28話「四十九日の夜」






   28話「四十九日の夜」





 雅が最後に選んだ食事は、牛丼とビールだった。

 凛は「もっといいもの食べろよ」と言ったけれど、「これが1番思い出深いんだよ。凛と沢山食べたし、花ちゃんが初めて食べた時も一緒だったから」と、また近くの牛丼チェーン店でテイクアウトしたものを店で食べた。いつもは並だが、今日は大盛り。

 それが、凛の特別だった。



 「おいしかったなー!ビールなんか久しぶりに飲んだけど、やっぱり美味しいなー!」

 「雅さん、お酒好きなの?」

 「20代前半は飲んだりしたけどね。強くないから酔ってしまって夜に仕事出来ないから止めたんだ」

 「雅の趣味は仕事だからな」

 「凛だって同じだろー。あ、凛は強いけど飲まないんだよ。飲んでる時は嫌な事や凹む事があった時だから。花ちゃん、気を付けてね」

 「………」

 「覚えておく」

 「うん、そうしてね」



 そこで話が止まってしまった。


 ちょっとした間が、沈黙へと変わる。

 次に何を言えばいいのか。凛と花を言葉が出てこなかった。

 それを破ったのはもちろん雅だった。


 少し困った表情をしながら、とうとうそれを口に出した。



 「……四十九日の奇の別の方法、見つかった?」

 「あぁ。大丈夫だ。俺たちが何とかする」

 「そっか!よかった……俺ではなかなか見つけられなかったけど、方法があるんだね」

 「うん。無事に見つかったよ」

 「なら、凛の体も大丈夫だね」

 「もちろん」



 心から安心した様子で大きく息を吐き、雅は笑った。やはり、この事が最大の心配事だったのだろう。なかなか聞けずにいたようで、切り出しにくかったのだろう。

 


 「……じゃあ、そろそろかな。店の裏手の庭で出来るかな?」

 「え……もう?」



 まだ夜中までは時間がある。

 花はつい大きい声を出してしまった。すると、雅はゆっくりと頷いた。



 「もう十分堪能したよ。楽しい四十九日だった。………それにこれ以上いると別れたくなくなっちゃいそうだから」

 「………っっ」



 もうずっと前から離れたくなかったよ。

 そう言いたかったけれど、それを言えば雅を困らせるだけ。花はフィオを抱きしめながらうつ向くしかなかった。



 「じゃあ、行くぞ」

 「あぁ。頼む……」



 雅と宮は立ち上がり、店から出ていく。それを、花は震える手をぬいぐるみで隠しながら後に続いた。




 花浜匙の店の裏手には、小さな庭があった。辺りはすっかり暗くなっているが、工房と台所の窓からの光で庭の様子はよく伺えた。

 洗濯物が干せるスペースと、塀を囲むように木が植えられており、庭の端に法には洗濯物が干せるスペースがある。地面には芝生。そして、小さいながらも花壇がある。が、今はそこには何も植えられていなく、雑草が生えてきている。


 その中央に雅と凛が立っており、2人は工房の窓の光りをずっと見つめていた。

 闇の中に浮かぶ2人は、どこかに行ってしまいそうなほど儚げで、花は思わず彼らに向かって駆け寄ってしまう。


 すると、雅はゆっくりとこちらの方を向いて迎えてくれる。

 そして、ポンッと頭を撫でる。



 「……花ちゃん。花浜匙に来てくれて、そして俺たちに出会ってくれてありがとう。花ちゃんと出会えてからは、今までの生活がよりキラキラとしたように思えたんだ。死んでから出会える人がいるなんて考えた事もなかったけど。四十九日の奇で、花ちゃんに出会えたことが何よりも俺は幸せだった、そう思うんだ……」

 「……私も!雅さん達と出会っていなかったら、笑えていなかった、お父様と仲直りなんて出来なかったし、好きな事さえも気づかないままだったかもしれない。雅さんに優しくしてもらえたから、私はこうやって今、毎日が楽しいって思えてるの。私、雅さんがとっても大切なの、だから………」

 「うん、……うん。大丈夫だよ」



 焦って早口になってしまう花を安心させようと、しっかりと瞳を見て、頷きながら話を聞いてくれる。

 必死に我慢していた瞳の熱も、最後の言葉を発した瞬間に堪えきれなくなってしまった。



 「雅さんがいなくなるのは、寂しい。ねぇ、……死んでるなんて嘘だよね?凛みたいに、魂が違うところにいっているだけでしょ?……いなくなっちゃうなんて、信じられないよ。雅さん……」

 「………花ちゃん」



 泣きじゃくりながら、悲しみのあまり現実逃避な言葉が出てしまう。けれど、それはすべて本心。声に出して現実になるならばなってほしい。

 いかないでと、引き留めたら、少しでもここに居てくれるのではないか。



 そんなありえない淡い、夢のような願い。



 その花の願いを雅はゆっくりと包んでくれる。

 彼の冷たい肌が触れられる。雅は純白のテディベアごと花を優しく抱きしめていた。



 「ごめんね………。俺はもう死んでいるし、ここには残れないんだ。でも、花ちゃんの気持ちは嬉しい。……教えてくれて、ありがとう」

 「雅さん……いや………」

 「凛をよろしくね。作業を始めると食事をしないで夢中になったり、ぶっきらぼうだからお客様を困らせたりするかもしれないから、少しサポートして欲しいな。でも、one sinの仕事も応援してる。人の縁を大切にして、今のままの素敵な花ちゃんでいてね…………。ずっとずっと見守ってる……」

 「……っ……」



 みっともなく泣き続ける花を、なだめながらくるりと顔を動かす。その視線の先には凛がいる。

 ただただ無言で雅を見つめている。


 「凛、今までありがとう。店の事を頼むよ。そして、花ちゃんも。おまえに任せておけば安心出来る。……後は自由にやってほしい。凛らしい店にして」

 「あぁ………絶対に守って見せる」

 「うん。それを聞いて、安心したよ。……凛には沢山伝えたいことあるけど、やっぱりありがとうに尽きるよ。……四十九日の奇で迷惑をかけたけど、本当に49日は貴重で幸せな時間だったよ。もう、やり残したことなんてない……だから……」



 満足げに目を瞑り、そう呟いた雅だが、それと同時に凛は動き出した。

 雅に飛びかかり、大声で叫び始めたのだ。



 「やり残した事はない!?嘘だろっ!やりたいこといっぱいあっただろ?店の事だって、テディベアの事も、お前自身の事も、夢も………っ!最後まで嘘つくなよ」

 「っっ……そんな事言ったって、俺にはあと数時間しか時間がないんだ、もう満足したって言うしかないだろう」



 雅の声が震えている。

 最後の最後に、凛が本音をぶつけたことで、雅の決意が我慢した事が揺らいだのだろう。

 瞳もぐらぐらと揺れて、今にも泣き出しそうだった。


 花から体を離して、凛が降り立った場所に膝をついて座り込む。

 どうして、最後の瞬間にそんな事を言うのか。そんな切ない表情だった。



 「俺がお前に変わって必ず叶えてやる」

 「………凛……」

 「だから、俺には嘘なんてつくなよ!やりたかった事言えよ!怖いなら怖いって、死にたくないなら死にたくなかったって……言ってくれよ。俺にぐらいかっこつけなくたっていいだろ?」

 「………くっ………」



 雅の顔が初めて歪んだ。

 花は彼の笑顔と真剣な表情しか見たことがなかったのだ。悲しんでいたとしても、それは誰かを思っての事。自分の事では、不安も悲しみも見せる事はなかった。

 そんな彼の瞳からは大粒の涙があふれ、頬をつたって流れ落ちていく。涙の雨を、凛は受け止めながらもじっと雅の言葉を待った。



 静かな夜。


 花には、雅の吐息しか聞こえてこない。

 彼から聞こえてくる鼓動は、雅のものではない。それなのに、やはり生きていると思えてしまうのだ。


 残りの時間を十分に使うかのように、雅の重い唇がゆっくりと動き出した。



 「…………やりたかった事なんていっぱいある。……花浜匙をもっといろんな人に知ってもらいたかったし、店だって綺麗にして大きくしたかった。本場の国へ行ってみたかったよ。……それに、結婚だってしてみたかったんだよ。……後は」

 「あぁ。後は……?」

 「凛ともっともっとテディベア作っていたかった……。花ちゃんと3人で作り上げてみたかったんだ……。もっとテディベア作りたかった………っっ!」



 雅の魂からの叫びが、涙と共に凛に降り注がれた。

 

 死んでいたって、四十九日の奇で魂だけだとしても、それは変わらずに人間なのだ。

 体がなくても気持ちは感情は変わることはない。


 心残りや悔しさ、不安は沢山あるのだ。

 雅は必死に隠し通そうとしたのだろう。大人が故に、そして凛や花を心配させまいと。ずっとずっと笑顔を作ってきたのだろう。



 それが、凛にとっては気がかりだったのだろう。

 そして悔しかったのかもしれない。

 自分に本当の気持ちを伝えてくれない雅を知っていたのだろうから……。


 言葉は少し厳しくても、そこには雅への深いふかい愛情がある。それは雅も花もわかる。

 だからこそ、涙が溢れるのだ。



 「………わかったよ。俺がそれ全部やる。叶えてやる。だから、俺が雅の所に行くまで見てろよ。そして、笑っててくれよ。牛丼食べてさ」

 「………早くこっちに来たら怒るからな」

 

 

 雅は、ぐじゃぐじゃな顔のまま凛を抱き上げると、そのまま強く強く抱きしめた。

 それはとても長い時間だった。凛との別れを惜しむように、凛の魂が入った、少し不細工なテディベアを抱きしめて泣き続けたのだった。

















 「ごめんね。みっともない姿を見せちゃって」

 「ううん。雅さんの本当の気持ち聞けて、私も嬉しかったよ。私も雅さんと凛さんのお店の応援するから。頑張るっ!」

 「あぁ……頼もしいよ」



 泣き腫らした目のまま、微笑み合う雅と花。

 目も頬も鼻も真っ赤になっていたが、思いきり泣いてすっきりしたのか、お互いに落ち着いていた。



 「じゃあ、また泣いちゃう前にお願いするよ。それで、どうすればいいの?」

 「花……」

 「うん……」


 

 花はポケットに忍ばせていたそれを凛に渡す。

 テディベアの体の凛よりも大きいそれを受け取り、少しよろけながらも何とか受け取り、凛は雅の方へと体を向けた。



 「雅、目開けていいぞ」

 「……うん」



 不安と期待が混じった表情のまま、雅はゆっくりと目蓋を開ける。

 視線を下に向け、それが目に入った瞬間に、雅は大きく目を開いた。



 「それは……」

 「俺と花から、お前へのプレゼントだ。これ、一緒に持ってけ」



 凛が持っていたのはクマのぬいぐるみ。

 といっても花浜匙で売っているような立派なテディベアではない。まるで、小学生の子どもが初めて手芸をしたような、平べったいクマの形をしたぬいぐるみとも言えないようなものだった。フワフワの毛がついた生地をクマの形に切り抜き、2枚合わせた間に綿をつめて、顔を縫っただけの質素なものだった。

 縫い目もガタガタの、売りにもにもならないただのぬいぐるみ。クリスマスツリーに飾るような薄っぺらい人形だ。


 けれど、これは特別な意味があるもの。


 「もしかして、これって凛が……」

 「そうだよ。このテディベアの姿のまま頑張ってつくったの。なんとか、手に針やハサミを固定してすべて一人で作ったの」

 「そして、このレースのジャケットは花ちゃんが

 「作ったよ。雅さん一人だと寂しいかなって。雅さんにあんな立派なもの貰ったのに申し訳ないけど………」

 「そんな事ないよ!!これのプレゼントすごく嬉しい。……何よりのプレゼントだよ……」



 雅は芝生の上に膝をつき、凛からそれを受けとると大切に胸にしまいこむ。

 ギュッと目を瞑る彼の顔は、とても幸せそうで、口元は弧を描いている。



 「何かコソコソしてるなーって思ってたけど、四十九日の奇について調べる以外に、こんなものまで準備してくれてたんだね」

 「あぁ……」

 「凛は針刺したりしなかった?花ちゃんもこんな小さいもの編むの大変だったでしょ?」

 「楽しく作ってたよ………あの、雅さん、どこも調子かわったりしてない?」



 花達が一堂から話を聞いて準備したものは雅へのプレゼントだった。

 十三師である一堂が聞いた話では、四十九日の奇で魂が宿っていたものが、その期間の途中に別のモノへと変わったと言う話だった。

 そして、その時はその人物がその時にプレゼントを貰い感動した時に、魂がそちらへと移ったというのだ。


 そのために、凛と花は雅が喜ぶものを必死に考えた。

 雅の大好きなものはぬいぐるみ。そして、彼は自分達との関わりを何よりも大切にしてくれていた。それならば、手作りのぬいぐるみにしてはどうか。それはすぐに思い付いた。


 けれど、凛はテディベアの体になっていため、かなり大変だった。しかも、雅にばれないようにとなると、時間も限られてくる。それため、完璧とはいえない出来だったかもしれないが、今の2人にとっては満足のいくものだった。雅が喜んでくれる自信もあった。


 けれど、魂の移行が無事に行われるか。

 それは、プレゼントを渡してみないとわからないのだ。



 「え?どういう事?これが、何かの鍵なの?」

 


 大切に両手にぬいぐるみを持ち、眺める雅は、不思議そうにしている。

 花が彼の体をみても、何も変わりはないようだ。


 花と凛は顔を見合わせた。

 失敗したのだろうか。不安が一気に押し寄せてくる。他の方向など準備してもいなく、もう別の案もない。

 ………やはり雅を無事に送れないのか。

 雅を成仏させて、凛の体を取り戻す。

 その両方を叶える方法はないのだろうか。



 花は必死に他の方法を考え、雅を凛を救いたい、その気持ちだけで頭を回転させ続ける。が、それでも何も思い付かない。

 自分の不甲斐なさを改めて実感し、悔しさで体が小刻みに震えてしまう。






 けれど、その時何かその場の雰囲気が変わったのを瞬時に察知した。


 花も話を止めていたが、凛と雅も何もしゃべっていないのだ。

 それに気づいた時には、全てが終わっていた。


 クマ様と呼び、凛の魂が入っていた歪な顔のテディベアは力を失い、パタッと後ろに倒れた。

 そして、雅の魂が入っていた凛の体も力が抜けたように肩がだらんと落ち、あれほど大切にしていた、薄っぺらなクマのぬいぐるみも彼の手からすべり落ちて、地面に落ちた。



 「……み、雅さん?大丈夫………」



 何かが起こったはずなのに、何が起きたかわからない。一人取り残された花は、焦って雅に駆け寄った。と、花の声に反応した雅はゆっくりと顔を上げた。


 そこに居たのは、雅だったが雅ではなかった。

 明るさがある笑みは今はなく、口はへの字になっており目も吊り上がっている。けれど、視線はとても優しい。ふんわりとした雰囲気から凛とした空気感に変わっている。それは花がよく知る人物そのものだった。

 小さくて口下手だけど情熱がある冷静な人。



 「もしかし、………凛なの?」

 「…………あぁ、視線が高い。やっと戻ったのか」

 「って事は、成功、した?」



 凛は自分の体を見渡したり、手を握ったりしながら、久しぶりの自分の体の感覚を確認していた。

 そう、凛の魂はクマ様から人間の体へと戻ったのだ。

 魂の移動が成功した。花はそれ嬉しくて体が飛び上がる思いだった。が、肝心な事をまだ確認していない事に気付いた。

 という事は雅の魂はどこに行ってしまったのか。



 「わ!もしかして、俺がクマ様になったの?しかも、プレゼントしたもらったクマちゃんに!?すごい!すごーいんだけど、このクマ様だと動けないよー!」



 自分の体に戻った凛。

 そしてその凛の体に魂をうつしてしまった雅。彼の魂は、どうやら目論見が成功したようだった。


 凛は自分が作ったクマのぬいぐるみを拾い上げ、「ひっどい出来だな」と苦言を漏らしながらも、満面の笑みを浮かべていた。その笑みは、雅の魂が入り込んだ時とは違う、少年のような笑顔だった。




 「テディベアに魂を宿すの、少しいいなーって思ってたんだよね。ぬいぐるみ大好き人間としては、最後にぬいぐるみになれるなんて、幸せだね」

 「俺はもう二度とごめんだ。動きにくい」

 「お疲れ様、凛」

 「でも、本当に成功してよかった……」


 

 上機嫌な凛は、凛の手の中でとても嬉しそうだった。どうやっても起き上がれないようだが、短い腕と足をバタバタさせながら子どものように喜んでいる。



 「………じゃあ、本当に終わりにしようか。今なら、みんな笑顔だ。そのままで見送って欲しいんだ」

 「わかった」

 


 凛は頷くと、凛は庭の地面にゆっくりと置いた。

 そして、蝋燭にマッチで火をつける。弱い風に吹かれ火はゆらゆらと揺れる。それに合わせて温かな光りも動き始める。



 「いいか、雅………」

 「うん。凛、花ちゃん、本当にありがとう」

 「こちらこそだよ、雅さん!」

 「あっちの世界で作ったもの、いつか見せろよ」

 「うん、沢山作ってる。凛に負けないテディベア作ってるから!」

 「俺だって、負けないさ」



 そう言うと、凛はそっと雅の魂に火を近づけた。

 赤い炎はすぐにクマのぬいぐるみに移る。



 「………あぁ、本当だ、温かいな。……全然怖くない」

 「雅ッ!俺を店に誘ってくれてありがとう。嬉しかったんだ、とても!」

 


 ぬいぐるみが灰にになり、雅の体が半分以上消えそうになった時、凛は雅にむかって大きな声で叫んだ。

 それはきっと今まで言いたくても言えなかった、そんな大切な言葉。

 それを最後の最後に、雅を送る言葉に変えて伝える。




 「俺もだよ、凛。ありがとう……」




 その声は風が囁いたかのように、空の上から降り注ぐように聞こえてきた。

 凛と花が作った不格好なクマのぬいぐるみはもう灰さえも残らずに風が天へと運んでいってしまっていた。



 雅との別れは、穏やかな微笑みの中に終わった。




 その日、雅は大切なぬいぐるみと言葉と共に天へと上っていった。





 





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