第一章「選ばれた場所」-003

 塔といってもここから見てもディテールは分からない。 真っ黒なものが直立しているだけなのだ。


 沈みかけている太陽は、ちょうど塔の正面にある。それにも関わらず塔は一切、陽光を反射していないのだ。真っ黒なベルベットで覆われているにも思える。


 だから塔はまるで立体感がなく、遠くから見ると距離感が狂ってきそうだ。


 影法師だけが立っている……。いや、そこだけ空間が切り抜かれているようにさえ感じる。


 その塔がそこに実在しているのは、上端に灯火が見える事でようやく実感できる。


 灯火といっても灯台のように明るいものではなく、高層建築物やタワーに付いてる障害灯のようなものだ。


 向かって左側の方は赤い光がずっと灯っている。右側の方は赤に加えて、白や青の光が、不規則に明滅していた。


 高所にあるのだから建物自体は高くなくとも、航空機障害灯を付けているのは分かる。

 しかしあの塔のような建物そのものは一体なんなんだ?


 真っ黒に塗られまるで周囲を睥睨するかのように立っている。そこにあるだけで圧倒的な威圧感を覚えてしまう。


 学校の施設にしては違和感がありすぎる。通信施設や灯台とも思えない。


 敢えて言うなら……。監視塔? いや、監視の為の窓やカメラは一切見えない。だから監視塔とは言い切れないのだが、周囲に放っている強烈な存在感からは、そうとしか言えないのも事実だ。


 本当に、監視塔なら……、『学園』を見張っているのか? この『学園』はそんなにやばい所なのか?


 手のつけられない不良ばかりを集めた学校。そんな設定の漫画を読んだような記憶がある。この『学園』もそんな学校で、実は俺も札付きの不良ワルだったりして……。


 いやいや、馬鹿げている。


 俺は自分の考えに頭を振った。異様な存在感のある塔があるからといって、それが監視塔かどうかなんて言い切れない。


 異様な建物だが、きっとそれには相応の存在理由があるに違いない。そして存在理由があるからと言って、それが俺の境遇に関係しているとは言い切れまい。


 ……俺の境遇!


 そうだ、今は俺の事だ! 塔がどうとかなんて後で考えればいい事だ。


 まず今は俺がどうするかと言う事!!


 俺はポケットに入っていたあの紙の続きを読んだ。


『「0696」。この番号を忘れるな。「学園」では氏名は使われない。すべて番号で呼ばれる。そしてお前は「0696」。「ぜろろくきゅうろく」だ。別に「れいろくきゅうろく」でも「まるろくきゅうろく」でも構わないが、数字だけは忘れるな』


 生徒手帳やハンカチにもあったあの四桁の番号だ。どうやらそれが俺の番号、マイナンバーみたいなものらしい。しかし『氏名は使われない』というのはどういう事だ?


 これじゃ刑務所みたいじゃないか!


 やっぱりこの「学園」は、やばい場所なのか?


 俺はさすがに不安になってきた。


 しかしこれを書いたのも俺。俺の考える事はよく分かっていると見える。俺の反応を予測して続きを書いていた。


『いや、俺……。というか、お前が不安に思ってるだろう事は想像が付く。しかし名前がない事は、この「学園」では大した障害にはならない。むしろ無くて問題ないから、普段から使われていないだけだ』


 いや、想像が付くなら俺の名前を書けよ! たった数文字で済む事だろう! むしろ名前が書けない事情があるのか? 記憶を失う前の俺は、実は超有名人だったとか?


 ……いや、それはないな。大人数に囲まれて騒がれていたとか、マスコミに出たような記憶は無い。個人情報に関する記憶は思い出せないが、東京各地が何となく思い出せるように、自分が置かれていた環境もうっすらと記憶に残っている。


 少なくとも特別な環境では無かったようだ。両親は健在、姉か妹か、同年代の少女と一緒に暮らしていたような記憶が辛うじて残っている。


 自分の体型からしてアスリートでは無いし、顔写真もまぁまぁの十人並みのルックス。到底、アイドルやモデルという柄では無い。


 じゃあなんで名前を隠す?


 訝りながらも、俺は続きを読んだ。


『まずは裏面に書いた通り、校舎入り口横、向かって左側のロッカールームに寄り、ロッカーから身分証明書を取り出して、指定した教室へ行け。そこで待っていれば「管理委員」が来てくれる。あとはそいつの指示に従えばいい。

 何も心配する事は無い。

 それじゃ、良い学園生活を……!』


 何が『良い学園生活を……!』だ!!


 怒り心頭に達した俺は、その紙を丸めて捨てそうになった。しかし文面が気になった。

『裏面に指定した教室へ行け』『あとはそいつの指示に従えばいい』……。


 気にならないと言えば嘘になる。それにこの紙に書いてあった事には、今のところ嘘はない。


 記憶を失っている事、そして0696という生徒番号。大した情報では無いが、少なくとも間違いでも無い。


 なにしろ他に手がかりが無いのだ。何をしても良いのか見当も付かない。


 まずはこの紙に書かれた通りにしてみるか……。


 何しろ、俺が書いた事には間違いなさそうだ。その時の俺が何を考えていたのか、今となっては知りようもないのだが……。


 そう思って紙を裏返してみる。そこには地図らしきものが書いてあった。正直、あまりうまいとは言えない。しかしそれが自分の絵だという確信もあった。


 どうやらこの道を、上の方へ向かって進み、あの校舎らしき建物へ入れと言うことらしい。いや、校舎らしきではない。きちんと『校舎』と説明文が付いているから、あの建物は本当に校舎なのだろう。


 中に入ってからは……。うん、これはちょっと分かり難い。絵が下手という事もあるのだろうけど、それに輪を掛けて校舎の構造が複雑なようだ。


「行ってみるしか無いか……」


 俺はそうつぶやいて、緩い坂道を登り始めた。


 それにしても学校にしては妙な場所にあるもんだ。俺は坂道を登りながら、そんな事を考えていた。


 山の中、緩やかに傾斜している土地。それらを考え合わせると、ここは元ゴルフ場で、その跡地に学校を建てたというわけなのか?


 しかしこんな山の中に、それもかなり広い学校を建てる理由が分からない。第一、どうやって通学してくるんだ?


 通学と言えば妙な事に気づいた。いや、妙と言い始めるときりが無いのだが、下校しようと生徒が見えないのだ。


 校舎や各種施設らしき建物の周囲には、何十人かの生徒の姿が見える。百人はいないだろうが、二、三十人は確実にいるだろう。


 男子も女子もいるし、俺と同じような制服姿もいれば、体操着、ジャージ姿の生徒もいる。


 見た限り生徒たちは談笑したり、ふざけあったり、あるいは部活に精を出しているようだ。


 しかし下校するような素振りを見せている生徒は見えないのだ。


 俺が登っている坂には、俺自身の影が長く伸びていた。太陽は真後ろにある。振り返るとかなり傾いているのが分かる。季節は分からないが、それほど寒くはないから、かなり大雑把だが春から秋だろうか。感覚的には午後四時から五時くらいかも知れない。


 下校しようとする生徒の姿が見えないのは不自然だ。確かに俺が登っている坂道は、下の方は壁で遮られて外へ出られない。すると校門は山の上の方にあるのか?


 あの、不気味な黒い塔の根元辺りに……?


 俺はちらりとまた塔を見上げ、そして頭を振りながら視線を下ろした。実は塔の姿が見えなくなっている。あの塔は目の錯覚だったなんて展開も少しは期待したのだが、生憎と相も変わらず異様な存在感で裏山に建っていた。  


 いずれにせよ校門が山の上の方にあるとはちょっと考えにくい。山と言っても大した高さでは無いから、案外、山の向こうに開けた町があって、生徒たちはそこから通ってくるのかも知れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る