第十章「うつろな仮面」-003
そう前置きしてから、
「確かに私も、この『学園』には生徒以外の存在が居るのは確かだと思う」
マティスの画集を傍らに置き、今までに無く真剣な面持ちで
「もちろん、それには『学園』の清掃や食事の管理をしているであろう人々も含まれる。ひょっとして彼ら彼女らは、姿を見せないのでは無く、見えないのでは無いかともな」
「見えない? 透明人間かよ!」
思わずそう突っ込む俺に
「そう結論を急ぐな。例えば常に人の死角に入るなど、相手の目に入らない方法はいくらでもある。そうだな、例えば私は、ほとんどの生徒に取っては認識の範囲外。見えない存在だ」
「気にしてないからじゃないのか?」
俺はそう反論したつもりだったが、
「そう、その通りだ。気にしていない。だから居るのに気にしない。気にしないという事は、認識の範囲外という事だ。つまり見えないも同然だ」
「ちょっと待ってくれ。そう言う理屈で誤魔化さないでくれ」
俺は慌てて
「いや、例えばだ。『学園』は生徒同士の親しい付き合いを禁止している。それでも仲の良い生徒はいる。お前と例の管理委員のようにな」
「いや、別に仲良くねえし」
いやいや、なに中学生みたいな反論しているんだ。俺。
そんな俺に
「まぁそれはそれとしてだ。結局、その管理委員会でも全生徒を管理しているわけではない。つまり知らない人間が生徒として紛れ込んでいても、誰も気づかないはずだ」
「なるほど」
言われてみればそれはそうだ。なんとなく『学園』は絶対的な閉鎖環境で『転校』か『卒業』以外での、生徒の出入りはないものだと思い込んでいた。
しかし俺自身が『学園』から脱出して、他の『学園』に紛れ込んだ事も有るのだ。そういうのが他にいてもおかしくない。
「正確な人数も分からない。たまに見かけない生徒が居ても、いつの間にか入ってきた新顔かとしか思わないだろう? そんな生徒が『管理者』から送り込まれているとしたら、『学園』内でいくらでも工作のしようがあるだろう」
確かに
「そこに居る事を意識しない人間。それが見えない人間という事か?」
「そう断定するのも良くないな。認識の範囲外だ。認識というのは結局、既成概念、固定観念。本人が意識していないものだ」
「哲学かよ」
「哲学かも知れんな」
俺は皮肉のつもりで言ったのに、
「なんにせよ、落書きに手を加えたりするのは簡単にできるという事だ。だからそれは深い意味の無い悪戯かも知れないし、何かのメッセージがあると一喜一憂するのは早計……」
そう言いかけて
「そういえば管理委員にならないかと誘われていると言ったな。答えは出したのか?」
「あ、あぁ。返事はまだしていない」
「良い機会じゃないか。管理委員になれば良いだろう。グラウンドの落書きだって監視できるだろう」
そういえばそうか。
「管理委員選挙の時も、生徒の顔ぶれを監視する事も出来るぞ。全生徒が馬鹿正直に投票するわけでもないが、それでもかなりの割合が投票に来る。投票は身分証明書が無いと出来ないから、投票に来なかった生徒が、実は生徒ではない可能性が高くなる」
もともと
「分かった。考えておくよ」
そう言って立ち去ろうとする俺に、
「まぁ何にせよ、余り考えすぎるな。考えても正解が出る問題ではないし、そもそも正解がある訳でもない」
それは、まぁそうなんだろうけどな。
俺は礼を言おうと振り返ると、
管理委員選挙の件、まだ管理委員長の4761には返答していない。しかし
なんにせよ管理委員の権限を握ってしまえば、こちらのものだ。そう思う反面、
そもそも
そうなると俺が管理委員になっても同じ結果なのでは無いかとも考えてしまう。結局、管理委員という制度自体、『管理者』が生徒を管理するシステムとして作ったというよりは、『管理者』に反抗的かつ冷静に行動できる生徒をあぶり出す為のものだったのかも知れない。
後先考えずに反抗する奴は、それこそ俺のようにすぐに行動に移す。目立つ、見分けられるし、いくらでも監視対象に出来る。
問題は現状を冷静に分析できて、短絡的な行動に出ないタイプだ。
そう言うタイプは『管理者』に近づく方法があるとちらつかせば食いつくはずだ。
そうだとすれば
そんな事を考えながら歩いてるうちに、足はいつの間にかグラウンドの一角、あのメッセージを書いたところへ向かっていた。
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