第九章「赤い気球」-005

「いやいや、それはないでしょう!」


 俺は思わず叫んだ。


「登山客はさすがに映像だ。さもなきゃ富士山そのものも映像に違いない。町に差し込む日の光がずっと同じ角度なら、富士山も同じで無ければおかしい。富士山にそんな異変があったら、さすがに不思議に思う人間が世界中に出てくる!」


「まぁ……。それはそうだな。僕もそう思う」


 俺の指摘に4671は意外とあっさり同意してくれた。


「それで4882と2407はどうやって『学園』に戻ってきたんですか?」


「張りぼてのオフィス街は、意外と行ける場所は少なかったし、なにしろ頭の上には富士山が逆さまになって浮かんでいる。外に居る気はしなくて、パイプの出口があったビルの中に籠もってる事が多かったそうだ」


「そのビルの中は? 他に何かなかったんですか?」


 何かあればとうに4671が言っているだろう。無駄を承知で俺は念の為に聞いてみた。


「外へ出る通路しか無かったようだ。階段もなかった。エレベーターも張りぼてで、実際には動かなかったそうだ」


 なるほど。そんな所だろうな。


「4882と2407はそんな状態で、感覚的には数日間過ごした。町へ来たパイプから戻ろうとしても、途中で蓋がしまってしまい身動きが取れない。ところがしばらくして、突然、外から自動車の音が聞こえてきて、二人は外へ飛び出したそうだ」


 4671はそこで少し言い淀んでから話を付けた。


「そうしたら、ビルの出入り口の目の前に、一台のバスが横付けされていたそうだ。君が『駅前』へ乗っていったものや、0392が『工場』から乗ったバスと同様、運転手の姿は無く、自動運転だったらしい」


「それで帰ってきたんですか」


 しかし4671は頭を振った。


「いや、ちょっと違う。きみや3920は『学園』正門前のバス停留所に来たそうだが、4882と2407が乗ったバスは、地下通路のような道路を通り、エレベーターがずらりと並んだ施設にたどり着いたらしい」


「そのエレベーターで『学園』まで登ってきたと」


「まぁ、そういう事だ。二人は着替え用の衣料品エレベーターで戻ってきた。エレベーターは何十基もあったらしい。そのすべてがこの『学園』へ繋がっていたのか、戻ってこられたのは偶然なのかも分からない」


「そしてそのエレベーターがあった所には人っ子一人いなかったと……」


「当然、そうなるな」


 そう言うと4671は苦笑した。


 誰もいない張りぼての町は俺たちと同じだ。しかし『上空に逆さまになった富士山』というのは解せない。いや、それを言ったら俺たちが見た、張りぼての町の向こうにあった原野と田んぼ、そして山々も解せないんだけどな。


 しかしバスに乗って戻ってきたのは同じなのに、どうして『学園』の停留所ではなく衣料品用エレベーター、つまりリフトで戻ってきたんだ。俺や3920ミクニとは、何かが違ったんだろうか。


 むしろ俺と1103ヒトミが戻ってきた時、無人のビルを抜けて、ぐねぐねの通路を通ってきたら、『学園』内のオブジェへ出た時の方が、何となく近いような気がする。まぁあくまで感覚的なものに過ぎないんだけどな。


「4882と2407は、しばらく休ませている。君たちと違って、食べ物もなかったからな」


 4671はそう言うと、意味ありげに一つ咳払いをして、足を止めた。


「それで、実はここからが本題なのだけれども……」


「本題?」


 なんだ。4882と2407が無事に帰還したというのは、話の前振りに過ぎなかったのか?


「0696。管理委員をやってみないか?」


「……はぁ? 俺が? 管理委員?」


 思わず俺は反射的に聞き返してしまった。


「あぁ、そうだ。実際になるには選挙を経ないといけないけど、難しい話じゃない。時間が計測できない、この『学園』では選挙制度も独特だからね。やってみないか?」


「いやぁ……」


 余りに唐突な誘いに俺はすぐに反応できなかった。


「でも俺でいいんですか? 何度も『学園』から脱出しようとした問題児ですよ」


「構わない。それに君もうすうす気づいているだろう?」


 そして少し声を潜め4671は続けた。


「管理委員は別に『管理者』へ絶対服従しているわけじゃない。むしろ『学園』から逃げ出す機会をうかがっている生徒の方が多いくらいだ。管理委員になれば『学園』の秘密へ近づけそうだしね」


 なるほど。1103ヒトミも同じような事を言っていた。一般生徒では『学園』の運営については知る由も無いどころか、どのようにアプローチすればいいのかすら分からない。


 しかし管理委員なら糸口くらいは掴めるというわけだ。もっとも1103ヒトミも大した成果は得られてないと言っていたし、管理委員になれば即座に『学園』の秘密が分かるという物でも無いらしい。


「あ、でも管理委員って人数制限があるんじゃなかったでしたっけ?」


 前に1103ヒトミがそんな事を言っていたような憶えがある。


「あぁ、そうだな。でもそろそろ欠員が出そうなんだ。すぐにという訳でもないけど、少し頭に入れておいてくれないか?」


「そうですね。考えておきます。じゃあ、俺、こっちなんで」


 そう言うと俺は4671と分かれた。しかし妙な展開になってきたな。管理委員長である4671直々から、管理委員にならないかと勧誘されるとは思ってもみなかった。


 一人ではなかなか決断しずらい。ここは誰かに相談してみるか……。


 まずは……。


◆ ◆ ◆


「……お勧めはしないわね」


 取りあえず俺は1103ヒトミに相談してみる事にした。話しているのは例によってグラウンドのど真ん中。目立つのは事実だが、盗聴はされにくい。1103ヒトミは、そもそも俺担当の管理委員という事もあり、二人で会話しているのは、それほどおかしな事でも無い。


 それに4671が見たとしても、俺が管理委員の件を1103ヒトミに相談しているのだと察してくれるだろう。


「なんでだよ?」


 俺は訊ねた。


「あたしたちが別行動を取りにくくなるわ」


 なるほど、一理あるな。


「二人居れば何か調べる時、管理委員側と一般生徒側からアプローチできるでしょ? 二人とも管理委員じゃ選択肢がないも同然よ」


 そう言う1103ヒトミはかなり不満げだ。ちょっと話題を変えてみるか。


「ところで、管理委員の選挙ってどうやるんだよ?」


「どうって……。普通よ。普通の学校の生徒会選挙みたく、立候補を募って投票って流れ……」


「いや、でもこの『学園』じゃ正確に時間を計れないだろう? 立候補届け出締め切りとか、投票期間とか。どう測定するんだよ」


 俺のその問いに、1103ヒトミは即答した。


「人数」


「は?」


 思わぬ単語に俺はぽかんとするだけだった。


「だから単純よ。人数よ、人数。生徒の数!」


 1103ヒトミは少し苛立たしげに言うと改めて説明した。


「立候補受付も投票も食堂でやるの。食事ができるのはあそこだけだから、必ず生徒は来るからね。一定の人数が通った時点で受け付け終了。人数を数えるのは管理委員の仕事で全部手業になるけどね」


「投票期間は? 投票しない奴だって居るだろう?」


「それはリアルの選挙と同じよ。投票したくない人は投票しなくても構わない。投票所の前を通った人数だけを数えて決まった数に達したら終了。投票数には規定無し。そんなところよ」


 なるほど。誰もが食堂を通るから、その人数を数えるというのはうまいところに目を付けたな。

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