第15話 初任科生
ラッパ音のような、音楽とともに
「6時半、6時半、起床の時間です。学生は直ちに点呼場に集合してください。」
と言う、アナウンスが寮内に鳴り響いた。
怠惰な生活を数年間過ごしていたが、自分でもびっくりするぐらいの速度で起床した。
先ず起き上がって脳裏に浮かんだのは「あぁ、家じゃない」という事だった。
アナウンスから数秒も経たぬ間に寮内に教官たちの怒号が響き始めた。
「おらっ!お前ら何時だと思ってんだ!さっさと点呼場に行け」
「おめぇはいつまで寝てんだ!ここは家じゃねんぞ!」
「昨日布団の畳み方の紙配ったよな、てめぇなめとんか!」
とにかく寮内は大混乱だ。
私は、教官に目をつけられてギャーギャー騒がれるのが嫌だったので、今世紀最速の早さでパッパと布団を畳み、運動帽を被って靴箱に向かったのだが、寮内の狭い通路と階段は、大混乱で大渋滞になっていた。
その渋滞の後方から、「おめぇら、何ちんたらしとんな!おめぇらのせいで日程が遅れとるんじゃ!」と教官たちの罵声と怒号が飛んでくる。
全員が点呼場に集合したのは午前7時頃のことだった。
点呼場に集合したものの右も左も分からない私たちはどうやって整列すればいいのかもよく分からず、これからの流れも分からないためモタモタしているとここでもまた教官たちから怒号を浴びせられるのだった。
この時「教えられてもいねぇことで怒鳴られても意味がわかんねぇよ」と内心イライラしていたのだがこの理不尽に耐えてこその警察学校であると自分の心に言い聞かせるのであった。
学生の前に立つ当直教官(警察学校に当直勤務があります)から
「今日だけは、先輩の期が手本を見せる。何度もやらねぇから手本をよく見てしっかり覚えろ!」と指示があった。
それから国旗掲揚・点呼・警察体操・ランニング…といった朝の一連の流れを教えて貰った。
ランニングの後は、清掃。
清掃が終わったら朝食。
授業準備。
授業…と警察学校の日課は分単位で決まっており、今までこれほどまでに厳格な生活を送ったことが無い私にとっては大変なものだった。
目まぐるしい一日が何とか終わり就寝の時間を迎えたが前日同様消灯ギリギリまで教官たちの怒号が寮内に響き渡っていた。
入校して2日目ではあったが、既に「辞めたい」という同時拝命の学生の声が聞こえてきていた。
それからの毎日は、数日後に行われる入校式に向けての練習が中心で、警察礼式のやり方から発声の仕方までみっちりと朝から晩まで練習した。
その他にも帯革の装着要領など警察官として知っておくべき基礎知識の講義、筋トレなどが行われていた。
毎日怒鳴られ、筋肉痛の上から更に負荷を掛けて癒えることのない筋肉痛…今までの生活環境とガラリと変わったこの毎日に肉体的・精神的にも疲弊してきていた。
そうした日々の中で私の同期から、同時拝命の大卒組から次第に退職者が出るようになっていった…。
警察学校に入校してから5日目。
入校式の日を迎えた。
入校してからたったの5日間だったが毎日が途方も長く感じた。
たったの5日で自分でも驚くぐらい、機敏に動けるようになっていた。
今日は父兄も来校できる日になっており、親に晴れ姿と成長した姿を見せることが出来たら良いなと思っていた。
入校式という一大イベントのため制服も普段とは少し異なる装いになる。
飾緒と礼肩章を制服につけて礼装にする。
この装いがTHE・式典という雰囲気を醸し出しており個人的に気に入っていた。
ただ、飾緒の金属部が二つあるため走るときにカンカンと鳴るのは耳障りだった。
肌寒い、体育館で入校式が始まった。
式典あるあるの多数の来賓。
あと、警察組織なので本部長以下複数名の警察幹部が出席していた。
この人たちの紹介と挨拶がとにかく長い。
初任科生にしてみればそんなこと本当にどうでもよい、早く辞令交付して親と話しをさせてくれと思っていた。
国歌斉唱などの演奏は、音楽隊の方々が演奏してくださっており、小学生の頃に聞いた音楽隊のコンサートを思い出し、感涙にむせぶ思いだった。
軍隊形式の俊敏・機敏・不動の動きを繰り返し、やっと辞令交付になった。
入校生各人が呼ばれ、起立した。
そして私の番が回ってきた。
「ノリト リュウタ」
と呼ばれ、前日までみっちり練習した全力の「はい」という返事と全身の筋肉を躍動させる勢いで起立した。
この日を迎えるまで紆余曲折あったけれども、夢を叶えることができ、親にも晴れの姿を見せることが出来たという色々な思いと感情が込み上げてきた。
父兄席は、入校生席の後方に設けられていたので、親がどんな面持ちでこの姿をみているのか分からないがきっと喜んでくれているだろうと信じていた。
入校生が全員呼ばれるまでずっと気を付けのまま直立不動であるが、幸い同期と同時拝命の人数が少なかったため待機時間が短かった。
人間は動かないのが一番しんどいことを痛感したのもこの経験のおかげである。
入校式終了後、校庭で本部長を含む警察幹部と集合写真を撮影した。
撮影後、待ちに待った父兄との対面時間だった。
体育館で待っている父親と母親の元に向かうと5日ぶりではあったが、とても感慨深かった。
母親は私の顔を見て「あんた、瘦せたんじゃないの?」と少し心配をしていた。
父親は「相当搾られたんだろうな、でもいい顔つきになった」とハッパを掛けてくれていた。
親の嬉そうな顔をみることが出来てとても幸せだった。
楽しい父兄との団欒はあっと言う間に終わりを迎えた。
父兄を体育館に残し、寮にダッシュで戻った。
ここは、警察学校。
分刻みのタイトなスケジュールが組まれている。
寮室に戻ると制服から校内着に着替え、雑巾と膝のサポーターを持って体育館にダッシュで集合した。
今から行われるのは、先輩から聞いていた鬼の雑巾掛けだった。
先ず雑巾を濡らし、それを絞る。
その搾った雑巾を水分が絞れているか教官に確認してもらうという作業を行う。
これでもかというぐらい絞ったのに嫌がらせかと言うくらい絞って「おい、水滴出るじゃねぇか、やり直せ」の繰り返しだった。
蛇口は、教官の目の届かない裏手にあったので皆で溜まりながら「どうやったらあんな搾れんだよ?意味わかんね」と愚痴を言い合っていた。
やっとの思いで雑巾絞りを合格し、体育館に横一列で整列した。
教官から指示されたのは、20mシャトルランの雑巾掛けバージョンを50往復しろというものだった。
終わった奴から休憩と言う話だったので、早く終わらせるために仲良い同期と競うかのごとくスピードで雑巾掛けを始めた。
この雑巾掛けが滅茶苦茶きつい。
最初は皆シャトルランのように遅れず進むのだが、足腰への負担が半端ないのであっという間に周回遅れが出来上がる。
壁にもたれ掛かり高みの見物をするかのように野次を飛ばす教官たちに根性があることを見せつけてやろうと思い、どんなにしんどくても叫びながら足を止めることなく雑巾を掛け続けた。
雑巾掛けが終わった時、足腰はガタガタだったが達成感と気持ちの清々しさは半端ではなかった。
自分を追い込むことでしか得られない感覚だった。
私の雑巾掛けは終わったものの、まだ雑巾掛けをしている同期たちがおり、先に終わった奴らで「頑張れ!」と残りの同期たちを応援、鼓舞することにした。
厳しい時を皆で互いの助け合って乗り越えることで同期としての連帯感が強くなる感覚を日に日に感じるのであった。
入校前サポーターを買うように指示書に記載があったのでバンテリンの高い膝サポーターを購入したのだが、この日の雑巾掛けで床と擦りすぎたせいで即廃棄となった。
(「こんな使い方するならやっすいやつ買うから教えといてくれ」と思うのであった)
こうして本当の警察学校が始まった。
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