第10話 僕は再び対峙する

 小走りで通学路を駆けていく飛鳥を余所に、僕は呑気に思う。

 それにしても、あれだね。パンくわえて登校する人初めて見たけど、実際にいるものなんだね――なんて感想を抱いていると、飛鳥が何やらもごもご言ってきた。


『飛鳥、食べながらしゃべるのやめなよ』

「うるさいな。学校では静かにしててよ?」


 言われずとも騒ぐつもりはない。

 なぜ僕が学校に行く飛鳥について行っているのかといえば、その理由はもちろんひとつしかない。

 僕のふりをした片桐太一に会うためだ。

 昨夜、行き詰った僕たちは『これ以上調べても埒が明かない。こうなったらいっそのこと本人に突撃してしまおう』という話になったのだ。

 片桐に直接会ったところでどうこうできる問題でもないと思うのだが、飛鳥がどうしてもそうすると言うので仕方がない。彼女は割と一度こうと決めたらそれを譲らないタイプなのだ。

 僕としては、あいつと会うのは危険だからやめてほしいのだけど、僕のために一所懸命行動してくれる彼女の気持ちを無下にすることもできなかった。



 放課後になって、僕たちは僕が通う大学へ向かった。

 と言っても、同じ敷地内にあるから高校の校舎を出ればすぐそこだ。問題はあいつがいるかだけど、それは事前に連絡していたらしい。待ち合わせ場所で、すぐにその姿を見つけることができた。


「渚くん」

「飛鳥……」


 当然のように下の名前で呼び合う二人。

 そのやり取りを見て何だかひどく腹が立つ。本来なら僕が人間として飛鳥と仲良くなっていたはずなのに、と憎悪の念を込めて僕に扮する片桐太一を睨みつけてやる。

 対して、あいつはあいつで飛鳥の肩に乗る僕の姿を認めて舌打ちしやがった。嫌ならあのとき放っておかなければよかったんだ。


「駄目じゃないか、学校にペットを連れてきちゃ」

「ペットじゃないよ、渚くん……ううん、片桐太一さん」


 知らぬふりで押し通そうとする片桐に、いきなり飛鳥が核心をつく。


「何言ってるんだ、僕は雪城渚だよ。その片桐某とやらじゃない」

「嘘をつかないで。あなたのご両親も、お友達も、今のあなたはまるで別人みたいだって言ってる。私だってなんか変だなって思ったくらいだもん。みんな気づいてるよ。でも事故のこともあるから触れないだけ」


 どんな風に繕っても、真実を知っている飛鳥の前では通用しない。

 真っ直ぐに向けられた飛鳥の瞳は、まるですべてを見透かしているかのように、僕のふりをする片桐太一を捉えて離さない。


「あなたじゃないあなたを演じるのってすごく疲れるでしょう? ナギくんも猫にされて困ってる。だから、もうその体を返してあげてほしいの」


 大胆に真正面から切り込んでいく飛鳥に、横にいた僕はちょっとびっくりした。

 彼女はときどき驚くような行動を見せる。さすがの片桐もその勢いに圧されているようだった。

 しかし、彼もこれくらいで折れたりはしない。


「なるほど」


 と一度呑み込んでから、片桐はこう切り返してきた。


「たとえば、それが事実だったとして君はどうしようって言うんだ? 親にでも言うか? それとも先生にでも相談してみるか? 警察に駆け込んでみるか? でも大人は君の言うことなんて信じたりしないだろうね」


 確かに、こんなぶっ飛んだ話は誰も聞き入れてはくれないだろう。だからこうして直接頼みに来ているわけなんだけど、あくまでも片桐はそれを聞き入れるつもりはないらしい。

 堪らず僕が口を開きかけたところで、片桐がさらに畳みかけてくる。


「聞くところによると。三船飛鳥、君は昔嘘つきって呼ばれてたそうじゃないか」


 その瞬間、飛鳥の表情が変わった。

 一瞬目を見開き、そのあとすぐに顔を俯ける。


「またそうやって周りの気でも引けばいい。まあ、今度は誰も言うことを聞いてはくれないだろうけどね」


 口元に不敵な笑みを刻み、止めとばかりに叩きつけてくる。

 ただ断ればいいだけだろうに、そこまで言う必要はあるんだろうか。


『お前……』

「君も君だよ。こんな可愛らしい女の子を巻き込んで。高校生になってやっとまともな日常が送れそうだったんだろうに、酷いことするものだ」


 そう言い残して去っていく彼を、僕も飛鳥も引き留めることはできない。

 結果、僕たちは片桐太一に言い負かされる形となった。前回もそうだったけど、そのダメージは大きくて思った以上に後を引く。


「……ごめんね、役に立たなくて。逆に言い負かされちゃった」


 学校からの帰路、しばらくして隣を歩く飛鳥が僕にそう告げた。

 見上げると浮かべられた表情はどこか苦しそうで、笑顔もぎこちない。


『飛鳥が謝ることないよ。僕の方こそごめん』


 何もできなかった。飛鳥を守るべきなのに、味方であるべきなのに。

 僕のことはどうだっていい。でも飛鳥が傷つくのは嫌だ。もうこれ以上あいつに関わらせるべきじゃない。そう思った僕は、そのことを伝えようとして。


『飛鳥、もうあいつとは――』

「諦めないで。次は私も負けないから。頑張るから」


 僕の言葉を遮って、飛鳥が告げた。

 固く握られた拳。真っ直ぐ向けられる瞳には力が宿っていて。さっきまでの昏さはもうどこにもない。そこには、もう一度立ち向かうという強い意志が溢れていた。


『何で、そこまで……』


 どうして、僕のためにそこまでしてくれるのか。

 ずっと気になっていたけれど、今まで聞かずに来てしまったこと。その理由を今こそ僕は聞かなければいけない。そんな気がした。

 でも飛鳥は、


「あー! 私このあとバイトなんだった!」


 まるでこの話には触れたくないというように、わざとらしく声を上げて。

 腕時計を確認し、慌てた様子で僕に言う。


「ごめんね、先に帰ってて」


 そう告げて、飛鳥はそのまま走っていってしまった。

 追いかけようかとも思ったけど、結局僕は動くことができなかった。

 行っても何もできはしないと、だから追いかけても意味はないと。そんな無力な自分を恨めしく思いながら、やがて僕はゆっくりと帰路につく。


『――よう、ナギ。久しぶりだな』


 とぼとぼと飛鳥の家に向かっていると、ふいに聞き覚えのある声に呼ばれた。

 顔を上げると、そこには翡翠色の瞳が特徴的な灰猫が立っていた。


『スイ!』


 スイだった。

 僕をピンチから救ってくれた彼とはあれ以来会っていない。


『久しぶり。元気そうで』

『ああ、お前もな。あれから目的の場所には行けたのか?』

『あ、うん。一応ね……』

『その割には暗いな。どうした?』


 早速スイに突っ込まれ、僕はあれから今に至るまでの話を彼に打ち明けた。


『あいつに会ったのか!』


 片桐に会ったことを話すとスイに驚かれた。

 まあそうだよね。消息を絶っていた猫が人間になって現れたなんて、そんな話されたら僕だって驚く。


『……そうか、やつはまた』


 スイは少し考え込んだ後、何かを決意したように真剣な表情で口を開いた。


『実はな、お前に話が――』


 スイが何か打ち明けようとしたときだった。

 それを遮って、空から声が降ってくる。


『大変だー! 大変だよー! 大変なことになったよー!』


 そう声を揃えて、三羽の雀が僕たちのところへ降り立った。


『どうしたんだ?』

『ナギ、あの子が連れ去られたよ! 君と一緒にいた女の子!』

『飛鳥が!?』


 雀たちの報せを聞いた瞬間、僕は慌てて駆け出した。




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