

(ニャ~?)


 リンデネート王国のレロヘス家を放逐されて三日、エミリアの時計職人としての生活が始まった。

 その頃、レロヘス家は既に危機を迎えていた……

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