第15話 僕は今日も猫である
『――朝か』
ふあっと欠伸をしながら、僕は体を起こした。
スマホから目覚ましの音が鳴り響く。ベッドの上で、毛布の中から手を伸ばした飛鳥がやかましいという感じでそれを停止させた。ここからは僕の出番だ。
『飛鳥、朝だぞ。起きろー』
彼女の枕元まで歩み寄った僕は、尻尾を使って飛鳥を起こす。
ぺしぺしと遠慮なく顔を叩きながら、こうして声をかけるのが最近のやり方。
「んー、もうちょっとー」
向きを変え、予想通りの抵抗を見せる飛鳥。
うん、わかるよ。僕も人間だった頃、そうやって無駄な抵抗を何度か繰り返したことがある。だからその気持ちはすごくわかる。
でもここで退くと、あとで怒られるのは僕なのだ。どんな手を使ってでも起こさないといけない。
『よっ、と……』
そこで僕は毛布の上から彼女の背に乗り、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
顔に乗ったりする方が早そうなものだけど、さすがにそれは倫理的にどうかと思うので絶対にやらないと決めている。
普通の猫ならそんな光景もありかもだけれど、僕は元人間である。そんな僕が女の子の顔に乗るわけにはいかないだろう。その行為はどう考えてもよろしくない。
『飛鳥、遅刻するぞ。そうなっても僕は知らないからな。僕は起こしたからな』
後々文句を言われないようにアピールしつつ、揺さぶり起こす。
飛鳥が動き出したのを見計らい、僕は飛び退いた。
『おはよう、飛鳥』
「……おはよう」
ベッドの上でちょこんと座る飛鳥は、まだ眠たそうな表情だ。
肩のあたりがはだけていて目のやり場に困る。
『ほら、顔洗っておいで』
「んー」
ぽんと背中を押してやると、飛鳥はゆっくり立ち上がって部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、僕はいつもながらに思う。
『大丈夫かな……』
ときどき洗面所で寝ていることがあるから心配になる。
まあ、あまり遅かったら様子を見に行こう。
――あれから数日が経った。
元の体を失った僕は、そのあとも変わらず飛鳥のところに置いてもらえることになり、今日もこうして彼女の目覚まし役をやっている。
何だか妙な役割を得てしまったけれど、これで飛鳥の遅刻回数も減っているらしいので、まあこんなことでも多少は役に立ててよかった。
そんな彼女、三船飛鳥との出逢いは僕の人生を一変させた。
中でも一番の変化は、やっぱり『猫』になったということ。そのせいで失ったものもあるけれど、でもそれ以上にかけがえのないものを手に入れたように思う。
もちろん、最初は人間に戻りたいっていう気持ちもあったし、体を失ったことはショックだった。数日は立ち直れなかった。
でも今は、猫としての日常を楽しんでいる。楽しめるようになった。同じ猫だけじゃなく、鳥なんかとも会話ができるというのもこれでなかなか面白い。雪城渚として生きていた頃よりも遥かに多くの出逢いがあり、普通の人ができないような体験をさせてもらっている。だから、これでよかったんだ。
あのときあの瞬間、確かに僕は死んでいてもおかしくなかった。
そのことを考えれば。
『今を生きている奇跡に感謝だな』
ときには苦しいこともあるだろう、辛いことだってあるだろう。
だけど。
どんなことがあったとしても、生きていれば必ず笑える日がやってくる。
そのことを学んだ僕は、この先も何事にも負けずに生きていく。
――なんて、考えていると。
「もういいよ、ナギくん」
着替えが終わったようだ。
飛鳥の合図を受け取て、僕は窓の外から視線を戻した。それから朝食を済まし、玄関先までついて行って彼女の見送りに出る。
「あ、私がいない間に変なことしないでよ?」
『しないよ!』
この前、寝ぼけて飛鳥が着ていた部屋着にくるまって寝てしまったので、それ以来いない間に何かするのではないかと疑われている。もうしないって言ってるのに、いくら言ってもなかなか信じてくれないのだ。
「じゃあ、行ってきます」
『いってらっしゃい』
こうして、猫になった僕と飛鳥の日常は続いていく。
どうか
そよ吹く風にそんな願いを込めて、僕は抜けるような青い空を見上げた。
<おわり>
そして僕は猫になる。 伏見春翔 @haruto_13
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