第13話 僕はそれを選ばない
「――おわああぁ!?」
扉を蹴破って突入しようとして。予想外にもその扉が開かれ、僕は室内へと勢いよく飛び込み、床を転がった。
一瞬何が起きたのかわからず慌てて扉の方に向くと、こちらも飛び込んできた僕を前に呆然と立ち尽くしていた二人の男たちが、外にいた猫に引きずり出されていくのが見えた。どうやら僕が体当たりをしようとした瞬間と、彼らが扉を開けた瞬間が見事に重なったらしい。
まるであとは頑張れと言うように通路から僕に目配せしてくる茶色の猫に頷き返すと、バタンと扉が閉められた。
そうして静寂が戻った室内に、今度は少女の声が響く。
「ナギくん!?」
『飛鳥!』
聞き覚えのある声に振り向くと、飛鳥の姿があった。
室内には何だか見たこともないような装置が並ぶ。その中心に置かれたカプセルのような機械のひとつに飛鳥が入っていた。
その傍には、人間の僕に扮する片桐太一の姿もあり、窓から見える青空を背に呆れた表情を僕へと向けている。
「まったく、君は。しつこいやつだな」
『自分の体取られて黙ってなんていられるか!』
人が意識を失っている間に、勝手に体を奪われて、そして猫にされて。それで黙っていられる人なんているわけがない。何が何でも取り戻そうとするのは普通のことだろう。
『でも今は、そんなことどうでもいい! 飛鳥を解放しろ!』
「解放しろ? 何を言ってるんだ、この娘は自分でここへ来たんだよ」
『え? そう、なのか?』
飛鳥の方に視線を向けるが、俯いたまま彼女は何も答えない。
代わりに、
「この娘はな、君を元に戻すために自分が代わりになるそうだ」
『な……』
片桐の言葉に驚き、僕は飛鳥の方へ振り向いた。
『なんで! 戻りたいって言ったけど、君に代わってくれなんて僕は言ってない!』
そう叫んだのに対し、飛鳥の悲痛な声が僕の言葉を上書きする。
「私のせいなの! 私があのとき絵なんて描いていなければ。周りをよく見ていれば。あなたがそんな風になることはなかった……」
その言葉で僕は納得した。
ああ、そうか。そういうことだったのか。
飛鳥が僕のために必死になっていた理由。
彼女はずっと、僕がこうなってしまったことに負い目を感じていたのだ。
薄々気づいてはいた。
僕の存在が、彼女を苦しめている。
そんな気がして。でもそれは僕の本意じゃなくて。だから彼女から離れるべきかもしれないと、そう思ったこともあった。
でもそれじゃあ駄目だ。
何も解決しない。向き合わないといけない。伝えないといけない。
僕たちには想いを分かち合うことが必要なんだ。
『――違う。違うよ、飛鳥。僕がこうなったのは君のせいじゃない』
あのときあの瞬間、飛鳥を助けると決めたのは僕なのだ。
他でもない僕自身が、助けると決めた。
実際には思わず体が動いていたって言うのが正しいけれど、思考があとだったとしても僕が選んだ行動であることに変わりはない。
その結果、猫になったのは確かに予想外で衝撃的過ぎる展開だったけど……。
でも。
『あのとき、たとえ死んでいたとしても。君を助けることができたなら、僕に後悔はなかった』
平凡な僕は、何の取り柄もない人生を送ってきた。
飛鳥のように絵が上手だったり、ずば抜けてできることがあるわけでもなかった。かといって、致命的にできないということもなかった。
まさに、平々凡々。
僕には何もない。何の才能もなかった。
どこに行っても無力だった。
劣等感に苛まれた。
才ある人たちが羨ましかった。
彼らの姿を、いつも陰で見てきた。その背中を何度も追いかけては、突き放された。追いついたと思っても、その差は縮まらなかった。
今だってそうだ。
一人では何もできない。
だけど。
そんな僕にもできたことがひとつあった。
人助けだ。
彼女を救うことができたとき、僕にも生まれてきた意味があったんだと思った。
大袈裟かもしれない。端から見れば間違った考え方かもしれない。
それでも、何もない僕にはそれが命の使い所だった。
別に僕だって自己犠牲を美化しようだなんて思っちゃいない。だって、死んだら終わりだろ。何があっても生きなくちゃ。何が何でも生きなくちゃ。たとえ、犬や猫になったとしても。
だから、これだけは勘違いしないで欲しい。
僕はあのあとも死んでやるつもりなんかひとつもなかった。
『――飛鳥』
少し間を置いて彼女の名を呼ぶ。
その声に顔を上げた飛鳥を、僕は真っ直ぐに見つめた。
『生きていてくれてありがとう』
その言葉を受け取った少女の眼が一瞬大きく見開かれ、そして潤んだ瞳から雫が零れ落ちていく。
彼女への感謝の気持ち。
それは、ずっと伝えたかった言葉だった。
何だか小っ恥ずかしくて、ここまでずっと言えずにいたこと。
彼女の無事を知って、彼女と再会したとき僕は思ったんだ。
心からそう思った。
自分がこんな状況に陥っているのに、それでも僕は自分のことなんてどうでもよくて。ただ助けた少女のことが気がかりでならなかった。だから烏から生きていると聞かされたとき、心底安堵した。元気な彼女に再会できたとき、本当に嬉しかった。
それから――
『僕を見つけてくれて、ありがとう』
孤独だった僕は、飛鳥と出逢って人生が一変した。
人だったときも、猫になったあとも僕は独りだった。いっそ孤高であれたならって何度も思ったことがある。そう願うくらいに僕の心は弱かった。それでも今まで精神を保って来られたのは、ただ見ないように、触れないようにしていただけだ。
でも飛鳥と再会し、その笑顔と優しさに触れて、僕は救われた。彼女と過ごす時間はすごく楽しくて。
そして、と僕はさらに続ける。
『僕は君を尊敬しているんだ。きっと過去に辛いことも苦しいことも一杯あっただろう。でもそれに負けることなく向き合って、今この瞬間を一所懸命に生きてる。そんな姿を見て、すごいなって思った』
「そんなこと……」
そう彼女は否定するけど、でもその在り方はすごい。僕にはなかった生き方だ。
思えば僕は、どうせ何もできないって、やったって意味なんてないって、いつも途中で投げ出してきた。やり抜いたことなんてひとつもなくて、いつの間にか挑戦することからさえも遠ざかっていた。
『そんな飛鳥が描く優しい絵が好きだ。できるなら傍でずっと見ていたい』
だから。
『僕の代わりになんてならなくていい。なって欲しくない』
君は君のままでいい。
僕の背負うべきものは、僕がちゃんと背負うから。君は負い目なんて感じなくていい。そんな荷を背負わなくたっていい。
『僕の体は、僕自身で取り戻してみせる!』
飛鳥を犠牲にするなんて、そんな方法は選ばない。
誰にも選ばせない。
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます