第3章 警察学校
第14話 洗礼
入校日の朝を迎えた。
母親は、いつも以上に気合の入った朝食を準備してくれていた。
朝早くからこの準備をしてくれたのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいだった。
また、これから約一か月弱母親の作るご飯を食べられないのかと思うと少し寂しい気持ちになった。
この日の朝食は、いつも以上に美味しく感じた。
警察学校には公共交通機関で来るように指示してあった。
手段は、電車かバス。
私は、仲が良い同期生と駅で待ち合わせをし警察学校に向かう予定にしていた。
電車の遅延なども考慮して早めに集合する話になっていたので、朝食を食べた後、身支度を済ませ父親に挨拶をしに行った。
「行ってきます!」と声を掛けると「気合入れて頑張って来い。」という返事が返ってきた。
短い会話だったが父の私に対する思いと期待が十分伝わってきた。
母親の運転する車に乗り家を出発した。
家が見えなくなる地点で家の方を振り返ると父親が窓を開けて見送ってくれていた。
その父親の姿を見て「何があっても絶対に耐え抜き、立派になって帰ってこよう」と心に誓った。
駅の降車場所に着いた。
「あんた忘れ物ないね?気合入れて頑張っておいで」
と母親が言った。
母親の少し寂しげな顔を見ると今生の別れではないのに何故か涙がでそうになった。
私は「直ぐに入学式で会えるから、心配すんなって」と言い同期との集合場所に向かった。
集合場所には同期たちが集まっていた。
「おはよう!今日からよろしく~」
「俺、昨日寝れなくて寝不足だわ(笑)」
そんな感じで和気あいあいと会話をしながら乗客のほとんどいない電車に乗車した。
電車に乗ると短髪又は坊主でスーツを着た奴らが乗っていた。
私たちは互いに「あぁ、警察学校生だな」と思った。
電車が目的地に向け動き始めた。
電車の窓から見える景色はどんどん建物が無くなって行き、山や畑・田んぼなどの自然ばかりの風景に変って行った。
晴れていた天気も降車駅に近づくにつれ徐々に曇り始めた。
「山樫駅」
木造の古い駅舎の無人駅。
ここが警察学校の最寄り駅だった。
改札を抜けると私たちと同じ服装の人たちが前を歩いていた。
「いよいよっすね」
「どんな感じなんだろうな~」
「滅茶苦茶厳しいんっすかね?」
そんな感じで談笑しながらしばらく歩いていると大きな鉄橋が見えてきた。
「山樫大橋」
この橋を渡ると警察学校はすぐそこにある。
この橋は別名「涙橋」と警察学校生の間では呼ばれていた。
(その別名を教えてくださった先輩曰く「入校時しかり、週末の外出・外泊での楽しかった時間に思いを馳せながら、これからの厳しい訓練や生活に涙するから涙橋と呼ばれているらしい…」という経緯があるらしい)
この時そんな別名を知らなかった私は、やっと初任科生としてこの橋を渡れるのかという喜びとこれから始まる学校生活への期待と不安で頭が一杯だった。
警察学校の正門。
「おっしゃ気合入れて頑張るぞ」
そう心に決め、正門をくぐった。
正門をくぐった先には、制服と制帽を着用した男性警察官が仁王立ちしていた。
TVなどで入校初日とかにバカデカい声で挨拶しているのを見ていたので、「これがそれか」と心を引き締めて挨拶をすると「早く向こうへ行け」と想像よりあっさりと終了したことに拍子抜けした。
一緒に来た同期生と「すげぇ大変なのかと思ってたけど、意外とあっさりしてて拍子抜けだな」と話しながら校舎の脇をダラダラと歩き、最後の建物(若葉寮)の角を曲がったところで怒号が聞こえてきた。
「おい!おまえら何ちんたら歩いとんじゃ!走らんか!」
反射的に怒号を発した高身長の男性警察官の元に走って行った。
駆け寄るとその警察官は、「おまえら、今日から入校する奴等だろうが、何だらだらしとんな!」と怒鳴った後「担任教官の名前は?」と質問をしてきた。
私と同期たちは「岩戸教官です」「同じくです」と口々に発した。
すると「分かった。そこに担任教官別の列が出来とるから列に並べ」と指示をされた。
指示された方に行くと、長蛇の列が出来ていた。
TVなどで見た私の想像していたとおりの洗礼の儀式が行われていた。
担任教官への大声での挨拶と怒号の応酬で異様な雰囲気だった。
何回もやり直しをさせられるので、まぁ列が進まない…。
順番待ちをしながら周囲を見回しているとさっきの高身長の男性警察官が次々来る新入生に怒号を浴びせていた。
担任教官から合格が出た入校生は、若葉寮の中に入って行ってたが、その建物の中からも怒号が鳴り響いていた。
私は心で「初日の朝8時台からこれかよ…気合入りすぎだろ」と思った。
しばらくすると「お前、でけぇ声が出るまでくんな、次!」と言う怒号と共に私の番が回ってきた。
目の前には、Vシネから出てきたのではないかと思う強面が仁王立ちしている。
心の中で「やっとそれらしいのが始まったな~」と思いながら、「ノリト リュウタです。よろしくお願いします!」と大声で教官に挨拶をした。
自分では、腹の底から声を出したつもりではあったが、岩戸教官は「お前の全力はそんなもんか?一番後ろに戻って、出直してこい」と普通のトーンで指示をした。
私は、無茶苦茶怒鳴られるかと心構えしていたのだが、予想外の反応に「はい。」と普通の声で返事をしてしまった。
周囲の教官は、凄まじい形相で怒号をあげたりしていたが、岩戸教官は、顔こそ怖いもののよっぽどのことが無い限り怒声をあげることなく対応していた。
少し発声練習をし、列の最後尾に並んだ。
そして再び私の番が回ってきた。
私が言葉を発する前に岩戸教官が口を開いた。
「何べんも同じこと言わせんなよ」と普通のトーンではあるが、この長ったらしくやかましい儀式にうんざりしているのか怒りが滲み出ている圧のある言い方だった。
「これは何としても一発で合格しないと何かやられそうだ」と感じた私は喉が裂けんばかりの全力で声を出した。
すると岩戸教官は「できるじゃねぇか、行け」と少しだるそうに言った。
やっとの思いで岩戸教官をクリアし若葉寮に入ろうとしたところ、出入り口付近に少し小柄な教官が立っていた。
その教官のことは追々分かるのだが、桑原警部補という教官だった。
同時拝命の大卒組の担任教官だった。
そんなことなど当時は全く知らないので、面前を通り過ぎる際に会釈をしたところ、「おい。お前待てや!」と怒鳴りながら引き留められた。
「おめぇの挨拶は、顎を突き出すだけの人を小馬鹿にしたような動作なんか!?」
と般若お面かと言うくらい眉間にしわを寄せ、バインダーで胸をトントンと小突きながら怒鳴ってきた。
ただの一度も自分の挨拶など気にしたことが無く、やっと岩戸教官の試練が終わったのにメンドクセェんだよと内心イライラしていたので、「はぁ、そうなんじゃないですかね。気にしたことないです。」と答えた。
すると桑原教官は「ほーおめぇはそういう奴なんじゃな。よう分かったわ。」「名前何って言うんな?」と据わった眼で睨めつけながら聞いてきた。
私が「ノリトリュウタです」と答えると「ノリトな…お前の名前と顔よく覚えといたるわ」と脅し文句の様な感じで吐き捨てた。
私は「うわ~ドラマとかでよくいる学生をいびるのが生きがいなタイプの奴だわ~初日からメンドクセェ奴に目をつけられた~」と初日からこの閉鎖空間内に強敵を作ってしまったのではないかと後悔した。
ただ、そんな不安も直ぐに忘れ去ることとなる。
寮の出入り口(勝手口)で靴を脱いで手に持ち、二階で待つ次の教官の儀式を受けるために勝手口の反対側にある階段に向かって狭く薄暗い廊下を走っていると廊下の中間地点ぐらいで「お前はアメリカ人か!家の中で靴履いたまま歩くんか!」と勝手口で靴を脱がず寮内に入った学生がいたらしく教官の怒声が後方から響いてきた。
階段付近に着くと長蛇の列が出来ていた。
二階で待つ教官。
神楽坂警部補という教官だった。
鬼教官とは正にこの人のために作られた言葉である。
180はある高身長に、制服越しに分かる鍛えた肉体。
短髪オールバック。
顔?鬼人の様な面持ち…。
どんなに大声を出しても「お前じゃ務まらねぇ。帰れ。」の一点張り。
まぁ、列が進まない…後ろも大渋滞。
何分まっただろうか神楽坂教官の「もうええわ、行け。次の奴」という指示でやっと私の番が回ってきた。
前の人たちの様子を散々見たので早く合格したいと思いながら、腹の底から声を出した。
「ノリト リュウタです!よろしくお願いします!」
すると「ダメだな。お前には向いてねぇ帰れ。」と言われた。
私は「帰りません!」と大声で言い返した。
この時ある言葉が頭によぎっていた。
「一に我慢、二に我慢、三四が無くて、五に我慢。」
という言葉だった。
この言葉は、入校前に仲良い女友達に警察官の採用試験に合格したことを教えたところ、彼女の父親が現職の警察官だったことから入校に際して「気構えとして肝に命じておけよ」と授けられた言葉だった。
非常にシンプルだが警察学校の核心をついている言葉である。
正にこの言葉どおり最初の我慢すべき時はこの瞬間だと思った。
「お前に警察官が務まると思うんか!帰れ」
「帰りません」
「おまえみたいな奴はいらんのじゃ!帰れ」
「帰りません」
というやりとりを何度繰り返したか分からないくらい行った。
やっとのことで、「もうええ、行け」という言葉を引き出した。
何とか鬼教官との根競べに勝った余韻に浸る間もなく、廊下の先にいた別の教官から「バインダー、油性ペン、はさみetcを持って廊下に整列しろ」
と指示を受けた。
先日搬入した衣装ケースの中から指示されたものを取りだすのだが、こんなことがあるとは知らず適当に詰め込んでいたので、欲しいものが全く見当たらない。
「おい、お前ら!次にも予定が詰まっとんぞ!なにをチンタラやっとんな!」と教官の声が響き渡る。
ビリケツだけは勘弁してくれと焦りながら衣装ケースの中身を漁り、何とか全てを揃えて廊下に整列した。
整列したまま暫く待っていると「なんだ、おめぇ!」という声と共に前の方に並んでいた大卒組の学生が胸倉を掴まれ、廊下に並んでいる金属製のロッカーに叩きつけられた。
突然の出来事に周囲の学生は動揺と驚きを隠せないようだったが、私は「警察学校ってやっぱやべぇな~!面白すぎだろ!」とドラマや小説どおりともいえる展開にワクワクしていた。
全員の洗礼の儀式が終了し、次は貸与品の貸与のため体育館に向かった。
肌寒い体育館に入ると床に大きな段ボールが等間隔に置かれていた。
壇上に立つ教官から「自分の名前が書いてある段ボールの後ろに立て」と指示があった。
自分の名前が書いてある段ボールを見つけ、その後ろに立った。
全員が各自の段ボールの後ろに立つと壇上の教官が口を開いた。
「今からお前らには、段ボールの中にある貸与品の確認を行ってもらう。指示以外の余計な動作はすんな。」と冷たい口調で淡々と指示が飛んできた。
この教官は、田代警部補と言う教官で冷たい口調で淡々とした物言いをする人だった。
貸与品点検は段ボールを開け、指示された物品を取りだし、配られた貸与品管理表に
チェックするだけの簡単な作業なのだが、これも荒れに荒れていた。
体育館には、大勢の教官が集結し我々を監視していた。
そのため手際が悪かったり、動作が遅い奴は複数の教官が囲むように罵声や野次を飛ばされていた。
また、指示された以外のことをする奴や指示全て聞かずフライングでやる奴もおり、体育館の各所から怒声と罵声が響き渡っていた。
ふと体育館の時計を見るとまだ10時半頃だった…。
「まだ10時半かよ…勘弁してくれよ」
朝一から過去に経験したことが無いくらいのストレスで流石に疲れていた。
しかし時間は全く経っていない…1日がとにかく長く感じた。
貸与品の確認後、貸与品を全て段ボールに入れ戻し、それを抱えて寮室まで駆け戻った。
持ち手の無い大きなダンボール箱を抱えて数百メートルはある廊下を走るのは中々大変で…途中で落としたり、立ち止まりそうになると「貸与品が入ってんだぞ!落とすんじゃねぇ!」と教官たちからの檄が飛んだ。
昼食は、弁当だった。
米は、別途で青色のおひつに用意されていた。
米を人数分よそい分けると日課当番指揮の元合掌し、昼食を食べ始めた。
周囲を取り囲むように教官たちが仁王立ちしながら「チンタラ食っとる時間ねぇんじゃ!早よ食え!」「しっかり噛んで食えよ!」「残すんじゃぇぞ!」と口々に好き放題発していた。
午後からは大教場で事務書類の記入を行った。
教壇で書類の諸説明をしてくださるのは、事務職員の方々なのだが午前中のしごきが効いてか皆キビキビとした動作と敬礼を行っていた。
事務職員の方々が退出し、教官と我々新入生だけとなった。
書類の記入中にまた事件が発生した。
各書類の記入欄に押印欄があったのだが、印鑑を寮室に忘れてきた者が複数名いたのだ。
「すみません印鑑を忘れました…。」
と最初の1~2人が発した際は、「早くとって来い!」と桑原教官が檄を飛ばすだけだったが、さすがにその後に何人も続くと「お前ら!舐めとんか!」「お前らのせいで全体に迷惑が掛かるんじゃ!」
と言った後「連帯責任で全員その場で腕立て100回!さっさと準備しろ!」と指示が飛び書類記入を中断して腕立て伏せをすることになった。
ペナルティに腕立て伏せという想像していた展開に「やっぱりペナルティは腕立て伏せとかなのか!これぞ警察学校だな!」と最初はワクワクしていたのだが、この後何かしらにつけてペナルティを科されるようになり、腕立て伏せとスクワットを何度もすることになった。
何回させられただろうか…最後らへんは腕も足も疲労困憊で気力だけで続けているようなものだった。
疲れてはいたが、皆で鼓舞しながら取組む一体感に絶対にやってやるという活力が湧いてきた。
(学校生活の大半は、筋肉痛とシップとコールドスプレーの生活だった)
夕飯は、先輩期の方々との初顔合わせだった。
先輩期の方々から食事の準備方法と食事の挨拶について教えて貰った。
日課当番指揮の元「合掌!初任科第○○期、いただきます!」「いただきます!」と腹の底から声を出して言う。
全ての日課時限が大幅に遅れていたため風呂の時間も全く無かった。
搬入した荷物を整理整頓する時間すらないので、風呂用具や着替えの服をまともに揃える間もなく大浴場に直行した。
設備が古いため壊れている蛇口とシャワーが何個かあって水圧が弱かったり、お湯が出るまでに時間が掛かっていた。
先輩方は経験からそれらを使っていなかったが、入校初日で知る筈もなく、時間もないので空いているところを使うと待っても水しか出ない…。
付けたままのG-SHOCKを見ると教官の指定した時刻が迫っていた。
真水で凍えながらカラスの行水を行い、急いで寮室に戻った。
寮室に戻ったのも束の間、まだやるべき日課時限は山ほどある…。
結局就寝時間の消灯までの間教官たちの怒号が止むことはなかった…。
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