第九章「赤い気球」-008

 4030は座ったまま、俺に言った。


「俺たち一般生徒は『学園』の生活に満足しているんだ。お前があれこれかき回すから、ややこしくなる」


「どうややこしくなったって言うんだよ!」


 子供の理屈だなと思いつつも、俺はそう反論せざる得なかった。なにしろ向こうが子供の理屈で突っかかってくるのだ。


「このところ『学園』内に奇妙な物が現れてるじゃないか。あれ、お前みたいのが余計な事をするから出てきたんじゃないのか?」


「奇妙な物ってなんだよ」


 これは本気で分からなかった。


「最近は、ほら。花壇の方に赤い風船みたいなものが現れたじゃねえか」


 ああ、あの赤い気球か。


「他にも妙な彫像とか、でかい置き時計みたいなのとか。……そうそう、お前。あの置き時計みたいな彫像から出てきたんだって?」


 4030が言うのは、俺と1103ヒトミが『学園』に帰還した時に出てきたオブジェの事のようだ。


「それがどうした」


 何を言いたいんだ。こいつ。俺も本格的にむかついてきたぞ。


「別に妙なオブジェが出てきた所で、何も問題は無いだろう。どうしてお前から俺が責められなきゃいけないんだよ!」


「俺たちは『学園』でゆっくり過ごしたいんだよ!!」


「……は?」


 咄嗟に言っている意味が理解できず、俺はぽかんとなった。そんな俺に構わず4030はまくし立てる。


「お前が『学園』から抜け出そうとする前は、ずっとずっと同じ日、同じ時間が続いていた。何も起こらなかった。天気も変わらない。面倒な学校行事もない。犯罪や天災に巻き込まれる事も無い!」


「……今だって変わりないじゃないか」


 呆れてそう言う俺に、4030は焦れたように頭を掻きむしりながら言った。


「不安なんだよ! 言わせんな!!」


 なんとなく話が見えてきた。要するに『学園』では毎日が同じで、何も不安が無く過ごす事が出来た。しかし最近『学園』内に奇妙なオブジェが現れるようになり、不安感をかき立てられる。

 オブジェは俺が『学園』からの脱出を図ろうとした前後から現れるようになった。つまり俺の責任だ。


 そう言う事らしい。


「知らねえよ」


 嘆息と共にそう答えた。


「あのオブジェは生徒に危害を加えたりしないじゃないか。不安に思う事なんて何も無い。いつも通りに過ごしていればいいんだよ」


「最近この『学園』へ来たお前にとってはそうかも知れないが、俺はもう何年もここにいるんだ」


 4030は頼んでもいないのに、いきなり自己紹介を始めた。


「最初は戸惑ったけど、すぐにここが理想郷だと分かった。だって何の不安も無く過ごせるんだぜ。こんな場所が地球上にあるのかと思ったよ」


 俺が『学園』に来たばかりの頃、『卒業』に立ち会った事があったのを思い出した。『卒業』する生徒は、『学園』から出て行きたくないと言っていたはずだ。


 当時の俺はそれがピンと来なかったが、今なら理解できる。いや、理解できるだけで共感は出来ないけど。


 言ってみれば冬場の布団だ。ぬくぬくと暖かい。冬の間はずっと布団にくるまっていられたらと誰も思う瞬間だ。


 この『学園』は暖かい布団だ。『管理者』に従う限りは布団から出なくとも良い。暖かく不安のない環境で過ごせる。


「じゃあそれでいいじゃないか。ずっと『学園』で過ごせよ。俺は別に止めないし、一緒に『学園』から脱出しないかと誘ったりもしないぜ」


「お前は良くても、俺が嫌なんだ! だからお前は余計な事をするなと言っているんだ!」


 もう完全に逆ギレだ。これ以上、相手をしてやっても無駄だ。その場から立ち去ろうか。それとも最後に捨て台詞でもふっかけてやろうかと思案していたら、突然、3788が俺たちの間に割って入った。


「ああ、そうっすよね。4030さん。0696はまだ『学園』に来て日が浅いもんで、空気というのが読めなくて。なぁ!?」


「空気なんて読むかよ!」


 3788が仲裁に入ってくれたのも分かるけど、俺が一方的に悪いとされるのもむかつく。反射的にそう言ってしまった。


「んだよ、貴様!」


 トレーの載ったテーブルをバンと叩いて4030が立ち上がった。


「ああ、0696! 管理委員が呼んでるぜ。あの、ええと。1103! お前の彼女!!」


「いや、別に付き合ってるわけじゃねえし!」


 これまた反射的にそう答えてしまったが、俺の答えに周囲の野次馬の間から失笑が漏れた。どうやらケンカ沙汰になりそうな所に、いきなり恋愛問題がぶち込まれたのが、面白かったようだ。


 しかしこれが思わぬ結果を呼んだ。急に4030が白けた顔になり、残ったパンを無理矢理に口へ詰め込んだ後に言い放った。


「もういい。でも勝手にしろとは言わない。迷惑をかけるな。分かったな!」


 そう言うなりトレーを持ってカウンターの方へ行ってしまった。俺はその時、4030の身分証明書に着いてる星が四つある事に気づいた。


 普通に優等生だろう。


「んだよ、あいつ」


 俺がぼやくと3788が教えてくれた。


「彼には構わない方がいい。それでなくてもこのところ苛立っているようだからな」


「何か事情があるのか?」


 俺が座り直すと3788もテーブルに着いた。


「事情って言う程のものじゃない。ただ4030は、言うなれば『学園』生活をエンジョイしたい。一日でも長く『学園』に居たい派なんだ」


 なるほど、やはりあの『卒業』した生徒と同じ類いか。


「物好きだなぁ。こんな気味の悪い所、さっさとおさらばしたいだろう」


「それがお前の悪い所だ、0696」


 少し真顔になって3788は俺に向かって続けた。


「正直、俺も『学園』に居ると安心できるというのは分かるんだ。でもお前のように、誰が何の目的で運営、支配している所には居られないというのも分かる。大抵の生徒がそんな心境だ。お前のように逃げ出そうという方向に全振りしてる生徒は少ない」


 俺は3788を多少誤解していたようだ。こいつはこいつなりに真面目に考えてるのだな。少々、軽薄なところが有るから、大して考えていないかと思っていた。


「いや、それは……。うん、悪かった」


「別に謝る事は無い。それに奴さん、最近、星が増えたんで焦っているんだろう」


 奴さんというのは4030の事だろう。しかし何故、星が増えて焦るんだ? 2800は星が増えなくて困っていたのに。


「別に困ることはないだろう? それだけ早く『卒業』出来るんだから」


 俺の言葉に3788は嘆息した。


「だからお前は分かってないのよ~~。奴さん、4030は『学園』を『卒業』したくないんだ。星が増えて『卒業』に近づくのはまずい」


 なるほど、色々と難しい物だな。


「だから最近、授業をサボったりして星の数を調整しようとしていたみたいだ。それがうまく行かなくて、お前に当たり散らしたんじゃねえの? いや、『学園』内で他の生徒と揉め事を起こすと星が減るという噂もあるから、試したのかも知れないな」


 そんな噂があるのか。しかしそれだったら何度も『学園』から『脱出』を試みている俺はどうなるんだ? 『脱出』と生徒同士の揉め事は、『管理者』にとって評価基準が異なるのかも知れないけど。


「そうか……。そうだよなあ。『卒業』したくない生徒も居るんだ。そっちまで気が回らなかったぜ」


 そう言う俺に3788は訳知り顔で言った。


「そうそう。だからお前もあまりイキがらない方がいいぜ。また面倒な奴に目を付けられるぞ」

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