第一章「選ばれた場所」-010

「『卒業』すれば出られるわ。真面目に授業に出て、レポートを書いて、学校に協力的なら、身分証明書に着く金色の星印が増えるの。それを五個貯めて、一定期間が過ぎれば卒業よ」


 少し顔を上げる。1103の身分証明書には三つの星印があった。


「いや、そういう話じゃない! 今すぐここから出て行きたいんだ! こんな所にいられるか!!」


 俺はまた声を荒らげる。もうこんな所からはおさらばしたい。行く当てが無くてもいい。出れば何とかなるだろう。


「自由には出られないの。『学園』には高い壁があって出られないし、周囲は森に囲まれてるわ。出ても行くところが無いの」


「行くところが無いって……。家か寮から『学園』に通ってるんじゃないのか? それなら……」


「通ってはいないわ。生徒全員、この『学園』に住んでいるのよ」


「……まじか?」

 ロッカーに入っていたあの寝袋は、やっぱりそういう意味だったのか?


「いや、でも飯は?」


「食堂があるわ」

 それは記憶を失う前の俺が書いた地図にも書いてあった。まぁこれだけ広い『学園』だ。学食くらいあってもおかしくない。


「風呂は? 着替えは?」


「お風呂は生徒用の浴場やシャワールームがあるわ。着替えは……、貴方もロッカールームを使ったなら分かってるでしょ?」

 はい、はい、はい!! 分かった、分かった!! 分かってはいたけど、納得できるわけではない。

 理解できるわけでもない!!


「あ~~! もう!! なんだって言うんだ!!」


 俺は髪の毛を掻きむしって思わず天井を仰ぐ。そして先ほど、校舎C棟三階の教室から見た光景を思い出した。


「……『学園』の正面からバスが出ているだろう? あれに乗ってどこかへ行けないのか?」


「それは……」

 言いかけた1103を4882が遮った。


「なるほど、いい考えだ。『学園』から出られて、いいタイミングでバスが来ればな」


 俺は4882に向かってむきになって答えた。

「『学園』の壁は2メートルくらいだ。見上げる程の高さというわけじゃない。何とか工夫すれば出られるだろう?」


「面白い、やってみれば?」


「4882! いい加減な事を言って転入生をそそのかすのは止めて!」


 1103は俺じゃ無くて、4882に向かって怒った。しかし4882はさして気にしていないようだ。にやにや笑いながら答えた。


「いいじゃん。これくらい。彼は目の前の餌というか、手近な目標がないと駄目なタイプみたいだしな」


 どうやら俺はそういうタイプらしい。何となく自覚はある。まぁいい。今は言わせておこう。


 天井を仰いでいた俺は、嘆息しながら視線を下げた。


 その時、それが目に入った。


 もはや大した問題では無いが、物のついでだ。一応、確認しておこう。


「あのさ、いま何時だ?」


 1103と名乗る彼女の背後に、掛かってるアナログ式の時計が目に入ったのだ。


 そしてその時計も、校舎前に掛けられていたもの、そして教室にあったものと同じく、4時46分を指していた。結構、でかい時計なので分針の位置も正確に分かった。


「4時46分よ」

 彼女は背後の時計を一瞥もせず、間髪をいれずにそう答えた。


「いやいや、それはないだろう? 俺が校舎に入った時も4時46分だったし、教室の時計も4時46分だった。校舎に入ってから十分以上は経っているはずだ。そろそろ5時過ぎじゃねえの?」


 ふうと一つため息をついて、彼女は目蓋を閉じて繰り返した。


「4時46分よ」

 そう言い張る彼女に、俺はかちんと来た。


「他に時計は!?」 

 思わず憤然として問いかけた。


「ないわ」


「じゃあ正しい時刻は分からないじゃないか! あの時計は壊れてる。なんでこの『学園』の時計は同じ時間を指しているんだ? そんなもの、いくつも置いていて、何の意味がある!?」


「分からないわ」

 はいはい、そうですか。


 俺と1103のやりとりをにやにやしながら見ていた4882がやにわに口を開いた。


「いや、しかし止まっている時計も便利だぞ。一日に二回はぴったりと時間が合うんだ」


「合ったタイミングが分からないと意味が無いじゃないか。それならきっちり5分進んでいる時計の方が役に立つ」


「ははは!」

 4882はやにわに声を立てて笑い始めた。


「これは面白いな。こう返してきた転入生は初めてだよ」


「もういいでしょう」

 1103はそう言うと椅子から立ち上がり、4882に向かって言った。


「ちょうど時計の話になったし、外の様子を見せてくるついでに、生活に必要な施設について説明してきます。彼の性格だったら、実際に見た方が理解が早いでしょう」


「そうだな。俺は留守番を続けるよ」

 4882は そう言うとさっきまで座っていたパイプ椅子へ戻り、また制服の下からエアガンを取り出して、なにやらいじくり始めた。


「行きましょう。0696」


「数字で呼ぶなよ。この際だ、なんか適当でいいからあだ名をつけてくれ」

 文句を言いながら立ち上がる俺に、1103は腕組みをしてあきれたように言った。


「あだ名呼びも『学園』内では禁止されてるの。それにみんな生徒番号で呼び合っているんだから、一人だけ特別扱いは出来ないわ」


「番号なんか呼ぶな! 俺は人間だ!!」

 思わずそんな台詞が口を突いて出た。しかしそんな俺に、1103は醒めた表情で言った。


「同類を番号で呼ぶのは人間だけよ。それを考えるときわめて人間らしい行為だわ。知能の高い動物も同類は認識してるでしょうけど、クジラやチンパンジーが仲間を番号で呼んでいるのかしらね?」


「呼んでいるかも知れないぞ。クジラやチンパンジーに聞いてみないと分からない」


 そう反論する俺に、彼女はまた嘆息した。

「まったく、ああ言えばこう言う。今の状況でよくもまあ頭が回るものね」


「はいはい、ありがとうございます! 1103様!」

 嫌みたらしく番号に様付けしてやったが、彼女は特段反応をしめしてくれなかった。


「じゃあ行ってきます」


「おう」

 1103の言葉に、パイプ椅子に座った4882はエアガンに目を落としたままそう答えた。

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