27話「純白のテディベア」







   27話「純白のテディベア」





 玉矢雅の四十九日最後の日。

 この日は初夏を思わせるほどの、カラリと晴れた暑い日だった。


 花は七分袖の白いシャツに紺色のフレアスカートといういたってシンプルな服装で過ごした。

 一度家に戻り、着替えを済ませて店に戻ると、雅が「おかえりー。ご飯出来てるよ」と、変わらない穏やかな笑顔で出迎えてくれた。雅の手には、いつも店に飾ってある花を持っていた。小さい花でピンク色や白など同じ種類でも様々な色が鮮やかな花だった。


 「雅さんはその花が好きなの?」

 「あぁ。これはスターチスっていう花なんだ。和名で『花浜匙』」

 「え、じゃあお店の名前ってこのお花の名前だったんだね。だから、飾っているんだ」

 「そうなんだ。俺の祖父が好きな花、いや祖母が好きだった花らしいんだ。だから、お店の名前にしたんだって。それに名前もぴったりだって」

 「どんな意味があるの?」

 「……いつも変わらない花や浜のような美しい1日に、可愛いテディベアを1匙。それで、もっと明るい日常に。だって」

 「……素敵だね。だから、お店の刺繍にはスターチスの花とスプーンを持ったテディベアがいるんだね」



 花浜匙のテディベアには刺繍があり、そのマークは店の名前の通りだった。

 そして花の名前だという事を、初めて知った。その名づけの親である雅の祖父の思いも。



 「スターチス、可愛いお花だね」

 「うん。俺も好きなんだ、この花。白が好きで、よく飾ってた」

 「今日も白………」

 「近所の花屋さんが、俺が好きなのをわかっててくれてね。今日は、特別な日だからって」



 今日は雅の四十九日。

 近所の人たちにも彼は愛されていたのだろう。雅は大切に花を花瓶に入れて、しばらくの間眺めていた。死んだ自分へのお花を直接渡されてしまうのは、きっと複雑な気持ちだろう。けれど、雅の顔はとても嬉しそうで、きっと死後も気にかけてくれる人がいる事が幸せなのだろうな、と花は何となく思った。


 花もスターチスの花を一緒に見つめ、穏やかな朝はスタートした。



 今日が特別な日であっても、店は変わらずに開店する。

 雅が最後に店に立つ日。きっと、彼がそうしたいのだろう。


 午前中は最後の作業をしたが、それが終わった後は凛と花も一緒に店の中で過ごした。

 昼前に予約客が1名来店しただけで、今日の予定は終わりだった。けれど、凛は店にずっといて掃除をしたり、ソファに座って大きな窓から店先を眺めて過ごしていた。



 「あ、そうだ。花ちゃん、今日のおやつはプリンだよ!俺が昨日の夜に作ってたんだ」

 「え!?嬉しいー」

 「特製のアイスティーと一緒に持ってくるね」

 「私も手伝うよ」


 

 そう言って、台所に雅と一緒に向かう。フッと気になって後ろを振り向くと、凛はボーっとこちらを見つめていた。いや、花ではない雅の後ろ姿を見ていたのだろう。花が自分の方を見ているとわかると、フッと視線を逸らした。

 テディベアの表情はわからない。けれど、その雰囲気が花の心をざわつかせた。



 「俺のアイスティーはね、この2つの缶の茶葉を半分ずつブレンドするんだ。この棚にあるからね」

 「うん……」

 「ちょっとだけ甘くしたい時ははちみつがおすすめ。冬はホットにしてね」

 「うん」

 「……さ、甘い物を食べよう。自慢じゃないけど、めちゃくちゃ美味しいからね」

 「楽しみだなー」



 私はちゃんと笑えているだろうか。

 私も凛と同じように表情が変わらないテディベアだったら、歪な笑みを浮かべて雅を不安にさせる事がなかったのに。そんな馬鹿げた事を考えてしまう。

 雅の言葉1つ1つが、もう明日にはここにいないんだよ。そう言っているようで、花は会話をしながらも苦しくなってしまう。目の前にいる彼はもう雅ではなくなってしまうのだ。凛が体を取り戻す事はいいことだけれど、雅がいなくなってしまう。


 それが信じられない。

 いや、信じたくないのだ。



 雅はいたって普通にプリンと運び、「凛の分もあるからねー」とさらりと言う。

 それは、体が戻った時に食べろという事だろう。1つ1つの言葉の意味がとても深く、雅のいない生活を匂わせてくる。




 「今日は、お客さんも落ち着いたから後は工房で過ごそうかな。もしお客さんが来てベルが鳴ったら行けばいいよね」

 「うん。工房で何を作るの?」

 「テディベアだよ。1つ完成させたいんだ」

 「そっか。じゃあ、私も見てる。凛もそうするでしょ?」

 「あぁ。俺も行く」



 そうやって午後の時間の過ごし方は決まった。

 いつもと変わらない。花浜匙のおだやかな時間。

 雅の穏やかなな話し方と、少しそっけないけど優しさが含まれている声。その2人のやり取りを、花はずっと聞いていたかった。このBGMがあれば、安心して作業もはかどるし、ゆっくりと体を休める事が出来る。


 それぐらいに心地がいいものだった。




 「よしッ!出来たーー!!」



 雅の手の中には、純白の毛を持つテディベアが出来ていた。刺繍はピンク色で丁寧に施してある。

 だが、どうみても完成ではなかった。両目がついていないのだから。


 けれど、それが意味する事。花はすぐにわかってしまい、鼓動が早くなる。

 彼が最後に作っていたもの。それは、誰のためのテディベアなのか。



 「最後に、この最高級の瞳をつければ完成だ」

 「いいな。やっぱり白い体にそれは映えそうだ」

 「そうだよね。そして、真っ黒のワンピースを着せれば、もう花ちゃんだよ」



 凛とそんな会話を交わしながら、引き出しから取り出した箱を手に取り、蓋を開ける。

 そこには、夕日を浴びて少し赤みを増しながら輝く大粒の宝石が姿を現した。赤い瞳はガーネット。緑の瞳はエメラルド。それは、花の父親が、妻に渡す事が出来なかったオーダーメイドで作ってもらったテディベアの瞳についていたものだ。父が四十九日の奇で魂を宿し、そして燃やしてしまったテディベアの瞳。

 その時に凛と雅が新しいものを作ると、花の父親と約束していたものだった。


 それを凛と雅は守ろうとしてくれていたのだ。

 父親がオーダーしたものはこげ茶色の毛をしていたが、今回のものは真っ白だった。




 「最後の仕上げだね。顔はバランスが大切。瞳は特に慎重に、ね」



 そう言いながら、宝石に金具をつけて、テディベアの顔に宝石を置きながら何度も調節をして、丁寧に縫い付けていく。



 「ぬいぐるみや人形は何といっても顔が命だからね。バランスを見て、しっかりと可愛いくなれーって願いながらつけていくんだ」



 ガーネットをつけて、もう1つの瞳をつけて微調整を繰り返す。

 そして、満足がいったのか、手を止めてジーッとテディベアを見つめる。その瞳はまっすぐで表情は真剣そのものだ。

 そして、ひとり頷いた後、完成したテディベアに微笑みかけると、優しく抱き上げる。



 「よし!とびっきり美人なフィオの完成だよ。お待たせ、花ちゃん」

 「………あ、ありがとうございます」



 ふわふわとした雪のようや真っ白なテディベア。

 軽そうでいて、ずっしりと重い。赤ちゃんの重さ。雅の祖父が作ったものと同じようで、違う。

 花は光る宝石の瞳を見つめながら、微笑む。「よろしくね、フィオ」と声を掛けた後に自分の胸の中にしまい込んだ。



 父が遺した宝石と、雅が最後に作ったテディベア。

 このフィオには特別な想いが沢山込められているのだ。思い出と気持ちと夢が沢山。


 だから、重いのだ。



 「出会ったときはとってもクールでかっこいいイメージを持ったから黒が似合うなって思ったんだ。だけど、一緒に過ごしてからわかったんだ。花ちゃんはとても可愛らしい女の子なんだって。俺の大好きな真っ白なスターチスの花のように可愛いってね。だから、白い子にしたんだ」

 「………白いスターチス……の花……」



 

 それは今日の朝、雅から教えてもらった花の名前。

 雅にとって、この花浜匙にとって大切な花。

 それをイメージしてくれた。花のために。


 雅は出会ってからずっとずっと考えていてくれたのだろう。花の事を、新しいフィオについて、を。

 そして、独り花浜匙に残してしまう凛を。


 だから、このテディベアは花浜匙と花、そして凛へのメッセージなのだろう。


 雅、最後の作品なのだから。



 「雅さん、絶対に大切にする……こんな素敵なフィオをありがとう」

 「うん。大切にしてね。洋服は凛に作ってもらってね。図案は見せてもらってるけど、とっても可愛いよ。それも楽しみにしておいて」

 「あぁ……今までで1番のテディベアに負けないものを作ってやる」

 「………楽しみにしてるよ」



 得意気に微笑み、雅はホッとした表情を見せながら笑った。

 今、涙を見せてはダメだ。やることがあるのだから。花はフィオを抱きしめながら、歯をくいしばり、涙を耐える。

 きっと、雅には気づかれているだろうが、彼は変わらずにスターチスの花ように小さく微笑みを見せてくれる。




 「そろそろ夜になるね。最後の場所は、やっぱりこの店がいいから。それだけは、伝えておくね」



 雅がいう最後の場所というのは、四十九日の奇を終わらせる時の事だろう。魂が乗り移ったものを燃やし成仏させる。

 その場所が花浜匙がいいという事なのだろう。


 凛は「わかった」と小さく頷いた。


 工房にはもう夕日の明るさは見られず、薄暗くなってきた。雅は椅子から立ち上がり、部屋の電気をつける。



 それが夜を告げる合図だった。







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