第九章「赤い気球」-015

「いや、なんでもない」


 俺がそう答えると、2800は少し深刻な顔で重ねて訊ねてきた。


「この『学園』にも、みたいな存在が居ると思いますか?」


 俺はすぐにその質問には答えなかった。代わりに2800へ別の質問を投げかける。


「どうしてそう思う?」


 2800は喋りにくそうに、俺から視線をそらせながら、おずおずと答えた。


「先日、一人で補習を受けていた時。何か間近で人の気配を感じたんです」


 俺が一人で家庭科の授業を受けていた時に感じたと同じか!


 しかしここはまず2800を不安にさせない方が先決だ。俺は驚きを顔に出さぬよう、平静を装って聞き返した。


「気のせいじゃなか?」


「気のせいかと思ったんですよ。私も、最初は。でも明らかにまとわりついてくる感じで。それに何か話しかけてくるような気配もあったんです」


 これはやはり、俺が感じたのと同じか。


 確かにこの『学園』にも、『見捨てられた町の「学園」』のと同じ存在が居てもおかしくない。俺もそんな考えに近づきつつあった。


 もしかすると船の中の『学園』にも居たかも知れない。あそこは狭くて、相対的に人の密度が高かった。一人になる機会など滅多にない。だから気づかなかっただけなのかも知れない。


「分かった。そういう『目に見えない存在』が『学園』に居るとして……。それは俺たちに何か関係あるのか。そして関係あるとしたら、それはどういう……」


 俺の質問を遮って、2800は話し始めた。最初からこの事を誰かに相談したかったのだろう。


「私は、見えない人の気配って。『退学』や行方不明になった生徒じゃないかと思うんです」


 2800としては、相談するというか、とにかく人に自分の不安を打ち明けたかったのだろう。不安は自分の中にしまっておくと、徐々に肥大化していく一方だ。いずれそれに飲み込まれてしまうだろう。


 打ち明けるにしても、この『学園』は特殊だ。教師が居ない。家族が居ない。年長者も生徒だけだ。


 年長であっても同年代であっても生徒は生徒に変わりない。何か特別な事を知っているわけでも無い。まぁ9999フォアナインはさすがに特別だが、2800が彼女と面識があるかどうかは分からない。


 電話で『管理者』に要望を届ける事が出来るが、当然、向こうが不利になるような事は聞いてくれないし、聞くだけなので相談も出来ない。


 2800としては、何度も脱走騒ぎを起こしている俺くらいしか相談できる相手がいなかったのだろう。


「正直、俺としてもよく分からないとしか言えない」


 2800も俺に正解を求めている訳でも無いだろう。事実、俺にはこのように答える敷かないわけだし。


「ですよね……」


 少し意気消沈したように肩を落とした2800だが、すぐに笑顔を取り戻した。


「でもお話を聞いて貰って、少し安心しました。私が補習を頑張ればいいだけですよね。人の気配についてはあまり気にしないようにします」


「そうだな。それがいい」


 そうとしか答えられないのがもどかしい。


 そして2800はちょこんと頭を下げていった。


「引き留めちゃってごめんなさい。それになんかとりとめの無い事を相談しちゃって。困りますよね」


「いやいや、俺に出来るのってこんな事くらいだから」


 一応、そう謙遜しておく。2800は立ち上がりながら後を続けた。


「それじゃ失礼します。ええと……」


 少し言い淀んでから2800は付け加えた。


「また、何かあったら相談に乗ってくれますか?」


「俺にうまい解決法が見つけられる訳でも無いけど。それくらいなら。ああ、あと。閲覧室に9999フォアナインという、ちょっと変わった女の子が居る。彼女は色々と物知りだから、何かあったら聞いてみるといい」


9999フォアナインですか……。噂には聞いていますが……」


 ちょっと引き気味だな。確かに2800のような一般の生徒から見ると、日本人離れした容姿に年齢不詳の9999フォアナインは、不気味な存在なのかも知れない。


「良かったら、俺が紹介するよ」


 一応、フォローしておく。俺の言葉に2800は肯いた。


「そうですね。そういう事になったらよろしくお願いします」


 2800はまたちょこんと頭を下げて食堂の出口に向かった。


 うむ、俺をはじめ誰もがひそかにと呼んでいるだけはある。礼儀正しくて真面目な子だ。


『学園』の生徒としては、後輩であるはずの俺にも、丁寧に接してくれる。


 誰かさんとは大違いだ……。などと考えていたら……。


「『俺に出来るのってこんな事くらいだから』……。よくそんな事、言えるわよねえ」


 すぐ背後から、先ほどの俺の台詞の真似をしている、当のの声が聞こえてきた。


「いつから見ていたんだよ。声くらいかけろよ」


 振り返ると、案の定、1103ヒトミがいた。


「割と最初の方から」


 腕組みで俺を見下ろしながら1103ヒトミはそう言った。そして俺の隣に座りながら続けた。


「言って置くけど、恋愛は禁止だからね。それこそ地下送りよ」


「そんなんじゃないって」


 そうは言ったものの、少し気になるので訊ねてみた。


「妬いた?」


「うん、まぁね」


 即答だけど素っ気ない。本気でそう思っていないのはありありと分かる答え方だ。


「性格悪いなぁ」


 嘆息する俺に1103ヒトミは、すまし顔で続けた。


「何を今更。お互い慣れっこでしょ」


「お互いかよ! 俺はそんなに性格悪くねえよ!」


 なんだよ、この会話の流れ! ラブコメか!! さっきまで2800としていたシリアスな会話の流れが台無しだ。


「2800か。彼女、星が一つになったのよね。このままだと地下送りよ」


 食堂の出入り口に目をやりながら、1103ヒトミは自分で用意してきたコーヒーを飲みつつ言った。


「真面目に授業には出ているようだし、何とかならないのか?」


「難しいわねえ。結局、成績と言っても『管理者』の胸先三寸。管理委員としても、どうにもならないわよ」


 管理委員といっても、それほど特別な権限があるわけじゃ無い。それはこの『学園』へ来た事から、さんざん1103ヒトミに言われていたことだ。


 それにしてもなぁ……。


「『管理者』の決定に関与できなくても、生徒の相談に乗るとか出来ないのかよ。管理委員だろ?」


「う~~ん、あたしの一存じゃあねえ……」


 答えは濁すが頭ごなしの否定では無い。

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