第九章「赤い気球」-014
他の『学園』の事が聞きたいという2800の頼みに、俺たちは一旦、食堂へ行く事にした。
この『学園』内で落ち着いて話が出来る場所となればどうしてもそこしかない。資料棟もあるけど、あそこは狭い。それに
2800がそうなのか分からないけど、今はまだ近づけない方がいいだろう。
管理委員絡みも同様だ。生徒によっては不信感を持っている。こちらもやめておいた方が無難だ。
結局、そうなると食堂しかなくなる。就寝施設は男女別だし、そもそもそれほど親しくないのに、余り他の生徒が寄りつかない場所へ行ったら、さすがに警戒されるだろう。
他の生徒の目があるとはいえ、結局、食堂が無難という事になる。2800もその件については了承してくれた。
何か飲むかと訊ねると、2800は何か適当とだけ答えたので、俺はドリンクコーナーで紅茶を淹れてもってきた。クリームのポーションとスティックシュガーも一緒。
女の子なら紅茶という発想はちょっと安易かなと思ったけど、まぁこれが無難なんだろう。
俺はコーヒーを淹れて2800の前に座った。2800はクリームも砂糖も淹れずに、一口二口紅茶を飲んだ。
「ええと……。コーヒーか日本茶の方が良かった?」
いや、何を聞いているんだ。俺は。デートじゃ無いんだぞ。
2800にとってはその質問は意外なものだったようだ。きょとんとした顔で、しばし俺を見つめてから頭を振った。
「いえ、別に何か飲みたいという訳でも……」
うん、まぁそうだよな。お茶しに来た訳でも無いんだし。
さて、2800の聞きたい話って……。
少し落ち着いて2800を観察して、俺はようやくある事に気づいた。2800は胸元に手を挙げたままなのだ。
思い返してみると、赤い気球の側で俺に話しかけてきた時から、ずっとその姿勢のような記憶がある。
特に内気な女の子がよくやる仕草なので、俺は気にも留めていなかったが、さすがに紅茶を飲むときも、不自然に胸元をかくしているのはおかしい。
もっともなかなかにセンシティブな部位だ。あまり男がじろじろ見ては不快だろう。
そして気になるのは、手の位置で身分証明書が見えないと点。いや、意図的に2800は身分証明書を隠しているのか?
隠してるのは身分証明書では無いだろう。おそらく星だ。
この『学園』では星を集めると『卒業』できる。まず星三つからスタート。大抵の生徒は星三つ。俺もいろいろとやらかしてきているが、未だに星三つなのは変わりない。
星五つの状態がしばらく続くと、晴れて(?)『卒業』と相成る。もっとも『卒業』したくない生徒も少なからずいるようだ。
そして星一つの状態がしばらく続くと『退学』になる。
また『退学』が決まってからも、管理委員から逃げ回る生徒もいるらしいが、そのうちに失踪してしまうようだ。
こちらもその後どうなるのか分からない。
意地が悪いというか、問題なのは、星が増減する基準が生徒にはよく分からないという事だ。
取りあえず真面目に勉強して『管理者』に逆らう事をしなければ、星が減ることがないとは言われている。
もっとも俺のようにろくに勉強などせず、『学園』からの脱出を繰り返しているのに、一向に星が減らない生徒も居る。
そしてそうなると当然、真面目に勉強しても星が増えない。むしろ減る生徒が出てくる。
それが2800だ。彼女は真面目に『学園』生活を送っているのに、星二つに減ったのだ。
さて、どうしたものか。この分だと星がさらに減って一つになったのかも知れない。
しかしそれを正面からストレートに切り出して良い物か。本人が隠したがっているのに、その件に触れるのはまずいだろう。
それに2800は『他の「学園」の事が知りたい』と言ってきた。まずはその期待に応えるのが先決だろうな。
考えて見ればそれほど親しい間柄でも無い。俺と2800はしばらく無言でお茶を飲むだけだった。
テーブルの対面に座っているとは言え、視線もお互い微妙に外している。
う~~ん、妙に緊張するな。しかしいつまでもこうしている訳にもいかない。
「あの……」
そう切り出した瞬間、2800も口を開いた。
「ええと……」
間が悪い。俺と2800は曖昧な笑みを交わし合った。でもそれがきっかけになったのは確かだ。
2800は言い直した。
「ええと、その。0696はこの『学園』を出て、色んな所へ行ったんだよね?」
「うん、まぁ」
取りあえず肯く。
「なんか噂だと、他の場所でもここと同じような『学園』を見たって聞いたんだけど……」
「あぁ、そうだな。ええと、聞きたい?」
2800は即答した。
「聞きたい。だから声を掛けたんだけど」
まぁそりゃそうだよな。俺は掻い摘まんで『船の中の「学園」』と『見捨てられた町の「学園」』の話をした。
2800は『見捨てられた町の「学園」』の方へ食いついてきた。
「その……。連中って、何者だと思いますか?」
特に2800は連中に興味を示した。見捨てられた町の『学園』で感じる、人の気配。いや、もしかすると人かも知れない存在だ。
「いや、見捨てられた町の『学園』にも、そんな長く居た訳じゃ無いから。正直、見当も付かないよ」
俺のその答えに2800は少し考え込んだ。その状態でも、まだ胸の前に手を置き、身分証明書を隠すのは忘れない。
しばし考え込んだ挙げ句、ようやく2800は口を開いた。
「人間だと思いますか?」
難しい質問が来たな。俺もしばし黙考してから答えた。
「人間かも知れない。でも姿が見えないんだ。人間だとは断言できない。そもそも人間だったら、目に見えるはずだろう」
言ってから少しムキになってしまったかなと後悔した。俺のどこかで《《連中》が人間であって欲しくない。人間だと認めたくない。そんな感覚があるのかも知れない。
2800は俺の答えにまた考え込む。そしておずおずと口を開いた。
「ほら、存在感のない人って居るじゃないですか。そういうのを突き詰めたら、そうなるんじゃないかなって……」
「いや、それは無いだろう。いくら存在感がなくても目には見えるはずだし、触れたら分かる」
そう答えながらも、俺は『管理者』ならやりかねないとも思っていた。何しろこんな巨大な『学園』を作り上げ、太陽が沈まない空間を作り上げたんだ。
何をやらかしてもおかしくない。
そういえば人間は脳の変調で特定の方向を認識できなくなったり、そこまでいかなくとも錯視などで見えるはずのものが見えなかったり、あるいはその逆などの現象が起きるとも聞いた覚えがある。
すると人間を人間と認識させない方法があるのかも知れない。
いや、待て。俺は思わず考え込んだ。
この発想を広げてみよう。すると……。
時間の経過を感じさせない。あるいは一日中、同じ方向から日が差していると錯覚させる事も可能なのか?
いや、そんな事をするよりも、どこかに仕掛けをしておいて、それを認識させないようにすれば……。
「0696?」
俺が長らく黙考しているので、2800は心配そうに声を掛けてきた。
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