近くて、遠くて、やっぱり近い
CHOPI
近くて、遠くて、やっぱり近い
兄貴と俺。歳の差、1歳。何度そのたった1歳差に泣かされてきたことだろう。小さい頃の1歳ってすごくでかくて。例えば幼稚園年長と小学校1年生。例えば中学生3年生と高校生1年生。例えば学生と社会人。いるべき環境が変わると同時、俺はいつだってその1歳の壁を感じていて、気が付けば常にその背中を追う側の立場だった。
しかも輪をかけて兄貴は優秀な人間だった。勉強も運動も、俺が腹立つくらいできた。俺は常に必死だった。これ以上の差を感じるのは嫌だった。その結果、負けん気の強さだけは、兄貴よりも俺の方が強い気がする。……勉強も運動も、他の事も全部兄貴に勝てたと思ったためしは一度も無いんだけど。
そのくせ兄貴は涼しい顔をして言うんだ。
「俺、お前に勝てる気がしないよ」
何言ってんだよ、ってずっと思ってたし、時には口に出した気もする。ふざけんじゃねぇよって。だけど兄貴はいっつも笑ってた。
「そんなお前のことが、俺はずっと自慢なんだ」と。
社会人になって、いつの頃からか1歳の差って言う壁はとっくの昔に消えていた。俺はようやく、兄貴に追いついたと思っていた。……少しずつ壊れていく兄貴のことを気が付いてやれなかった。
「俺、しばらく働けなくなっちゃった」
焦点も会わず、どこか遠い世界を――“アチラ側”を映した目をして、兄貴が言った。一体いつから、兄貴はこの世界――“コチラ側”とは少し違う世界を見始めたのだろう。俺が最後に兄貴の目をちゃんと見たのはいつだったのか。すぐには思い出せないくらい、前の事らしかった。兄貴がこんなになってしまうまで、兄貴の異変に気が付けなかった自分に腹が立った。何がようやく追い付いた気がした、だ。結局は見えていなかったじゃないか。
「なぁ、俺は、どうしたらいいのかな」
兄貴が力なく言葉を紡ぐ。俺はその問いに答えることが出来なくて、唇をかんで俯いた。俺は無力だ。迷子のような眼をして助けを求める兄貴に対して、何の答えも出してやれないと思った。それが歯がゆくて苦しくて。
「ごめん、わかんない」
口にした言葉はとても苦くて、ほんの少し鉄の味がしたように思った。
鉄の味。独特の苦み。それらがトリガーになって古い記憶を呼び覚ます。あれはいつの事だっただろう。確かまだ小学生の頃、サッカーの試合に負けた日だったと思う。家への帰り道、悔し涙が止まらなかった俺は、兄貴に連れられて家の近くの公園のベンチに座ってた。あの日も確か『俺がもっと強ければ』とかなんとか思いながら泣いていた気がする。だけどその日見えたのは、引っ張って歩いてくれた兄貴の背中だった。この頃から特に意識するようになったのかもしれない。1歳の壁、っていうものを。
あれから数日。兄貴を呼び出して近所の公園のベンチに座る。小学生の頃に並んで座ったあの日のように座ったけれど、あの頃は2人で座っても余裕があったはずのベンチは、大人2人が座れば埋まってしまうものだった。
「……俺さ。もう兄貴の背中が見えるだけの位置に居るのは止める」
兄貴に唐突に宣言をする。もちろん兄貴は何のことを言っているのかわからないような顔をしていた。
「いつも引っ張ってくれて、“兄貴”してくれてありがとう、ってこと。だけどさ、これからは背中だけじゃなくてさ。兄貴の横顔が見える位置に居たいんだ」
ここ数日間考えた。俺が出来ること。出した答えは頼りないものだったけど、今の俺にはそれが精一杯だ。だからそれを全力でやる。兄貴が“アチラ側”で迷子になってしまったなら、俺も一緒に迷子になる。あいにく俺は負けず嫌いだ、兄貴だけを“アチラ側”に置いておくなんて、絶対にするつもりはない。なぁ、兄貴。ゆっくり“コチラ側”へ帰り道を2人で探そう。
兄貴は俺の言葉の意味を理解したのかそうでないのか。心情を読み取ることまではできなかったけど、少しだけ“コチラ側”の世界を映した目で笑って言った。
「やっぱり、お前は自慢の弟だわ」
近くて、遠くて、やっぱり近い CHOPI @CHOPI
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