26話「恩返し」
26話「恩返し」
「え、もう戻ってもいいのですか?」
『はい。本部の方からも承認は得ていますので』
「どうして。あんなに事があったのに………」
スマホから聞こえてくる岡崎の言葉に、花はどうしても信じられない思いだった。
VIP待遇している顧客からのクレーム。そのために、花の雇用を拒んでいたのはone sinだった。
無期限の待機を命じられていたので、花が自分から辞めない限りは話は進まないと思っていた。長期戦になるのも覚悟の上だったのだ。それなのに、どうしてこんなにも早く解決したのか。花にはその理由がわからず、ただただ不思議だった。
『乙瀬さんを味方してくれる方は多いという事です』
「それは、どういう事ですか?」
『実はですね……』
何か話しをしようとした岡崎の声は、突然止まってしまった。
ガサガサと受話器が揺れる音と女性の声が聞こえた。そして、『もしもし?乙瀬さん?』と冷泉の声が耳に入ってきた。どうやら、彼女に変わったらしい。が、奥からは「冷泉さん?まだ話の途中ですよ」と岡崎の抗議の声が聞こえるが、彼女はそれに全く気を止めずに話を続けた。
『岡崎さん、乙瀬さんの退職についてかなり抗議してくださってたの。それでも本部は動かないから、自分のお客様でお力がある人に相談までして。本当なら許されることではないけれど、不当な解雇はもっと許せないって。自分がクビになる覚悟で動いてくれていたのよ』
「岡崎さんが?そんな事を……」
『えぇ。それで、乙瀬さんを知っている人や考えに同意してくれるお客様から会社に問い合わせをしてもらっていたの。もちろん、本部は岡崎さんの事をお叱りになったみたいだけど、岡崎さんをまた解雇や異動にしたら、お客様からのクレームにつながるって思って厳重注意にしかなってないみたい』
『冷泉さん、そこまで話さなくていいです』
『だめですよ。ちゃんと伝えておかなければいけない事です。岡崎さんが、ここまでしてくれるほどに、乙瀬さんに戻ってきて欲しいって事を』
自分が知らない間に岡崎が尽力してくれていた。
その事を考えもせずいた自分が恥ずかしい。けれど、それ以上に嬉しく思ってしまう。
岡崎がそこまでしてくれた理由を、花は何となくだがわかっている。
父親が犯罪を起こした。
その理由は自分の私利私欲ではなかったとしても、罪は罪だ。家族の罪を知った者たちが、その当事者の娘である花をも犯罪者として扱おうとしている事が許せなかったのだろう。
そして、花の心は軋み苦しみ、壊れそうになっていた。一人でいるのが怖いけれど、一人の方が悪口も入ってこない。引きこもってしまいそうな心を、岡崎は気づいて手を差し伸べてくれたのだ。
それなのに、クレームによりまた花の閉じかけていた傷口が開いてしまいそうになっていた。
だからこそ、岡崎は花は会社に必要だと、他の人も認めてくれている。そう花自身に示したかったのだろう。
言葉よりも人の助けが、花の心に響くだろうという事もわかっていたのだ。
やはり、この人には頭が下がるばかりだ。
その後、冷泉から電話をかわった岡崎は花にゆっくりとした口調で語り掛けた。それは、お客様に対しての言葉より優しさを帯びているように思えた。
『乙瀬さん。冷泉さんの話はあまり気にしないでくださいね。私はお話をしただけで、皆さんが乙瀬さんの事が好きだから動いてくださっただけなのですから』
「岡崎さん。どうして、ここまでしてくださるんですか?私は、one sinのお客だっただけです。しかも、私自身は買い物なんてした事がない。全て父親が払ってくれていました。今の乙瀬家は昔のように莫大な財産もない、落ちぶれた存在です。それなのに、どうしてここまで」
『乙瀬さん。私は、あなたのお父様に助けられたのです』
「……それは……」
『………私が新人だった頃です。乙瀬様のお品物を間違った相手に贈ってしまったのです。そのため取引先の相手には届かずにかなり迷惑をかけてしまいました。それなのに、乙瀬様は、笑って「ミスは誰でもあることだ。それにきっと今は贈るべきではないという事なのだろう。縁がなかったのだ。だから、違うものを贈ろうとしよう」といって、更に買い物をしてくれた。それからも私の事を気にかけてくださって。私の大切なお客様です。本当に大切な恩人なのです。だから、恩返しがしたかった。そういう気持ちがあります、それは確かです。けれど、子どものころからone sinの制服を可愛いと言ってくれたあなたを応援したかった。犯罪者ではない、と知って欲しかった。その気持ちもあります。だから、また戻ってきてくれますか?随分待たせてしまいましたが………』
自分の知らない父の姿。
岡崎の父への思い。そして、自分に対する考え。
人は一人では生きていけない。
一人で生きていたとしても、心配してくれる人はいる。わかってくれる人はいるのだ。それを改めて感じる事出来た。自分にとってその一人が岡崎なのだろう。
昔から見ていてくれた、そして今も助けようと手を差し伸べてくれる。
涙が零れそうになったが、今泣いてはまた凛と雅に泣き虫、と笑われてしまいそうでグッと堪えた。
「父の事を大切にしてくださって、ありがとうございます。私の好きな父を岡崎さんは知ってくれていた。それだけで私は嬉しいです」
『ダメです、乙瀬さん』
「え?」
『私は乙瀬花さんに戻ってきていただきたいのですよ。戻ってきていただけますか?』
「………はいっ。今まで以上に頑張らせていただきます」
ここで断る理由などない。
岡崎の気持ちを、花のために動いてくれた人たちに感謝の意を伝えるためにも、戻らなけらばいけない。
強い決意で、返事をする。が、その気持ちは本当のものだというのに、スマホから聞こえた言葉は花を迷わせるものだった。
『それはよかった。それでは、急なのですが、明日から出勤していただけますか。いろいろと話がしたいのです。開いたは幸いにも予約のお客様も少ないので時間が取れそうなのです』
「あ、明日、ですか……」
花はつい次の言葉を逃がしてしまう。
明日は雅と過ごせる最後の1日だ。それにまだ、四十九日の奇の供養のための準備も完璧には終わっていないのだ。残された期間は雅のために使おうと思っていた。
けれど、岡崎の熱い気持ちを聞いてしまうと、断る事も出来ない。
花は、すぐに決断出来ずにいた。
すると、その動揺に気付いた岡崎が心配そうに声を掛けてくれる。
『何かあったのですか?話が出来ない期間で……』
「それは……」
『もしかして、以前お話してくださった乙瀬さんを必要としてくださっている人、に関わる事ではないですか?』
「はい。その人はあと少ししか時間がないのです。だから、傍にいたいと思ってしまうんです。けど、お店にも戻ってみんなにお礼を伝えたいんです。だから、明日行かなければいけないって思っているんです。けど……」
『………私はいつでも店にいます。そして、今のところ限られた時間があるわけではありません。理由は、戻ってきてからお話してください。お店にこれるようになったらいつでも連絡してください』
「岡崎さん、それは………」
『戻ってきたら、沢山働いて貰いますので。覚悟しておいてください』
「………ありがとうございますっ!」
何を大切にしなければいけないか。
生きているかぎり、毎日が選択していかなければいけない。
こうやって大きな決断をする時もある。けれど、迷う必要などないのだ。
今は、雅との時間が何よりも大切なのだから。
花を助け、導き、人の温かさを改めて教えてくれた人なのだ。
雅と凛に会ったから、こうやってイキイキと生きて、自分の好きを見つけられたのだ。
そして、自分を必要としてくれる人達にもあえて、それを素直に受け止められるようになれたのだから。
そして、何よりも花自身が雅を大好きで大切な人なのだから。
安心して、笑顔で、この世を過ごして欲しいと強く思うのだ。最後の最後まで、不安を感じる事なく。
花は通話を終わらせた後、パチンッと両手で頬を強く包む。
今は仕事の事は考えない。全ては雅のために。
何が何でも成功させる。
その気持ちを胸に、花は夜遅くまで作業を続けたのだった。
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