第一章「選ばれた場所」-002

 ポケットティッシュも出してみた。無地の白い袋の隅には、やはり黒で『0696』と印刷してある。念のため、鍵を取り出して確認して見ると、それにもやはり『0696』の刻印がしてあった。刻印だけで色が塗ってなかったので、最初は気づかなかったようだ。


 もう一度、生徒手帳の身分証明書を見てみた。


 名前の欄にある四桁の数字も『0696』。


 なんだ、こりゃ……?


 俺の生徒番号……、みたいなものなのか?


 もう一度、隅から隅まで穴の開くほど身分証明書を見直した。


 やはり名前は書いていない。血液型や生年月日もだ。そもそも学校の名前も書いていない。


 これでは身分証明書としての機能は果たせない。


 しかし顔写真の下には『本校の生徒として認める』の文章があった。学校印なのか判子らしきものも捺してあるが、文字としては読めない、何か幾何学的な記号のようだ。これも二次元バーコードなのか?


 くそ、駄目だ。役に立たない!


 俺はもう一度、生徒手帳を最初から読み直してみた。


 最初のページには『本校の設立の趣旨』のような事が書いてあるが、よく読んでも通り一遍の内容で特筆するような内容は無い。そもそも設立年月日や設立者、設立の経緯など具体的な情報が何も無いのだ。


 第一、学校名すら出てこない!!


 どうでもいい能書きの後には校則のページ。これも『校内では制服着用』や『男女交際の禁止』などありきたりの事しか書いていない。


 普通の生徒手帳なら、この後、時間割表やカレンダーがあるのだろうが、そんなページは無かった。


 その後は、例の二次元バーコードのような白と黒の模様が印刷されたページが続くだけ。そのページには文字は一切ない。


 本当に二次元バーコードなのかどうかも分からない。


 スマホがあれば読み取れるかどうか試せるんだがな……。


 しかし無い物ねだりをしても仕方ない。


 俺は生徒手帳を胸ポケットに戻した。その時に気づいた。


 まだ何か入ってるぞ?


 生徒手帳以外に、何かの感触がある。折りたたんだ、堅めの紙のようだ。生徒手帳と同じくらいの大きさだったので、最初は気づかなかったらしい。


 俺は慌ててそれを取り出した。


 案の定、折りたたまれた紙だ。しかし、生徒手帳のページ同様、これもご丁寧にラミネート加工してあった。


 何か書いてある? 印刷では無い。手書きだ。手書きの文字と地図のようなものが書いてあるのだ。


 俺は急いで紙片を開いてみた。広げるとA4サイズくらいはある。罫線はなく無地の白い紙だ。


 そこには見覚えのある字で、いきなりこう書いてあった。


『よぉ、俺。俺だよ、俺。お前だ』


 一番、上。目立つ部分にボールペンで大きくそう書いてあり、しかもラインマーカーで縁取りされていた。


 俺の字だ。


 確信があった。これは俺の字だ。これを書いたのは俺だ。


 生徒手帳の写真を見た時のような、確実な既視感があった。それどころか、これを書いたのは自分だという確信もあった。


 しかし書いた内容までは覚えていない。


 何が書いてあるんだ?


 俺はその下に続く、少し小さな文字で書かれた文章に目を通した。


『お前がこの紙に気づいた時には、お前、ややこしい事だが俺は、記憶を失っているはずだ。自分の名前や住んでいる場所、年齢などの個人情報がないはずだが、それに関しても気にする事は無い。

 この「学園」で暮らしていくには、そういうのは必要ないと直に分かるはずだ。取りあえずこれから俺が書くように行動すればいい。』


 なんだ、こりゃ! まったく、説明になってないじゃないか!! どういう事だ、俺!!


 俺はこの文章を書いていた時の俺をぶん殴りたくなった。


 何が気にする事はないだ、何が直に分かるだ!!


 いい加減にしろ、俺!!


 憤りは感じても、今はこの文章以外に手がかりになりそうな事は無い。怒りを抑えて俺は読み進めた。


『まずここは「学園」だ。そしてお前は「生徒」だ。お前、つまり俺は望んでこの「学園」に転校して来た。記憶を消されるのも同意の上だ。この「学園」での生活はお前に、つまり俺にとって価値のあるものになるはずだ』


『学園』? つまり学校なのか? 到底、そんな風には見えないが……。


 いや、見えないも何も、俺は周囲の様子をよく見てない事に気づいた。


 改めて周囲を見回してみる。


 すぐ側にはさっき俺が蹴り飛ばした金属製の門扉がついたコンクリート製の壁。見るからに頑丈そうだし、ジャンプして向こう側をのぞき込んだ時に分かったが、壁はどうやら二重になっているらしい。


 そして周囲は……。なんだ、これは。ひょっとして花壇なのか? しかし手入れはまったく行き届いていない。コンクリートのブロックで仕切られた地面に植物が植えられているが、ほとんどが枯れた草や灌木で、花はおろか緑の葉っぱさえみつからない。

 その一方でペットボトルや紙くずといったゴミの類いは落ちておらず、完全に放置されているという風でもない。


 ここが学校だとはにわかには信じがたいが、広い学校ならば確かに手入れの行き届かない花壇の一つや二つあってもおかしくはない。

 第一、ゴミが落ちてないという事は、ここが完全な廃墟では無い証左だろう。


 俺は壁の反対側へ目をやった。灌木で遮られて見通せないが、少し広い道路があるようだ。

 そちらの方へ出てみた。コンクリートで舗装された道路だ。しかし車道ではない。自動車用の標識らしいものはない、そもそも歩道にしては広すぎる。


 そしてわずかに壁とは反対側の方へ上り坂になっていた。後ろでは道路が壁で断ち切られたように行き止まりになっているのも異様といえば異様な光景だ。


 普通なら、ここに出入り口があるはずじゃないのか?


 俺はそう思いながら反対側、上り坂の上の方へ視線を巡らせた。広い道路の両脇にはいつか建物が並んでいる。


 パッと見た目、体育館か役所のように見える。要するにかなりしっかりした作りの建物だという事だ。建物の周囲には、俺と同じような制服を着た生徒たちの姿も見える。男子もいれば女子もいるようだ。


 そして道なりに頭を巡らせて行く。一番、奥まった所、上り坂になった道路の先には、確かに学校の校舎のような建物があった。


 距離は……、500メートルから750メートルといったところか。1キロは無いだろう。多分……。


 ここからでは時刻までは見えないが、アナログ式の時計らしきものを見える。


 どうやら校舎らしき建物は、裏になっている山の斜面に建っているようで、何棟も折り重なって見えた。


 やっぱり、ここは『学園』なのか? しかしこんな山の中に、これほど広い学校があるなんて……。


 俺はそう考えながら校舎らしき建物の裏にある山の上へと視線をあげて行った。


「……う」


 裏山の上にあるそれを見た瞬間、俺は思わず呻いて、そして見てはならぬものを見てしまったような感覚に襲われ、視線を下げた。


「な、なんだ。あれは……」


 思わず声に出してしまう。


 おそるおそる、もう一度、視線をあげた。見間違いじゃない。確かにそれはそこにあった。


 よく見てみるとそれほど異様なものではない。しかしそれがそこにある事自体が異様なのだ。


 校舎の裏山山頂。そこに立っているのは真っ黒な塔だ。裏山も、塔そのものもそれほど高いものではない。しかし緑一色の裏山の上に立っているものにしてはあまりに異様なのだ。

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