第九章「赤い気球」-013

 9999フォアナインはそうは言ったが何か気になる情報だ。


『見捨てられた町』の『学園』には、それほど長く居た訳では無いから、あそこで《連中》と呼ばれる、気配だけの存在が何かメッセージを送ってくる事があったのかどうかは知らない。


 でもどこか共通点がありそうな印象なのは確かだ。


「行方不明になった生徒か……。しかし管理委員からはそう言う話は聞いた事が無いな」


 俺がそうつぶやくと9999フォアナインは言った。


「地下送りから逃れて『学園』内で暮らしている生徒が居ると知れると、連中としても何かと不都合なのだろう」


 地下送りか。地下と言えば……。


「そう言えば、地下送りって結局どうなるんだ?」


「知らん」


 9999フォアナインは、またスツールの上に転がってシャガールの画集を広げた。


「知らんて……。何か噂くらいは聞いた事があるだろう?」


 俺がそう言っても9999フォアナインはシャガールの画集から目を離さなかった。


「私が知っている事と言えば、他の生徒と大差が無い。地下には工場があって、そこで働かされているとか。面識のある生徒が居なくなった頃に、あるいは記憶を消されて『学園』へ戻ってくるとか……」


 地下に工場が云々というのは、1103ヒトミからも聞いた事があるが、記憶を消されて戻ってくると件は初耳だ。


「面識のある生徒が居なくなった頃に『学園』へ戻ってくるって……。9999フォアナインは、ずっと『学園』に居るんだろう? 一度見かけなくなってから、また戻ってきた生徒って居るのか?」


 そこでようやく9999フォアナインは、画集の端から俺へと視線を送ってくれた。


「美術閲覧室へ入り浸るような物好きはごく少数だし、私はずっとここへ引きこもっているからな。食事や風呂の時は、他人を気に掛けない。自ずと面識がある生徒はごく少数に限られてくる。まぁ、そう言う事だ」


 なるほど。要するに9999フォアナインと面識のある生徒そのものがごく少数という訳ね。

 俺はそのごく少数の例外という事か。


 そして9999フォアナインは念を押した。


「言っておくが、お前のような生徒は以前に見た事は無いぞ。そして、ここへ入り浸る生徒は他にも居たが、行方不明になって戻ってきた例は、私は知らない。あくまでそう言う噂を小耳に挟んだだけだ」


「あぁ、分かってるよ。助かった」


 俺はそう言うとひとまず9999フォアナインの所から退散した。


 分かっていると言ったが、それはあくまで9999フォアナイン個人が行方不明になり記憶を消されて戻ってきた生徒を知らないという点に関して。


 俺が知りたい事はまったく分からないのは変わっていない。


 少し問題を整理しよう……。


 俺はグラウンドへ出る階段に座って考えを巡らせた。


 まず問題は管理委員長の4761から言われた『管理委員選挙へ立候補しないか』という誘い。

 これは4761の意図が見えない。いま管理委員の人数は足りているはずだ。1103ヒトミが言うには、近々『卒業』出来そうな管理委員もいない。欠員を補充する理由は無いはずだ。


 続いて俺が無人の校舎で出くわした《連中》のような現象。人の気配はすれども、人の姿は見えないというアレだ。

 9999フォアナインに相談してみたが、直接解決に繋がる情報は得れなかった。


「色々と首を突っ込みすぎだな。俺……」


 今更ながら自覚した。まずは管理委員選挙か。4761への返答をいつまでも渋っている訳にもいかないし、そろそろ答えを出さないといけないな。


 無人の校舎で感じた、あのみたいな気配は放っておくか。今のところ向こうからこちらへちょっかいをかけてくる様子はないからな。


「うん、そうしよう!」


 俺はそう声に出して立ち上がった。少し気分も晴れやかだ。校庭を見回して見ると、あの『赤い気球』の根元に、また生徒たちが集まっているのが見えた。


 そう言えば気球部分が少しずつ上昇しているとか言う噂だった。また上がったのか?


 今し方の反省はどこへやら。俺は砂糖に集まる蟻のように『赤い気球』の方へ歩いて行った。


 案の定だ。『赤い気球』の周囲に集まった生徒は、みな上を見上げている。そしてそこまで来る途中、俺も実感できた。


 気球部分は明らかに上へと上がっている。言うまでも無く本物の気球ではないオブジェが浮上していくわけがない。


 気球から下がっていくケーブルが、地中に入っている部分が上へと伸びていくのだろう。


 しかしこんな凝った仕掛けを作る理由は不明だ。


「また上に昇ったのか」


 近づきながら俺は誰へとともなく声を掛けた。集まっている生徒たちにしてみれば、俺がこういう厄介ごと、奇妙な出来事に首を突っ込んでくるのは承知のようだった。


 またこいつかという顔をして答えた。


「ああ、そうだ。しかも随分上がったな」


 周囲を取り囲んでいる生徒の一人が、支柱を持って揺さぶるがほとんど動かない。見た目でも数メートルは確実に昇っているのに、支柱の頑丈さは大したものだ。


「お前、なにか分かるか? こういうの得意だろ?」


 他の生徒の間でどういう評価になっているのか分からないが、一人が俺に向かってそう訊ねてきた。


「得意ってどういう事だよ。第一、俺だって『学園』に来て間もないんだから。こんな事態を知っているわけないだろう?」


「でもここを脱出して、他の『学園』にも行ったそうじゃ無いか」


 すでに噂は広がっているのか。まぁそれも事実だから仕方ないか。


「他の『学園』にもこんなものはないよ。初めて見た」


 俺の答えに他の生徒たちは、残念そうに嘆息した。


 でも興味があるのは事実だ。ちょくちょく足を運んで様子を見るか。支柱が伸びる速度が一定ならば、時計代わりになるかも知れない。まぁその時計がないから、伸びる速度が一定なのかどうかは分からないけれど。


 取りあえず校舎に戻るか。『赤い気球』に背を向けようとした時だ。突然、背後から声が掛けられた。


「0696」


 ん? 誰だ? 女子生徒の声だが、聞き覚えがない。この『学園』で、俺に直接、声を掛けてくるような女子生徒と言えば、1103ヒトミ9999フォアナインくらいなものだけど、今の声は明らかにその二人の物では無い。


 頭を巡らせて見回す。周囲に見知った顔は無い……。と、思いきや。2800の顔が見えた。


『赤い気球』を取り囲む生徒の中に紛れていたのだ。


「えっと、いい……。いや、2800かい。今、俺に声を掛けたのは?」


 地味なお下げ髪の外見から、俺に限らず2800を密かにと呼んでいる生徒は少なくない。俺も思わずそう言いそうになり慌てて言葉を飲み込んだ。


「ええ、まぁ……」


 ちょっと目をそらせて2800は肯いた。


 なんだこれ。妙な態度だな。親しげに話しかけたという雰囲気でもないし、男なら期待してしまうような展開を想像する様子でもない。


 思い詰めたような空気は感じるが、どう考えても色っぽい事にはなりそうにない。


「あの、ちょっと。相談したい事があって……」


 そう言うと2800は俺の側に歩み寄り小声で続けた。


「他の『学園』の事なんです」

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