第一章「選ばれた場所」-009

「まず言っておくわ。ここは『学園』で貴方は『0696』よ」


「いや、だから……!」


 反論しようとする俺を遮り、彼女は手を出して言った。

「もう、いい?」

 水の事だ。


「ああ、もういいや。ごちそうさん」


 水ごときにごちそうを言うのもちょっと引っかかったが、ウォーターサーバーから注いだという事はただでもあるまい。俺が礼を言うと、彼女が最初のものと二つ、紙コップを受け取り、壁際のゴミ箱に捨ててきた。そしてまた俺の前に戻って来る。


「あたしは『1103』よ。イチイチゼロサン。そう呼んで」


「名前は?」


「知らないわ」


「知らないって事はないだろう! 自分の名前だぜ!? なんで番号で名乗るんだ?」


「それが『学園』の規則だからよ」


「誰が決めた、そんな事!!」

 俺はついカッとなって声を荒らげてしまった。


「知らないわ」

 しかし彼女は意に介さず、またもや即答だ。俺はうんざりして言った。


「おいおい、俺に説明してくれるんじゃないのか?」


『1103』と名乗った彼女は、一つ嘆息してから続けた。

「あたしの知ってる範囲内と言ったでしょ。知らない事は当然、説明できないわ」


「自分の名前を知らないわけがないだろう!」


「そういう貴方は? 知ってるの?」

 間髪を入れずに畳み掛けてきた。


「……いや、知らない。知らないから……」

 ん……、ちょっと待てよ。まさか……。


 その時だ。


「ははは」


 やにわに男の笑い声があがった。


 声のした方へ頭を巡らせると、そこには制服を着た男が一人いた。


 俺たちより少し年かさのようだ。同じ制服こそ着ているが、高校生という雰囲気では無い。


 大学生、二十歳くらいか。


 彼もパイプ椅子に座り、何かをいじっていたようだ。屈んでいたいたうえ、機材の影になっていたので、今まで気づかなかった。


「いやはや、彼。かなり察しが悪いようだ。1103、もうちょっとストレートに教えてやった方がいいんじゃないか?」


 そう言いながら立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。


 背は俺と同じくらいか。ちょっと瓜実顔で髪は短く刈り揃え、眼鏡をかけていた。手に持ってるのはモデルガン、いやエアガンだろうか。


 自動拳銃タイプのエアガンとは分かるが、どうやら俺はガンマニアではなさそうだ。銃の名称までは分からない。


 彼は制服の前を開けると、そのエアガンをチェストホルスターにしまった。


 視線で問いかける俺に気づいたようだ。1103は答えた。


「彼も管理委員よ。4882」


 また数字か!


 それを見透かされたようだ。4882は言った。


「ほら、また数字かって顔をしてるぞ」


「そうねえ」


 1103はうんざりしたように、一つため息をついてから口を開いた。


「貴方、自分の個人情報に関する記憶を無くしたまま、気がつくとこの『学園』のどこかに立っていた。ポケットには記憶が無くす前の自分が書いた手紙が入っていて、管理委員に会えとあった。そういう事でしょ?」


「ああ」


 俺がそう答えると、1103は制服の胸ポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出した。そこには女の子らしい可愛らしい文字で、何か文章がしたためられていた。


「あたしも同じ」


「……え?」


 何を言ってるのか一瞬、理解できなかった。その間に1103は頭を巡らせて4882に視線を向けた。


「彼も同じ」


 それに付け加えて4882は言った。


「俺は自分からの手紙なんて捨てちゃったけどな」


 1103は4882には何も答えず、俺の方へ向き直ると正面から見つめて言った。


「この『学園』にいる生徒は、みんな同じ。貴方と同じよ」


「え、ちょっと……。ちょっと待てよ……」


 椅子に座っているにも関わらず、俺は身体がぐらりと揺れる錯覚に襲われていた。


「なんだって……。つまり……、その……。こういう事か?」


 俺は気づかぬうちに椅子から腰を浮かせ掛けていた。きちんと座り直して後を続ける。


「あんた達もどうやってここへ来たのか記憶が無い? 自分が誰で、何という名前なのも知らない。記憶がないって事なのか? あんた達だけじゃない。生徒全員が……?」


「そうよ」


 1103は当たり前のように素っ気なく答えた。


 俺は両の手のひらに顔を埋めてしまった。


 ……なんというか、理解が出来ない。俺の理解が及ぶ範囲を超えている。


 なんで都合良く自分に関する記憶だけ失った人間がこんなにいるんだよ! ここは特殊な記憶喪失症の専門の医療施設なのか?


 いや、そうだ。そういえば……。


「教師は?」


 俺は尋ねた。


「『学園』なら教師がいるだろう?」


「いわゆるオンライン授業専門。貴方もさっき教室で見たでしょう? 電子黒板にデータが転送されてきて、答えをタブレットに入力する形で授業する。教師はいないわ。いや、いるのかも知れないけど、『学園』内では姿を見た事は無い」


 頭がおかしくなりそうだ。この二人、いや今まで『学園』内で見てきた生徒達は、なんで平気なんだ?


「どうやったら、ここから出られる?」

 しばしの後、俺はそう尋ねた。

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