第九章「赤い気球」-009
「ああ、気をつけるよ。ありがとう」
俺は3788に礼を言った。
しかし『卒業』したくない生徒が居るとは盲点だった。いや、
俺はしばらく3788とどうでも良い話をしてから、俺に難癖をつけた4030がいなくなったのを確認して食堂から出た。
ちょっと白けてしまった。3788が『
そんなわけで取りあえずやる事は無い。
そのままあてども無く校庭をうろうろしていると、花壇の方、例の『赤い気球』のオブジェが現れた辺りに、また人だかりがしているのに気づいた。
最近、『学園』のあちらこちらに現れているオブジェだけど、出現した直後は生徒も物珍しげに集まっているが、しばらくすると簡単に飽きてしまう。
それはそうだ。単なるオブジェだ。特に動いたり、変化があるわけでも無い。だから出現した直後の人だかりも、感覚的に1、2日で雲散霧消してしまう。
それだけに『赤い気球』の辺り、まだ少なからず人が集まっているのは、奇異に思えた。
俺はそちらへ歩み寄っていった。
生徒たちががやがや騒ぎながら『赤い気球』のオブジェを見上げているが、特に変わった所は無い。数人が『赤い気球』から伸びている、いや正確には支えている金属棒が出ている地面を眺めているが、正直、違いも変化も分からない。
それは周囲にいる生徒に尋ねてみた。
「なんか有ったのかよ?」
一人目は首を傾げたが、二人目は答えてくれた。
「風船の高さが変わったらしいぜ」
「変わった?」
風船というか気球を見上げてみる。正直、見ただけでは違いが分からない。俺は少し離れて自分の目の高さから気球までの角度を測ってみる。
しかし前に測定した事も無いから、本当に高さが変わったのかどうかは分からない。根元からの正確な距離が分かれば、高さも分かるはずだけど、なにしろこの『学園』には自由に使えるメジャーも無い。
平均的な男子高校生の歩幅って何センチくらいだ? それが分からないと始まらない。
取りあえず角度だけは体感で覚えておくか。正確な高さは分からないが、それでも実際に変わったかどうかくらいは察しがつくかも知れない。
「そんな事をしても無駄だよ。無駄無駄」
野次馬の生徒からそう言われるけど、まぁ無駄は承知だ。
「まぁ気休めさ」
俺は苦笑を返して、『赤い気球』を支えている支柱の根元を見ている生徒たちの方へ近寄った。
「本当に高さが変わったのか?」
そう訊ねる俺に、生徒たちは一時、訝しげな視線を向けたが、説明はしてくれた。
「あぁ、誰かが『支柱が地面の下かせり上がってくる』と言ったんだ。それで土で目印を付けていたんだけど、確かに上がってきている気がしないでも無い」
しないでも無いか。まぁ土の目印くらいでは、剥がれ落ちたりして確実は言えないからな。
「ちょっと触っていいか?」
俺は周りにいる生徒たちに断って、支柱を握ってみた。太さは思ったよりもある。鉛筆よりも太い。マジックペンくらいはあるだろうか。
少し力を入れて揺さぶってみたが、ほとんど動かない。かなりがっちりと地面の下で固定されているようだ。
しかしだからといって、支柱が地下からせり上がってきていないとは断言できない。例えば地下で強力なローラーのようなもので固定され、それが回転する事によって、少しずつ上に出てきているのかも知れない。
そんな凝った仕掛けをして何がやりたいのか。『管理者』の意図を推し量るだけ無駄というのも分かっている。
「有り難う」
俺は礼を言うと支柱から手を離した。
「何が分かるか?」
「いや全然」
そんな話をして俺たちは笑いあった。
「この石で支柱に傷を付けて目印に出来ないかな?」
野次馬の一人が、花壇の端から石を幾つか拾って来た。支柱は鉄か何かの金属製でかなり堅そうだ。その辺に落ちている石で傷が付く訳もないが、逆に削れた石の粉が支柱に付いて、目印になるかも知れないな。
生徒たちは身をかがめて支柱に何とか目印を付けるべく作業を始めた。
まぁ、いいか。こいつらに任せておこう。しかし、なんでまたここに来て動くオブジェが現れたのかは不思議だな。
俺はそう考えながら『赤い気球』から離れようとした。その時だ。彼女の姿が目に入った。
『赤い気球』を見上げる野次馬の列から少し離れて、不安げな表情の女子生徒。2800だ。あのクラス委員風の女子生徒。優等生で真面目なのに、星が減って増えない生徒だ。
その2800が何とも言えない不安そうな表情で『赤い気球』を見上げているのだ。俺は彼女の視線に釣られて、改めて『赤い気球』を見上げてみた。
特に何か変化はない。上に登っていく気配も、下に降りてくる兆候も無い。
不安に思う要素は何も無い。俺は視線を落として、改めて2800の方へ目をやったが ……。もうその場にはいなかった。
捜してみると小走りに校舎へ向かっている所だ。背中を向けているので、あの不安げな表情が解消したのかどうかは分からない。
しかしちょっと気になる出来事だったのは確かだ。
◆ ◆ ◆
「管理委員が途中でクビになる事? あるわよ」
管理委員会室へ行くと、ちょうど
「星が一つか二つ抹消で、一般生徒に格下げなんて例は過去にもあったと聞いたわ。そうなるともう管理委員になれないと言われてるけど、そんな規則も無いみたいだし。まぁ、あやふやね」
「あやふやか……」
俺は苦笑した。
「じゃあ俺が管理委員になった途端、『学園』から脱出した件で、いきなりクビになったりもあるのか?」
「それはどうかしらね。あんまり普段から素行に問題がある生徒は、管理委員に立候補したりしないし……」
「じゃあなんで管理委員長の4761は、俺を誘ったんだ? 立候補すれば、ほぼ確実に当選するんだろう?」
「面倒臭いのかなあ。管理委員選挙って、誰かが当選するまで続けられるし」
「なんだよ、ずっと選挙やってるわけにも行かないだろう?」
「いや、そうでもないのよ。結局、この『学園』て時間が無いからね。区切りの良い頃合いというのも分からない。立候補する人が出るまで立候補を募るし、投票数が一定数になるまで投票は受け付けるし」
なるほど。それは面倒だ。ならば目立つ奴に押しつけてしまおうと考えるのも、管理委員長としてはあり得る選択肢だ。
「しかし今のところ管理委員は足りているんだろ? 近々欠員が出る予定でもあるのか」
「あたしは聞いていないわね。あたしはね」
自分は聞いていないという事を
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