第一章「選ばれた場所」-007

 時計やスマホがないから分からないが、実際には大した時間は経っていないのか? 黒板の上には時計が掛かっているが……。

 

 駄目だ、これは。


 故障しているのか、4時46分を指したまま。つまり俺が校舎に入る時に見た、A棟に掛かっていた時計と同じ時刻。これはどちらかの、あるいは両方の時計も壊れているとしか思えない。


 別に時間なんてどうでもいいけど、気にならないと言えば嘘になる。俺は隣の席にいる男子生徒へ小声で話しかけてみた。


「なぁ……。いま何時?」


 隣席の男子生徒は、何も見ずに素っ気なく答えた。


「4時46分」


 その態度に俺はちょっとむかついた。

「教室の時計なら壊れてるだろう? 俺が校舎はいる時も4時46分だったぜ」

 しかし男子生徒は俺の方も見ずに重ねて答えた。

「でも4時46分なんだ」

「じゃあ時計かスマホ見せてくれ。時間だけでいいから」

 ようやく俺の方を見た男子生徒は、にやにやと笑っていた。

「ねえよ。持ってない」

 その態度に俺は思わず声を荒らげてしまった。

「今時スマホくらい持ってないわけないだろう!」

 俺の大きな声に、生徒の何人かがぎょっとしてこちらを振り返る。その中の一人、教室に入って最初に声を掛けてきた、眼鏡の女子生徒が立ち上がって注意した。


「転入生をからかわないで!」


 見た目同様、性格も真面目なようだ。真面目というか委員長気質というべきだろうか。

 その『委員長』は俺の方へ向き直って続けた。


「あの、転入生さん。色々と事情が込み入っていて。時間とか詳しい事は『管理委員』が教えてくれると思うから。私の口からはちょっと……」


 これ以上、突っ込んで聞くのも申し訳ないような気がしてきた。大体どうしても今が何時か知りたいわけでも無い。まだ日は高いし、帰るところが分かっているわけでも無い。


「あぁ、いいです。『管理委員』とやらが来るまで待つよ」


 そう言って切り上げた。一応『委員長』に止めてくれたお礼を言おうかと思ったのだが、考えてみれば名前を知らない。男同士ならともかく、女の子に初対面でいきなり名前を聞くのも失礼だろう。


 席に座り直した俺は、その事に気づいた。


 名前……? そうだ、名前だ。ここに来るまで生徒たちの他愛ない会話を、時折、耳にしてきた。


 しかし名前を呼んでいたか? 聞いた覚えが無い……。


 知らない人間同士の会話だ。失礼だとも思い、それほど他の生徒たちの会話に聞き耳を立てていたわけではない。しかしそれでも、佐藤とか鈴木とか、あるいはイチローとかサクラとか、そういう名前で呼び合っていたような記憶は無い。


 先ほど、機械のオブジェ前で俺に話しかけてきた男子生徒も名乗らなかった。『委員長』もそうだ。A棟の階段脇にあった掲示板にも生徒番号らしき数字はあっても名前は書いていなかった……。


 なんだ? 変だぞ。いや、変と言えば変な事だらけなのだが……。


 男子生徒同士なら名前を聞いても、変に勘ぐられないだろう。さっき時間を聞いた時の態度からすると、あまり意味のある返答は期待できそうに無いが、それでも俺は隣席の男子生徒へもう一度、話しかける事にした。


「……あのさ?」


「今度はなんだよ。静かにしていろ。俺たちは授業中なんだ」


 自習じゃ無いのか?


「いや、すぐ済む用件だ。ちょっと教えて欲しいんだけど……」


 俺がそこまで言いかけた時だ。突然、教室前方のドアが開いた。


「転入生の生徒番号0696は来ているわね」


 入ってきたのは、髪を肩まで伸ばした女子生徒だった。声の張りや、目つきの鋭さから、いかにも気の強そうな女の子だ。歳は俺と同じくらい、高校生だろう。

 制服は他の女子と同じだが、左の二の腕に水色と緑色そして白に彩られた腕章をつけていた。


 俺よりも早く『委員長』が立ち上がった。


「はい、来てます。転入生くん、彼女が『管理委員』よ」


「あ、はい。俺が転入生……、だと思います」


 自分が転入生と言われてもぴんとこない。しかし『委員長』は俺の事を『転入生』と呼んでいたし、この教室には他に俺のような生徒はいないようだ。


『管理委員』の言う『転入生』は俺の事だろうと思い立ち上がった。


「……そう」


『管理委員』の女子生徒は俺を一時みつめてから一つ肯く。そしてきびすを返すや背中越しに俺へ向かって言った。


「ついて来て」


 言うや否やドアから出て行く。俺は慌てて『管理委員』の後を追いかけた。教室から出る直前、中へ目をやると隣席の男子生徒が手を振ってくれているのが目に入った。それほど悪い奴じゃないのかも知れないな。


 俺はそんな事を考えながら教室を出た。


『管理委員』は少し先で俺を待っていった。追いつくのを待って、結構な早足で歩き出した。

 こちらの事情を何か説明した方がいいのかな。記憶が無いとか、どうやってここへ来たのか分からないとか……。


「ええと……」


 何から言い出したものか。俺が言いよどんでいる隙に『管理委員』は先回りして言った。


「貴方の素性は知らないけど、貴方が置かれている状況はおおむね把握してるわ」


 一方的にそう言うと、一度、足を止め、顔だけ俺の方へ向けて付け加えた。


「貴方の面倒は、しばらくあたしが見る事になってるわ。とにかく『管理委員会室』へ来てちょうだい。そこである程度は説明できると思う。もちろん、あたしの知っている範囲内だけだけどね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る